FILE2.[科学の子・レッシィ]①
説明文の増量に合わせて文章量が増える増える。
今回はネコミミ幼女のお話しです。
「富士見 ルナ、ただいま戻りました!」
若干控えめの、それでも法定速度ぎりぎりの速度で運転し、ルナは無事に九.五係の格納庫に帰還した。
「お疲れ様。どう、やっていけそうかい?」
「はい。これからよろしくお願いします」
出迎えたダイアンと改めて握手を交わす。その横でメルが嬉しそうに微笑んでいた。
「どうだった、そのバイクは?」
「そうですね―――」
恐るべきバイクに苦労させられた初出動であったが、それでも一つだけ言えることがあった。
このバイクは、今まで乗った中でも最高だ。
普通のバイクではできない動きを可能にする、桁外れの馬力。
高高度からの着地、大型ドローンとの正面衝突でも壊れない頑強さ。
なによりも短時間で現場に到着できる速度。ルナの理想のバイクであった。
が、懸念点も無いわけではない。
「最高です。最高の最高ですよ! ただ速さにまだついていけてないんで…
乗るなら体を鍛えるか、もっと高性能なSMSが欲しいですね」
「なるほど。じゃあバイクの評価をレッシィに伝えるついでに、スーツも新調してもらおうか」
エレベーター横のモニタールームのドアを開くと、壁面いっぱいに広がるモニターの前の椅子に座るレッシィと目が合った。
シティの監視カメラに映ったルナの映像を見ていたようだ。
彼女が抱きかかえるトラゾーは出迎えてくれたが、レッシィ自身はまだ不機嫌な顔だ。
あの、とためらいつつルナが声を掛けようとしたが、対するレッシィの一言は、極めて冷たいものだった。
「ヘタクソ」
爆装特警クィンビー
FILE2.[科学の子・レッシィ]
オフィスのテーブルの前で、ルナは自己嫌悪に陥っていた。
そんなルナをメルが優しく宥めている。
どうやらライは先にメルが寝かしつけたらしく、今はここにいなかった。
「完っ全にお子様レベルの喧嘩でした」
「元気出して。あんまり気にしすぎちゃだめよ」
ヨシヨシと頭を撫でられるが、気分は晴れない。
先刻レッシィから痛烈な一言をもらった直後、ルナは怒りに任せてレッシィと口論を始めてしまったのである。
以下、両者の発言をまとめると。
『ハァ? ヘタクソ!? ヘタクソとおっしゃいましたか先輩!?』
『そうだよ。あんなヘタクソな運転するやつに、あたいのバイクははあげられないね』
『馬力が足りないへなちょこポリスで悪うございましたね!
あんな速度の出るバイク、普通のSMS着た程度でまともに乗れるわけないじゃない!
初めて乗ったんだし! 練習すれば乗れるし!』
『フニ~』
『どーせ練習しても乗れないよ。あきらめな』
『言ったね!? じゃあ練習して乗りこなしてやろうじゃないの、あと三日で! やってやろうじゃないの!!』
『やってみなよ。もっと性能下げてください~って、泣きながらゆうにきまってんだから』
『フニ~』
途中でトラゾーの合いの手が混ざったが、このようなものである。
そんな口論の末、ルナは現在着用している標準のSMSで乗りこなすという約束をしてしまったのだ。
しかもあと三日。普通なら、それこそ泣いて性能の低下を乞うところであろう。
だが、過去最高のバイクの性能を捨てるという選択肢は、ルナの頭には無かった。
ついでに言うと、レッシィが自分を『あたい』と呼んでいることも知れた。ちょっとした発見である。
「あと三日か…ママ、練習できるコースとかありませんか? 今すぐにでも始めたいんですけど」
「試運転用のコースと試作機ならあるわ。ボスにお願いして、練習させてもらいましょ」
「じゃ許可取ってきます!」
「待って待って。ボス、今はレッシィちゃんとお話ししてるから」
慌てて話を付けに行こうとしたところで止められ、ルナは座り直した。
