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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赤い宝石の話

作者: MAO




華やかな都と寂れた貧民街を繋ぐ数少ない橋を渡った先、川沿いに並ぶ商店の一画。

そこにはおそらく仕事で訪れたであろう、初めて見る太った男と、その傍に世間でも学びに来たのか、物珍しそうに辺りを見回す射干玉のような髪と瞳をした年若い少女が同伴していて。

これは彼女の美しさに一目見て惹かれてしまったぼくのお話。







初めて見る可愛らしく美しい人形のような彼女に対して沸き立つ、初めての感情に逸る気持ちが抑えられなくて。

この気を逃したくない、逃してはならないと爪が食い込むほどに強く拳を握ったまま、慌てて彼女の前に飛び出すとぼくは無言で固く握った左手を突き出す。


「…、なあに?」

「……。」

「何か、くれるの?」


都に住む人とは明らかに異なる貧民の様相の相手を訝しむような彼女の、鈴のような華奢な声。

その美しい響きに耳から世界を奪われ、その可憐な人に返事をしたいのに、破落戸や嫌な奴相手にいつもなら滑るように廻る口が、何故か今日に限って一言も音を出してくれなかった。

けれど肯定するように何度も頷けば、彼女は恐る恐る広げた手を差し出してくれた。


傷一つない、白磁のようでいて桜のような柔らかなそうな掌に、そっと手の中の物を落とす。

すると彼女は驚いたようにその瞳を開いて、花が開くみたいにふんわりと笑った。


「まあ!なんて綺麗な石…これ、本当に貰っていいの?」


無言でコクコクと頷いて、心底嬉しそうな彼女を眺める。

おそらく人から何かを与えられるのに慣れているんだろう。いくら同年代とはいえ初対面の貧民からでも受け取ってしまう警戒心の無さがその証拠だ。

それがすごく羨ましいようで、けれどもそれすら当たり前の事のように輝かしく綺麗な彼女は、その後すぐに蝦蟇のような父親に連れられて橋の向こうへ帰って行った。


ぼくはまた会いたいと言葉にすら出来ず、結局一回も声を発せないままだった。





-----




やがて月一回くらいの頻度で彼女と父親が同じ店へとやって来ることに気が付くと、その都度ぼくは店の裏手から彼女を手招き、赤く輝く石をプレゼントした。

毎度毎度、欠かさず渡すたびに嬉しそうに微笑んでくれる彼女は、ある日心配そうに、でも不思議そうな顔をしてぼくに問いかけてきた。


「ねえ、どうしてあなたはいつもこんなに素敵な宝石をくれるの?それに、いつもどこかをケガしてる。もし、この石のために危ないことをしているのなら無理はしないで。別に必ず頂かなければいけないものでもないのだから。」


ぼくは、幾度会っても相変わらず彼女の前では声が出せないまま、曖昧に微笑んだ。


別に危ないことをしているつもりはなかった。

ただあまりに美しい彼女と醜いぼくを何かしらで繋ぎ留めるためには、それなりの代償を払う必要があるのは当然の事で。


「……そう、危なくないなら良いの。でも体は大事にしなくてはダメよ?」



見窄らしい身形で、いつも泥や煤で汚れている貧民のぼくと、貴族らしい華やかな彼女。

そんな確固とした壁があるにも関わらず分け隔てなく接してくれる彼女をぼくはもっと好ましく思えて、だからこそ何も問題はないという態度を通す。

そしてそれからもずっと、赤い輝くモノを、会う度変わらず彼女に捧げ続けた。

例えば指を欠いても枝や布を巻いて誤魔化したり、貧相な体に大きめの襤褸を纏ってしまえば大きな怪我でも気付かれずに済むことを知ったあとは、自分を傷めることに躊躇うことすらしなくなった。



何度も逢瀬を重ねるうちに心を開いてくれたのか、彼女は時に「部屋が石だらけになってしまって侍女に笑われてしまった」と照れながら教えてくれたり、プレゼントした石でこっそり装飾品を作って身に付けてくれたりと、中々満足してくれているのだろうと思った。

