FILE3.[メルはマイティ・マザー!]②
ルナとメルは事務室に通され、ソファに座って守衛の男に狙撃犯罪者の映像を見せていた。
先ほどは剣呑だった守衛が、すっかり協力的になって聴取に応じている。
「確かにウチで隊員に支給してる装備、しかも二一九二年度版のやつだな」
「誰なのかは特定できない?」
「残念だが、これだけじゃ難しい」
ルナに問われると、守衛は首を振り、自身も残念そうな顔でそう答えた。
落胆しかけたルナとメルに対し、だがと付け加えて守衛は続ける。
「だが、ウチの支部で狙撃を得意としていたのは一人だけだ。この精度、この動きはよく憶えてる」
「もしかして、この人じゃないかしら?」
メルがQスマートを操作すると、フレデリック・ジェイソンの顔写真が投影された。
守衛は目を見開き、まさに今しがた名を言おうとしていた人物の顔に驚いていた。
「そうそう、こいつだよ。フレデリック・ジェイソン。こいつで間違いない」
「…今はどこに?」
「先々月あたりに辞職した。悪いが、それからの足取りは知らん…」
守衛が首を振ってそう答えると、今度こそルナとメルは落胆した。
どうやら転職後、ジェイソンは部隊内でも有名であったらしい。
在籍時のジェイソンはさぞ活躍したのであろうと二人は思った。
だが守衛は、どこか苦々しい顔をしている。
「…元ポリスってのも含め、過去の事は俺らもジェイソン本人から聞いたんだが…
あんた達、こいつがどんな奴だったか知ってるか?」
「親しくはなかったけれど、とてもまじめで、家族を愛する方だったわ。
分隊の隊長で、ポリスの模範とも言われたくらいの人よ」
「そうか…」
メルの返答に、どうやら守衛は納得できないようだ。
「…任務に就くとな、ジェイソンはいつも笑ってたんだよ。だらしねえ顔で」
「笑ってた…!?」
「あんた達を疑うわけじゃないんだ。だが、こっちでは任務に出るたびに笑っていた」
ルナとメルは、守衛の回答に顔を見合わせた。
シティポリス在籍時のこと、しかも表面的なことしか知らない二人には、意外な回答だった。
当時の彼の事を今なお理解できないらしく、守衛は怪物と出会ったような顔で二人に尋ねた。
「なあ。家族を逆恨みで射殺されたのに、笑って狙撃ばかりしてる奴。あんた達はどう思う?」
「……どう、って」
「俺は恐ろしいよ。ジェイソンは四年近くここにいたが、一度も辛い顔をしなかった。
まったくしなかったんだ。家族を殺されたことを、思い出した風さえ無かった。
そして狙撃の仕事を、いつも一人で、笑って請け負っていた…」
守衛はため息を吐き、最後に一つだけ付け加えた。
「化物だよ。俺達は未だに、ジェイソンが恐ろしくてたまらない」
耳をそばだてていた周囲の隊員達も、守衛と同じ表情をしていた。
どうやら彼らにとって、ジェイソンは理解も許容もできない恐ろしい人物だったようだ。
親しくないながらも彼が家族をどれだけ愛していたか、メルは知っているだけに落ち込んでいる。
埃っぽい事務室が沈黙に包まれる。どうやらジェイソンの事は、彼らのタブーであったらしい。
だが守衛の協力により、犯人はほぼ特定できた…と、言って良い。
「嫌なことを思い出させてしまって、すみません」
ルナがそう言って頭を下げると、守衛は手を振って答えた。
「イヤ、ウチに嫌疑がかからなくて良かったよ。それよりちゃんと捕まえてくれよ」
「判ってます。ご協力、有難うござい―――」
顔を上げた途端、ルナとメルの表情が凍り付いた。
守衛のこめかみに赤い光点が発生していた。先日メルの顔に浮かんだものと同じだ。
誰かがどこかから、レーザーサイト付きの銃で彼を狙っている。
ルナの聴覚がごく小さな金属音を、そして暴力警官としての勘がわずかな殺意を捉えた。
