前
私の名前はリゼ。
教会でシスターとして働いている。
教会は人々の心の安らぎの場だ。
私は常日頃から参拝者が心地よく教会を訪れることができるように空いた時間を見つけては念入りに掃除を行うよう心掛けている。
「うん、こんなところかな、よし!」
一通り教会の中が綺麗になったのを指差し確認した私は掃除用具を片付けようとしたところで何やら外が騒がしい事に気が付いた。
「おい、一体何が起きているんだ!?」
「家が、町が、人が消えていく……お終いだ何もかも……」
「おお神よ、どうか我らをお救い下さい……」
聞こえてくるのは人々の悲痛な叫び声。
窓から外を眺めると、辺り一面の景色が粒子化するように分解されながらボロボロと崩壊していくのが見えた。
そこに住まう全ての生きとし生けるものを巻き込みながら。
この世界はこれで終わりだ。
「ああもう、今日のお仕事が全部無駄になっちゃったじゃない……」
私は深く溜息をつくと持っていたモップを放り投げ、何もかも諦めて最後の瞬間が訪れるのを待った。
やがてこの世界の全ての存在は跡形もなく消滅し、同時に私の意識もプツリと途絶えた。
◇◇◇◇
「ちくしょー、あの流れで外すとかマジでありえんだろ。そう思わないかリゼ?」
気がつくと私の目の前で煌びやかな鎧を身に纏ったひとりの青年が眉をひそませながら悪態をついていた。
今私がいる場所は教会の礼拝堂でこの青年の名前はアレックという。
彼は私が所属しているメビウス教団の大司教のひとり息子で、その身分を鼻にかけた傲慢な性格によって教団の皆からは鼻つまみにされている男だ。
それが何の因果か今では魔王討伐の宿命を背負った勇者様である。
「そう言われましてもそもそも私はあの時アレック様が何をされていたのかを知っている訳がありませんよね?」
私がぶっきら棒に言葉を返すとアレックは笑いながら言った。
「ははは、まあそうだろうな。ちょっと今強敵を相手に苦戦していてね。旗色が悪かったからやり直させて貰ったよ」
勇者のみが使う事を許されている【ロード】というスキルがある。
これは前回教会で【セーブ】した場面からやり直す事ができるという便利なものである。
しかしそれだけの力を使えば当然弊害を伴う。
「もう、いつも無茶はしないでって言ってるじゃないですか。いいですかアレック様。今更説明する必要もないと思いますけど【ロード】するという事は【セーブ】した時点以降に起きた全ての行いを無かった事にするという事ですよ」
「そんな事は分かっている」
「掃除や花壇の水やり、昼食の準備、参拝者への対応から事務作業まで今日私がやってきた諸々のお仕事が全部無かった事になってしまったんですよ! 全部やり直さないといけないんです! 少しは私の身にもなって下さい」
「そうは言ってもこっちは魔王を倒す為に命をかけて戦っているんだ。どっちを優先するべきかは考えるまでもないだろう」
「そういったお話ではなく無茶な戦いはしないで欲しいと言っているんです! アレック様のお力なら余程の事がない限りその辺の魔物に後れを取る事なんてないでしょう」
「分かった分かった、そう青筋を立てて怒るなよ。可愛い顔が台無しだぞ」
アレックは手をひらひらさせながら私の説教などどこ吹く風といった様子だ。
吟遊詩人が歌う英雄像とは正反対の性格である彼が勇者になれたのには理由がある。
ある日魔界より人間界の支配を目論む魔王が現れ各地へ侵略の手を伸ばした。
魔王の力は凄まじく人間の力では到底太刀打ちできるものではなかった。
無力な人々は何ら打つ手も見出せずに神に祈る日々が続いた。
その祈りはこの世界の主神であるメビウス様に届き、私たちに神託を授けて下さった。
その内容を掻い摘んで言うと魔王を打ち滅ぼす為に神の力を貸し与えるので、勇者となる者とその補助を担う者をひとりずつ選別せよという事だ。
日頃からアレックの世間の評判の悪さに頭を抱えていた大司教はこれを幸いにと周りの反対を押し切って独断で馬鹿息子のアレックを勇者に選んでしまったのだ。
