第十話 加久藤の焔
元亀三年(1572年)──。
伊東祐兵は、父・義祐の命により
真幸院攻略の先鋒として、加久藤城攻めを任じられていた。
「この一戦にて、日向の地を掌中に収める」
義祐の言葉は確かだったが、祐兵の胸には重い予感が残っていた。
出陣の朝、霧が深く、空はまだ夜の色を引きずっていた。
祐兵は鎧の緒を締め、阿虎の手を一瞬だけ握る。
「気をつけて、祐兵様……あなたがいなければ、この家は闇に沈んでしまいます」
その言葉に祐兵は微笑を返し、しかし何も言えずに背を向けた。
軍勢は三千。
伊東祐安、伊東祐信、落合兼置、米良重方らが率い、夜陰に紛れて三山城から出立し、二手に分かれた。
祐兵と祐信は加久藤城を包囲し、祐安と兼置《 かねおき》は飯野城へ向かい、退路と補給線を断つ狙いだった。
加久藤城は急峻な地形に守られ、本丸はまさに空の上にあるかのようだった。
唯一の弱点とされた鑰掛口──だが、それは罠であった。
「殿下、鑰掛口が開いております。夜襲の好機かと」
家臣の声に、祐兵は一拍、沈黙した。
「……行け。だが決して深追いはするな」
攻城戦が始まった。
火矢が夜を裂き、民家に火が放たれた。炎が狼煙のように立ち上り、城下は騒然となる。
だが、本丸への道は細く、崖が迫っていた。
踏み込んだ兵の多くが足を滑らせ、伏兵に討たれていく。
「伏兵だ!崖上から矢が……!」
悲鳴が夜空に散った。
川上忠智――加久藤城代はわずか五十の兵で、伊東勢の突入を見事に防いでいた。
「敵将の器、侮れぬ……」
祐兵は矢の雨の中、懐から木彫りの護符を握りしめた。
「負けられぬ、ここで折れては……兄上の想いも……父上の誇りも……」
一方、飯野城の動きは読めなかった。
「重方殿からの伝令が届かぬ……。この沈黙、嫌な風が吹いておりますな」
祐信が呟いたそのとき、背後の山影から鬨の声が轟いた。
「島津義弘!敵援軍、背後より接近!」
見れば、村尾重侯、五代友喜らの兵が、松明を手に駆け下ってくる。
祐兵は歯を食いしばった。
「退け、すぐに! 包囲を解け!」
しかしすでに軍は混乱し、退却は困難だった。
夜が明ける。
加久藤の谷に広がる伊東軍は、すでに包囲を脱した者と、まだ抗う者とで散り散りとなっていた。
祐兵は最後尾にあって、落ち延びる兵たちを導いていた。
「祐兵様、これ以上は危険です!」
兼置が叫ぶが、祐兵は頷かなかった。
「皆を救わねば、武門の名が泣く」
その声に、家臣たちは再び刀を抜いた。
やがて、木崎原の地へ撤退する。
背後に残った焦土が、赤く夜空を染めた。あの火の中に、夢が燃え尽きたかのようだった。
「祐兵様……」
その声に振り返ると、阿虎がいた。
「戻ったのか。逃げよと命じたはずだ」
「あなたを待たずして、どうして生き延びましょうか」
そう言って、阿虎は火に炙られた懐紙を差し出した。
「これは?」
「米良重方様が討たれました……。そのため木崎原で再起を図ると」
祐兵の目が見開かれた。
「重方殿が……まさか」
阿虎は祐兵をまっすぐに見つめた。
「祐兵様。ここからが、真の試練です」