「全員伏せて!!」
叫ぶとともに守衛の襟首をつかみ、引きずり倒す。
周囲の隊員達もルナの指示で伏せた。途端、窓ガラスを破って何かが飛び込み、壁を撃ち抜いた。
着弾点から自身が狙われたことを察し、守衛は恐怖に震えあがっていた。
「……あいつだ…ジェイソンだ…」
ルナは立ち上がり、窓の破壊跡から弾丸が飛来した方向を大まかに特定した。
そして窓から顔を出し―――愕然とした。
そこには一面、広い海が広がるばかりであった。足場など一平方ミリメートルも存在しない。
そして、船舶も無ければホバージェットの類も一隻も浮かんでいない。
Qスマートでスキャナを起動しても、マシンは一台も捕捉できなかった。
まさしく、生身のまま海上から撃ち、そして消失したとしか説明できない状況なのである。
「…政府御用達の部隊を、こんなタイミングで撃ってくるっていうことは」
「ルナちゃん、盗聴器があったわ。弾丸も採取しておいた」
メルが応接用ソファの座面の下から、一本のネジを外して見せた。
一見するとただのネジだが、スキャナで調べると内部に精巧な機械が組み込まれていた。
周波数が過去に押収されたものと全く異なり、一般の発見器では反応しないようになっていた。
「これで聴取の会話を聞いていたんですね…」
「つまり奴は、俺達が奴の事をバラそうとしたら、すぐに口封じできるようにと…」
「ええ…」
ルナはベルトのポーチに盗聴器を入れた。内部が絶縁仕様になっており、あらゆる周波数の電波を遮断できるポーチだ。
その隣で、メルはいつもなら見せない深刻な表情を浮かべていた。
「…どうして、こんなこと」
怒りと困惑の表情であった。その感情はジェイソンの行為に向けられていた―――
人命を奪おうとするのみならず、家族の死までも穢す、非道な行いに。
ルナはメルの肩に手を置く。
「絶対捕まえましょう」
「ええ」
二人は傭兵隊員達に挨拶すると、事務所をすぐに出てオフィスへと向かった。
九.五係オフィスの格納庫。
メルはレッシィが開発したボートに乗り、シミュレーションモードで操縦を練習していた。
傭兵部隊本部で撮影した着弾地点の映像とデジタルマップを比較し、やはり海からの狙撃だとルナは結論付けた。
そして、そうであれば『姿を消した』のではなく、
肉眼で視認できない、レーダーやスキャナに映らないマシンに乗り、海上から撃ったのではないか…
そんな少々無茶にも思える仮説を立てた。
当然『キング・スコルピオ』が絡んでいるという推測もセットである。
可能性として『リアルサイトシミュレイトスクリーン』の使用を唱えたのはレッシィだ。
これは周辺の環境からリアルタイムでシミュレートした映像を映す球形スクリーンである。
周囲の光景から起こりうるあらゆる現象や、アングルの違いによる物体の見え方の変化を演算し、
いかなる角度からみても自然な立体映像を作り出して、それを球形の画面に映し出す映像機器だ。
動く物体の少ない砂漠にでも置けば、周囲に完璧に溶け込み、人間の目で区別するのは困難である。
これにスキャナやレーダー等の電波を阻害する妨害電波を組み合わせれば、
機械での探索もほぼ不可能になるというわけだ。
さらに、回収してきたソファーのネジの製造元も判明した。
砂生理科学工業株式会社、略して砂生理工という、加工金属製品を製造販売する企業だ。
港湾地帯に加工・製造など複数部門のの工場を抱えている。
あくまで製造販売元であり盗聴器を仕込んだ本人ではないかもしれないが、
それでも盗聴器を埋め込むスペースをわざわざ設けたネジだ。無関係とは考えられなかった。
そして海となればボートの出番、操縦を担当するのは自分だと、メルは意気込んだのである。
だがしばらくぶりのシミュレートの結果は、惨憺たる物であった。
