第二十九話 決戦、天王山
斎藤利三・伊勢貞興の連携を辛くも防ぎきった羽柴軍。
鉄壁の守りを前に、両軍の兵は疲労の色を隠せない。
兵の鎧や兜は傷つき、土埃にまみれていた。
長時間の激戦は、彼らの体力と精神力を限界まで消耗させる。
だが戦場の空気は、なおも湿り気を帯びた緊張に包まれていた。
勝利への渇望と、生きて帰りたいという切実な願いが入り混じっている。
それは、兵の目に宿る光となって表れていた。
「祐兵様、中川隊と高山隊、踏み止まりましたぞ!」
河崎祐長が泥にまみれた顔で報告する。
彼は息を切らしながらも、必死に状況を伝えようとしていた。
その顔には安堵の色が見て取れる。
祐兵は頷くも、その視線は天王山の中腹に注がれた。
そこは、戦いの帰趨を左右する重要な地点である。
そこを制圧することこそが、勝利への鍵だと誰もが信じていた。
天王山は標高二七〇メートル。
南から北へ走る旧西国街道の脇にそびえ、戦場全体を睥睨できる要衝である。
その山頂を制する者が、戦を制すると言っても過言ではなかった。
黒田隊と秀長隊が山腹を押し上げ、兵は泥と汗にまみれながら、一歩ずつ前進していく。
兵の足取りは重く、疲労の色は隠せない。
それでも、前へ、前へと進み続ける。
彼らの心には、故郷で待つ家族の顔が焼き付いていた。
黒田官兵衛は戦況を見極めると、祐兵らに低く命じた。
「伊東勢は右から回り込み、敵の側面を突け。沼地の縁を抜ければ道は狭い、少数精鋭で構わぬ」
彼は冷静沈着に、勝利への道筋を示した。
その言葉には、揺るぎない自信が宿っている。
長年の戦の経験から培われた、確固たる自信がそこにはあった。
祐兵は祐長ら二十余騎を率い、雨に濡れた笹を掻き分け進む。
道はぬかるみ、足を取られる者もいた。
それでも兵は、一歩も引くことはない。
やがて、明智方の脇腹が見えた。
敵は奇襲に気づいていない。
祐兵は槍を水平に構え、一気に突撃。
「伊東勢、かかれ!」
彼の叫び声が、静寂を切り裂いた。
それは、勝利への狼煙だった。
その一声が、伊東勢の士気を最高潮に高めた。
奇襲を受けた明智方は動揺し、山腹の防衛線が揺らぐ。
彼らは予期せぬ攻撃に、完全に意表を突かれた形だ。
その隙を突き、黒田・秀長隊が前へと押し出し、ついに天王山の要地を掌握した。
兵たちは歓声を上げ、勝利の喜びを分かち合った。
宝積寺の本陣に報せが届くと、秀吉は口元をほころばせた。
「天王山を取ったか……。官兵衛、祐兵はどうだ?」
「見事な働きにございます。伊東殿の一撃がなければ、この早さでは山は落ちなかったでしょう」
「ほう……やはり日向の武士は骨がある」
彼は勝利を確信し、次の戦略を練り始めた。
その表情には、天下への野望が垣間見えた。
山上から見下ろせば、明智軍の陣形が手に取るように見える。
羽柴軍はその優位を活かし、いよいよ総攻撃の刻を迎えようとしていた。




