⑦
お父さまが大臣になる少し前から、お母さまはとても忙しそうだったわ。今まで通りお父さまやお嬢さまへ細やかに心配りをして、屋敷へ来る大勢のお客さまへ挨拶をしたり、忙しくしているようだった。わたくしは応接間から出ることは出来なかったけれども、お母さまがとても忙しく動き回っていることは分かったわ。
ある時、屋敷に来たお客さまがお母さまへお話ししている声が聞こえてきたの。メイドが、ほんの少しドアを開いたままで出て行ってしまったから。
「あなたの御主人は立派なものですね。このあいだ書いた論文は国王さまも大層感銘を受けられたようですよ。そのおかげで大臣に任命されたのですから、本当に素晴らしいことです。」
お客さまは上機嫌でお祝いを言うと、少し小さな声でおっしゃったわ。
「あの論文を書くのを勧めたのは、夫人、あなただとか。これからも、ご主人を支えてあげてくださいよ。」
我々ジロンド派のためにも、と言ってお客さまは帰られたようだった。お母さまは特に何もおっしゃっていなかったけれど、ほんの少し微笑んでいる横顔が見えたわ。それはお母さまが応接間で良く見せるお顔だったけれど・・・うまく言えないけれど、何故だか今でも心に残っているの。
それから、わたくしたちはまた大きなお屋敷に引っ越したわ。メイドの数も増えたけれど、お父さまはとても忙しそうだし、お母さまへもお客さまがひっきりなしに来ていたわ。お嬢様もお勉強で忙しいのか、姿を見かけることはなくなった。お母さまは大勢の方から頼りにされているようで、何人もの方がお母さまへ意見を聞きに来ていたの。お母さまは、瞳がきらきらしていてとても楽しそうだった。ああ、お母さまはやりたいことができているんだわって気づいたわ。それなのに、わたくしは駄目な子だわ。お父さまとお母さまと、お嬢さまがもっと小さかったころの・・・あの小さなお屋敷だったころの生活へ、たまらなく戻りたいと思ってしまうの。穏やかで、みんなが笑顔だったあの頃に。
お母さまはよく書きものをしているようだったけれど、わたくしのいる場所で書きものをすることも多かったわ。誰かへの手紙だったり、何か大きな紙に書いていることもあった。わたくしも字が読めたらよかったのだけれど、なんて書いてあるのかはわからなかったわ。ごめんなさい。 お母さまの字はとても綺麗だといろいろな方が褒めていたわ。お父さまの仕事の手紙や原稿も、すべてお母さまが書いているんだって誰かが言っていたの。すごいでしょう?
その頃だったかしら、お母さまのそばにやたらと同じ男のひとがいるようになったのは。わたくしの好みではなかったけれど、たれ目でおしゃれなひとだった。お母さまのそばでずっとお話ししていたから、頭がいい人なのかと思ったのだけれど、そのひとと話しているお母さまは、まるで少女のようで・・・ああ、お母さまはこの男のひとのことを好きなんだわ、って思ったわ。 最初は礼儀正しくしていたふたりだったけれど、だんだんと仲の良い恋人のようになっていったわ。大勢の人のいるときでも手をつないだり、内緒話をしていたこともあったわね。 「あの男は夫人の言いなりだからなぁ!」と笑っていたのは、お母さまの好きな男のひとよ。みんなの前で話す内容も、いろいろな方へ出す手紙も、すべてお母さまが決めているんだって。お父さまは何もせず、お母さまの言う通りにしているだけの人形みたいなものだって。大臣になるきっかけになった論文だって、お母さまが書いたものだったとか・・・いろいろな人へそう言ってはお父さまのことを笑っているの。だから、わたくしはあのひと大っ嫌い!わたくしはお父さまのことも大好きなんだから!
お父さま・・・お母さまに好きな人が出来てから、お父さまはとても自信がなさそうにお屋敷で過ごされていたわ。今まではずっとお母さまのそばにいたのに、仕事が忙しいと言ってはお屋敷での勉強会などにいらっしゃらなくなったの。お母さまを呼ぶときも、前のように幸せそうに呼ぶのではなくて、遠慮するように呼ぶのよ。お父さまは、お屋敷でお母さまが忙しそうにしているのをじっと見ていることも多かった。悲しいような、悔しいような、何とも言えないお顔でじっとお母さまを見つめていたわ。
お母さまはその頃、お父さまとお仕事の話しかしていなかったわ。いつもいつも忙しそうで・・・まるで、お父さまから逃げているみたいだと思ったわ。お嬢さまのお話も、前のようにゆっくり聞いてあげることはなくて・・・なにか書きながら聞いていることも多かった。目を合わせることもあまりなくって、お嬢さまは悲しそうにうつむいていることもあったわ。お父さまもお嬢さまも・・・こんなに大きくて立派なお屋敷に住んでいるのに、ちっとも幸せそうに見えなかった。