第三話 戦の鼓動
永禄十一年(1568年)初春。日向国、都於郡城にて。
虎熊丸は満九歳となっていた。
幼さはまだ残るものの、その瞳は鋭さを帯び、体つきも引き締まってきた。
兄・義益のもとで兵法や政の基礎を学び、父・義祐からは領国の在り方を教わる日々である。
「殿。飫肥への出陣が決まったと」
重臣の一人が義祐に報せた。
「うむ。祖父・曽祖父も含め、これで五度目となるな」
父の横でそれを聞いた虎熊丸は、心の奥がざわつくのを感じた。
飫肥は、伊東家にとって因縁の地である。
四代にわたり攻め入りながら、今なお島津の手中にある要衝の城。
「そなたも来い」
父・義祐の言葉に、虎熊丸は息を呑んだ。
「わたくしも……ですか?」
「そなたはまだ幼い。だが、この戦は後のためにも見ておくべきだ」
虎熊丸は膝をつき、深く頭を下げた。
「ははっ」
五月。伊東軍は島津忠親が守る飫肥城を包囲。
約五か月に及ぶ攻防戦が繰り広げられた。
虎熊丸は後方の陣に控え、兵の動き、補給、伝令のやり取りを見つめていた。
将としての視点を養うためであった。
「殿、北郷勢が援軍として参じました!」
その報告に陣中がざわつく。
だが、義祐は静かに頷いた。
「よい。小越の地で迎え撃て」
小越での戦いは激烈を極めた。義祐自らが先陣を率い、ついに北郷勢を打ち破った。
城内の士気は急降下し、同年五月、飫肥城は伊東家へと引き渡された。
凱旋の陣、義祐は虎熊丸の前に立った。
「飫肥は、そなたに預ける」
「……父上、わたしに、ですか」
「若さは未熟の証にあらず。地と人がそなたを育てるであろう」
その瞬間、虎熊丸の胸に熱いものが込み上げた。
飫肥の城へと入った虎熊丸。
城の石垣に触れ、かつて何度も伊東の兵が命を落としたこの地を、しっかりと見つめた。
「ここが……わたしの守る城」
側近の河野九郎太が小さく頷いた。
「虎熊丸様、この地を、血で染めぬように」
「……うむ」
だが、その平穏は長くは続かなかった。
翌年、永禄十二年(1569年)のこと。
兄・義益が病に伏し、ついに帰らぬ人となった。
都於郡城に悲しみが満ちる中、家中ではざわめきが広がる。
「次の当主は……」
「飫肥を任されし虎熊丸様こそ、ふさわしかろう」
義祐は再び政の表舞台に立ち、家督を代行することとなった。
飫肥城にてその報せを受けた虎熊丸は、一人、天を仰いだ。
「兄上……なぜ、こんなにも早く……」
背後から、義祐の声がかかる。
「迷うことはない。そなたは、選ばれたのだ」
「選ばれた……」
「民の苦しみを知る者が剣を持たねばならぬ」
その言葉が胸に響いた。
「ならば、わたしは……この飫肥と、民を守ります。兄上の想いとともに」
「……よい心じゃ」
父の瞳に、かすかに光るものがあった。
──こうして虎熊丸は、城主としての第一歩を踏み出した。