第七話 名を継ぎし覚悟
元亀元年(1570年)霜月。
飫肥城に、冬の気配が忍び寄る頃──
その朝、虎熊丸は義父・伊東義祐に呼び出されていた。
応接の間には、側近の伊東祐信、伊東祐安、落合兼置、米良重方の姿もあった。
「今日より、そなたには伊東の名跡を正しく継がせる」
義祐の言葉に、一同が静まり返った。
「……わたしが?」
まだ十一歳の虎熊丸は、自分の胸の奥から震え上がるような重みを感じた。
「都於郡の家中も、国中も見ておる。兄・義益亡き今、伊東家を背負う者はそなたをおいてほかにおらぬ」
かつて、ただ走り回っていた城の廊下。
父に叱られ、兄の背を追い、家臣たちに学んだ日々──
「……祐兵、と名乗りなさい」
義祐が差し出したのは、白木の短冊。
そこには筆太に「祐兵」の二文字が記されていた。
「義祐の『祐』、武士の命を背負う『兵』。これは、願いであり覚悟じゃ」
虎熊丸──否、祐兵は、静かに短冊を受け取った。
その夜。
城内の奥、仏間に灯が灯る。
祐兵は一人、兄の位牌に向かい手を合わせていた。
「兄上……貴方が育てた阿虎殿が、わたしの隣にいてくれます。どうか、見守っていてください」
ろうそくの火がふと揺れる。
その時、背後からそっと声がした。
「兄上も、殿下を誇りに思っておられます」
振り向けば阿虎が、衣を整えて立っていた。
「お前がいてくれて、よかった」
祐兵の声に、阿虎は優しく微笑んだ。
「民のために強く、やさしい城主であらんことを。兄の娘として、そして……」
言葉の続きを口にせぬまま、二人は静かに並んで位牌に手を合わせた。
翌朝、祐兵は一族・家臣を前に、初めてその名を口にする。
「伊東祐兵、ここに立つ。兄の志を継ぎ、父の信念を支え、この飫肥を守る覚悟でございます」
声は震えていたが、迷いはなかった。
側で見守る祐安と祐信が頷く。
「殿、よう申されましたな」
「この歳で、よくぞここまで……」
民のざわめき、冬空に映える陽光、旗が翻る音。
こうして、虎熊丸は名実ともに──伊東祐兵として、歴史の表舞台に歩み出したのである。