桜の木が呼んでいる。
こんにちは、作者の岡田屋です!
今回私は、春の推理祭に参加するため、この短編を書き始めましたが、途中から何がなんだかわからなくなり、なんとか終わらせる形になりました。正直推理小説を呼ぶにはためらわれますが、それでも良いと言う方だけ、本編をお読みください。
ちなみに、改行多めです。
「物語が私を呼んでいる……」
僕と同じ学年で、図書委員の椎葉さんは、少しおかしかった。
見た目は可憐。みんな天使だ人形だと持ち上げている。けど、中身がなんていうか……天然。そう、どこか抜けていた。
「筒治くん。この本って、この棚ですよね?」
「え? うん、そのラベルはその棚だよ」
いつもは仕事熱心だし、本が大好きな文学少女だ。けど極たまに——
「筒治くんっ、物語が私を呼んでいます!」
と一言叫んで、とある本を一冊持ってきたかと思うと、椅子に座って読み出す。僕が注意すると、「でも、だってこの本が、私に読んでほしいって」と涙目で見上げてくるので、本を無理やり奪うわけにもいかない。
「椎葉さん、お願いだから手伝ってよ」
「すみません無理です。あとで! あとで絶対お手伝いしますから」
「いや読み終わった時には、こっちの作業も終わってるし。いいから手伝って」
「嫌です! 筒治くんが嫌というわけではありませんが、この物語は最後まで読まなくては可哀想です!」
ここまでくると、司書の先生が気づき出す。そして本を夢中で貪り読む椎葉さんを見つけて、またかとため息をつくのだ。
「椎葉さん。筒治さんが困ってるでしょ。手伝ってあげて」
「わかってます、先生。わかってはいるんです」
「はいはい、本没収しますよ」
「今すぐ助太刀させていただきます!」
こんなものだから、最近では椎葉さんが何度「物語が私を——(省略)」発言しようが、気にしていないでいた。しかし今椎葉さんが言った時の表情は、今までとは違う気がした。
「筒治くん。物語が、私を呼んでいます」
「……はいはい、わかったよ。じゃその本探してきていいから。あ、でも、読むのはこの仕事が終わったあとね」
ちょうどシリーズ本の番号整理の途中だった。すぐ終わるだろう。しかし、椎葉さんは首を横に振る。
「私が今言った『物語』とは、本のことではありません。図書室の中にはありません。ついてきてください。お願いします」
引き締まった顔に、懇願の色が入る。けれど僕は、首を縦には振らなかった。
「いいよ。いいけど、これが終わったあと」
「そこをなんとか!」
「すぐ終わるから」
椎葉さんは仕方なさそうに頷き、僕を手伝い始めた。ものの数分で終わる。
「で、それはどこなの?」
「こっちです!」
手首が掴まれた。彼女の栗色の髪が揺れる。ふわっと、フローラルな香りがした。
いつになく真剣な横顔に、ドキッとしてしまう。
「あら椎葉さんたち、どこに行くの?」
「ええと……」
「ちょっと外に!」
外!?
司書の先生は納得したように頷いて、仕事に戻り始めた。しかし僕は、全く納得できない。どういうことなのだろう。
「あの、椎葉さん。外って一体——」
「はい、靴、履き替えて!」
靴箱で叫ばれる。椎葉さんとはクラスが違うから、当然靴箱も違うが……どうやらもう椎葉さんは履き替えたようだ。地面を、何度も何度も踏み直す。
「はい、行きますよお!」
「うわっ」
椎葉さんは意外と足が速い。運動場にいた生徒も、驚いて僕たちを見つめる。そんな椎葉さんが向かった先は、学校の庭園だった。
「私を呼ぶ声が聞こえます」
鈴を転がしたかのような声で言う。僕は「どこから?」と訊いた。
「こちらから」
椎葉さんが歩む先には、もう緑の葉をつけた、桜の木があった。僕たちが今年の春、中学に入学してきた時は、まだ桃色の花を咲かせていたが——やはり今はもうすぐ夏だ。緑に変わっていてもおかしくはない。
「物語って、どこから呼んでくれてんの?」
「この枝が物語です」
そう言って、整えられた爪が差したところは、根元の少し手前でポッキリ折れた、太そうな枝だった。
これが物語? 首を傾げる。
「どういうこと?」
「私にもわかりません。本以外の物語から呼ばれたのは、人生初です」
「僕は本から呼ばれたこともないけどね」
「この枝には、どんな物語があるのでしょう……」
折れたところに手を添え、彼女は囁いた。美しい茶髪が、風に揺れる。
「知らないよ。どうせ、ちびっ子が登って、折れたとかでしょ」
適当に言うと、椎葉さんはキッとこちらを睨んできた。
「何を言いますか! ここは中学校ですよ? ちびっ子なんて、そう簡単には来ません」
「じゃあなんだって言うのさ」