座り直したところで、メルがコーヒーを淹れてルナの前に置いた。砂糖を多めに入れた甘いコーヒーだ。
「ありがとうございます…うぅん、あのゴミ部署から解放されてハイになってる気がする」
「余程ストレスが溜まっていたのね。大変だったわね、ルナちゃん。よしよし」
コーヒーを一口飲むと、メルに抱き寄せられ再び頭を撫でられる。
甘い香りと柔らかな感触が心地よく、つい甘えてしまいそうになる。
なるほど、ママと呼ばれるのも道理だ。
コーヒーの温かさもあって、少しずつ気持ちもリラックスし始める。
「逸る気持ちはわかるけれど、今日は休んだ方がいいわ」
「そうします…」
「お引っ越しは明日にしましょうね」
「はい…」
もう一口コーヒーを飲み、カップを一度テーブルに置いた。
心身がリラックスすると、途端に眠気に襲われ、改めて全身の疲労を実感した。
ルナは眠ってしまう前にコーヒーを飲み終えた。メルは空いたカップをキッチンに運び、
流しにクレンジングバリアを展開して汚れを落とすと、棚にしまい込んだ。
「じゃあ、今日はそろそろ寝ることにします…おやすみなさい、ママ」
「ええ、お休み」
ルナはオフィス奥にあるプライベートルームに向かった。
九.五係のオフィスの奥には各自のプライベートルームがあり、ここで全員が寝食を共にしている。
ルナは自分に割り当てられた部屋(ドアに名前のプレートが備え付けられている)を確認し、ドアを開けた。
その時、小声であったが、背後からメルの声が聞こえた。
「―――あの子を否定しないでくれて、ありがとうね」
寝ぼけた頭ではその意味が判らず、ルナはあいまいに返事を返すと、部屋に入ってドアを閉めた。
同じころ。モニタールームでレッシィが膝にトラゾーを乗せ、ルナが持ち帰ったドローン制御用チップを解析していた。
タテヨコ五枚ずつのディスプレイのうち、解析中の一枚以外にはシティの監視カメラの映像が映っている。
その後ろでダイアンがクラシカルなペーパーバックの本を読みながら、のんびりとコーヒーを飲みんでいる。
レッシィとトラゾーにはホットミルクを与えたが、すさまじい集中力で作業するレッシィは見向きもしない。
そんなレッシィにダイアンは一切口出しせず、解析が終わるまで待っていた。
だが、猫耳少女の手はすぐに止まってしまった。
「んに~~~」
画面を睨み、唸るレッシィ。指先はキーボードではなく、彼女自身のつややかな黒髪をかき回している。
頭頂部付近の猫耳らしき何かはへにゃりと倒れ込み、彼女の苛立ちを如実に表していた。
トラゾーはその膝からデスクに上がり、解析に使われているディスプレイを覗き込んだ。
プログラミング言語とは言い難い、奇怪な文字列と記号が並んでいる。
そして不幸にして、レッシィはプログラミングの知識を最低限ほども持ち合わせていなかった。
「んにゃー!」
とうとう叫び声をあげ、レッシィはぺちゃんとデスクに突っ伏してしまった。
その後頭部を、お疲れ様と言わんばかりにトラゾーがもふもふする。
「あたいにはムリだよ~。あたい、つくる方専門だもん…」
「フニ~」
「でもなー、ボスは他のチームにさわらせちゃダメって言ってたからナー」
「フニ~」
であれば仕方あるまい、とトラゾーがうなずいた。そしてその丸っこい前足で、レッシィの背後を指す。
何事ぞ、と思って振り返ったレッシィが、座ったまま跳びはねた。
余りの集中力に、彼女はダイアンが入室したことにも気づかなかったのである。
「ぴゃあ!?」
「ごめんごめん、驚かせてしまったね」
ダイアンはデスクに置いたマグカップを指し示した。
自分の分だとやっと理解し、レッシィは適度に冷めたカップを手に取り、一口ホットミルクを飲んだ。
