第五十九話 飫肥城の拒絶
天正十五年八月。
豊臣秀吉の裁定により
伊東祐兵は曽井城から飫肥城へと移ることを許された。
飫肥は伊東家にとって父祖伝来の要害であり、日向再興の象徴でもあった。
祐兵は家臣たちを従え、かつての本拠へ入るべく準備を整える。
しかし、道のりは思いのほか険しいものであった。
飫肥城には依然として島津家の宿老・上原尚近が籠もり
豊臣の裁断を無視して明け渡しを拒んでいたのである。
祐兵はまず和議を望み、使者を遣わしたが
城門は固く閉ざされ、返答は冷ややかであった。
やがて城中から届いた報は衝撃的なものだった。
尚近は祐兵の使者を受け入れるどころか
これを捕らえ、無惨にも殺害してしまったというのだ。
伊東の家臣たちは憤怒し、「殿、即刻攻めて討ち取るべし!」と声を荒げた。
河崎祐長が祐兵に家臣らの様子を報告した。
祐兵は静かに答えた。
「いま軽挙に走れば、せっかくの再興の道が血で汚れる。大儀を損じれば、飫肥が遠のくやもしれぬ」
祐長は深く頷き、家臣らに「辛抱せよ。我らは正統の命に従うのみ」と告げた。
だが尚近の暴挙は続き、城の外へと不穏な噂を撒き散らした。
さらに驚くべきは、尚近が使者殺害の責を自らの嫡子に擦りつけたことであった。
飫肥近辺の様子を探っていた三部快永が
曽井城に戻り、祐兵に状況を報告した。
「上原殿は、使者殺害を嫡子の独断と称し、自らの手は汚していないと主張しております」
この卑劣な策に伊東の家中は憤激し、飯田祐安が叫んだ。
「これほどの奸計、到底許すわけには参りませぬ!」
しかし祐兵はなおも沈黙を守り、静かに言い放った。
「豊臣の威令がある限り、我らが刃を抜く必要はない」
「しかし、殿……」
「しばし、時を待て」
祐兵の眼差しには、怒りを抑え込んだ冷徹な決意が宿っていた。
こうして飫肥の城門は閉ざされ、祐兵たちは足止めされた。
伊東家中では憤懣が渦巻き
領民もまた「いつ日向に平和が戻るのか」と不安に揺れていた。
しかし祐兵は己を律し
「我らは正しき道を歩む。尚近が抗えば、時代そのものが奴を裁く」
と家臣たちを諭した。
飫肥城の石垣の上では、尚近の旗がなおはためいていたが
それは逆に、時代の流れに背を向ける孤影を示すものであった。
祐兵は拳を握りしめ、天を仰いだ。
『必ず飫肥を取り戻す。正統の証と共に』
伊東再興の道は、またしても試練に阻まれていた




