4.水と油
ミディストリア王国第三王女、クローネ・シャロン・ミディストリア。
彼女の人間性を一言で表すならば、悪辣。腹違いの弟をして『翼の多い悪魔』と言わしめるその異常な人間性は、ごく一部の人間のみが知っている。ランジェスもその内の一人だ。
ランジェスが仕事のことで頭を悩ませていたり、怪我や病気で苦しんでいたり、塞ぎ込んでいたりするとすごく嬉しい。
クローネはそういう人間である。故に、他の兄妹達からも快く思われていない。
第一王子曰く、『シンプルに性格が悪い』。
第四王子曰く、『早く死んでほしい』。
第七王女曰く、『私の下着を返してください!』。
第八王女曰く、『私のパンツ...どこ』。
第九王子曰く、『僕じゃないって!』。
断言しよう、彼らはクローネのことが嫌いだ。普段、滅多に人の悪口を言わない第九王子でさえ、彼女のことになると罵詈雑言の嵐。
四面楚歌とは彼女の為の言葉だ。
「あの子の参加を認めてから凡ミスが目立つわね。大の大人が報告書の一つもまともに作成出来ないんじゃ、お先真っ暗よ。さっきまで貴方と一緒に居た魔女ちゃんの所属も空欄になっていたし」
「あそこは必須記入項目ではありませんから、空欄でも問題無い筈です」
「そうね……問題無いでしょうから、私が代わりに書いておいたわ。魔女の国クラヴィス出身の闇の魔法使い、【魔女のお茶会】のメンバーですってね」
「はぁ……姉上は本当に余計なことしかしませんね。まあいいでしょう、今更隠す必要も無い」
「あぁん、そう怖い顔をしないでランジェス。私はただ、貴方のその頑固で生きにくい性格を正してあげたいだけ。私は貴方のこれからが心配なのよ、わかってくれる?」
「勿論ですとも。私も姉上の脳内が宇宙に飛び出していないか心配になってきました」
「煽っているつもり? だとしたら命知らずね」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
二人は試合そっちのけで口論になり、周囲をざわつかせた。これではお忍びの意味が無いとランジェスが諌めると、クローネはぷいっとそっぽを向く。
こっちの試合は長引きそうだと、誰もが思った。
「貴方の狙いをお姉ちゃんに聞かせて。もしそれが出来ないなら一つ、私の話を聞いて欲しいの」
「……聞きましょう」
「じゃあ話すわね。実は私も、水面下で貴方と同じことをしていたのよ。『あの方』からの指示で魔法協会から一人、客人をお招きしたわ」
「そういえば、関係者名簿の中に聞かない名前が一つありましたね」
「話が早くて助かるわ。それでね、貴方に一つお願いがあるのだけれど」
「気乗りしませんが一応聞いておきましょうか。何です?」
「今からでも遅くないから、降伏しない?」
「何故そうなるんです? 寧ろ、降伏すべきなのは貴女の方だ。後進育成にかまけて都市運営を疎かにし、市長の座を追われた怠け者の語学教師が今度は弟の首に手をかけている、なんて噂が流布すれば貴女の支持率は地中を掘り進み星を突き抜けるでしょう。私もね、本当に必要な時以外は脅しを控えたいんですよ。ですから姉上も、少しは自重してください」
「そうねぇ…貴方に可愛がってもらえるなら、それもありかもしれないわね。昼も夜も、私は貴方の操り人形で.....あら、なんて素敵なシチュエーション」
「気色悪い妄想ですが、その結末も可能性の一つとしてあるでしょう。ただ、王位継承権を持つ者は我々だけでは無い」
「考えることはみんな同じでしょうけどね」
「現ミディストリア王家の血の一掃……ですか。やれるものならやってみろという話」
「同感よ。どうせなら私は、貴方の下でのんびりと働きたいわ」
「……そう思うのでしたら、今のところは離れてください」
「嫌よ。だって離れたら逃げるでしょ? だから、離れてあげない」