砂糖が多めに入った甘い味わいに、安らぎの表情を浮かべる。ちなみにトラゾーは既に飲み終わっていた。
ダイアンはレッシィの背後のディスプレイを覗き込む。
「チップの解析は進まない?」
「あたいじゃムリ…」
「わかった。じゃあ一旦保留にしよう」
うまく行かないことを、ダイアンは責めもしないし慰めもしない。
あくまでも解析できないという事実だけを受け止めている。それがレッシィにはありがたかった。
コーヒーを飲み終えると、ダイアンはレッシィを正面から見た。
レッシィの方も何か改まった話かと悟り、同じく姿勢を正す。
「レッシィ。これからの事で理解してほしいことがある」
九.五係が設立されてから、これまで表立って外部に対応したのはダイアンとメルだ。
レッシィは半ば引きこもるようにこのオフィスで暮らしており、今回のように相談を受けることは無かった。
大人であるダイアンから相談を受けるのは、初めての事であった。
そしてその内容も、予想通りではあった。
「ルナのことだ。これから私達は、彼女と仕事をしていかなくてはならない」
予想通りの言葉に、ミルクを飲んでいたレッシィの手が止まる。
「特に君は話す機会が多くなる。現場で使う装備の開発も増えるだろうからね」
「……うん」
「彼女を―――ルナを、君は信用できそう?」
ダイアンの問いに、レッシィは首を横に振った。やはり、という顔でダイアンもうなずいた。
これまでレッシィが散々言われたことを、ダイアンはよく憶えている。
彼女が他人にマシンを使わせることを渋るようになった原因だ。
カップをデスクに置き、膝の上にトラゾーを抱え直して、レッシィは力なく答えた。
「あいつだって、『もっと乗りやすくしろ』とか、ゆうにきまってるんだ」
九.五係の設立以降、ダイアンとメルはその哀しげな眼を何度も見てきた。
彼女が作るマシンは、試乗のたび、高すぎる性能についていけない機動部隊の隊員達から非難されたのだ。
特に各部隊の隊長、上層部からの不満は多かった。
曰く『現場で使う俺たちのことを考えろ』『乗ってたら俺たちの方が死ぬ』など。
ひどいときには『余計な仕事をしやがって』とまで言われた。
現場での実働要員が確保できなかったのは、レッシィのメカを運用できる人材が皆無だったためでもある。
「ゲンバの奴なんて、みんないっしょだよ」
「そうか…」
「フニ~」
そして不幸なことに、その中にはダイアン達も含まれていた。
整備は得意だがバイクの運転はからきしのメル、意志疎通不可能なライ、知能は高いが体が小さすぎるトラゾー。
ダイアンは逆に力が強すぎて、バイクの本来のパワーを押さえつけてしまう。
出動の機会を失い、釣られる形でそれ以外のマシンも運用されず、
メルの手でメンテナンスこそされているが、現在は格納庫で静かに眠っている。
ダイアンがルナを引き抜いたのは、この状況を改善するためでもあった。
「レッシィ。君に必要なのは、マシンの性能を実証できる人間だ」
「…そんなのいないよ」
「ルナならなってくれる。あのバイクをべた褒めしてたし」
「なんないよ。ぜったい」
だがレッシィは頑なであった。自信作のメカをけなされ続けたことは、彼女にとって大きな心の傷となっているようだ。
彼女は機動部隊の隊員を全く信用できなくなっている。
ダイアンはしばし思案し、何かを思いついた顔で身を乗り出した。
「じゃあ、もしルナが君のバイクに乗ってくれなかったら―――賭けようか」
「かける? なにを?」
問い返すレッシィに向けて、ダイアンは不敵に笑う。
「私のクビさ」
寮から九.五係オフィスへの引っ越しを終えたルナは、閉鎖されたレース場に立っていた。ダイアンが買い取った土地だ。
フルコースで約六十五キロメートル。この時代のオートレースでは時速四百キロを超えるのが普通で、
