2.剣魔大祭とは
ミディストリア王家主催、ミディストリア剣魔大祭。
通称『剣魔大祭』。
強い者が強い者を打倒し、強い者の中から弱い者を決める悪趣味なお祭りである。
かつて、ミディストリア王国には剣舞祭という剣魔大祭と似た祭事があった。それが長い年月をかけて緩やかに縮小し、剣魔大祭に吸収されたという経緯がある。その時に打ち立てられた不殺の誓いは時の権力者によって失われた。
現在まで残されている誓いはたったの二つ。
・強い者が強い者を倒すこと。
・文字通り命を懸けて。
というより、命を懸けて戦わなければ闘技場から戻って来れないというのが正しい。男だろうが女だろうが、大人だろうが子供だろうが、一度舞台に上がったなら死に物狂いで勝利を掴みに来る。
たとえその先に地獄が待ち受けていようと、彼らは戦い続けるしかない。
「というのが、剣魔大祭の大まかな内容です」
説明を終え、ランジェスがお茶の準備に取り掛かった。テーブルの上に置かれたティーカップに紅茶を注ぎ、シルルの手元まで運ぶ。シルルは皿に盛られた角砂糖を一つ手に取り、不思議そうにクルクルと回した後、結局それを入れずにランジェスの口へ放り込んだ。
「随分と甘いルールだな、と?」
「ん。まあ、そうっスね。具体的に何を基準に強い弱いを判断しているのかは知らないっスけど、生死を問わない程度で厳しい戦いであると判断するのは早計っス。世の中には、対戦相手の死亡を勝利条件に入れている大会も多くあるっスから」
「一昔前までは、剣魔大祭にもそのような規定が御座いました。しかしながら、それではあまりにも出場者の性質が偏る為、現ミディストリア国王の一声で改定されたという経緯があります」
「どうせ殺し屋とか快楽殺人者しか集まんなかったんでしょ?」
「仰る通りです。付け加えるなら、街のゴロツキや性犯罪者等、元々弱い者を標的にする連中がこぞって参加を決めました。当時の優勝賞品には、過去の罪を帳消しにするといったモラルの欠片も無い賞品も用意されていたと聞きますし」
「そう考えると、今の剣魔大祭はぬるま湯に浸かったようでその実、超危険地帯かも知れないっスね。あたしも認識を改めないとっス。何せ、その時とはレベルが違う魔法使いがわんさか出てくるんスから。巷の実力者程度じゃ、簡単に殺されちゃうっスよ」
「怖いですか?」
「いいや、全然。寧ろ、そのぐらいの相手じゃなきゃ、あたしから髪の毛一本取れやしないっス」
「その言葉を聞けて安心しました。諸々の手続きは済ませておきましたので、今はただお寛ぎ下さい」
ランジェスがニコニコと楽しそうにシルルの肩を揉む。あれやこれやと、されるがままのシルルを喫茶店の店主は微笑ましく見守り、通りがかりの女は目を点にして叫んだ。
「あ…ああ……あの女! ランジェス王子に肩を揉ませているわ!」
女が声を大にして言いふらす。当然のリアクションである。
普通に考えて、街中でローブを羽織る女など魔女以外にありえない。しかも、あろうことかその魔女は、この国の第六王子に肩を揉ませているのだ。
驚くなと言う方が無理である。
「あ…? なんであの人、こっち見て叫んでんスか?」
「どうやら、私共の関係にあらぬ疑いをかけているご様子。シルル様、暫しお待ちを。誤解を解いてまいります」
ランジェスが通行人の女と話を付けに行った。彼女は私の友達であると、別にそういう関係では無いと、可能性は0では無いけど限りなく0に近い、など等。
聞いても無いのにベラベラ喋った。
女の方は終始ランジェスの顔をうっとりとした表情で眺めており、佇まいや話し方にすら興奮を覚え、全く話を聞いていなかった。
「ある意味…魔法っスね」
一方で、シルルはのびのびとしたティータイムを継続中。ランジェスが残していった紅茶にミルクと砂糖を信じられないほど追加し、ぐびっと一気に飲み干す。
シルルがカップを置くと同時に後ろの席がカタンと揺れ、店内が静まり返った。シルルは何だろうと不思議に思い振り返る。
しかし、後ろの席には誰も座っておらず、店内に居るのはシルルだけだった。
おかしい、何かがおかしい、と。シルルがその違和感の正体に気がついたのは、ポットにお湯を追加してすぐのことだった。
「あ、刺さらなかった。勘がいいっスね」
「...っ!?」
シルルはティースプーンの先を折り、背後に立つ若い女に突きつけていた。ミディストリアに来てからずっと感じていた視線の正体。それが彼女であった。
「なんで貴女みたいなちんちくりんが…」
女が顔を赤らめポロポロと涙を流す。悔しそうに涙を拭いながら、持っていたナイフをしまった。
「珍しく会話が成立しそうな女っすね。お宅もしや、クラヴィス語話せる口っスか?」
「話せるわよ! 私もクラヴィス出身なんだから!」
「やっぱりそうっスか。そんで、お名前は?」