「……」
僕は、ため息をついた。
「ほら、わからないだろう? 大体、この枝に物語なんて……」
「あります! 絶対に、あるはずなんです!」
「だとしても、わからないなら楽しめないじゃないか」
「そんなことはありません。この物語は、私が、私たちが——」
嫌な予感がした。彼女は、何かのパズルのピースがぴったり当てはまったかのような顔で、僕に振り向いてきた。その姿は、まるで一枚の絵かと思うほどに美しかった。
「——読み解くべきなのです。楽しめない物語なんて、この世に存在しません」
さああっ。
風の音がする。椎葉さんはにっこり、柔らかく微笑んだ。
***
「まず、なぜ折れたかを探るべきです」
日誌に文字を書き連ねながら、椎葉さんは言った。僕は頷く。
「まあ、そうだろうね。でも、そんなのどうやって調べたらいいのかなあ」
「うーん……目撃者がいると助かるのですが」
「そんな殺人みたいな……。そのうち、誰かのアリバイとかも聞き回りそうで怖いな」
「アリバイも何も、折れた時間が分からないのですから、聞く意味がありません。それに、もしかしたら自然に折れたかもしれませんしね」
「それはごもっともです」
僕は、窓からあの木が見えないかと目を凝らしたが、やはり緑の葉すらも視界には入らなかった。背伸びをやめて、かかとで地面を踏み直す。
「うーん。あのエリアだと……園芸部とかが管理してるんじゃないのかな」
椎葉さんは軽く目を伏せて頷いた。
「その可能性ありです。園芸部が管理している花壇や畑に囲まれてますからね、あそこは。自然と桜の木も目に入るでしょう」
ガタンと椅子から立ち上がって、椎葉さんは鉛筆を引き出しに戻した。日誌を胸に抱き締めて、僕を見る。
「私、日誌を先生方に届けてきます。放課後、園芸部室の前で会いましょう。それでは」
「ああ、うん。またね」
頷いてから、このあと二時限授業があったのを思い出す。それにそのあと普通に部活動もあるのだが……まあ、いいだろう。今日一日くらい、顔を出さなくったって。
***
授業を終え、帰りの準備を済ませた僕は、椅子から立ち上がった。園芸部室ってどこだっけ? 頭をかいて、記憶を呼び起こす。ふっと思い出した。時間はかかったけれど。
それから廊下をなんとなく歩いて、園芸部室に着いた。椎葉さんと目が合う。
「筒治くん、来ましたね。あんまり遅いから、迷子になったのかと思いました」
「ちょっと、ね。待たせてごめん。今から行く感じ?」
「いいえ、もう私が先に行かせていただきましたけど、『そんなのは知らない』と言われてしまいまして」
「あ、そっか。となると、いよいよ手がかりがないね」
「いえ、そうでもないですよ」
「え?」
顔を上げると、椎葉さんがきらきらと眩しいドヤ顔で、メモを見せつけてきていた。小さく綺麗な字で書かれたそれを読んでいくと、「二年四組、佐倉杏樹」とあるのがわかる。
「だれ、この佐倉杏樹って」
「園芸部員の方だそうで。特にあの桜の木に、思い入れがあったそうです。その方に話を聞こうかと」
「なるほど、いいね。二年ってことは先輩? どんな人なのかなあ」
「元々はおっとりした感じの、部活熱心な方だったそうですけど、ここ最近は部室に顔を出さず、会っても荒んでいる感じだそうで。何かあったのかとは思いますが」
「えっ、こわ。会うのやだなー」
椎葉さんは、必死に言ってきた。
「桜の木の物語を読み解くためです! 頑張りましょう!」
「もちろん、わかってるって。でも、どこにいるのかな、佐倉先輩」
「えーと、部長さんによると、畑のところにいるのではないか、と言うことでした。行ってみましょう」
「うん」
二人で肩を並べて外に向かう。桜の木は、もちろん今日も緑だ。前と違うところがあるとすれば、その木の近くに、小柄な女子生徒がいることくらいだろう。もしかしてあの人が、佐倉先輩なのだろうか。
「こんにちは」
椎葉さんは早速声をかけた。女子生徒のリボンは青色。二年生の証だ。
「え? こんにちは」
戸惑った様子で、生徒は答える。椎葉さんは、愛らしく首を傾げた。
「失礼ですが、佐倉杏樹さんでは?」
「えっ、ええ、まあ……」
佐倉先輩は、一呼吸置いて、尋ねてきた。
「あなたたちは一年生よね? リボンが緑色だもの。私に何か用なの?」
「はい、私たち、この木のことが気になってて」
「この木? ——ああ、桜の木のこと。今は緑色だけど、春になると、綺麗なピンク色になるのよね」
「はい、そりゃもう綺麗な」
思わず僕が言うと、佐倉先輩は嬉しそうな笑顔になった。