マシンの時速が上がるたびにコース延長も長くなり、今では四十キロを超えることもザラである。
コースの外周には稼働を停止したバリアポールが並んでいる。
ポールの配置により、半分はほぼ直線、残り半分は細かいカーブの連続になっている。
都市で乗りこなすための練習には最適のコースだ。
そして目の前には、例のバイクの試作機がある。性能は本運用機には決して劣らない。
シティポリス標準装備のSMSを着用した上で、この日から三日以内に乗りこなす…
一方的に取り付けたものだが、レッシィとの約束を守るためにここにいるのである。
ルナの後ろにはメディックスキャナとカーボン製バスケットを持ったメル、
そしてトラゾーを抱えたレッシィがいる。
「ここなら気兼ねなく練習できますね」
「ええ。でも気を付けてね」
「もちろん。レッシィのバイクが欲しいですから、ケガの一つもできませんよ」
その言葉でレッシィの表情がわずかに動いたことに、ルナは気づかなかった。
乗りこなせなければ『キング・スコルピオ』に太刀打ちできず、レッシィを幻滅させることにもなる。
ルナはなるべくそれらのプレッシャーを考えないようにしていた。
「じゃ、まず軽く流してみます」
「いってらっしゃい」
Qスマートのアプリでバイクを始動すると、ルナはヘルメットをかぶってシートに座り、ゆっくりした速度で発進させた。
レッシィはトラゾーと共にその背を見送りながら、自身の過去を思い出していた。
レッシィは、人類と他種の動物の遺伝子を交配させる実験で偶発的に生まれた、超天才児である。
今現在より幾分幼い姿で誕生し、それから二か月で独自にホバークラフト型ロボット掃除機を発明。
市販品と同等の機能に加え、クレンジングバリアを半径五メートル以内の空中に展開し、
人体にとって有害な菌も排除する機能があった。さらに子供がオモチャ感覚で遊べるよう、小型携帯端末での操作も可能だった。
その後も様々なマシンを開発し、研究者たちを喜ばせた。
ネコ科動物の狩りにおける集中力が、人間が持つ発想力や知能を飛躍的に高めた結果だと、彼らは推測した。
ついでのように生えた猫耳状の器官についても、愛らしいと好評だった。
数日後、彼らは落胆することとなった。
一度集中すれば、レッシィは桁外れに高機能なマシンを開発できる。
だが、同じ物は二度と作れなかったのである。
さらに、量産化のためのコスト低下、利用者のニーズに合わせた設計も絶対にしなかった。
挙句、自分で作ったにも関わらずメンテナンスもできない。
他者が作ったメカを解析・模倣するという発想も無い。
正確には理解はできるが、彼女自身が興味を示さないため、憶えられないのだ。
頭の中に浮かんだ設計図は、開発が終わったら即刻消えてしまう…と、レッシィ自身は言う。
狩りにおける獣の過度な集中力に、人間の脳が耐えられないためと結論付けられた。
思いつくままにマシンを開発し、自分で使うか、必要とする他人に譲渡する。その繰り返しだった。
極めて衝動的で刹那的な…と但し書きが付く、「作るの専門」である。
現時点で量産できたのは、九.五係だけが用いるQスマート、そしてシティポリス医療室にも数台が置かれたメディックスキャナくらいだ。
プロの仕事ではないと言えば、それまでではある。
だがレッシィにとっては、自分が思いついたメカが絶対であり、最高峰なのだ。
情操教育のために孤児院に入れられたが、何か作ってはすぐ放り出す姿から、理解を得られず孤立した。
結果、レッシィは同年代の子供と話したこともなかった。
何も生み出さず、自身の状況を享受するだけの子供に対して、彼女が価値を見出すはずもなかった。
トラゾーと出会ったのはこの頃で、懐いてきたところを受け入れた唯一の例外である。
シティポリスに就職させられたのは、恐らく厄介払いなのだろうと、レッシィ自身は思っている。
