鞄で繋がる師弟たち 2
ここはとある魔法都市の一角に佇む魔法修練所、アルクトゥルス。
俺はトマージ。
決して大きくはないこの修練所で、一般の若者たちに魔法を教える師として働いている。
少し前に、ようやく一番弟子を名のある国家機関「ウィザードリィプロジェクト」へと送り出すことができた。
その弟子ウィーグルからはしばしば手紙でやり取りする。
ふむ、やはり。
あいつの魔術には問題ないと思っていたが、やはり俺に付きっきりということが災いしてか、周りとの関係には苦労しているようだ。
それでも、しばしばきつく指導したからか泣きを入れてくる様子は感じられない。これはしばらく様子見としておこう。
一方で、あいつと入れ替わるように入門したララはちょっと心配だ。
まだ幼いからとはいえ、魔術の才能に元から恵まれていたウィーグルとは随分と勝手が違う。
レベルとしては良く見積もっても中の下。
二番弟子のシーラをつけ、本人は一生懸命とはいえ、果たして一年でかたちになるかどうか。
『お前に教える時間はない。見よう見まねでもやってみろ』
弟子にそんなことを言っていたこともあったが、ウィーグルの不在を機に俺は思っていたより弟子には頼っていたことを感じていた。
そんな状況の、ある日だった。
「あら、かわいい!」
同僚のカールと一緒に戻ってきた俺と、連れてきた《奴》を見て助手のナタリーが声を上げる。
連れてきたのは、猫のような目と耳を持つ半獣人だった。
子ども程度の体長で、人の言葉でしゃべることはできず、大抵は「ミューン……」と唸るばかり。
速くはないが二本足でも立っていることができるようで、わずかながら魔力も帯びている。凶暴化に連れて知性が薄れるモンスターの中では珍しいタイプだ。
きっかけはこの都市でしばしば開催されるモンスターの見本市だった。
『凶暴化したモンスターになる前に良識ある主が引き取って育て、町周辺の治安を守ろう』という名目の元、有識者にその面倒なモンスターをばらまくだけのはた迷惑な企画だ。
今回はそんな実態が知れ渡ったからなのかモンスターが余りに余り、とうとうこのアルクトゥルスにも「頼むから一体でも引き取ってくれ!」と懇願されるチラシが毎日届くようになってしまった。
それでやむなくカールと一緒に見本市へ赴いたのだが、はっきり言って魔法修練所に置いておけるモンスターが限りなく少ない。
(騎乗用ウルフや戦闘用ラムなどもらってどうしろと⁉)
やむなく選んだのがこの「ミューン……」と鳴く半獣人だったのだ。
「ミューン……」
慣れない場所に連れてこられたのかしきりに鳴いている。
かわいいものに目がないナタリーは腰をかがめてまじまじと見つめている。
「この子、名前はなんですか?」
「いや、何も決めていませんよ。世話を頼めるなら、名付けはお任せします」
「それでは……、ミューンちゃんにしましょうか」
よし、これでお役御免だ。
面倒事を避けたかった俺はミューンをナタリーに預け、明日からはまた忙しくなっている弟子の稽古に戻ろう、と思っていた。
だが、実際はそうならなかった。
「ここにあった私の鞄を知りませんか?」
普段から椅子に掛け、煙管や常備薬を入れた俺の鞄が最近頻繁になくなる。
「もしかしたらミューンちゃんが抱えていたかもしれませんな」
朗らかに笑って答えるロキに俺は声を荒げた。
「ロキさん、なぜ黙って見ているのです! 泥棒でしょうが! ミューンが帰ってこなかったらどうするつもりですか!」
「それは……そうなのですが。その……、先生が帰ってくる前くらいにミューンちゃんも律義に帰ってきて鞄を置き直すのです。今日は先生が早くお戻りだったので、もうじきかと」
「なに……?」
確かに今日は稽古の区切りが悪く、少し早く切り上げて講師室に戻ってきた。
すると、ガチャリと音を鳴らしてミューンが講師室の扉を開けて入ってきた。
「ミューン……」
「ああ、戻りましたよ」
戻ったって……。
何を見物客のように見ているのだ?
