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第一話 芽吹く風

永禄二年(1559年)春――

都於郡(とのこおり)城下の桜並木に、まだ肌寒い朝露をはらんだ花びらが舞い散る中、ひときわ小さな産声が響いた。伊東(いとう)義祐よしすけの三男として生まれた虎熊丸とらくまるは、侍女の腕の中で初めての光に目をしばたかせる。


「虎熊丸、よく無事に生まれてきた」

義祐は産着を包み、頬にそっと口づけを落とした。夜桜の花びらをかき分けるように吹く風は、幼子の頬を冷たく撫でた。


──この小さな命は、どんな未来を紡ぐのだろう。




初めての節句、庭に張られた雪洞ぼんぼりがやわらかな明かりを灯す。虎熊丸は泣き止みもせず、紅白の餅をきょろきょろと見つめた。


「ぺったん、ぺったん」

母・妙蓮尼(みょうれんに)の杵の音が、胸にまで届く。

侍女がそっと幼子を抱き上げ、餅に手を触れさせると、冷たさに小さな手がひゅっと引っ込んだ。


「初めての音は、心を震わせるものじゃ」

妙蓮尼の声はやさしく、虎熊丸の胸に小さな波紋を広げた。




永禄四年(1561年)冬、都於郡を珍しい大雪が覆う。

虎熊丸は初めて見る雪景色に目を輝かせながら、毬藻色の小袖をつるりと歩く。


「虎熊、この雪の白さは世の闇をも浄化するという」

義祐が手を差し出し、幼子は雪玉をそっと握る。

小さな掌に染み入る冷たさが、虎熊丸の鼻先を赤らめた。


「わふっ!」

雪を口に含んだ虎熊丸は、ただの水と知ってぺっと吐き出す。

義祐はくすりと笑い、天を仰いで言葉を続けた。


「嘆きも、喜びも、すべて一瞬の幕じゃ」



永禄五年(1562年)盛夏、庭の松陰で三歳の虎熊丸は

家督を継いだ兄・義益(よします)の肩越しに弓を受ける。


「虎熊、恐れるな。弓は心を映す鏡じゃ」

義益の指先が虎熊丸の小さな手を補い、弦を引かせる。

羽根のついた矢はふわりと弾かれ、芝生へと静かに突き刺さった。


「見事じゃ、虎熊丸」

義益の笑顔に、虎熊丸の胸は誇りでふくらむ。


──恐れを越えた先にこそ、成長がある。



永禄六年(1563年)夏、城下を流れる小川で幼なじみの清次せいじと水遊びをする。手づかみで捕まえた小魚を、虎熊丸はじっと見つめる。


「殿でも、魚は逃がしちゃいけんぞ」

清次が笑いながら教える。

虎熊丸は優しく手を開き、小魚を水辺へ放つと、はじける水滴が太陽の光を受けて七色に輝いた。


「お前といた夏は、ずっと忘れん」

清次の言葉に、虎熊丸の胸に友情の炎が灯る。



永禄七年(1564年)初秋、虎熊丸は五歳となる。

家臣の河野(こうの)九郎太くろうたが木彫りの護符を手渡した。


「殿、この護符は不屈の意志の象徴。試練の時には、これを胸に思い出してくだされ」

河野九郎太の声は低く、重みを持って響く。


虎熊丸は護符を胸に押し当て、視線を遠くの山並みに向けた。


──僕は、守られるだけの存在ではない。


夕陽が石垣を赤く染める中、小さな背中に武士の矜持が確かに宿った。




その夜、都於郡(とのこおり)城の一室で、虎熊丸は月明かりに照らされた障子越しにひとり立つ。遠くで響く太鼓の余韻に耳を澄ましながら、心の奥底で小さく誓う。


――いつか、すべてを守る。


まだ小さな命には遠い約束だが、確かな意思の種は深く根を下ろしつつあった。


――こうして虎熊丸の幼き五年は、祝福と試練、遊びと学びが交錯する日々として刻まれた。次の季節を迎えたとき、彼の胸に灯る炎は、さらなる航路へ彼を駆り立てるだろう。



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前回の作品は

年代等の間違いがありましたので

書き直しました

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