距離が近い、というよりは密着している。角度によっては完全にアウトだ。
周りの目も気にせずクローネは一人自分の世界に入り、ランジェスの肩に顎を乗せていた。
(仲良いなぁ…)
(怖すぎでしょ)
心に余裕がある人ほど、こういうことを考えがち。
今年の剣魔大祭は客層がいい。
◇◇◇
一方その頃、舞台上では二人の魔法使いが息もつかせぬ激闘を繰り広げていた。
「見かけによらず上品な技を使うのね! 少しだけ貴女を見直したわ!」
「そういう嬢ちゃんも基礎はしっかりしてる。ただ、一度っきりの大技が多過ぎるねぇ…」
「なっ…バレた!?」
「バレるさ。アタイを誰だと思ってんだい」
「んー、海賊に滅ぼされた村唯一の生き残りだと思っていたけど、それにしては化粧が上手すぎるのよね。二人の意味で」
「……へぇ、鋭いね」
「へっ?」
無造作に振り落とされた手刀を難なく受け止め、魔女は笑う。
その表情からは、微塵も疲労が見て取れない。
「げっ…マジか」
「先輩からのアドバイスだ。ボディークリームは手先まで塗らない方がいい。摩擦力の低下で打撃技の威力が削がれてしまうからね。それから、ルーオン商会製の香水は汗に流されやすいから、馬油と混ぜて使いな。アタイはそうしてる」
「あー、だからあの人と同じ匂いがするのか。ふぅん……あの子も、普段は大人しそうに見えて実際はそうでも無かったり? まあいいわ、とりあえずありがと」
「どういたしまして」
様子見の段階は終わり、ミカエラが反撃に出る。
「天城を歪めろ。『龍王の庭園』」
術者を中心に広がる円状の衝撃波が大気中のマナを押し広げて拡散し、対象を弾き飛ばす。音にも迫るスピードで光の鞭が地上を薙いだ。
当たりどころが悪ければ即死の威力。それが数十もの束になって襲いくる。
イーリアも躱すだけで精一杯だった。
「逃げようったってそうはいかないよ」
「っ…! 逃げるもんですか!」
だが、これしきのことでイーリアは怯まない。彼女の真価はアウトレンジ戦になって初めて発揮される。
つまり、ミカエラと同じなのだ。
自分の得意分野で負けるわけにはいかない。
「一撃で決めてやるわ、覚悟しなさい!」
「……期待してるよ」
ミカエラはコロコロとよく笑う。まるでそこに敵意など無いかのように。
「すぅ………よし」
呼吸を整え、イーリアがマナを溜める。繰り出すのは稲妻の集合体。その名も『紫電玉楼』。
発動時は蛍火と同等かそれ以下の弱いマナの集まりに過ぎないそれは、術者の命令を受けて巨大な球電へと変化。
さながらもう一つの太陽がイーリアの頭上に浮かび上がり、彼女の意思で地上に落とされる。
瞬間的な火力はミカエラの龍王の庭園すら上回るとされ、連発できないことを除けば、これといって欠点が無い。
ただ一つだけ懸念があるとすれば、被害規模が大き過ぎること。
イーリアは加減を知らない子なので、一度殴ると決めたら本当に殴る。地面に大穴が開くくらいの力で思いっきりぶん殴る。
そんな子だから、リングも平気で消し飛ばしてしまうのだ。
「うっそだろ……おい。こりゃ大穴来るぞ」
「あの子、本当に【III-IV】なの?」
大方の予想を覆す新参魔法使いの快進撃に、人々は言葉を失った。絶対的な安全圏である筈の観客席に亀裂が走っている。 最早、彼女の強さに疑問を抱く者は居ない。議論の余地すらない。みんながみんな、彼女を称えた。ただ一人を除いて。
「なるほど……依頼は“区切られてた”んスね」
イーリアの魔法が強過ぎたからなのか、ミカエラが直前に怖気付いたからなのか、それとも――優勝以外に別の目的があるからなのか。理由はわからない。
ただ一つ揺るぎないのは、イーリアの勝利。
ミカエラは舞台から姿を消していた。
今回、シルルの出番が少なくて申し訳ありません。
次回は多いです。