第四話 湊に咲いた火の花
永禄十二年(1569年)盛夏。
日向国、飫肥。
戦乱を経て、ついに伊東氏の手に戻った飫肥城。
その城主として任命された虎熊丸は、十歳を迎えていた。
城の政務に追われる日々の中、ある報せがもたらされた。
「湊町にて、今年も火祭りが催されるとのこと。殿下にもぜひと、町衆から……」
家臣・伊東祐安が申し出た。
「火祭り……」
虎熊丸の眼がわずかに揺れる。
それは、戦ではなく平和を寿ぐ祭り。
飫肥の民が自らの手で築いてきた、年に一度の大行事だった。
「出よう。城主として、民の顔を見ておきたい」
祐安が深く頷く。
祭りの夜、飫肥の湊町は熱気に包まれていた。
幾百の松明が海風に揺れ、屋台が並び、太鼓と笛の音が波音に混ざり響く。
「殿下、お足元を」
家臣の米良重方に導かれ、虎熊丸は町の通りを歩いた。
民の顔に笑みがある。裸足の子らが火の輪を跳ね、酒を酌み交わす男たち、手を合わせ祈る老女。
──これが、守るべきもの。
虎熊丸はふと立ち止まり、火の粉の舞う夜空を見上げた。
「これが花火……まるで、天が開けたようだ」
その言葉に、側近の落合兼置が微笑を浮かべる。
「殿下。火祭りには、民の願いが宿ります。様々な願いが」
虎熊丸は黙って、民の輪の中へと一歩踏み出した。
驚きと尊敬が交じる視線が、あちこちから注がれる。
「おい、殿下だ……」
ささやきが広がる中、虎熊丸は火鉢のそばにいた老婆の傍らに膝をついた。
「この火は……何を祈っておられるのですか」
老婆は目を細めた。
「家内安全じゃ。火は、命のもと……殿下がおられてこそ、こうして祭りができる」
「……わたしは、まだ何もしておりません」
「されると、皆が信じておられます」
虎熊丸はその言葉に、言いようのない温もりを覚えた。
手のひらに感じる火の熱、焦げる薪の匂い、空を裂くように打ち上がる火花。
──守るのだ、この地と、人々を。
◇
夜更け。城へ戻った虎熊丸は、父・伊東義祐と向かい合っていた。
「……火祭りに行ったそうだな」
義祐の声は穏やかだった。
「はい。わたしは、この目で見てきました。飫肥の地に生きる人々の願いを」
「どう感じた」
「恐れも、希望も、すべて火の中にありました」
義祐は静かに頷いた。
「政とは、火を扱うがごとし。熱くあれ、だが、燃やしすぎてはならぬ」
「はい。……父上、わたしは飫肥を守ります。この命に代えても」
「うむ」
しばし沈黙が流れた。
「その覚悟を、忘れるでないぞ」
「忘れませぬ」
火の残り香が、まだ衣に染みついていた。
──こうして虎熊丸は、政務という新たな戦場へと足を踏み入れた。