操作パネルのスイッチを順番に押し、レバーを握る。コックピットが揺れた。
正面モニタに3DCGの海が表示され、いくつかの目標地点を通過、ターゲットを破壊するチュートリアルが開始。
が、正面パネルにあるダイヤルでエンジンを始動、足元にあるブレーキとアクセルを踏んで速度調節、
レバーを押すか引くかしてカーブ、複数のターゲットへのロックオンの表示、
レバー先端のスイッチでミサイル発射、操縦席真横のスライドレバーで底部のAGMTを起動…
どこかで、メルは必ず混乱してしまうのだ。
「あっ…」
爆発音とともに、画面には『Failed』の文字が表示された。
他の船舶に激突し、沈没してしまったのである…
メルはシミュレーションモードをオフにすると、シートに寄りかかった。
深いため息とともに、自分の操縦技能の無さを痛感する。
「……意気込んだはいいけれど、これじゃ…」
第二分隊にいた時から、マシンの操縦と銃の扱いは苦手だった。
分隊どころか署内で最低クラスでは、と自分で思っていた。
九.五係に異動した今もなお、技術は一向に向上していない。
キャノピーの向こうの天井を見上げ、もう一度ため息を吐く。
と、窓をノックする音と共に、ダイアンの顔が視界に飛び込んできた。
「ボス…」
「やっぱりここにいた」
ダイアンは落ち込むメルを見て苦笑した。
キャノピーが開けると、ダイアンの大きな手が伸び、メルの緩やかにウェーブした栗色の髪を撫でる。
「マシンの操縦は苦手?」
「ええ…シミュレーションは十回やって十回失敗」
メルは操作パネルを撫でた。
「せっかくレッシィちゃんが作ってくれたのに、これじゃ宝の持ち腐れだわ」
「そうだな…」
操作パネル、レバーなどには一切汚れが無く、完成からシミュレーション以外で使っていないのがよく判った。
ダイアンはしかし、その状況を憂うでもなくにこやかに笑っている。
「といって、出動しないのももったいない」
「でも誰が乗るの? ウチはもうあと、ライちゃんくらいしか」
「違う、君の話さ。メルセデス」
メルセデス。それはダイアンだけが呼ぶことが許される、メルの本名であった―――
フルネームは『メルセデス・水江・フォンテーヌ』。
ダイアンは身を乗り出し、メルを抱きしめた。
「私が君をチームに引き入れたのは、まあ母性とか家事スキルとかは確かにあるけど。
今回みたいに誰かのために闘う意思、愛情と言い換えてもいい。それに惹かれたからさ」
「……でも」
「一つ二つ苦手な技能があるからって、勇気を押し込めるのはもったいないよ」
もたれかかるメルの額に、ダイアンは優しく口づける。
チームのボスにして恋人であるダイアンに言われると、それもそうかもという気にはなって来るのだが。
「なら、どうすればいいというの?」
「考えがある。レッシィ」
「にゃっ!」
「フニ~」
ダイアンに呼ばれ、レッシィがトラゾーを抱えてぴょこっと顔を出した。
コックピットを覗き込んだレッシィが、フムフムとうなずいてメルに尋ねる。
「ママ、どうしたらいい?」
「え。どう、って?」
メルの疑問に、レッシィは意気揚々と答えた。
「んっとね。ママが操縦しやすいように、ボートのインターフェイスを改造してみようって思って」
「……いいの? せっかく作ったのに?」
「あたいが作ったんだもん。あたいが改造したっていいじゃない!」
「フニ~」
にゅふっと笑ってみせるレッシィとトラゾー。二人もまた、メルのために何かしたいと思ってくれているのだ。
自分の思うままの開発しかしなかったレッシィが、自ら相手の意を汲もうとしている。
ダイアンの励ましと合わせて、これを断ればママがすたるというものだ。
ならば、とメルは普段乗っているマシンを思い浮かべた。
