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男が控えめに呼び鈴を鳴らしたのは、部屋の持ち主が自分の探している人物と同じかどうかの不安であって、決して今日来たことを後悔しているわけではない。
一目で高級と分かるアパルトマンが立ち並ぶ中、男は帽子を深く被りやや早足で目的のアパルトマンに入った。中に誰も人がいないことにやや不安を感じつつ、3階の一室の呼び鈴を鳴らした。
静かに扉が開くと、やや年配のメイドが顔を出し「どちらさまでしょう」と聞いたので、「ルカ・リュベール」と答えた。メイドはリュカを入れると黙って部屋に案内した。
「やぁ、初めまして。」
中にいた男はメイドが扉を開けるとにこやかに挨拶した。
「あぁ、初めまして。先日手紙を書きました、ルカ・リュベールです。」
「勿論手紙は読ませていただきましたよ。私がユーグ・ガルニエです。」
ユーグと名乗った男が客人をスマートにソファに座らせると、いつの間にか先ほどのメイドが温かい紅茶を目の前に置いた。
「よろしければ、是非。私の好きな茶葉なので、お口に合うといいのですが。」
そう言ってティーカップを持つ仕草は、どこからどう見ても洗練されていて貴族としか思えなかった。つられるように紅茶を味わったルカは、その高級感のある香りに驚いた。彼の表情を楽しそうに見ていたユーグは、先ほどのメイドは無口で楽しい話は出来ないがお茶を淹れるのがとても上手くてね、と言って笑った。
「それで、手紙に書いてあった頼みごと、というのは?」
「・・・ムッシュ、私の友人のピエールからあなたは探偵の中でも、とても変わった能力があると聞いています。」
「そうですね、私のようなものは探偵と呼ばれるべきかは分かりませんが、世間の多くの人が思う探偵とは違いますね。」
「貴方のような方になら、私の悩みも解決するかと思ったのです。」
「解決するかどうかはわかりませんが、話だけでも聞かせてもらえませんか?」
「勿論です。・・・ただ、今から話すことは、決して他の人に話さないでいただきたいのです。」
「ええ、わかっています。ご安心ください。」
ルカは紅茶を飲み干すと、静かに話し始めた。
私は名前からもお分かりになるかと思いますが、先祖は貴族でした。一族には代々伝わる美術品なども多く残っています。しかし、時は流れ私たちの代になると、一族に生まれたすべてのものが一生遊んで暮らせるほどの財産など無くなります。一族のものは涼しい顔をして、必死に金を稼ぎ、それでも他の貴族たちともそれなりに付き合っていかなくてはなりません。大変金はかかりますが、仕方ありません。代々受け継いできた美術品なども、売ってしまったと知られてしまったら「あそこは落ちぶれた」と散々噂されることでしょう。貴族というのは名ばかりで、自分たちの名誉を守るために時には兄弟であっても争わなければならないというのは、なんだかとてもやりきれない思いがするものです。
私は4人兄弟の3番目に生まれました。兄たちは頭もよく、また商才もあったので父から大きな屋敷を受け継ぎ、美術品も多く受け継いでいます。下の妹は数年前に結婚して家を出ました。私は、小さなころから取り立てて優秀ではなく、特に何もありませんでしたので父の勧めもあり、文官として働いています。私の給料で屋敷や美術品の維持が難しいことは誰もが分かっていましたので、私は小さな絵画や少しの宝石を分けてもらい、それらを子孫に残すことが役割だと言われました。 そんな小さなころから目立つわけでもない私が、ある日何年も会っていない叔父に呼び出されました。