「でも、この木がどうしたの? もしかしてあれかな。あのジンクスのことかな」
「「ジンクス?」」
椎葉さんと声が重なる。僕と椎葉さんは目を合わせて、同時に頷いた。椎葉さんが口を開く。
「そうなんです。ジンクスのことが気になってて」
「わあ、そうかぁ。じゃあ、二人はカップルなのかな? いいなぁ」
「どういうジンクスなんですか?」
「えーとね、桜の木の前で愛を誓い合うと、その恋は永遠に続くってやつ。ありがちっちゃありがちだけど、あるとなると盛り上がるよねぇ」
「ははあ。それはまあ確かに、女子の中では盛り上がりますよね」
僕が言うと、佐倉先輩は目を伏せた。
「だよね……男子には、わからないよね」
「え? すみません、僕何か」
「ううん、なんでもないの。こっちの話。でも、訊きたいのってジンクスだけ? それなら、私の友達の方がもっと知ってると思うけど」
「ジンクスだけではありません! ええと、あの、木が折れていることに気がつきましたか?」
椎葉さんの言葉に、佐倉先輩は表情を固くさせた。そして、何度か前髪を撫でながら、言う。
「う、うん、まあ。気づいてたよ。私、この木を特に大事にしてたから、余計ショックで」
「そうなのですね。心当たりとか、ありますか?」
「特にこれと言ってないけど……でもどうして?」
「私たち、どうしても気になるんです。だってあそこだけ痛ましいじゃないですか」
「まあ、そうだよね。気になるよね。だったら——そうだ。部長に訊いてみたら? 部長の方がそういうの詳しいし」
椎葉さんは首を傾げつつ、答えた。「部長さんにはもう訊いてあるんです。それで、佐倉さんが一番知ってる、って言われて」
「ああ、そうだったの。じゃあ残念だね。他を当たってみて」
佐倉先輩はよろよろと歩き、最後にこう言い残した。
「ああ、そうだ。原因がわかったら、私にも教えてね。多分、老いのせいだと思うけど」
***
「なんかおかしくなかったですか? 佐倉さん」
「ん? まあ、おかしかったっちゃー、おかしかったけど」
ベンチに腰掛けて、太陽を見上げる。眩しかった。
「なんか、木の話を出されてから、挙動不審でしたよね。何かあるんでしょうか」
「用事でも思い出したんでしょ。人の事情に首突っ込んじゃダメだって」
「わかってますよ! わかってますけど……」
椎葉さんはいくらか迷ってから、こう付け足した。
「物語のこととなると、私、自分で自分を止められないんです」
「もうそれ病気じゃん……」
「びょっ、病気なんかじゃありませんからっ!」
椎葉さんがムキになって言い返してくる。僕は笑って謝った。にしても、『物語』、か。そうだ、僕たちは今、物語を読み解いてるんだっけ。
「ねえ椎葉さん。椎葉さんって読書家だったよね?」
「え……はい、まあ、並程度に読書はしますが」
「てことは、国語の文章題とか、得意でしょ?」
「はあ、まあ。でもそれがなんですか?」
「そんならさ、さっきの佐倉先輩のセリフ、読み解けない? あの時の言葉や仕草、何より表情にこもっていた感情。それを示唆するであろう出来事はこっちが探しとくから、椎葉さんはただひたすらに、『出来事』を読み解いていくって感じ」
「安楽椅子探偵ということですか……」
椎葉さんは、少し俯いて、思案顔になった。
「…………できないことは、ないかもしれません。私は、物語を愛していますから」
「そうだよ! 椎葉さんは、僕がこれまで出会った誰よりも物語を愛し、そして——」
『物語が私を呼んでいます——』
まるで走馬灯のように、その言葉が、僕の足元から頭まで、一気に駆け抜けていく。
「——物語に、愛されてるんだから」
椎葉さんは、きょとんとした顔になった。
「……私が、物語に愛されている……」
「そうだよ、きっと」
「だといいんですけど」
椎葉さんは目を伏せて、そっと呟いた。僕が「え?」と聞き返すと、「なんでもないです」と笑って、立ち上がる。
「では早速、家に帰ってから試してみようと思います。それではまた」
「ああ、うん。またね。あでも、部活とかは」
「実は、入ってないんです、部活」
「え、あ、そうなんだ」
「失礼します」
栗色の髪を風に預けて、彼女は去っていった。その後ろ姿は、なんだか寂しげに見えた。
***
「試してみますとは言ったものの……」
私はベッドの上で、ため息をついた。謎のプライドが私をああ言わせたけれど、自信はあまりない。
「とりあえず、思い出してみますか」
セリフ、セリフですか。そんなもの一字一句完璧に覚えているわけないと思うんですけど。でも気になったところ。ふむ。それはある、かも。
佐倉さんが木の話になると、急に挙動不審になったこととか——。