「じゃあ、お願いしちゃおうかしら」
アイデアを説明すると、レッシィはすぐに思いついたらしく、任せろと胸を叩いた。
高級な家具をそろえたある一室で、二人の男が向かい合っていた。
一人は『キング・スコルピオ』の首魁。もう一人は渦中の人物、フレデリック・ジェイソン。
首魁の男は顔の前で手を組み、ジェイソンを値踏みするようにじっと見ている。
「しくじったと聞いたよ」
首魁の男の言葉は、しかしジェイソンにしてみれば想定の内であったらしい。
ジェイソンは小さく笑い、答えた。
「奴のいる分隊が捜査に乗り出したぜ。しかも標的の方から動いてくれている」
「こちらは全員の殺害を依頼したんだが」
「まず奴だ。そして周りの連中は、奴の死に絶望させてから殺す」
ジェイソンの暗い笑顔に、首魁の男は呆れてため息を吐いた。
「……ポリスにいた頃の事、相当根に持ってるようだね。
私怨を晴らすのはいいけど、仕事はきちんとしてくれよ」
「判ってる。そろそろ次の段階に移ってやる。そっちの手筈は?」
「任せたまえ」
首魁の男は端末の画面に何かのリストを出力し、スワイプしてページをめくる。
貸し切り航空バスのナンバーと担当運転手の名前が並んでいた。その中の一つが赤く点滅する。
次いで別のリストが画面に出た。そこには先ほどのリストの運転手の名前、そして住所と家族構成が記載されている。
それを見てジェイソンは立ち上がり、愛用の狙撃銃を持って部屋を出た。
事件が急展開を迎えたのは数日後であった。航空バスが何者かにジャックされたのだ。
行先は行政機構特区東側の海上、三十七区マニュファクチュアエリア増築区画の人工島に立つ工場。
乗っているのは運転手意外に幼稚園生が十数人程度。社会科見学とのことだった。
そこにバスジャック犯が乗り込んだ。
当然バスと同じく飛行能力があるマシンで乗り込んだはずだが、
影も形も見えず、バスのレーダーにも全く映らなかったという。
傭兵部隊守衛を狙撃した時のマシンから乗り込んだのであろう、とダイアンは推測していた。
「恐らくジェイソンだ。今回は狙撃ではないのか…」
ダイアンは僅かに思案したが、方針はすぐに決まった。
「任務はバスおよび乗員乗客全員の保護、そしてバスジャック犯の逮捕だ。
ジェイソンは恐らくスコルピオと結託している。奴らの狙いを確かめるのはその後だ」
全員のQスマートの地図アプリに、バスの位置と予測進路が表示された。
「バスにはルナとメルが乗り込め。上空まではレッシィとトラゾーがスカイグラップで運搬しろ。
無茶な突入で園児たちを怖がらせるわけにはいかない、ストライクハートでの突撃は厳禁だ」
『了解!』
「私はコマンドバルクでボート―――『セイルステッパー』を人工島まで運びながら道中で援護する」
メルが操縦するというボートの名を、ルナはここで初めて聞いた。
と同時に、ライをどうするのかが気になった。
「ライはどうするんですか? ここに一人じゃ置いていけないですよね」
ルナが訪ねると、ダイアンはソファーでうつむき呟いているライを見た。
「連れていくしかないな。私一人では見てやれないかも知れないから…
レッシィ、運搬が終わったらバルクに戻ってライを見てやってくれ」
「わかった!」
「よし、作戦は以上。出動だ!」
ダイアンの号令で全員が出動した。
ルナはストライクハートの後部シートにメルを乗せ、レッシィとトラゾーがスカイグラップで上空を飛行。
ダイアンはライを伴ってコマンドバルクに乗り、バルクの格納庫にはセイルステッパーが格納されている。
超高速のクルーザーボート、『セイルステッパー』。その真価は直線速度ではない。
減速の無い蛇行ができる推進器、SCCMエンジンが搭載されている。