その笑顔に応えるため、増え続ける贈り物と比例するようにぼくの体の面積は段々と減っていったが、店の裏側から橋の下へと会う場所を変えてからはその薄暗さや淀んだ風通しも相まってか、彼女の吸い込まれるような黒い瞳に見咎められることはなくなった。





-----




季節が何度も巡って、美しい淑女に育った彼女が、ある時いよいよ縁談が寄せられたことをぼくに語ってくれた。

何故か彼女の前だけではちっとも喋れないぼくは必然的にいつも聞き役だったから、だからこそ彼女が幸せを感じているような、けれども少し困っているような声に気付いて首を傾げてしまう。

そんなぼくに気付いた彼女は、少しだけ言い難そうに息を零し、やがて艶のある唇を開いた。


「実はね、あなたからもらった宝石をお父様が大層気に入られたみたいで。婚儀の服の装飾品や髪飾りはそれで作ろうって仰っているのよ。ただ、それにはいつもよりもっと大きい方が加工しやすいらしくて……。だから、あなたがアレをいつもどこで手に入れているのか教えて欲しいの。」


お願い出来ないか、と真っ直ぐな目で見つめられて、ぼくはその視線から逃げるように俯いて襤褸の頭巾を目深に被る。

何せ、入手先など。

―――その石は文字通り、切り落としたぼく自身なのだから。


(ぼくから切り落とされたぼくだったモノは、何故か赤い宝石に変わる。涙も含めて。)


その事実を彼女に伝えたら幻滅させてしまうだろうか。

貧民街に住む大人達のように奴らの都合の良いように扱われたり、気持ち悪がられるのではないか。そんな不安がじわじわと心を占めていく。


(ただ、そんなぼくでも、彼女の記念すべき華燭に華を添えられるとするなら…?)


これほどまでに嬉しい事はないだろう。

大きな喜びが心に広がる情景を思い浮かべるともう、酷く単純なぼくの心は、彼女に次に会った時にはとびっきり大きな物を贈る事を決意していた。

やっぱり難しいわよね…と残念がる彼女の手を端切れ布の巻かれた両の手で勢いよく握り、何度も大きく頷いて見せる。


「…本当に?いいの?ありがとう…!」


ただし必ずぼくが彼女へ直接渡すこと。それだけを条件に約束を取り付けた。

石の出所も知らずそう微笑む彼女は、本当に可憐で、とてもとても美しかった。




-----



やがて日が経ち時が経ち、彼女が婚儀を迎えるまで残り一月の日のこと。


時間を指定した訳でもない、いつも落ち合う橋の下へ軽く、緩やかな下駄の音が響く。

これはいつも聞く彼女の足音。土手を下る前に周囲を伺うように一瞬止まると、柱に隠れるように座るぼくの元へと迷いなく進んできた。


「ごめんなさい、待たせてしまったかしら。」


風がふわりと頬を撫でて、彼女の鈴のような声と柔らかな花の香りが届いてようやく、ぼくは彼女に背を向けていることに気付く。

大丈夫、と伝えるために首を左右に振って振り返ればきっと、そこにはいつも通り艶やかで麗しい笑顔の彼女がいるんだろう。


するとどうしたことか、彼女の居る方から小さく息を呑む音がする。

何が有ったのかと、慌てて一歩を踏み出すとそれに伴い彼女の下駄の音が踏鞴を踏むように遠退いていく。

不安に思ったぼくは手を伸ばし彼女へと差し出すも、聞こえるのは息が乱れる小さな音と、その隙間からカチカチと鳴る篭った音。


聞き慣れない音、だけどぼくはこの音を知っていた。

大人達に嬲られる時、痛みや恐怖に喘ぐ時、ぼくの上下の歯が何度も合わさると響く音だ。

何故今その音がするのか分からないけれど、途端に緊張感が満ちてしまったいつもの逢瀬に困ったぼくは、とりあえず落ち着いてと彼女に掌を見せる。


暫くして、悪意も害意も何もないことが伝わったのか、彼女の呼吸音が少しずつ落ち着いてきたような気がする。何度か息を呑んで、その都度何かを言おうとする気配はあるものの、毎回声にならない様子でいる彼女が心配で、ぼくは一歩だけ前に進んでみた。