あれ、どうしてなのでしょう。何か心当たりがあった、とか? でも何も言わなかった。何かやましいことがあったから? やましいこと、やましいこと。佐倉さん本人が手をかけた。いえ違う。違ってほしい。大事にしていたそうだし。じゃあなに? 他に私が引っかかったところは……。
『じゃあもしかして二人はカップル? いいなぁ』
……こんなこと言ってましたっけ? それに付き合ってないし。でも、いいなぁ、と。桜の木のジンクスとやらを話している間も、表情はどこか暗かった。つまりは恋愛関係で何かあった。それも、桜の木のジンクスに関して。
私はベッドから自分の机に移動し、大学ノートを開いた。新しいのだから、白紙だ。どんどんシャープペンシルで考えていることを書き込んでいく。
恋愛関係について私は詳しく知りませんが、「部長」というワードに軽く反応してましたよね。部長さんと何か関係があるのかもしれません。うーん、だとしても、まあジンクスは関係あるとして、木の枝には関係ないですよね。なぜ折れたのか。それについて佐倉さんは何か知っていそうだった。でも、何かやましいことがあったから話さなかった、と。やましいことってなんでしょう。やましいということは、罪悪感でもあったのでしょうか? ふむ、罪悪感。でも直接佐倉さんが手をかけたとは考えにくいし、あってほしくない。
……佐倉さんの恋愛についてよく知っているのは、やはり彼女の友人、ですよね。でも全然接点ないですし。訊けるものなら訊きたいですけど。訊いて部長さんの名前が出てきたら、私の『考察』も、なかなか当たっているのかもしれないし。
「筒治くんは自分が調べるって言ってくれましたけど、でも友人の方は女性ですよね。やはり部長さんに話を聞いてもらいましょうか」
部長さん、部長さん。そういえば私お話ししましたよね。えーと、どんな感じでしたっけ?
『あの桜の木? うーん、俺はよく知らないんだよなあ。——あ、あー、二年に佐倉杏樹って奴がいて、そいつならなんか知ってっかもよ。部員の中で一番思い入れあるみたいだし。二年四組の女子だから。部室にいないから、多分畑とかにいるよ』
あ、そういえば。
「佐倉杏樹」と名を出した時、なんだか苦い顔してましたよね。ほんの些細な変化だけれど。でもそこを見逃さないのが一番いい読み方。どんな物語だって、瞬き一つでも見つめなくてはならない。
「うー、これ以上は無理です。筒治くんにお願いしましょう。私は佐倉さんに友人を紹介してもらわなくては。あ、でも、どうやって……」
桜の木のジンクス。
『私の友達の方がよく知ってると思うけど』
そうだ。
「この手を使いましょう。ジンクスについて知りたい、と佐倉さんに言って、紹介してもらって、で、それで話を聞きましょう。重大な任務ですけど、頑張らなくては」
明日筒治くんに報告ですね、と考えると同時に、彼の連絡先を知らないことに驚いた。みんな、教えて教えてと言ってくるものだから、できる限り応えてはいるけれど。彼ならそう言われたとして、即オッケイなのに。
「……」
窓の向こうの夜空を見上げながら、なんだか頬が熱くなっていくのを感じる。
「……熱でもあるのでしょうか」
私のそんな呟きは、夜の闇に溶けていった——。
***
「え? それで、僕が園芸部長に訊けと?」
「はい、お願いします! 私は、佐倉さんの友人に話を聞きますから」
「うーん、確かにそうかもしれないけど」
僕、そこまでコミュニケーション力がないんだよなあ。まあ、女子相手するよりかはマシだろうけど、でも、初対面だし。
「お願いします! 物語を読み解くためです!」
「ああ、そうだっけ。でも、もうこれじゃあ、あの枝関係ないよね」
「……そうかもしれません。ですが私は、この物語も読み解くべきだと思いました。筒治くんには迷惑かけますけど、それでも嫌ではないのなら」
「嫌ではないよ、全然」
「えっ」
椎葉さんが、瞳を輝かせながら顔を上げる。
「な、なら嬉しいです。ではこれで。私、佐倉さんのクラスに行って参ります」
「うん、行ってらっしゃい」
ベンチから立ち上がった椎葉さんは、迷うそぶりなく歩いて行った。確か佐倉先輩は二年四組だ。僕も部長を訪ねなくてはならない。ただ致命的なのは初対面というだけでなく、その部長の名前すら知らないということだ。というか、当たり前だが顔も知らない。
「……とりあえず、園芸部に行くか」
***
「俺は柴田真菰。園芸部の部長だよ。みんなからは、シバちゃんとか、マコモンって呼ばれてる。お前、一年か。シバちゃん先輩か、マコモン先輩と呼べ。敬語はいいから」