当初はマシン整備課に回されたものの、どれだけ自信をもって開発してもけなされ、
ダイアンとメルに見いだされてからはその機会さえも失せ、殆ど引きこもりのような状態になった。
そんな鬱屈した日々が彼女の意欲をそぎ落とすのは、自明の理であった。
そこにルナが現れた。
ルナはこれまで出会ったことの無いタイプの人間だった。
かつて周りにいたのは、自分の発明を理解しない敵対者か、ダイアン達のような少数の庇護者だった。
だがルナは、そのどちらでもない。
作った物をよこせ、使いこなしてやる…と、傲慢で強引に、しかし絶対の肯定を以って、レッシィの手を取ろうとする。
幾度も裏切られたレッシィの事情など、微塵も理解せずに。
だが、きっとまた裏切られるのだ…レッシィはそんな恐怖に怯えている。
全身全霊で作った一点ものを、今度もまたただのガラクタと罵られるのだと。
根付いた失望は、口約束程度で拭える物ではなかった。
ふと気づくと、既にルナは本格的な走行練習に入っていた。
グレーのバイクが、目の前を時速六百キロオーバーで駆け抜ける。
レッシィが回想している間に転倒でもしたのか、ヘルメットのフェイスシールドにひびが入っていた。
あきらめなよ、その方が楽だよと、レッシィは内心でつぶやく。それは自分に言い聞かせる言葉でもあった。
難度でも痛い目に遭って、コントロールできないと諦めてしまえばいいのだと。
コースのヘアピンカーブを見ると、ドリフトの痕跡がいくつも残っていた。
明らかにコースを外れ、外周の人工ターフまで削れている…本来ならバイク事故の衝撃を完全に受け止めるはずの人工芝が。
芝生の下の人工砂地まで見えているほどだ。どれほどの衝撃で転倒したかが判る。
「だわーーーーーっ!!」
叫び声が聞こえた。ヘアピンコーナー外側でバイクとルナがバリアポールに直撃し、高く跳んでいた。
空中で回転し、バイクは前輪から、ルナは顔面から人工芝に落下した。ドシャアと音が聞こえる。
さすがにここまでの転倒は想定していなかったのか、メルが慌てて駆け寄り、ルナを抱き起した。
「大丈夫!? 首の骨折れてない!?」
「折れてたらこうやって起きてないです…いや、ちょっと痛いですけど」
「ちょっと待っててね、診てみるから」
メルはスキャナの画面を操作し、ヘルメットを外したルナの頭部、ついで首、胴、
その後は腕、脚と順にかざした。臓器の損傷、骨折、脱臼などは特に無し。
ただ、落下による軽い脳震盪を起こしていることが判った。
メルは両膝をついて座り、ルナの頭を自分の腿に乗せた。ヒザ=マクラと呼ばれる、伝統の自家医療行為だ。
「少し休んで。もうすぐお昼よ、ずっと走りっぱなしなんだから…」
「でも時間が惜しいですもん。それにスピードの出し方や曲がり方も、少しずつコツが掴めてますし」
「良いから休むの。このまま動いたら、また事故を起こしちゃうわよ」
メルに軽く肩を押さえられ、ルナは抵抗をやめた。
その横に座り、レッシィはトラゾーと共にQスマートの時計表示を見た。
確かに正午が近付いている。少しばかりの空腹を憶えた。
同時に、自分自身が帰ろうともせずにここにいたことを、レッシィはこの時初めて自覚した。
期待しているのか。それとも、ルナが諦めるのを待っているのか。
レッシィは自分の胸に問う。
「フニ~」
その頬に、トラゾーがもふもふと頬ずりしてきた。レッシィも頬ずりを返す。
レッシィはただ一人、トラゾーと明確な意思疎通ができる。
今トラゾーが言おうとしているのは、もう少しポジティヴになりなされ、というアドバイスだ。
トラゾーは、レッシィの胸に湧いたわずかな期待に勘付いている。
だがレッシィは首を振った。
「あたいにはムリだよ…」
「フニ~」
