第五十一話 白犬の導き
天正十四年。
秀吉の大軍は黒田官兵衛の采配のもと
ついに豊前の地に上陸した先導役には伊東祐兵が任じられ
日向を追われた一族の名誉を懸け、祐兵は兵を率いて前線に立つ。
狙うは宇留津城。
賀来鎮貞が守るその城は
深田と沼池に囲まれ、鉄壁と呼ばれる要害であった。
兵たちの目に映るのは、ぬかるみに浮かぶ孤城。
その難攻不落ぶりに、軍議では誰もが顔を曇らせた。
だが祐兵は強く拳を握りしめた。
「ここを破らねば南への道は開けぬ。我らが進むべきは、この沼の向こうぞ」
胸に去来するのは、伊東家再興への執念であった。
連日、宇留津城を包囲したものの
攻め口は見いだせず、兵は泥に足を取られ疲弊した。
城内からの矢と鉄砲は容赦なく降り注ぎ、死傷者が増えるばかりであった。
陣所に戻ると官兵衛は沈痛な面持ちで呟いた。
「この城は水に守られた鉄壁……力攻めでは埒があかぬ」
祐兵も唇を噛んだ。
焦燥が軍を覆い始めたその時、奇妙な光景が目に飛び込んだ。
白い犬が一匹、濠を軽々と渡り
ぬかるみを駆け抜けて城内へ消えていったのである。
祐兵は息を呑み、官兵衛に告げた。
「あの犬が示した道……そこに弱点があるのでは」
官兵衛は目を細め、やがて力強く頷いた。
「神仏の導きかもしれぬ。祐兵殿、試す価値はあるぞ」
祐兵は直ちに兵を選抜し、犬が駆け抜けた場所を目指して突撃を命じた。
兵たちは半信半疑ながらも従い、泥に足を取られながら前進する。
すると驚くべきことに、その一帯だけは地盤が硬く、進軍が可能であった。
鬨の声が夜空を裂き、伊東勢が先陣を切って城壁へ殺到する。
祐兵は槍を振りかざし、叫ぶ
「突き破れ! 伊東の武勇、今こそ示すのだ!」
官兵衛の手勢も続き、ついに城門は打ち破られた。
賀来氏の兵は必死に抗戦するも
濁流のごとき攻撃に耐えきれず、宇留津城は落城した。
祐兵は炎に包まれる城を見上げ、静かに呟いた。
「白犬よ、汝こそ我らを導いた神の使いか……」
こうして宇留津城は陥落し、賀来氏は滅亡した。
勝利の報せは瞬く間に軍中を駆け巡り、豊前の戦線は大きく動いた。
祐兵の奮戦と機転は諸将の称賛を浴び
『伊東再興の旗手』としてその名を高める。
官兵衛は戦後、密かに祐兵へ語りかけた。
「祐兵殿、あの犬を見抜いた眼力……まさに軍神の加護を得た者よ」
祐兵は苦笑しつつも、その心は決して緩まなかった。
「日向は未だ島津の手中。白犬が開いた道は、わが再興の兆しにすぎませぬ」
夕陽の下、兵らの歓声が響く中、祐兵は胸に新たな誓いを刻む。
伊東家再興への戦いは、まだ始まったばかりであった。