園芸部室に行き、たまたま(超爽やかイケメンが)いたので名前を訊くと、そう言われた。
「普通に柴田先輩でいいですか?」
少し気圧されながらも僕が言うと、柴田先輩は首を横に振った。
「だめだ。親近感がないだろ。親しみやすさは大切だ! 園芸部は全然部員が集まらんから、俺が看板になって寄せ集めんと。それに俺は……もう今年で終了だ。ジ・エンドだ。それまでに、部員を増やさなくてはいけない!」
「そうですか……」
柴田先輩は、ああと頷く。
「大問題だよ。ところでお前、名前は?」
「僕は筒治です」
「ツツジか。いいな、植物の名前か。苗字だよな、下は?」
「えっと、幸理です」
「はーん、コウリかあ。ツツジの方が呼び名としてはいいな。よろしく」
「は、はい」
握手をした。たくましい手だった。
「で、お前、なんできたの?」
「教えてほしいことがあって」
「ほう、教えてほしいこと、か」
柴田先輩が腕を組む。
「えっと……先日そちらに椎葉小春という女子が来ませんでしたか?」
「は? あー、そういや来てたな。桜の木がなんとか言ってた気がする」
「そ、そうですか……。それと関係あるんですけど、いやないか。とにかく……えっと、ぶっちゃけ先輩ってモテますか?」
「俺? いやあ、それがあんまし」
僕は、必死に勢いこむ。
「そっ、そんなことないでしょう! 恋愛について、相談したいんです!」
「はあ、あ、そういうタイプ? うーん、じゃ俺の、珍しくモテた話をしてやろう」
先輩は僕の肩に手を回して、話し始めた。
「モテた話、ですか」
それこそ僕の求めている佐倉先輩の話だといいんだけど。
先輩を見上げる。
「詳しく聞かせてください」
「もちろんさ。えっと俺ね、一年下の——名前は伏せるわ。Sさんと名付けよう。Sさんは、あの桜の木で、俺に告白してきた。とても部活動に熱心で……まあ、いい子だったのさ。顔も可愛いし。嫌いなキャラではなかったし。てことで付き合うことにした」
「すごいですね」
「そうかぁ? 普通、告白されたら付き合うモンだろ、特に非モテは。……まあこれはいいとして、さ、Sさんはなんだか不思議な奴だったんだ。桜の木をこよなく愛していた。そして……異常にジンクスにこだわってたんだ。知ってるかなあ、一年坊は。桜の木の下で愛を誓い合った男女は永遠に結ばれるっつー、あれ。別にどうでもいいんだけど。俺は目の前のあいつが好きなのに。ジンクスなんてどうでもいい。永遠なんていらん。なのにSさんはそれにこだわった。そんな彼女に嫌気が差して俺はSさんと別れた、という、とても悲しい話よ——」
「それは、確かにそうですね。ありがとうございます。参考にします」
「参考するところなんてないと思うけどなあ。ま、いいよ。それってさっき言ってた椎葉小春さん?」
「え?」
「参考にするってやつ。椎葉さんに告白でもすんの?」
一気に顔が赤くなるのがわかった。
「そっ、そんな! 告白なんてしません。そうじゃなくて、なんというか」
「あっ、そお? まあいいや。成功したら教えて。当たって砕けても園芸部来いよ。慰めてやる」
柴田先輩はそう言って僕の背中を叩き、去っていった。
その後ろ姿は、最高にカッコよかった。
……告白は、しませんけどね。
***
「筒治くんのおかげで、大体固まってきました」
私は、ふふっと不敵に微笑んだ。筒治くんから教えてもらった部長さんの言葉を考えると、物語も大方見えてくる。
それは、こうだ。
同じ園芸部の部長である柴田真菰に恋した少女、佐倉杏樹。佐倉は柴田に恋心を寄せると同時に、桜の木も大事に見守り続けていた。そこで耳に挟む桜の木のジンクス。もしかしたら憧れの先輩と……。そう考え佐倉は柴田に告白することにした。柴田はその告白を即オーケイ。二人の交際が始まる。
順調かと思われた日々は、しかしそう上手くはいかなかった。異常に桜の木のジンクスに固執する佐倉を、柴田は不思議に思った。二人の価値観は違ったのだ。ジンクス命の佐倉。今がよければ全てがいい柴田。あの時佐倉がこぼしたセリフ。「やっぱり男子にはわかんないよね」発言もそこに繋がる。
そして柴田は佐倉をフッて、今がある、と。
そこでどうやって桜の木の枝につながるのかはわからないが、今の所、これが一番真実に近い考察だろうと思える。
それを筒治くんに伝えると、「僕もそれが一番近いと思う」と真面目な顔で告げられた。どうやって物語を確かめればいいのかは全くわからないが、本人に訊くのもためらわられる。佐倉さんの友人にさりげなく恋バナを振って、かつ佐倉さんの恋愛事情にも軽く触れてみると、どうやら最近失恋したそうだ。それも考えて、やはりこの物語が正解に近いと思う。
