外伝 山伏国広異聞
戦国の荒波に翻弄され、日向伊東家は没落の憂き目に遭った。
その後、伊東家に仕えた者は散り散りとなった。
天正十二年。
かつて伊東家に使えていた武士が都の噂を耳にした。
武士の名は、飯田祐安。
かつて日向国の三納城に
飯田氏当主、飯田肥前守が城主として鎮座していた。
天正五年に伊東氏が日向を離れた後も籠り、島津方に捕らえられ切腹した。
飯田祐安は飯田肥前守の子であった。
幼き頃は清次と呼ばれ
同じ日向にいた伊東祐兵と共に川辺で石を投げ合い
竹槍を振り回し遊んだ日々を思い出す。
今やその祐兵は羽柴秀吉に仕え、諸国の戦で武名を轟かせているという。
祐安は天を仰ぎ、己の胸に問いかけた。
「祐兵が必ずや日向を取り戻してくださる。その折には、この身も力となりたい……」
決意の炎は消えず、彼は一振りの太刀にその願いを託すことを思い立った。
その頃、国を逐われ放浪していた刀工・田中国広。
彼は古屋の山中に庵を構え、山伏の装いをして身を隠しながら鍛刀に励んでいた。
飯田祐安は、国広の噂を聞き訪れた。
「国広殿……この願い、どうか叶えてくだされ」
祐安は深く頭を垂れた。
「主家を失った我らが、再び立ち上がるための太刀を。伊東家再興の力となる一振りを」
国広は黙して祐安を見つめた。
彼の眼差しには、幼き清次の面影が残っていた。
祐兵と駆け回っていた少年が、今は主家の未来を背負おうとしている。
胸の奥で長らく燻っていた炎が、再び鮮やかに燃え上がる。
主を失い彷徨う己と、この若き同族の武士。
二人の願いは同じだった。
やがて国広は炭火を強め、静かに答えた。
「ならば、この身のすべてを打ち込もう」
鍛錬の夜は長く、槌音は山中に響いた。
国広は己の過去を思い返していた。
かつて仕えた伊東氏が没落し、自身もまた彷徨の身となった。
しかし鉄と火の前に立つ時、彼は己の存在を再び取り戻せる。
やがて一振りの刀が姿を現す。
国広は己の放浪を『山伏』と呼び、銘文に刻むことを決めた。
――『山伏之時 日州古屋住国広』
これは彼の漂泊と、故郷への執念を示す言葉であった。
続けて銘を刻む時、一瞬、国広の手は止まった。
だが思いを込めて打ち付ける。
『武運長久』
それは祐安の願いであると同時に、自らの祈りでもあった。
主を失った者同士が、刀に未来を託したのである。
仕上げの際、国広は刃に光を映し、祐安を呼んだ。
「見よ、この太刀を。おぬしの信念を映す鏡であり、我が魂を込めた太刀よ」
祐安は震える手でそれを受け取った。
刃文は白き稲光のように走り
その輝きには太刀を超えた力が宿っていた。
彼は思わず声をあげた。
「この一振り、必ずや祐兵様の再興に捧げましょう!」
天正十二年初春、飯田祐安の手に渡ったその刀は『山伏国広』と呼ばれるようになった。
日向の山深き庵で生まれたその一振りは
単なる太刀ではなく、没落した一族を結び
未来への道を切り開こうとする絆の象徴であった。
国広は再び放浪へと旅立ったが、その背には奇妙な安らぎがあった。
自らの生を映す一刀を、主家の血脈に託すことができたからである。
一方、祐安は太刀を腰に、再興を目指す祐兵の戦いを心で追った。
かつて共に遊んだ少年が、いまや天下の渦に身を投じている。
その日向再興の夢に、己の刃を捧げるのだ。
祐安は刀を胸に抱き、遠く都を見やった。
「祐兵……この太刀、必ずや御力となりましょう」
国広もまた、火床の残り火に向かい呟いた。
「この刃が示すは我らの証。その名を、後世に残してくれよ」
かくして『山伏国広』は、一族再興の願いを宿す名刀として歴史に刻まれたのである。




