「あれはゴジラじゃない」って感想はもう古い! 今こそ再評価すべきエメゴジ
■GODZILLA (1998年アメリカ映画)■
『シンゴジラ』やアメゴジ、『ゴジラ S.P』を経たいま、ゴジラの姿や描き方は変わり果て、もはや「概念」となっている。
さまざまな変わり種のゴジラ作品を見てきた今ならば、「これはゴジラじゃない」とさんざん叩かれたアメリカ産の『GODZILLA』を受け入れてもいい頃合いじゃないかと私は思う。
ゴジラ抜きでみても、一つのモンスターパニック映画としてはかなりよくできている。
まず、本作の大きな特徴は「ずっと天気が悪い点」
雨が降りしきるシーンが本作に多いのは人類にはあらがえない存在を比喩してるのだと思う。
日本でゴジラは倒す存在ではなく、「海へお帰りいただく」といったニュアンスで描きがちだが、アメリカ人にはそういった概念はない。
「討伐対象」として描きがちだ。
それを本作では「雨をしのぐ」といったアメリカ人でも時々遭遇するシチュエーションをバックにゴジラの前では軍さえも歯が立たないシーンを濃く映し出すことで、説明はせずともゴジラとは「人類にはあらがえない猛烈な嵐」的存在で、そういった天候不良の演出を全面的に表現することで、アメリカ人に「嵐を乗り越えたい」という強い意思を無意識下に植え付けようとしたんじゃないか。
単純に雰囲気づくりで雨を映しただけだったのかもしれないが、あえて湿ったシチュエーションを舞台にしたおかげで、映像的にも「ゴジラとはなにか」といった概念的表現としても「雨」はいい効果をもたらしている。
また大衆向けの娯楽映画としても素晴らしく、後半は『ロストワールド』のオマージュ要素で巨大ゴジラとはべつの脅威があらわれ、それに対抗するという二段構えの構成で飽きさせない。
ただ意外性は無いので、映画マニアになると批判的に受け取りがちだが、モンパニ映画はそもそもそういうロジックで作られたものです。
「毎年おこなわれるお祭りの催し物」みたいなもので、人を変えて伝統的なものを迫力満点に演出し、観客を賑やかすのがモンパニ映画としてのカタチなので、モンパニ映画として作られた本作の意外性の無さを突くのはお祭りに対して「新鮮味がない」と言ってるようなもの。
たしかにどうみてもゴジラには見えないですが、シンゴジラを経た今ならこういう変わり種のゴジラもそろそろ受け入れていいんじゃないでしょうか?
ユーチューバーのお兄さんも言ってました。
「アレもゴジラ
これもゴジラ」
いろんなゴジラがいるんだからエメゴジくんも受け入れてあげて下さい。