「そうです。できる限りは尽くしました」
自分に言い聞かせるように呟いた。けれど、本当はわかっていた。私たちは、まだ物語を理解できていない。読み解き切っていない。だって本を読み終えて一息つき、ああこの物語を理解できた、完走できたと思った時に降り注いでくるあの物語の声。よかったね、よくやったねと褒めてくれているかのような優しい声。あの声が、全く聞こえない。それに私自身、完走できたとは到底思えていない。
「やはり、直接本人に確かめるしか、方法はないのでしょうか……」
机に突っ伏す。そんな、無遠慮なこと、私には……。
しかし、これも物語を読み解くためだ。私は物語を愛している。そして……筒治くんの言葉を借りると、物語に愛されている。物語を愛し物語に愛されたものが、全てを読み解かずに放棄するなど、絶対にあってはならない。
それはもう使命感に近く、私は勢いよく立ち上がった。
「もう、これしか方法がありません」
私の決意を応援してくれるように、デスクライトがチカチカ点滅した。でも、どうやって訊けば良いのでしょう。
できるだけ、傷つけることのない方法がいいのだろうけど。うーむ。
……私はため息をついて、とりあえずライトの電池を交換することにした。
***
「二人に直接訊く? でも、それは人としてどうかって結論になったじゃない?」
「そうですけど、それだと桜の木の枝につながらないですし、何より達成感がありません」
「とは言ってもなあ」
僕は「うーん」と唸った。それに、やるからには、相手を傷つけることがないようにしなくてはならないだろう。
「わかったよ。じゃあ、部長と佐倉先輩を会わせてみるってのは? 部長はいい思い出風に語ってくれたし、この前ちょっと覗いたけど、部室内じゃ普通に接してたよ」
「なるほど。それで、改めて木の枝について訊いてみる、ということですね」
「というか、二人の恋愛に、木の枝は関係あるのかなあ? ただ舞台が同じってだけだよね?」
「そうですけど、やはりここは直感です。私は関係あるように感じます」
「うーん、椎葉さんが言うならそうなんだろうけど、いやどうかなあ」
「まあまあ、それよりも筒治くん、私、やりたいことがあるんですけど」
そう言う椎葉さんの瞳は、いつになくキラキラと輝いていた。
***
『先輩、話したいことがあるんで、放課後桜の木に集合できますか?』
ツツジが、そう言ってきた。別に今言えばいいだろうとは思ったが、即オーケイした。俺は、こういうところには寛容なのだ。別に場所が変わろうと、話が変わる訳ではあるまい。
しかし放課後、桜の木の下に行ってみると、同じ部活の佐倉がいたから驚いた。佐倉は、桜の木を見上げながら、たまにキョロキョロと周りを見る。誰かと待ち合わせをしているのだろうか。
「! 部長?」
やべ、目が合った。というかツツジ、人がいないところでって話なら、もういるから無理だぞ、その話。場所変更だな、こりゃあ。他に人通りが少ないところといえば、えーと……。
「部長、部活動ですか? 今日、全ての部活は活動禁止ですよ」
「え? いや、部活じゃねーよ。ちょっと、人と約束が……」
佐倉の表情が、さっと変わる。彼女は、少し俯いた。
「そうですか……私も、そうなんです」
「あ、やっぱり? キョロキョロしてるからそうだと思ったわ。誰と約束してんの?」
目を見開きながら、佐倉は答える。
「えーと、後輩の女子です。可愛い子なんですよ。なんでも話があるそうで」
「ふーん、俺と一緒だ」
「えっ!?」
「俺も、後輩の男子。話があるみたいで」
「あっ、男子、なんですね……」
佐倉がほっと息をついた、その時。
「お二方、よく来て下さりました!」
澄んだ声が響き、今から仮面ライ◯ーでも登場するのかってくらい、大きなジャジャジャジャーンという効果音から、音楽が始まる。桜の木の向こうから、スポットライトに当たった誰かが、颯爽と現れた。
「私は一年一組椎葉小春!」
キャラメル色の瞳が、愛らしくきらっと光る。
「私に読み解けない物語はないっ!」
佐倉が、呆然と呟いた。
「何してるの、小春ちゃん……」
椎葉小春は、ニッと不敵に笑った。
「こういう登場、してみたかったんです!」
それから、眉尻を下げる。
「けれど、意外と反応が悪いみたいですね……」
「いや当たり前だろ。誰でも、こんな登場の仕方したら引くよって、僕、忠告してあげたじゃん」
大きな鏡を抱えたツツジが、茂みから出てきた。椎葉小春は、仮面ライダ◯っぽいポーズをしていた腕を下ろし、不満げに唇を尖らせた。
