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世界の果ての遊園地

作者: 青色豆乳

 私はその日、2歳の息子と跨線橋(こせんきょう)から電車を見ていた。

 私はベビーカーも抱っこ紐も持たず、マザーバッグには最小限のオムツくらいしか持っていなかった。幼児と出かけるには余りにも軽装だった。


 息子は今日保育園を休んだ。

 私は産休の後リストラに遭い、当時職業訓練校に通っていた。しかし、私は職業訓練校を休まなければいけなくなった。


「電車に乗ってみようか」

 私はエレベーターでホームに降りて、息子と電車に乗った。

 午前10時過ぎの下り電車には、人がほとんどいなかった。

 二人で座って、一駅乗ったら降りようと思っていた。家はどちらの駅からも同じくらいの距離だから。


 電車が駅に着いた。私は降りなかった。この各駅停車の終点には遊園地がある。私はこの土地には、最近移り住んだので、そこへ行ったことがなかった。


 私は終点の駅に着いた。なるべくエレベーターを使い、息子が歩けないところでは抱き上げ、通路に出れば降ろして歩かせといった調子で駅舎を出た。ロータリーは工事中で、駅前の広場は整備中といった感じで、店などはなかった。


 ちょうどバス乗り場に、遊園地入り口を通るバスが来ていた。

 私は息子を抱き上げてバスに乗った。遊園地まではバス停1つ分だった。


 到着した遊園地の入り口は、ゲートが1つきりで、係員も一人しかいなかった。この遊園地のメインゲートは、反対側にある、自動車で来る人用の方だった。


 私は係員に、園内で使えるベビーカーを借りた。入り口に、動物の乗り物があった。コインをいれると数分乗れるやつだ。

 息子は象のそれに乗った。


 私は息子をベビーカーに乗せて歩き始めた。簡易な作りの物で、ガタつくのでゆっくり押して歩いた。それでも進むスピードは上がった。


 遠くに観覧車が見える。あの方向が遊園地の中心部なのだろう。


 しかし、そこへ行く私たちの前に、池が広がっていた。池は曇り空を映して鈍い灰色をしていた。

 池の中の建物がレストランになっていた。私は生暖かい風に吹かれながら、橋を渡った。


 池の中のレストランで昼食を食べた。レストランに他の人はいなかった。

 食べ終わった息子の口を、お手拭きで拭いてやった。お手拭きにはオムライスのケチャップがついた。食べ終わって、息子をトイレに連れていく。


 昼食を終えて、また歩き出した。池をぐるりと回らなければ、中心部に行く道はなかった。

 私はベビーカーを押して、池の周りを進んでいるだけだった。時計を見ると、2時を過ぎていた。4時までに家に帰らなければ、義母がデイサービスから帰ってきてしまう。


 考えていると、動物の顔のついたバスがやって来た。園内を回るバスだ。

 私はそのバスに乗ることにした。ベビーカーをどうすればいいか聞くど、バスの運転手は、ベビーカーを畳んでバスに乗せてくれた。


 バスには誰も乗っていなかった。

 私は息子と並んで座った。

「台風が来るって警報が出ているから、今日は人がいないんですよ」

 台風が来ていたとは全く知らなかった。それで、他の客を誰も見なかったのだ。


 夫と結婚し、あっという間に息子が産まれ、義母が体調を崩し、流されるまま知らない土地で生活を始めた。私は今日の天気を気にする余裕さえ無くしていた自分に気がついた。


 バスは、アトラクションのある方ではなく、動物園エリアを回った。風で木がザワザワと揺れている。南国の鳥がキエェと鋭い声で鳴いた。


 私たちは、園を一周して、元の場所でバスを降りた。乗る前よりは空が暗くなってきたようだ。


 またベビーカーで歩き出す。

 出口のゲートで、ベビーカーを返した。

 バスの時刻表をみるが、1時間に1本しか無い。しかも行ったばかりだった。

 ここからは息子を歩かせるか、抱いて歩かなければいけない。しかし、バス停1つ分だ。何とかなるだろう。


 私は息子の手を引いて、湿った風に押されるように歩き出した。


 私は草むらの中の一本道を歩いていた。駅から園までは一本道だったはずだ。こんな草むらはなかった。

 最初は歩いてくれていた息子は、そろそろ限界だった。私は息子を抱き上げて歩き始める。


 息子は小柄だが、そんなに長い距離は抱えて歩けない。抱っこ紐さえあれば……。背中におぶさってくれれば、いくらかはマシかも知れないが……。何とか私の力で駅までたどり着かなければいけない。


 ザワザワと草が揺れる。ここはどこだろう。


 あんなに近かったはずの駅が、見えない。戻ろうにも道は消え、草はどこまでも続いている。風は湿り、重く、頭の芯がぼんやりしてくる。腕の中で息子が小さく寝息を立てている。


 どのくらい歩いたのか分からない頃、前方にぼんやりとゲートのようなものが見えた。あれが駅……?

 それとも、また遊園地の入り口?

 けれど、近づいても、ゲートはいつまでも遠いままだった。


 不意に、足元でガサリと音がした。


 私は反射的に息子を抱き直して足元を見た。そこには、泥に半ば埋もれたベビーカーが転がっていた。サビつき、布は破れ、古びたそれは、さっきまで使っていた遊園地のものとよく似ていた。


 視線を上げると、草むらの向こうにいくつもの影が見えた。ベビーカー。抱っこひも。子どもの靴。おむつ袋。小さなリュック。たくさんの「子連れの忘れもの」たちが、草に埋もれて散らばっている。


 私は息子をしっかりと抱き締めた。でもその腕の中には、何もなかった。


 慌てて見下ろすと、腕の中には小さな服だけが残っていた。足元には小さな靴が転がっている。

 ぱさり、と服が靴の上に落ちた。


 私の叫び声が、曇り空の下に消えていった。

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