第六十四話 江原道の戦い
文禄元年五月十九日
一番隊・小西行長が臨津江へ進軍した。
二番隊との合流を経て、二十七日には渡河を敢行。
守備していた李薲ら朝鮮軍は矢一本放つことなく逃亡し
残兵を糾合していた金命元、李陽元らも平壌へと退いた。
こうして開城は日本軍の手に落ちた。
開城陥落の後、漢城に集った諸将は軍議を開き
朝鮮八道を分割する「八道国割」が定められた。
伊東祐兵と島津豊久は毛利勝信率いる四番隊に属し
江原道の攻略を担うこととなった。
六月、彼らは北上を開始した。
そこに待つのは、険峻な山岳と寒風に閉ざされた道。
祐兵は進軍する兵の足取りを見つめながら思う。
「異国の山河とて、人の守りは同じ。だが、この地の険しさこそ最大の敵かもしれぬ」
江原道の戦いは、まず原州から始まった。
助防将・元豪が日本軍の小隊を襲うも
毛利勝信が兵を返してこれを撃退、元豪は遁走した。
続いて牧使・金悌甲が四千の兵を鴒原山城に籠もった。
城は四方を絶壁に囲まれ、道は一本、まさに難攻不落であった。
だが勝信は強行突破を選ぶ。
兵たちは崖をよじ登り、奇襲を敢行。
矢雨を浴びつつも押し上げ、ついに城を制した。
金悌甲は討死し、原州は陥落した。
祐兵は戦後、豊久に語った。
「山に守られし城も、人の心の乱れには耐えられぬ。要は心の綻びを衝くことよ」
豊久は拳を握りしめた。
「ならば、我らも心を緩めることなく進まねばなりませぬ」
続く鉄嶺の戦いでは、李渾率いる千の軍が迎え撃ったが
祐兵らの勢いに押されて潰走。
さらに平昌では、郡守・権斗文が使者を斬って逃亡する騒ぎとなり
秋月種長が追撃して掃討した。
七月、日本軍の進軍はさらに進んだ。
島津義弘も参戦、各武将が陣所を構える。
毛利勝信は原州に、島津義弘は金化に、豊久は春川に
秋月種長は平昌に、そして祐兵は鉄原に陣を敷いた。
ある日、祐兵のもとに報が届く。
「麻田に義兵が集結しているとの由!」
祐兵は即座に兵を整え、討伐に向かった。
戦場に姿を現した、朝鮮義兵は数千。
祐兵は軍を二手に分け、正面から圧し掛かり、同時に側面を突かせた。
朝鮮義兵は持ち堪えられず崩れ、数百を討ち取られた。
敗残兵は漣川城へ逃げ込んだ。
祐兵は兵を率いて追撃し、城を囲んで総攻撃を仕掛けた。
短兵決戦の末に漣川城は陥落。祐兵はこの地で確かな武功を立てたのである。
豊久は戦場を振り返り、祐兵に言った。
「伊東殿、日向を過去に失いしその御身が、今は異国にて城をも討ち落とす……まことに武運に導かれておられる」
鉄原に戻った祐兵は、兵を労いながらも心を引き締めていた。
「一城を落とすごとに敵は散り、またどこかで牙を研ぐ。戦の果てを見据えるまでは、決して驕るな」
豊久はその言葉を胸に刻み、祐兵に並んで異国の山嶺を仰いだ。
「戦の先に、我らが日向に平穏が戻るのなら……この道に迷いはありませぬ」
遠く原州の山々にはまだ煙が立ち上り
敗れた朝鮮軍の影は各地に潜んでいた。
だが江原道は着実に日本軍の手に落ちつつあった。
かくして伊東祐兵と島津豊久は、四番隊の一員として異国の険しい山河を進みながら
幾度も血戦を重ねた。
その姿は、かつて同じ日向に生まれ
今は異なる家に仕える二人が
時を超えて共に歩む宿命を示すかのようであった。