船体の底部に備え付けられた左右二対合計四基のエンジンで、操作ハンドルと連動して細かく旋回し、
推進方向を自由自在に変えることができる、船外取り付け式推進機の一種である。
一分につき二万四千回転するモーターを汲み上げた海水で冷却後、清浄な冷却水を凄まじい推力で噴射孔から出して推進する、環境に配慮した推進器だ。
強力すぎる推力で負傷させてしまわないよう、常に動物が嫌う音波と電磁波を出している。
減速・停止の際はメインの噴射孔からダクトでの排水に切り替え、噴射孔をやや前方に向けつつ多方向への推力を利用する方式だ。
またバッテリー切れに備え、内部には最大五十時間稼働できる、水力発電式充電池も搭載されている。
エコロジカルにして高い継戦能力を誇るこのエンジンとクルーザーは、もちろんレッシィのハンドメイドだ。
そのクルーザーを格納したコマンドバルクが埠頭で停止した。ルナが格納庫にストライクハートを収納すると、
バルクは車体底部のAGMTで浮き上がった。そして巨大なタイヤが真横に倒れ込み、ホイールがスラスターになって噴射する。
海上を移動するためのホバーモードだ。
上空からスカイグラップが降りてきて、ルナとメルはその天面に乗った。
ルナが両肩の重力アンカーとブーツの靴底の真空吸着機能で体を固定し、メルはルナの体にしがみつく。
「じゃレッシィ、お願いね!」
『まかせて!』
『フニ~』
「行ってくるわ、ダイアン」
『頼むぞメル。ルナもな』
上昇したグラップの天面で、二人の髪が風になびく。
ルナはヘルメットを操作し、一度通信をオフにした。
「…ママ、ちょっと聞いてもらっていいですか? ジェイソンのことなんですけど」
「どうしたの?」
メルは風を浴びながらヘルメットも無しにごく普通にしゃべっている。
風が強い高高度を飛んでいるにもかかわらず平気そうだ。なかなか頑強な体をしているようだ。
あの剛力も関係しているのだろうか。気にはなるが、気にするのは後だと考えを切り替える。
「守衛の人が言ってたじゃないですか、いつも笑ってたって」
「ええ…」
「心が壊れちゃったのかと思ったんですけど」
聞き込み調査の後のメルには、何か鬼気迫る物があった。
家族のことを一顧だにせず、笑いながら命を奪っていたというジェイソンに、
かつての同僚であった彼女は怒りと困惑をずっと抱いていたのである。
謹厳実直、ポリスの模範とも言われた彼が、なぜそんなことを…と。
アキラもまた同じことを考え、自分なりに一つの結論に達したようだ。
メル自身も、アキラが言う心身の崩壊の可能性を考えていた。
「……もし理由があるとしたら、もう一つあるんですよ」
だが、彼と全く面識のないルナには、また別の可能性が見えていたのである。
それを問い質そうとしたとき、眼下に航空バスが見えてきた。
ルナはヘルメットをもう一度操作し、通信をオンにした。
途端、トラゾーとレシィの声が聞こえてきた。
『フニ~』
『二人とも、もうすぐつくよ。じゅんびして』
「了解」
バスの真上に到達すると、ルナはブーツの真空吸着機能を解除し、
腰の重力アンカーを固定したまま、メルを抱えて飛び降た。
少しずつ重力アンカーのワイヤを伸ばし、ゆっくりとバスの屋根に着地する。
再びブーツの真空吸着をオンにすると、体を屋根に固定してアンカーを収納した。
スカイグラップは追随するコマンドバルクの屋根に降下し、アームで固定された。
「バスの屋根に降りました」
『OK、窓から突入だ。絶対に園児と運転手を保護しろ。以上、一旦通信を切る』
「了解」
ダイアンとの通信を着ると、ルナはスキャナを起動し、バスの外部・内部を走査した。
犯人らしき男がバス先頭の出入り口付近に立ち、屋根を見上げている。
