第十三話 伊東崩れ その二
天正五年(1577年)──。
「三位入道」と讃えられ伊東氏の最盛期を築き上げた伊東義祐の威光も、木崎原での惨敗から五年、かすかな残光となって消えかけていた。
六月。
南から突き上げるように、島津忠長の軍勢が櫛間城へと迫る。
義祐は、もはや頼れる者は祐兵しかいないと、飫肥城より出陣を命じた。
祐兵は少数の兵を率いて出陣するが、忠長の戦巧者ぶりに苦しめられ、飫肥本城に敗走。
やがて、島津の軍勢が飫肥を包囲した。
祐兵は城門の上から、降りしきる雨に霞む山道を見つめていた。
「……まるで、風が変わったようだ」
阿虎が背後にそっと立ち、彼の裾を握る。
「祐兵様……この飫肥は、私たちの家ではありませんか……」
「わかっている。だが、敵はあまりにも強い」
胸の奥で、かすかに父への怒りと無力感が交錯していた。
同じ頃、日向の北部では土持氏が突如、門川領へ攻め入り、伊東家の背後を突いた。
北と南からの挟撃──。
伊東家は、まるで獲物を追い詰める獣のように、じわじわと包囲されていった。
「これまでか……」
老いた義祐の声に、近習が目を伏せる。
だが、義祐は突如、決断する。
「家督を、孫の義賢に譲る。新しき血で、この家を保て」
その場にいた者たちは、言葉を呑んだ。
だが、それが再起への第一歩になると、誰もが信じたかった。
だが十二月、その希望は無残にも打ち砕かれる。
野尻城の福永祐友が、島津方に寝返ったのだ。
しかも、上原尚近の説得に応じたという。
福永家は伊東家と姻戚関係にあり、祐兵にとっても義兄に近い存在だった。
「なぜだ……福永殿……!」
祐兵の拳が、欄干に血がにじむほど打ちつけられる。
この裏切りに続き、野村文綱、米良主税助といった重臣までもが、島津に与した。
伊東家の西の守りは、もはや風前の灯だった。
十二月八日。
焦燥の義祐は、紙屋城奪還のため軍を動かす。
だが、その背後で伊東家内部の謀反の兆候が発覚。
「……なんということだ……身内にすら裏切られるとは……」
義祐は軍を返し、佐土原城に戻る。
翌九日、評定の間には沈黙が流れていた。
そこには河崎 祐長、山田 宗昌、長倉 祐政たちも集まっていた。
老臣たちの顔にも、打つ手のない絶望が滲んでいる。
そのとき、飫肥城を脱出した祐兵が、血の滲む肩で現れる。
「父上……もう、城も、兵も……残されておりませぬ」
阿虎が駆け寄り、彼の腕を支える。
義祐は、数息を飲み込み、ようやく口を開いた。
「日向を……捨てる」
誰かが嗚咽した。
「大友宗麟公を頼り、豊後へ落ちる。ここに、伊東家は、ひとたび城を明け渡す……!」
その決断は、すなわち「終わり」であり、同時に「始まり」でもあった。
◇
その夜、佐土原の空には星一つなかった。
祐兵は、燃え尽きたような篝火の前で、阿虎と並んで立つ。
「終わったのでしょうか……伊東の家は」
「まだだ」
祐兵は静かに言った。
「民の声は、まだ消えておらぬ。父の誇りも、兄の志も、まだ私の中に生きている」
風が、冷たく火の粉をさらっていった。
「……私は必ず、飫肥に戻る。そして、民と共に新しき光を迎える」
その瞳には、確かに希望が宿っていた。




