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第七十一話 無常の海原

文禄二年、戦役の余波は人の命を容赦なく奪っていった。


伊東義賢いとう よしかた――若き血気の将も、病の魔手には抗えなかった。


帰国の途についたその身は、対馬から壱岐へ渡る船上にて力尽きる。


「……叔父上(おじうえ)に、御恩を……」


海風に掻き消された最後の言葉は


甲板に伏した義賢(よしかた)の唇から零れた。享年二十七。


一方、弟の祐勝すけかつも病に侵され


命をつなぐために故郷を目指したが


暴風雨に船を流され、石見国の浜へ漂着した。


病はさらに深まり、やがて二十四の若き命は燃え尽きる。


「兄上、我らは……必ず帰れると思うていたのに……」


石見の空に祐勝(すけかつ)の悔恨が残り、波に攫われるように消えた。


伊東家を担うべき若枝が、相次いで折れたのである。




そして、島津家の若き光――久保ひさやす


父・義弘の後を継ぐべき俊英も、戦の塵と疲弊に蝕まれていた。


「義賢殿、祐勝殿……皆、先に逝かれるのか」


異郷の地・唐島からしま(巨済島)の陣営で、久保ひさやすは病床に伏しながら呻いた。


かつて祐兵(すけたか)義賢(よしかた)と共に酒を酌み交わし


相撲に興じた笑顔は、もはや影に覆われていた。


祐兵(すけたか)が枕元を見舞い、手を握った。


「若き命を奪うは、戦よりも病か……」


その時、猫のヤスが寂しそうに、久保のそばに寄り添った。


「ありがとう、ヤス……ありがとう」


九月八日、海風が涼しく吹く朝、久保は静かに瞳を閉じた。享年二十一。


義賢・祐勝に続き、日向の友もまた落ちた。


「なぜ、これほどの若者が……」


祐兵(すけたか)の胸は、言葉にならぬ悲嘆で締めつけられた。




相次ぐ若武者たちの死は、祐兵(すけたか)の心に重くのしかかった。


漢城の栄華も、晋州の戦火も、もはや影のように霞む。


陣営の兵らも次々と病に倒れ


海を渡った四万の軍勢の中に、今や死の気配が漂っていた。


「これが、戦の果てか……」


祐兵(すけたか)は胸の裡で呟き、亡き甥や同郷の友の面影を思い浮かべた。


その冬――文禄二年十二月。秀吉より祐兵(すけたか)に帰国を許す書状が届く。


「伊東祐兵、速やかに日向へ帰るべし」


文を開いた瞬間、祐兵(すけたか)は膝を突き、天を仰いだ。


「義賢……祐勝……久保殿。われ一人が生き残り、故郷へ戻ることになろうとは……」


涙を堪え、祐兵(すけたか)は決意した。


「必ず、この命は家のために尽くす。皆の死を、無駄にはせぬ」




天正以来の戦火に翻弄された伊東家。


その再興を支えた甥の義賢・祐勝は、帰国の夢叶わず病に散った。


島津久保もまた、若くして大望を抱きながら唐島にて果てた。


三人の死は、祐兵(すけたか)にとって耐え難き痛みであった。


だが、彼はその悲しみを胸に封じ、日向へと帰還する。


飫肥の城門が見えたとき、祐兵(すけたか)は深く頭を垂れた。


「伊東の家は、必ず守り抜く。おぬしらの魂を継いで――」


海の向こうで失われた若き命は、祐兵(すけたか)の決意の火を強く燃やした。


戦の勝敗も、栄華も、やがて過ぎ去る。


だが、命の重さとその志は、確かに後世へと伝わっていく。


こうして祐兵(すけたか)は再び故郷の土を踏みしめ


亡き者たちの夢を背負って歩み出したのであった。

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