第十八話 耳川の落日
天正六年(1578年)──
秋風が高城の堀を渡り、緊張の気配を漂わせていた。
日向の地に展開した大友宗麟の軍勢は
耳川以北に布陣し、島津氏の要所である高城を包囲していた。
「ここで一気に、南の脅威を取り払うぞ」
総大将田原親賢は
数千丁の鉄砲と“国崩し”と呼ばれる大筒を城に向けて構えた。
一方、守る高城では、城主山田有信と
救援に駆けつけた島津家久が、必死に備えていた。
大友軍の猛攻は三度に及んだ。
鉄と火薬が唸りを上げ、矢倉が崩れ、土塁が削れる。
しかし、高城は落ちない。
「持ちこたえよ。援軍は必ず来る」
家久の声が、兵たちに希望の炎を灯した。
──そして、薩摩では。
島津義久がついに動いた。
薩摩・大隅から三万の兵を率い、10月24日、鹿児島を出陣。
紙屋城、佐土原城を経て、日向一帯の島津軍を糾合し、総勢四万。
その勢いに、かつての栄華を知る者ほど、震えた。
「ここからが、真の決戦となる」
11月9日
島津義弘
島津征久
|伊集院忠棟
上井覚兼らが財部城に集結。
軍議の末、三つの伏兵部隊と三百名の陽動隊を小丸川に潜ませ
義弘自身は南岸に布陣、戦況をうかがった。
そして、松原に布陣する大友軍の陣に向け、陽動隊が突入。
荷駄を破壊し、混乱を引き起こす。
「敵襲か!? 救援急げ!」
陣を守る大友軍が慌ただしく移動すると、陽動隊は伏兵の元へ撤退。
──罠だった。
伏兵たちは襲いかかり、松原の陣に火を放つ。
その混乱に乗じ、島津の主力が川を渡った。
「義弘様、出撃!」
義弘、征久、忠長、忠棟が南岸から北岸へと雪崩れ込む。
火と煙に包まれた松原で、戦が始まった。
大友軍は焦った。
「講和だ、講和を申し出よ!」
田原親賢は、田原・田北・佐伯ら十六名の使者を島津の陣へ送った。
だが軍議では意見が割れた。
「今こそ戦うべき時!
頭上に血塊の雲がかかるときは戦うべきではない? ふざけるな!」
田北鎮周が怒声を上げ
軍師角隈石宗を侮辱した。
佐伯宗天はそれに引きずられるように立ち上がる。
「田原殿が和を説くなら、我らが討って出るまで!」
──結果、講和は流れた。
田北と佐伯が先陣を切って突撃。
混乱のなか、島津軍との全面戦闘に突入してしまった。
それは大友軍にとって、破滅の始まりだった。
高城川の水面には、折れた槍と甲冑が流れ、
血と泥が田畑を赤く染めていた。
祐兵は遠巻きに戦況を見つめながら、拳を固めた。
「この混乱では、我らが帰る日も遠のくばかりだ……」
傍らで阿虎が唇を噛んだ。
「民が望んでいるのは、信でも刀でもなく……安らぎなのに」
戦乱はなお、止まらなかった。