少しだけうなだれるトラゾーに申し訳ないと思いつつ、レッシィはそう答えることしかできなかった。
ふとルナの方を見ると、目を閉じてメルの膝を枕に横たわりつつ、指先で空中に何かを描いている。
トラゾーがレッシィの腕から抜け出し、ぽてぽて歩み寄ると立ち上がってルナの手にじゃれつく。
「…ちょっとトラゾーさん。今大事なトコだから」
「フニ~」
「肉球と毛並みは気持ちいいんだけどさ」
ルナはじゃれるトラゾーを徒手空拳格闘術の動きでいなしつつ、隙を見て肉球やモフモフの腹毛をつつく。
流れるように肉球の一撃を受け流す防御の動きから、手を出せば猛獣のごとき必殺の一撃と化す。
無論相手はトラゾーなので、遊びの範囲内でのことである。
しかしながら、レッシィはその動きから、ルナが決してただの脳筋ではないことをすぐさま理解した。
格闘技に詳しいわけではないが、型にとらわれず、それでいて型を活かしたのであろう、確かな実戦経験を思わせる動きだ。
「なに、アンタもやる?」
目が合ったルナに問われると、レッシィはすぐさま視線を逸らした。
「やんない」
「トラゾーさんは楽しそうだけど」
「あたいは楽しくない!」
「あーそうですか」
ルナは指先でトラゾーとハイタッチすると、じゃれ合うのを止めた。
「……なにやってたの」
「コーナリングのシミュレーション。さっきは跳んじゃったけど、どうすれば時速六百キロ越えで曲がり切れるかなって」
脳震盪が収まったのか、ルナは起き上がって答えると、トラゾーをレッシィに返した。
トラゾーはレッシィにしがみつき、再び膝の上に座る。
レッシィはトラゾーを抱きしめると、ぷいとそっぽを向いてしまった。
「ムリ。またでっかい事故して、二度と乗れなくなっちゃえばいいんだ」
「―――あァ!?」
ルナは立ち上がり、レッシィに歩み寄ると、襟首を掴んで持ち上げた。
トラゾーは危害が及ばぬように抜け出し、メルの膝にしがみついた。
怒気を孕んだ視線が少女を射貫く。対するレッシィは一瞬も恐怖せず、正面からルナの視線と向き合った。
「何つったんですか先輩」
「乗れなくなっちゃえってゆったんだよ。今みたいにでっかい事故にあっちゃってさ!」
「ふっざけんな!」
掴み上げたレッシィの小さな体が、ルナの強靭な腕力によって地面に押し付けられる。
SMSを着ているので手加減こそしていたが、そもそもルナは日々トレーニングを欠かしていない。
少女一人から抵抗力を奪うには、過剰なほどの腕力すら持っている。
レッシィの小さな口から悲鳴が漏れた。
「ルナちゃん! やめなさい!」
メルがルナの腕を掴む。振り払おうとするが、予想外の腕力の強さに一瞬たじろぐ。
しかし、ルナはレッシィを放そうとしなかった。
「イヤです。きちんと言って聞かせなきゃなんないんですよ、こういう時は!」
「はなしてよ! このボーリョクケーカン!」
「―――聞けセンパイ!」
襟首を掴む強靭な手を振りほどこうとしたレッシィは、目の前で叫ばれたことで抵抗の手を止めてしまった。
また汚らしい悪口を言われるのかと身構えたが、ルナの口から出たのは、予想外の言葉であった。
「アタシは現場で何度も見てる。『キング・スコルピオ』が流す兵器は、違法改造が常態化してる」
「……」
「まだ既存の兵器の改造だけで済んでるけど、いつか見たことの無い兵器が出てくる。だから!」
襟首を掴んでいた手を放し、ルナはレッシィの小さな肩を掴む。
「アンタのマシンが、アンタ自身が、アタシとこの街には必要だっつってんのよ!」
「……あたいの、マシンが? あたいが?」
「そうよ。アタシが潰した三百二十五台のロートルなんかじゃない、モータースポーツ用の奴もいらない。
時速六百キロを超えるバケモノバイク、それにもっと色んなマシンが必要なの。判る!?