「イーリアよ! 覚えておきなさい!」
「イーリア…良い名前じゃないっスか。顔も良くてスタイルも良くて名前も良いなんて、めちゃくちゃ羨ましいっス」
「え? あ…それは…その……ありがとう…」
「いやいやぁ、本当の事を言ったまでっスから」
面倒事を避ける為シルルは媚びを売った。本音を言えば、自分を襲撃してきた女の名前など微塵も興味無い。だが、安易に敵を作ってしまってはそれだけランジェスの負担が増えてしまう。
幾ら彼が間を取り持つとはいえ、甘え過ぎるのは良くない。そう考えての行動だった。
「ところで、何であたしの後をつけてきたんスか?」
「ランジェス様からご指示があったのよ! 貴女が途中で逃げ出したりしないか見張っておきなさいって! あっ…」
イーリアは全てを打ち明けた。意図せず任務内容を暴露してしまい、さっきまで赤みを帯びていた顔が一瞬で青くなる。
「何やら楽しそうな話し声が聞こえますね」
ランジェスが通行人の女と話し終えて戻って来た。イーリアはヤバイヤバイと慌てて襟元を正し、頭を下げる。
「申し訳ありませんランジェス様! 機密情報をこの女に話してしまいました!」
「構いません。シルル様は今大祭の参加者ですから。どの道、今日お話しするつもりでした」
泣き崩れるイーリアを他所にランジェスは席に着いた。イーリアが泣くのはいつもの事らしい。
「原則として、剣魔大祭期間中は出入国が禁止されます。外部に情報を漏らさない為の特例措置として、もし大祭参加者が国外逃亡した場合、その時点で参加者の所属する派閥の解体が決定します。勿論、王族である私も例外ではありません」
結構重要な話をされた気がするとシルルは思った。つまるところ、参加者は派閥の代表であり、勝ち負け以前に逃げられたら困る闘犬という訳だ。使い方によっては敵派閥を簡単に潰せるジョーカーの役割もこなせる。
極端な話、シルルを敵派閥に売って敵側から出場させ、前日にでも国外逃亡させれば簡単に派閥を解体できる。
だが、そんな誰にでも思いつくような子供じみた作戦が通じる程、この国は甘くない。
「今日こちらに居るイーリアも参加者の一人です。魔法階級は【III-IV】。仲良くしてやってください」
「そうよ! 崇め奉りなさい!」
イーリアの笑顔が眩し過ぎて、シルルがダルそうに目をパチパチさせる。でも、確かにこれなら見せびらかしても恥ずかしくないと思える階級ではあった。
魔法階級には【I】から【V】までのランク帯があり、そのランクの中にも上下関係が存在する。
左の数字は【I】から【V】まで、右の数字は【I】から【IV】まである。
基本的に重視されるのは左の数字であり、【I】から【II】までは下位とされ、【III】が中位、【IV】以上から上位と見なされる。
つまり、イーリアの【III-IV】は中位の最上位といったところ。
凡人では【II-III】への昇格が限界とされているので、彼女の才能が伺える。
参考例として、【I-IV】と【II-I】を比較した場合は【II-I】の方が上である。
これは単純に、左の数字が大きいからである。
左が十の位、右が一の位で覚えると分かりやすい。
「まあ階級なんて、強い奴ぶっ倒してたら勝手に上がるもんスから。それに……上位の魔法使いが、下位の魔法使いかどうかも怪しい少年に負けたりとか、田舎では良くある話っスよ」
「それは、シルル様のお知り合いの話でしょうか?」
「秘密っス。まあでも、大祭が終わった後に顔ぐらいは見ておきたいっスかね。彼も一応、ミディストリアの魔法使いになったっぽいんで」
「早急にお調べします」
「調べてわかるところに情報を置くような奴じゃないっスよ、あいつは」
シルルはちょっぴり嬉しそうに頬を赤くした。ランジェスにはまだ言っていない『彼』との記憶を思い出したのだ。
楽しかったような、辛かったような、最後はどっちだったか。
彼なら知っているかもしれない。
だから、今はまだ胸の内にしまっておく事にした。
「ところで、剣魔大祭はいつ頃開催されるんスかね? 初参加ってこともあるんで、準備には多少時間をかけたいんスけど」
「え……貴女まさか、日程も分からずに参加していたの?」
「んなもん当たり前じゃないっスか。読み書きも出来ないんだし」
「えぇ…」
イーリアがぽかんと口を開けて立ち尽くす。なんで確認しないんだよとのツッコミは王子が居る手前出来なかった。
「シルル様。剣魔大祭の日程についてですが」
「おっス」
「今から二時間後です」
「……は?」
「昼食はテイクアウトしておきました。急ぎましょう」
「マジで?」
「マジです。完全に時間配分を間違えました」
ランジェスに腕を引かれ、シルルが駆け出す。
イーリアは思う。なんで自分より王子の方が足が速いのかと。
今にも腕が引きちびられそうなシルルを不憫に思いつつ、彼女も後に続いた。