そしてその補助役に選ばれたのがこの私リゼである。
私が選ばれた理由はたまたまその場に居合わせていて大司教の目に留まったからだ。
平たく言えば大司教にとってはアレックを勇者にする事以外はどうでも良かったという事になる。
勇者となったアレックはメビウス様の加護により魔王にも対抗し得る程の強靭な肉体と魔法力に加えて冒険に役立つ様々なスキルが授けられた。
しかし勇者となってもアレックの性格が良くなる訳でもない。
勇者となった事でアレックは更に増長し、元々の女癖の悪さもあって行く先々でちょっと可愛い女の子を見つけては勇者という肩書を背景にしてちょっかいを出し、飽きればちり紙のようにあっさりと捨るといった行為を繰り返していた。
辺境伯のひとり娘であるエンドリム嬢などは彼に弄ばれた事のショックでそれ以来自室に引き籠って出てこなくなってしまったそうだ。
メビウス教団の信徒たちはそんなアレックの尻拭いをする日々に追われていた。
一方で勇者の補助役に選ばれた私はメビウス様より任意の時点での世界の状態をデータとして保存する事ができる【セーブ】という名のスキルを授けられた。
但し保存できるのはひとつだけで、新たに【セーブ】をすると過去に保存したセーブデータは上書きされて消えてしまう。
保存したセーブデータは勇者のみが使う事ができるスキル【ロード】によって復元する事ができる。
これによって勇者は死なない限り何度でも【セーブ】した時点からやり直せるのだ。
しかし勇者が絶体絶命な状況で【セーブ】をしてしまうと最悪詰み状態になってしまうので、私はそうならないように毎日比較的安全な教会の中で勇者が【セーブ】をしにやって来た時以外はこのスキルを使用しないように制限を設けていた。
【ロード】をするとその瞬間から世界が崩壊し、セーブデータを元に世界が再構築される。
再構築された世界の住民は自分たちの身に起きた事を覚えていないが、勇者アレックと補助役の私だけは特別に記憶が引き継がれるようになっている。
いくら元の状態に戻ると頭では理解しているとはいえ、人々が自分たちの身に何が起きたのかも分からないまま絶望と恐怖に苛まれながら消滅していく様子を見るのは何度【セーブ】と【ロード】を繰り返しても胸が苦しくなる。
きっと一生慣れる事なんて無いんだろう。
思うところは色々あるけど、今の私にできるのはアレックが魔王を倒すその日まで全力でバックアップをする事だけだ。
これ以上この男に何を言っても時間の無駄だろう。
こういう時はさっさと話を切り上げて教会から出ていって貰うのに限る。
「はぁ、もう分かりましたからアレック様は一日でも早く魔王を倒してきて下さい」
「おうよ。魔王討伐はまだまだ時間がかかりそうだけど、今戦っている相手は今度こそ倒して見せるぜ。今夜は祝杯の準備をして俺の帰りを待っていてくれよ」
アレックは私に手を振りながら意気揚々と教会を出ていった。
アレックが視界から見えなくなった後私は教会の中を見回す。
「うわあ……もう最悪なんですけど……」
ついさっき──アレックが【ロード】する直前に──ちゃんと掃除したはずなのに、アレックが【ロード】したせいで掃除をする前の状態に戻ってしまっている。
特に念入りに綺麗にしたはずの入り口前の床の汚れが目に付く。
「またやり直さなくちゃ……」
私はモップを手にしながら深い溜息をついた。
今から掃除をし直したとしてもこの後でもしアレックがまた【ロード】をしたらそれも全部無駄になってしまう。
だからといって日々教会を訪れる多くの参拝者の目に真っ先に飛び込んでくる入り口前の床の汚れを放置する訳にもいかないのが辛いところである。
それでも今回はまだましな方で酷い時には【ロード】によって一週間も前まで戻されてしまった事もあった。
冒険の旅に出る者はこまめに【セーブ】をするよう心掛けて貰いたいものである。
「……でもアレックが魔王を倒す為に頑張っている事だけは疑いようがないわ。私もこんなこと位でくじけちゃダメよ」
物は考え様で、【ロード】前の世界ではまだこの時点では床が汚れている事に気付いていなかった。