必要なのよ。アンタが、アンタの最高のマシンが! ―――だからアタシはそれを乗りこなす。
乗りこなしてスコルピオを粉々のグズグズにぶち壊してやる!」
あまりにも強烈に自らを必要とする言葉に、レッシィの目が見開かれた。
ルナの言葉があまりにもまっすぐだからこそ、メルもトラゾーも止めようとはしなかった。
凶暴なまでの正義感が、そこからくる最高のマシンへの渇望が、ルナの目から、唇から、全力で少女に叩きつけられる。
―――だからこそ、レッシィはそれを拒絶した。裏切られた時が怖いから。
「…うるさいよっ……!」
「センパイ…?」
「うるさいっていってんの! あたいのことなんて、なんにもわかんないくせに!」
少女の目から大粒の涙がこぼれた。悲痛な叫びにルナは思わず手を放してしまう。
レッシィはルナを突き飛ばし、立ち上がってメルの手からトラゾーを取り返した。
「どーせ、おまえだって、あたいのメカなんかいらないってゆうんだ! ゴミってゆうんだ!!」
「センパイ…!?」
「うっさいしね!! くんな!!」
それだけ叫び、レッシィはレース場から走り去った。
残されたのは、それを呆然と見送るルナ、悲し気にうなだれるメルの二人だけであった。
翌日の朝、レッシィは泣きながら目を覚ました。
出身の研究所の職員、孤児院の同級生たち、シティポリス機動部隊…その全てが、自分の作った物を、そして自身を罵り続ける夢だ。
久しぶりに見た悪夢だった。
「………あいつのせいだ」
枕元に置いたハーミット=マヌール型の時計を見ると、まだ夜明け前だった。
ルナに暴言を吐き捨てた後、一人でオフィスに帰ると、レッシィは食事も採らずに部屋に籠った。
そしてベッドでうずくまるうち、いつのまにか眠ってしまったようだ。
涙を拭いて再び布団に潜り込み、眠ろうとする。と、ドアが開閉する音が聞こえた。
こんな時間に誰かと思い、Qスマートでドアインターフォンの画面を起動。
朝食を採ったルナが、こっそりとオフィスを出ていくのが見えた。
(まだやってんの…)
昨日の夜、ルナは疲労困憊でオフィスに戻ってきたらしい。
らしいというのは、その時レッシィは部屋に引きこもっていたからである。
どうやら日課のトレーニングも行わずに眠ってしまったようだ。
そして先ほど、一人で出て行った。
インターフォンの画面を閉じ、レッシィはふかふかの枕とトラゾーの後頭部に顔をうずめ、目を閉じる。
昨日のダイアンとの会話が、頭の中に浮かんできた。
『賭けようか―――私のクビ』
『何で…? ボスがそんなの、必要ないじゃない』
『君とルナを引き抜いたのは私だ。チームが機能しないのなら、私の責任だよ』
こともなげにダイアンは言うが、それはつまり、対『キング・スコルピオ』特務部隊の抹消を意味する。
ただのシティポリスだけでは到底かなわないだろう。それを、全て自分の責任として引き受けようというのだ。
『もちろん君の再就職先と、ルナの機動部隊復帰の手筈は整えておく』
『でもっ、でも…そんなの』
『私は君たちにそのくらい懸けてる』
『………』
ダイアンにそう言われても、レッシィは首を横に振るだけだった。
『…ムリ、あいつだって。だから、そんなこと、する必要ない』
だがダイアンは、申し訳なさそうに苦笑しつつ、レッシィの頭を撫でた。
『君に対する謝罪でもあるんだ。今までつまらない仕事ばかりさせて、ごめん』
『…そんなの、いらない。だから』
レッシィはダイアンの手を振り払い、消え入りそうな声で懇願するのみだった。
『だからおねがい、あたいのことはほうっておいて…』
それはダイアン達への願いだったのか。それとも自信を取り巻く世界への怨嗟だったのか。
―――自分は全てからつま弾きにされている。
そんないじけた思考に支配されているレッシィは、差し伸べられた救いの手を握ろうともしない。
ダイアンの謝罪を拒絶したのも、その思考の一端である。
ルナは、それを力づくで引きはがし、自分の手を取ろうとしている…のかも知れない。
つま弾きにされたいわけではない。されたくないのにされているから、いじけている。