「黙ってください。できることは全部やる、私のモットーです」
「初めて聞いたけど?」
「今即興で胸に刻みました」
「おい」
俺は、軽く首を傾げた。
「ツツジ、お前何してんの?」
「う、先輩……気にしないでください。ほら椎葉さん、説明してあげてよ」
「わかってますってば」
椎葉小春は頷いて、長い髪を払った。
「桜の木が折れてることについて、二人は知ってますか?」
「……!」
「——ああ、ちょい前になんか言ってたよな。ま、知ってるちゃそうだけど」
「わ、私も、知ってるよ。でも、それがなんなの?」
椎葉小春は目を伏せた。そして、小さな声で語り始める。
「私は物語を愛しています。そして——おそらく、物語に愛されている。私は物語を最後まで読み切りたい。そのために、二人に確認したいことがあるんです」
「「確認したいこと?」」
佐倉と声が被る。
「はい、これは、私の推測に過ぎないのですが……」
そう椎葉小春は、『物語』を話し始めた。
***
(……うそ)
小春ちゃんの『物語』を聞いて、私はまずそう思った。
うそ、うそだ。こんなにも真実を言い当てるなんて。私が、私が忘れたいと思っている傷口を、彼女は無邪気にえぐってくる。
「……違いますか?」
気遣うような視線。けれども自信に満ちた口元。
いいよね、美人で。お人形さんみたいで。恋愛で悩むことなんて、きっとなかったのだろう。
「何も……違わないと思うけど。ジンクスの件については、俺はノータッチ」
「そうですか。佐倉さんは?」
視線がこちらを向いた。私は、なんとか微笑んで頷く。
「まあ、正解。でもそれがどうしたの?」
「……桜の木の枝について、何か知ってますか?」
うっ、と思ったが、強く返す。
「別に何も知らないけど。だからそれがどうしたの」
「おい、佐倉。お前、顔怖いよ。相手は一年なんだからさ、優しくしてやれよ」
肩に部長の手が触れる。思いっきり振り払ってやりたかった。しかし、グッと堪えて、優しく叩いてどかす。
「すみません。なんだかイライラしちゃって。今日用事があるの。もう帰ってもいいかな?」
「まってください」
去ろうとした私の手を、小春ちゃんが掴む。小春ちゃんは、納得してなさそうな顔で、必死に言っていた。
「お願いします。もっと話を聞かせてください。筒治くん、部長さんは……」
「うん、わかったよ。すいません、先輩。もう帰ってもいいですよ」
「はあ? お前、ちゃんと説明しろよ」
「説明、ですか?」
「そうだろうが。ちゃんと説明したら帰ってやるよ」
「じゃあ、あっちで! 遠くで話しましょう!」
二人が去っていく。この場には、私と小春ちゃんだけになった。
「佐倉さん……知ってるんですよね?」
「……」
言葉が詰まる。知ってると言われれば知っているが、けれど、そうは言っても。
「お願いします。私はこの物語を、最後まで知りたいんです!」
手を合わせ、目をぎゅっとつぶって懇願してくる小春ちゃん。正直、イラッとした。
(そうやっていれば、あなたの場合、すぐに教えてくれたんだろうね)
かわいい顔なんだもん、きっとそうだろう。
そう思うと、ますますイライラしてくる。
「——じゃあ、想像してよ」
「え?」
「ここまで『考察』できたんでしょ。考えてよ、この先を! 結末を!」
拳を握り、グッと唇を噛み締める。
小春ちゃんはしばらくキョトンとして、しかしすぐに頷き、顎に手を当て考え始めた。
「えーと……あの時佐倉さんは失恋していた。そうすると人はどうなる? 苦しくて苦しくてたまらなくなる。きっとそう。でもそれでどうやって桜の木と結びつく? ……佐倉さん、この木に危害を加えましたか?」
「——さあね」
「……。わかり、ました。今の表情からして、つまりは……」
んー、んーっ。
何度も唸って考えている。
「こういう時、人ってどうするんでしたっけ? 八つ当たり? でも、まさか今まで大事にしていた木の枝を折ることなんて、するはずが……」
ドキッとした。そして、ヒヤッともした。
確かに、確かにそうだ。私は、この木を大事にしていた。
「大事にしているからと言って、傷つけていいはずではありませんし、第一それでは、心が罪悪感でいっぱいになります……」
罪悪感、罪悪感。そうか。ずっと私は、心の奥底に、モヤモヤとドス黒いものを抱えていた。それを、罪悪感と名づけるのならば。
ああ、吐いてしまいたい。このままでは、私がどうにかなってしまいそう。でも、でも、言いたくない。ずっと大事に大切に見守ってきていたものを傷つける人間だと、思われたくない!
