第五十四話 二十万の大軍
天正十五年正月元日
大坂城の広間には諸大名が居並び、新年の賀の声が響いた。
やがて秀吉は厳かな口調で言葉を発する。
「いよいよ九州を平らげる刻が来た。各々方、持ち場を違えず心して進めよ」
その場にいた誰もが息を呑み、目を輝かせた。
肥後方面は自ら率い、日向方面は弟・秀長に任せると軍令が下る。
元旦の言葉は、ただの祝儀ではなく、天下統一へ至る決戦の号令であった。
祐兵もまた、その声を胸に刻み、日向への進軍に備えていた。
正月二十五日、宇喜多秀家が最初に出陣し
二月十日には秀長が大軍を率いて進んだ。
祐兵はその旗下に属し、かつての故郷日向へと軍を進める覚悟を固めた。
三月一日にはついに秀吉自身が出陣。
勅使や公家衆、さらには織田信雄までもが見送り
京の都は異様な熱気に包まれた。
戦奉行・黒田勘兵衛には朱印状が与えられ
「痩せ城どもは木の葉の散るごとく落とすべし」
との言葉が記されていた。二十万を超える軍勢
その威容はまさに天下を覆うほどであった。
兵の大軍を支えるのは兵糧であった。
石田三成、大谷吉継、長束正家が兵糧奉行として奔走し
摂津尼崎の港から船団が絶え間なく出入りした。
米俵が積まれ、乾物が運ばれ、道中には臨時の蔵が築かれた。
祐兵はその手際を見て、かつて日向が飢えに苦しんだ日々を思い出す。
だが今は違う。
大坂の富が兵糧となり
天下統一を進める糧となっていたのだ。
兵が一歩進むごとに、天下の形が新しく刻まれていくのを祐兵は肌で感じていた。
島津氏もまた豊臣軍の進軍を察し、戦略を変えた。
北九州を半ば放棄し、薩摩・大隅・日向の守りを固める方針に転じたのである。
ゆえに豊臣の大軍は進む端から城を落とし
その名を轟かせていった。唯一戦いが起こらなかった肥前でも
鍋島直茂の軍が数百人出動し
九州全域はすでに戦の渦に呑まれていた。
祐兵は戦支度を整えつつ、故郷を取り戻す決戦の刻が近づくのを感じる。「伊東の名を、日向に再び刻むのだ」胸中の誓いは、二十万の大軍のうねりと共に、九州の空へと響いていった。