しばらく黙って見ていると、両腕で鞄を抱えたミューンが俺の席の前まで来ては椅子に鞄をかけ直し、掛け方から傾きまで、元々の状態になるように整えている。
「……おい」
当の本人がいる前での作業に俺は我慢できず声を出した。
「お前、何勝手に人の物を持ちだしているんだ?」
圧をかけてそう尋ねたがミューンは黙って見つめるだけだった。
それから少ししてまた鞄が傾いていないか二度三度確認し、ナタリーが控える部屋へと戻ってしまった。
それを見届けてから俺は鞄を確認した。外側に爪を立てた跡が随分とあるが、中身はなにもされていないようだ。
俺がロキに顔を向けると「ふふっ」と笑みを返してきた。
「習慣性、でしょうかね。毎日決まって同じことをしているのです。最初は心配で、注意もしていたのですが、必ず元通りに戻してくるのです。中身、というよりは革の材質や香りが好きなのかもしれませんね」
「それなら、何も私のものでなくても……」
「どうでしょうね。人の所有物も、気づかないところでわりと《匂い》が付くものですから。ミューンちゃんも半獣人とはいえ、主の香りで落ち着くのかもしれませんよ」
俺は頭を掻いた。本来の飼い主はナタリーだと思っていたのに自分に来てしまうとは思わなかった。
面倒事もほどほどにしたい、と俺は鞄から全ての物を取り出した。
「なら、この鞄をミューンに渡せば解決ですね。代わりはまた買ってくればいいだけです」
「ふふふ。まあ、それで収まればいいでしょうけどね」
「なんだ?」
何やら含みのあるロキの言葉に俺は目を細めた。
「ああ、いえ。なんでも」
少々気になったが、空になった鞄をナタリーに渡しに行った後、俺は仕事の片付けに入った。
翌日、すっかりいつも通りに戻ったと思ったまま魔法の稽古を終えてきた夕方だった。
「あれ?」
自分の机に、昼まではなかった鞄がぺたんと置かれていた。
しばらく鞄の表裏を確認しているとロキが講師室に入ってきた。
「ロキさん、これは?」
鞄を掲げて事情を聞こうとするとロキは少し目を丸くした。
「ああ、あれ? さっきまではありませんでしたよ? また戻してきたんじゃないですか?」
「おかしいですね。ナタリーにも、これはミューンにあげると言って渡したのですが」
ロキにはわからないようで俺は別室のナタリーを訪ねようと踵を返した。
「ああ、あと……」
「どうしました?」
「昼過ぎ、だったでしょうかね。ミューンちゃんが先生の机の周りを探してましたよ」
「なに?」
「さすがに良くないなと思って見張っていたんですが、特に盗んではいませんでしたよ」
改めて机を見回したが、確かに取られたりはしていない。
机には鍵をかけていたので問題はなかったが、そんなことを平気でされるのは気分が良くない。
(何が目的なんだ?)
ミューンには習慣性があると言っていた。
それからしばらく、ミューンの様子を窺おうと細工を施してみた。
まずは帰ってきた鞄に同じように煙管を入れ直して次の日を過ごす。
――少し早めに戻ってくるとやはり鞄はない。そして《定刻》になるとミューンが大事そうに抱えて戻ってきた。
以前と同じく律義に、椅子に同じように掛けた。
「ひょっとして、煙管か?」
煙管も使い込んで独特の匂いがある。これを鞄から取り出して次の日に様子を窺う。
――また同じく持ち出し、鞄を抱えて戻ってきた。
中には常備薬や予備の筆などしか入っていない。
香りあるものを取り出していただけに予想が外れた。
試しにその翌日は鞄を空にして椅子に掛けておいた。
すると、――少し早く講師室に戻ってきたが、鞄は既に戻り、椅子ではなく机の上にあった。
(何かを入れておけ、と言っているのか……?)
どうやらそれが正解のようだ。
煙管を入れようが、紙ごみを入れようが、ロキやカールの筆記用具を入れようが、ミューンは『物が入っている鞄』とみなすようだ。
まったく、ミューンが言葉を話せればこんなに苦労しないものを。
俺はいったい、この数日間何をやっていたのだか。
俺がそれをロキに伝えると笑って返された。
「信用されているのでしょうし、本人も親の温もりを感じていたいのでしょう。ナタリーさんからも、鞄を抱えたまま寝ていることも多いとよく聞きますよ」
「まったく、不思議な特性ですね。『私の鞄』と『別の物』何かが入っていることが条件、という」
「そうですな。私も椅子に鞄はかけていますが一度も寄られたことがありません」
うーむ、言われてみればそれはそれで切ないような。
ひとまず、勝手に取られても気にならないよう、鞄にはくたびれたアイマスクと小型のクッションを入れた。
これでひとまず、本人から不満は来なくなった。
またあくる日のこと。
その日の稽古は自主練習となり、俺は講師室にいた。
いつもと同じく、鞄は椅子に掛けていた。
――ガチャ。
講師室のノブの音がした。
随分と慣れてきたようだがまだ音を立てるほどに不器用だ。
俺は敢えて見向きもしなかったが、隙間風の音で少しずつドアが開いているのがわかる。
じー……。
数十秒その視線を感じて俺は後ろに手を伸ばし、鞄をそのドアに向けて放り投げた。
「みゅんっ……!」
「持ってけ、私の邪魔をするな」
決して振り向かずに一言そう言うと、ミューンはがさがさと鞄を拾い上げて部屋へ戻った。
「ふふふ……」
後ろからはロキの含み笑いが聞こえる。
「……これでいいんでしょう? ロキさん」
「ええ、また愉快なお弟子さんが入られたようで」
「誰が弟子ですって?」
俺はそんな雰囲気を好まないが、そんなやり取りでまた今日も講師室に朗らかな日常が漂う。
――またひとつ、「面倒だ」という一言で片付けられない荷を背負ってしまった。