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第七十五話 御入魂の神文

慶長二年――


長きにわたる異国での戦は終わりを迎えようとしていた。


伊東祐兵いとう すけたかは、朝鮮での戦を経てひとつの確信を抱く。


「これよりは、領国を治めることこそ肝要」


日向に戻れば、旧領の再興と安堵の確立が待っている。


だが、その道の前には長年の宿敵、島津氏の影が横たわっていた。


戦国の嵐の中、伊東と島津は幾度となく刃を交え


幾多の命がその因縁に散っていったのである。


その確執を越えぬ限り、真の平和は訪れまい。


黒田如水くろだ じょすいは祐兵に諭した。


「水の流れは障害を避け、やがて大河となる。

 祐兵殿もまた、和をもって日向を治めるべき」


祐兵は深く頷いた。


その眼差しには、父祖以来の怨念を断ち切る決意が宿っていた。




ある日、祐兵は静かに軍議の席を立ち


島津義弘しまづ よしひろの陣を訪ねることを決した。


陣所に近づくと、島津の将兵は一様に驚き、ざわめいた。


「伊東殿が……我らの陣へ?」

「この間、相撲取ってたような…?」


やがて義弘が姿を現した。


白髪まじりの髭を撫で、深い眼差しで祐兵を迎える。


両者が対座するその場には


幾十年にわたる因縁の重みが漂っていた。


祐兵は深々と頭を垂れる。


「日向の安寧は、我らが和をもってこそ成りましょう。

 長き因縁に終止符を打ち、御入魂の証を交わしたく存じます」


義弘は一瞬、険しい表情を浮かべたが、


やがて静かに微笑んだ。


「戦場で幾度相まみえた縁よ。されど、この乱世を治めるは武ばかりにあらず。

 伊東殿、そなたの志、しかと受け取った」




その夜、両者は火を囲み、使者を交えての儀が執り行われた。


御入魂(ごじっこん)神文(しんもん)――


それは、血にまみれた戦の時代を超え


新たな絆を結ばんとする誓約であった。


「我ら、ここに誓う。

 子々孫々に至るまで、互いに刃を向けず、日向の地を共に守らんことを」


祐兵の声は、しんと静まり返った陣営に響いた。


義弘は深く頷き、神文へと筆を走らせる。


墨痕鮮やかなその文字は、両家の未来を繋ぐ契りとなった。


傍らで見守る家臣たちも、長年の怨念が溶けゆくのを感じていた。


「伊東と島津が……和するとは」


「これぞ乱世の終わりを告げる兆しか」


火の粉が夜空に舞い


両雄の影はひとつの光に溶け込むようであった。




翌朝、義弘は祐兵を見送りながら静かに語った。


「昨日まで敵であったが、今日よりは盟友よ。

 これぞ我が生涯における奇縁なり」


祐兵は馬上から深く礼を返した。


「必ずや、この契りを守り抜きましょう。

 日向の再興は、和をもってこそ成し得るのです」


この御入魂の神文は


伊東・島津両家の確執に終止符を打つ歴史的な一歩であった。


ただの和睦ではなく、互いを支え合うための盟約。


戦の世に生まれ、数え切れぬ血を見てきた祐兵にとって


これは真の意味での勝利であった。


「戦で得られぬものを、和によって得る」


その言葉は、祐兵の胸の奥深くに刻まれ


やがて日向の地に静かな安寧をもたらす礎となってゆくのであった。

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