運転手は運転席につき、拳銃を向けられつつ運転している。園児たちはそれぞれが席に座らされていた。
一番後ろの座席周辺だけが無人だ。
「犯人はこっちに気付いてます。ヘルメットをかぶってますね」
「ルナちゃんのと同じような多機能型だったら、スキャナでこっちを見てる可能性はあるわ」
「ですね。どこから入ります?」
「んん…」
メルはバスの後部の方を見た。何か考えがあるようだ、とルナは悟る。
が、次のメルの言葉に、一瞬唖然としてしまった。
「ルナちゃん、びっくりしないでね」
「へ?」
それだけ言うと、メルは突如跳躍し、宙返りで後部まで跳んだ。
そして屋根に手を掛け、器械体操の鉄棒の要領で回転し…
「はいィッ!!」
窓を蹴破り、突入したのである。
「ええええええ!?」
驚愕したルナは思わず叫びつつ、自身も続いて飛び込む。
園児たち、運転手、そしてバスジャック犯は、予想外の事態に動きを止めていた。
その一瞬を狙い、ルナは右手の重力アンカーを発射する。
アンカーは狙い通りに拳銃を直撃し、重力によって固定すると、収納に合わせてルナの手元に拳銃を引き寄せた。
『ぐっ…!』
ヘルメットに仕込まれた変声器から、犯人の不気味な低音のうめき声が聞こえた。
犯人はナイフを取り出し、手近にいた園児の手を掴むと、その腕で抱え込み、人質に―――
する前に、彼の眼前にはメルがいた。異常な速度の踏み込みであった。
傭兵部隊の本部で、外で待っていた筈の彼女が突然現れたのは、まさにこの踏み込みによるものだったのだ。
犯人に捕らえられた園児を、メルは一瞬で救出し、抱き寄せると自身の後ろに下ろした。
ルナはその間にメルの背後に位置取り、自身の背後に園児たち全員を下がらせた。
園児たちを不安にさせないため、敢えて銃は構えず、ヘルメットを外した。
「ぉあたタタァッ!!」
怪鳥のごとき叫びと共に、メルは左右の拳を連打した。
犯人の両肩、みぞおち、首筋、さらにヘルメットのフェイスシールドに叩き込む。
人体にあたった物とは思えない、重い打撃音がバスの中に響いた。
ルナの動体視力をもってしても視認できない速度、しかも超剛力の打撃を受け、普通なら無事ではすむまい。
『ごぼぁああはあっ!!』
犯人は吹き飛び、フロントグラスに激突し、床に倒れ込んだ。運転手の真横だ。
犯人はプロテクターを着こんでいたが、防御力よりもメルの絶妙な加減により打撲だけで済んだようだ。
そしてこの瞬間にルナは理解した。メルはマシンの操縦や射撃が不得手というだけなのだと。
以前父に聞いた、『超人体質』という、先天的な超人。
メルの剛力はそれ故であろう。そして不得手な分をカバーすべく、体術を徹底的に鍛えたというわけだ。
更に高い家事スキル、マシンメンテナンスの丁寧さ。何よりも豊かな愛情と母性。
まさに無敵の母である。
「すごい……」
園児の一人がつぶやいた。
ルナが振り向くと、ちょうどその園児と目が合う。
と、園児がルナに何かを手渡した。受け取り目を通すと、Qスマートで撮影し、画像をダイアンに送信した。
紙はすぐちぎり、ポーチに突っ込む。
「サンキュ。あとであの人にも伝えておくね」
「…うん!」
彼の行動を称え、笑顔で頭を撫でてやると、園児はルナの言葉に力強くうなずいた。
一方のメルは、倒れ伏した犯人の視線が運転手を向いたことに気付き、両者の間に入った。
園児たちが見守る中、両者の視線が交錯する。割れたフェイスシールドから覗く顔は。
「……先輩」
まさしく九.五係が追っている、フレデリック・ジェイソンその人であった。
だがその目はメルが知っているものではなかった。
濁り、澱み、死の影すら漂う暗い目であった。
「…フォンテーヌ」
「本当に先輩だったんですね。何故こんなことを」
「さあな… 俺を逮捕するのか?」
