第十四話 落日の果て
天正五年(1577年)十二月──。
伊東義祐は、ついに本拠・佐土原城を捨て
家族と少数の家臣らを連れ、豊後を目指して落ち延びる決断を下した。
その顔には、老将としての疲労と後悔、そしてまだ尽きぬ責任が刻まれていた。
同行するのは、三男であり飫肥城主の伊東祐兵
その妻・阿虎、そして家臣団の中でも忠義厚き者たち
さらに婦女子や若き跡継ぎたちであった。
佐土原を出た一行に、新納院財部から急報が届いた。
「落合兼朝が島津に与した、とのことにございます……」
報告したのは、家臣の長倉祐政。
「何……落合が……?」
義祐は言葉を失った。
落合氏は、かつて日向に伊東氏が下向する以前から仕えていた、譜代の筆頭家格だった。
「兼朝は……帰雲斎の仕打ちを、忘れてはおらなんだのか」
伊東帰雲斎──義祐の寵臣として専横を振るった男。
その命によって、兼朝の子・落合丹後守は殺されていた。
「……儂の慢心と驕りが、全てを壊したのだな……」
義祐は刀を取り出し、自らの腹に向けた。
「父上、やめてください!」
祐兵が駆け寄り、その手を押さえる。
「まだ、終わってはおりませぬ。父上が生きていれば、我らは戦えます」
家臣たちもまた、義祐を囲み、切腹を止めた。
財部を抜ける道が断たれ、一行は西へと迂回。米良山中を越え
高千穂を通り、険しい山道を進む過酷な逃避行が始まった。
「吹雪が……道が見えませぬ……」
婦女子を含む百五十名近くの一団は
雪と風に翻弄され、崖から転落する者
動けずにその場で果てる者、自ら命を絶つ者すら現れ始めた。
その中に、幼い伊東万千代──のちの伊東マンショがいた。
わずか八歳の彼は、家臣の田中国広の背に背負われていた。
「しっかり掴まりなされ、万千代様……。命をつなぐのです」
「うん……寒いけど、負けない……」
少年の小さな声に、阿虎は涙をこぼしながら歩を進めた。
祐兵もまた、剣ではなく、ひとりの男として、家族と民の命を守るために歩いた。
日中は灼けるような寒さ、夜は闇に沈むような冷気。
山中では島津の追撃兵が姿を見せ
あるいは山賊が道を塞ぎ、火を焚くことすら躊躇われた。
ある夜、祐兵は枯れ枝を燃やす小さな焚き火を囲み、父と語った。
「父上……なぜ、ここまでして戦を……」
「……民が泣く戦を、わしは始めた。ならば、儂がその報いを受けねばならぬ」
「違います。父上の志は……日向を都と成す夢は、決して虚しいものではありませんでした」
「儂には……夢を見る資格などなかったのかもしれぬ」
その声は、雪よりも静かだった。
山を越え、谷を越え、ようやく豊後国の地が見えたとき
生き残っていたのはわずか八十名足らず。
大友宗麟の使者が駆け寄り
義祐の手を取り、頭を下げた。
「よくぞ、ご無事で……」
義祐は無言で首を振り、祐兵の方を見た。
「この子は……必ず、再び日向の土を踏む男ぞ」
祐兵の目は、父の言葉に応えるようにまっすぐ前を見据えていた。




