第五十四話 高城を囲む
天正十五年三月。
豊臣秀長率いる大軍はすでに小倉へと達し
東九州の地に豊臣の旗がはためいていた。
その頃、島津家久は豊後松尾城に、義弘は府内城に拠っていたが
豊臣方はすぐに攻めかけることなく
まずは高野山の僧・木食応其を使者として府内へ送り、講和を勧めた。
しかし義弘はこれを拒絶し、やがて家久と共に豊後を退く。
三月十八日、彼らは豊後・日向の国境で大友家臣・佐伯惟定の追撃を受け
翌十九日には義弘が高城に入り
二十日には都於郡城に退いて、義久を交えた三兄弟の軍議が開かれた。
一方、豊臣秀吉はかねてより定めていた三月一日に大坂を発ち
山陽道をゆったりと進み、二十五日には赤間関に到着。
ここで秀長と合流し、進軍経路を協議した。
すなわち、秀長が豊後・日向を経て薩摩へ向かい
秀吉は筑前・肥後を抜けて薩摩を衝くという二方面作戦である。
秀長軍にはすでに毛利輝元、宇喜多秀家、宮部継潤ら
山陽・山陰の兵が加わり、大軍の威容を示していた。
伊東祐兵はその列にあって
故郷日向を目前にし、胸の奥底で熱い思いを押し殺していた。
三月二十九日、秀長軍は日向松尾城を攻め落とし、進軍の勢いを強める。
伊東祐兵にとっては、幼き頃から馴染み深い山河が再び目の前に広がっていた。
「ついに帰ってきたか……」
彼は胸中で呟き、再興の機を感じていた。
そして四月六日、秀長は耳川を渡り、山田有信が守る高城を包囲する。
祐兵は案内役として地の利を進言し、軍の布陣に尽力した。
耳川はかつて伊東と島津が激突した地であり
その流れを前に彼の心には先祖の無念と
雪辱を果たさんとする烈しい意志が燃えていた。
秀長は高城を十重二十重に囲み、兵糧攻めの体勢を整えた。
さらに都於郡城からの援軍に備えて
根白坂に堅固な城塞を築き、後詰の島津勢を迎え撃つ準備を進める。
祐兵はその光景を見つめ、伊東氏再興の夢が現実となる日を強く感じた。
島津の三兄弟が都於郡城に籠り軍議を重ねる間にも
豊臣の大軍はじりじりと包囲を狭め
日向の空には決戦の気配が濃く漂い始めていた。
「ここを制せねば、日向の地に未来はない」
祐兵は心の中でそう誓い、槍の柄を固く握りしめたのであった。