「じゃあ、どういうことなんでしょう。これは桜の木に訊くしかありませんね。最終手段ですが。ああ、私に、あの声がまた聞こえるようになるのでしょうか?」
……。
桜の木に、訊く?
何を言っているのだ、この子は? 桜の木は喋らないし、何より目がないではないか。見えやしないし、それに……桜の木に心があるとするのならば、それは、とても大変なことだ。私は、とんでもない重罪を犯してしまったのかもしれない。
不安そうな表情で木に近づく小春ちゃんの腕を、慌てて掴んだ。そして、一気に叫ぶ。
「ごっ、ごめんなさい! 今から全てを話すよ!」
小春ちゃんは、驚いたような表情になった。
「どうして? 私まだ、わかっていません」
「それでもいいの。お願い、聞いて、私は、私はね」
桜の木が揺れる。涙が溢れた。そうだ、もう全てを吐き出してしまおう。そして楽になろう。この涙と共に、私の黒い心よ、流れてくれ、と切に願った。
「苦しかったの……。どうしようもなく、辛かった」
「失恋したから、ですか」
「そうだよ。でも……だからってあんなこと、してはいけなかったのに!」
小春ちゃんの目が光る。
「あんなこと、とは?」
「あのね、桜の木の枝をね、思いっきりカバンで叩いてしまったの。『何がジンクスよ、何も叶わないじゃないの』って思って。そうしたら木の枝は折れた。きっと寿命のこともあったんだろうけど、でもそれが、とてつもなく悲しかったの。私は……私は、大切にしていたものを、傷つけてしまった」
「……そうです、か。ありがとうございます、教えてくださって。確かにものに当たることは悪いとされていますが、きっと佐倉さんはそれを、えーと、後悔している。そうなんですよね?」
小春ちゃんの言葉に頷く。
「うん、後悔してる。だって、だって」
「はい、存分に吐いてください。心の中の嫌なもの、全部吐き出せば、きっと楽になれますよ」
「あ、ちなみにこのセリフ、私の好きなキャラクターが言ってたやつです」とドヤる彼女に笑みがこぼれる。
「もうずいぶん楽だよ。ありがとう」
「いえいえ」
にっこり微笑んで、
「それに、そう強く後悔しなくてもいいんじゃないでしょうか」
と、木を見上げる。桜の木の枝は、それに反応するように、さやさやと揺れた。
「私には聞こえますよ、物語の、桜の木の声が。『私は大丈夫だよ、気にしないで』って。『泣かないで』って、そう言ってます」
「ふふっ……なあに、それ」
思わず笑う。園児じゃあるまいし、そんな言葉、通用するはずがない。だけど、彼女に言われると、本当にそう言われている気がした。
***
「……なるほどね」
僕が言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「はい、私……物語は本だけじゃないんだな、と思いました」
「うん、そうだね」
葉っぱが落ちてくる。桜の木のものだ。桜の木の下にベンチがあるなんて、なかなかおしゃれな学校だろう。
「それで、ですね——ありがとうございます、筒治くん」
「え?」
「私を、手伝ってくれて」
「ん? いやあ僕、特に何もしていないような……」
申し訳なく言うと、椎葉さんは首を横に振った。
「いいえ、そんなことはありません! あの時、手がかりの少ない物語を『考察』するなんて発想、私にはありませんでした。それに、本ではなく、『もの』から感じた物語を読み解くことなんて、そう滅多にあるもんじゃありませんしね」
「そっか……役に立ったのなら、嬉しいよ」
「役に立ちまくりです! 筒治くんがいたおかげで、諦めそうになった時、でも、筒治くんが手伝ってくれてるんだって、励みになりました!」
屈託のない笑顔を見せる。正直、ドキッとした。
さああっ。風が吹く。木々が揺れ、根元が弱い花びらが散っていく。
「わあっ」
「えっ……」
その時僕は、幻覚が見えた気がした。なぜか、涼しさを運ぶ夏の風の中に、桜の花びらが舞っているように見えたのだ。
椎葉さんと同時に目を擦り、そこで、彼女にも見えていたのか、と思う。
「椎葉さん、今の……」
「ねえ、筒治くん、連絡先交換しましょうよ」
「ええっ」
唐突な椎葉さんの発言に、目を見開く。
「そういえば知らないなあと思いまして。花びらが見えたような気がしましたし、もうこの勢いのままいっちゃおうかなって!」
「……まあ、いいけど」
「本当ですか!? よかったあ」
そう笑う椎葉さんは、最高に可愛かった。
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