発見が早まった分それだけ早く対処ができるというものだ。
私は両手で頬をパンと叩いて気合を入れると床の掃除を始めた。
「こんにちはリゼさん。お掃除中にお邪魔をさせていただきますよ」
その時入口の扉が開いてひとりの女性が入ってきた。
「あっ、お久しぶりです……」
それは以前アレックに散々弄ばれて捨てられた辺境伯令嬢のエンドリムだった。
以前は生きた宝石と例えられるほど美しかったその肌や髪は別人のように荒れており、そのお顔もやつれている。
余程お辛い日々を過ごされてきたのでしょう。
私はそんな彼女に何と言葉を掛ければいいのか分からずに口籠ってしまったが、私の心中を察してかエンドリム様の方から話を振ってきた。
「皆さんにはご心配をおかけいたしましたけれどもう大丈夫ですわ。私、今後の人生の目標ができましたの。いつまでも引き籠ってはいられませんわ」
そう言ってエンドリム様ははにかんだ笑顔を見せた。
心を病んでずっと部屋に引き籠っていた彼女がここまで回復した事が分かっただけでも朗報だ。
【ロード】前の世界の私はこの時間帯は裏庭にいたので今日エンドリム様が教会にいらっしゃった事を知らなかった。
世界が繰り返されているとはいえ違った行動をとれば違った体験ができる。
悪い事ばかりではない。
「そういえばリゼさんは綺麗なお肌をしていますわね。髪も綺麗。普段はどのようなお手入れをなさってますの?」
「いえそんな私なんか全然……」
「謙遜は宜しくてよ。どうか私の為だと思って教えて下さいな」
「……特別な事はしていませんけど、強いて言えばこの教会の中はメビウス様の加護下にありますので毎日お祈りを続けた事によるご利益とでも申しましょうか……」
「そうでしたの。でしたら私も毎日通わせて頂こうかしら」
「ですが……」
この教会にはアレックが【セーブ】をする為にいつ何時現れるか分からない。
もしエンドリム様とアレックが鉢合わせになったら折角ここまで回復したエンドリム様がまたお心を病んでしまいかねない。
しかしそれは私の考え過ぎだったようでエンドリム様はそんな私の考えている事などお見通しといったように言った。
「アレックの事でしたら気を使わなくても結構ですわ。あの人はもう私の事なんて覚えてもいないでしょうしね。今の私にはそんな事はどうでもよろしいのです」
「あっ、ごめんなさい……私ったらつい余計な事を考えて……」
「そういえば知っていますかリゼさん。アレックって最近カジノに入り浸っているんですよ」
「……はい?」
思わず素頓狂な声を出してしまった。
そんな話は初耳だ。
「その話詳しく聞かせて下さい」
いつになく強い口調で迫る私にエンドリム様は目を丸くしながら答えた。
「先日気晴らしにとお父様に連れていかれたカジノでアレックが必死な形相でカードを睨みつけているのを見ましたの。私には気が付かなかったみたいでしたけど。その時はお勝ちになったみたいで、今度はそのお金を更に倍にしてやると上機嫌で豪語していましたわ。さすがに勇者様ともなれば運も人並み外れているんですねと思わず感心してしまいましたわ」
「……そうでしたか。貴重なお話有難うございます」
「いえ、私の方こそお掃除中に手を止めさせてしまってごめんなさい。今日はご挨拶に伺っただけですのでまた後日改めて参拝をしに来ますわ。それではごきげんよう」
「はい、是非ともまたいらして下さい」
私はエンドリム様を見送りながらつい先程世界が【ロード】された直後にアレックが放った第一声を思い出した。
『ちくしょー、あの流れで外すとかマジでないわー』
あれは魔物への攻撃を外したのではなく、カジノで大一番を外してしまった事をぼやいたのだ。
最近やけに【ロード】の頻度が高かったとは思っていたけど、まさかカジノで勝つまで何度もやり直していただなんて考えもしなかった。
「そんな下らない事で【ロード】を乱用するなんて……」
私は怒りに震えながら掃除を終わらせると、礼拝堂へ戻ってメビウス神への祈りを捧げた。