ジェイソンは笑いながら問う。
追い詰めたというほどではないが、それでもメルがその気になれば、捕らえられないことはない状況だ。
だが妙に余裕のある表情に、ルナもメルも違和感を禁じ得なかった。
「はい。犯罪者は野放しにできませんから」
「まあそうだよな。だが至近距離でしか戦えず、マシンも操縦できないお前に、
一体何ができる。そこの赤い奴に任せたところで、俺は捕らえられんよ」
それを聞いたメルは、倒れたジェイソンの腕と掴もうとしたが、
ジェイソンは間一髪でメルの手を逃れ、真後ろの乗車口から外に飛び出した。
海上の高度約二十メートル、落下しても上手く海面に飛び込めば無傷で済む。
だが、逃げるためのマシンなどは一切無いように見える。
メルは追って飛び出そうとしたが、直後に二度の発砲音、そして爆発音が聞こえた。
バスの運転席の操作パネルから、アラート画面がフロントグラスに投影されている。
画面を見た運転手が叫ぶ。
「動力部を撃たれました!」
ジェイソンは、落下しながら動力部だけを撃ち抜いていったようだ。
そしてわずかにメルが目を離した隙に、かれは海面に溶け込むように姿を消してしまった。
このままではバスが墜落してしまう…それに気づいた園児たちが、一斉に泣き出した。
「ママ…ママぁ…」
「ママぁーー!」
「おがーちゃーーーん!」
「おふくろどのに、せめてカタミを…」
「わぁーーーーーー!」
死の恐怖に泣き出す園児たちを前に、ルナは慌てふためいていた。
さすがのマッドポリスも、制御を失った子供達への対処は苦手らしい。
「ちょ、ちょっ…みんな落ち着いて!」
そう言って宥めようとするが、しかし園児たちは当然泣き止むわけが無かった。
バスが少しずつ高度を落とす中で、メルは園児たちのそばに歩み寄る。
そして子供たちを抱きしめ、柔らかな手で頭を撫でた。
「大丈夫。ママが助けてあげますからね」
途端、園児たちは泣き止んだ。優しく温かく、柔らかな声とその腕に、心が一瞬にして安らいだのである。
園児たち、そして運転手はメルを見た。期待に応えるがごとくメルはうなずくと、ルナに視線を送る。
任せた、と言いたげであった。そしてその考えを見抜き、ルナは運転席に身を乗り出した。
「運転手さん、人工島に不時着できますか?」
「高度を何とか上げ続ければ…いえ、やってみます」
埠頭に着くまではまだ距離があった。その間に運転手もまた、子供達を助けようとしていた。
「ルナちゃん、みんなをお願いね」
「わかりました」
「みんな、このおまわりさんのお姉ちゃんの言うこと、ちゃんと聞くのよ」
『はーい!』
子供たちにそう言い置くと、メルは乗車口から飛び出して海面に飛び降り―――
着水すると、何と水しぶきを上げて海面を走り出したのである。
「ええええええ!?」
唖然としたルナを尻目に、子供達は「かっけー!」「すげー!」と歓声を上げていた。
「んなムチャクチャな…いや。これぞママは強しって事なのかなぁ」
そしてメルは人工島の埠頭に駆け上がり、落下してくるバスを待ち構えている。
ルナは園児たちと運転手を車両の先頭に集めた。
「全員前の方に集まって、体を丸めて! 離れないでみんなくっついて!」
落下の衝撃に備えた体勢を取らせる。運転手も手伝って子供たちを促した。
その十数秒後に訪れたのは、数メートル滑走しながらも、クッションの如く柔らかな着地の小さな衝撃。
滑走が止まったところでルナが立ち上がり、園児たちと運転手を先導してバスから降りた。
そして園児たちが真っ先に口にしたのは、メルの安否への不安だった。
「ママは!?」
そして振り向いた園児たちの目には、驚愕の光景―――
落下してきたバスを生身の両手で、しかも軽々と受け止めたメルの姿があった。
―――〔続く〕―――