先程と違って彼女の足は後ろに下がらなかったようで、一安心だ。

この調子でゆっくりと一歩ずつ彼女に近付こうと思ったら、もう一歩進んだ辺りで彼女に待って、と制止を掛けられてしまった。

大人しく待っていると、少しして小さく音が聞こえた。


「………ねえ、あなたどうして片腕が無いの」


それはいつもとは少し違う、緊張した、どこか責めるような彼女の声だった。

ぼくが何も答えられずにいると、再度言葉が聞こえる。


「どうして…っ、その、両目も…」


薄汚れた布を包帯代わりに巻いた目を指摘される。ただの目の病気と言うには些か過剰かもしれないが、何も巻かずにいる訳にはいかなくて、今日のぼくは視界が塞がったままだ。

自分では分からないけれど、きっと眼窩が落ち窪んでいたか、左腕や顔の布が錆びて汚れた色をしていたのかもしれない。もしかしたら多量に出血した際に、巻き付けた包帯ごと赤黒い石のように固まっていたのかも。


事実は分からない。

今のぼくには確かに、左腕も、両目も無かったから。


その代わりに、ぼくの足下には布に包まれた大きな塊が三つあって。

彼女の視線も足下にあるような気がした。

細長く大きな包みが一つ。拳大の包みが二つ。

嗚呼きっと、聡明な彼女は気付いてしまったのかもしれない。



「…ねえ、まさかそれが宝石だなんて言わないわよね?」

「……。」

「会う度に怪我をしていたのはその…、あなた自身が実は宝石になるとか、そんな空想のお話みたいな訳がないわよね?」

「……。」

「ねえ…お願いだから否定して…!」

「……。」

「まさかそんな…、嘘よね……?ああそうよ、きっと揶揄っているのね?私が、大きいのをなんて無理を言ったから、だから…!」



ぼくはいまだに、喋れない。


彼女は信じたくないとでもいうように何度も否定の言葉を呟いて、その都度ぼくは心苦しい思いをする。

黙っていた、騙していた罪悪感。でもこれは彼女の為だという我儘で、利己主義的な考えもあるが、それは彼女への冒涜だ。

分かっているのに、そんなこと望まれないだろうと理解していたのに、それでも最後まで止められなかった、ぼくなりの愛という感情の証左だった。


ただ、悲痛な、参った様子の彼女の声を聞いているとやっぱりぼくのしたことは間違っていたのだと思わされる。

何せ普通じゃない。大人達の言う通り、誰がどう見ても気持ち悪いのだ。血が通わなくなった場所が宝石になるなんて人間ではない所業をする奴は、天女のように優しい彼女の近くに一番居てはいけない怪物なのだ。

だからぼくは、足元に置いてあった包みを掴むと押し付けるように強引に彼女へ歩み寄り、お別れをすることにした。


襤褸を纏った幽鬼のような奴に近付かれ、彼女が咄嗟に身を構える気配が伝わってくるが、遠慮はしない。


(もう会うことはないんだ、最後くらいは図太く、真っ直ぐに伝えたい。)


「っ何を――」


「―――今から、一番大きな宝石をお渡しします。どうか末永くお幸せに。おめでとうございました」



そしてぼくは廻らない舌を噛んだ。






ぼくはあなたが好きでした。愛してました。














(ぼくの死体もきっと宝石になる。今まであなたに贈ってきたどの『ぼく』より大きな、美しい、あなたに相応しい『宝石』になれますように。)



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