もっと作りたい。いろいろなマシンを作りたい。ちゃんと使ってくれる者がいればなお良い。
暴走のような発明を、誰かに受け止めて欲しい―――人として当然の、認められたいという願いがそこにある。
「トラゾー。あたい、どうすればいいのかな?」
ふかふかした丸っこい後頭部に向けて尋ねたが、返ってきたのはフニフニいう寝言だけであった。
もう一度目を閉じると、レッシィはすぐに眠ってしまった。
再び目を覚まし、レッシィはトラゾーと共に部屋を出た。途端に朝食の香りが鼻をくすぐる。
前日から食事を採っていなかったこともあり、それだけで腹の虫が鳴る。
「おはよう、レッシィちゃん」
流しで食器を洗っているメルに声を掛けられ、レッシィはトラゾーを抱えてテーブルの前に座った。
向かいの席ではダイアンがQスマートでニュースを見ている。空中に投影された画面が、左右逆になってレッシィにも見えた。
「おはよ…」
「フニ~」
「おはよう。レッシィは見に行かないのかい?」
ダイアンが言うのは、ルナのバイク練習の事だろう。
どうしようかとレッシィが返事をしかねていると、メルが魚肉ソーセージと目玉焼き、
そしてチーズトーストを乗せた皿、ホットミルクのカップをレッシィの前に置いた。
トラゾーの前の皿には、こちらもスライスした魚肉ソーセージが盛られている。
「いただきます…」
もそもそと朝食を食べ始めるレッシィ。トーストを一口食べてから、ダイアンに答える。
「ん…いかない」
「そうか。ルナは見ててほしいって言ったけど」
「ん……」
応接用のソファをちらりと見ると、ライが座っていつものようにブツブツとつぶやいている。
ルナは彼女にも話しかけていた。見えているか、聞こえているか判らないにも関わらず。
決して同情や何かを以って話しかけたのではない…と、レッシィは思う。
ただ、そんなことをした意味だけは分からない。
「…あいつ、なんなの」
「何、とは?」
誰に向けられたとも判らないレッシィの問いに、ダイアンが訊き返した。
チーズトーストを食べる手を止め、複雑な表情でレッシィはつぶやく。
「なんで、あたいやライにかまうんだろ…」
「何でか。んー…難しい話ではないと思うよ。ねえママ」
ダイアンが声を掛けると、ちょうどメルが自分のお茶を淹れてダイアンの隣に座った所だった。
メルが飲もうとしているのは緑茶であった。
「そうねえ…うん。『おまわりさん』だから、かしら?」
ね、と二人は見つめ合う。何のことかわからないレッシィは首をかしげる。
市街地に拠点となるステーションを置き、そこに詰めて街を巡回するポリスの事を、
二十一世紀以前には『おまわりさん』と呼んでいた。今でもその呼称が使われるのは、レッシィも知っている。
当時は街を守る善性の象徴であったそうだ、と以前ダイアンが言っていた。
「困っている人を見捨ててはおけないのさ。君に対してもそうだろう」
「…あたいは、こまってなんか」
「それが本当なら、彼女は気づきもしないだろうな」
それが事実だとしても、現場にいる奴は信用できない。
そう答えるべきだ、とレッシィは思った。思ったのに、それを口にできない。
認められたいという朝食前に思い出した欲求が、その答えを鈍らせる。
「やりかたは乱暴すぎるけど、そのくらいしないとダメだって、あの子は思ってるんでしょうね」
追い打ちをかけるようにメルが言う。
うつむいて手が止まったレッシィの肩を、トラゾーがもふもふゆする。
気付いているのかいないのか、レッシィの手も口も動かなかった。
それを見て、コーヒーを飲み終えたダイアンは敢えて気にせず立ち上がり、洗面所に向かった。
歯磨き洗顔を終えて髪を梳くと、ジャケットを羽織りバッグを背負った。
「じゃあ行ってくるよ、ママ。レッシィとライをよろしく」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
そう言って、二人はオフィスの前で軽い口づけを交わす。
ダイアンを見送り、メルは洗い物の続きを始めた。
魚肉ソーセージを食べ終わったトラゾーの横で、レッシィは食事を再開した。
―――〔続く〕―――