EX-FILE1.
肌の色、心身の性別、障害の有無、出身地、自分らしさ、そう言った個々人の特徴への配慮は大事だけど、そこにあるのは人間の命と心であることを忘れちゃいないか…と思いつつ書きました。
度が過ぎた配慮が起こしうることの不安、そしていつかはもっと大事なことに気付いてくれるだろうという希望を、キャラクターの会話劇を借りて書いたお話です。
真夜中のオフィスで、ルナは一人起きてQスマートを操作し、昔のEムービー…当時は『映画』と呼ばれていた…を見ていた。
暇つぶしにとダウンロードした、二十一世紀序盤ごろのポリス・アクション・ムービーだ。
イングランドなる国家を舞台に、荒くれものの刑事が拳銃と鋼の肉体を頼りに、アフリカ系移民の犯罪組織を蹴散らす痛快な作品。
ただの暇つぶしと物珍しさで見ただけだったのだが、意外に面白くて夢中になってしまったのである。
こうやって真夜中に起きだしたのは、またしてもレッシィとライに縋られ、あげく顔面をトラゾーの枕にされて眠れなくなってしまったためだ。
自分の部屋で寝ろと言っても二人(と一匹)は聞かず、毎晩ルナのベッドにもぐりこんでくる。
ルナは最早諦めたのだが、流石に顔面にまで乗られては眠れない。しかもトラゾーは体温が高いので顔が汗だらけになる。
深夜も十二時を過ぎて番組は放送しておらず、手持ちの電子書籍も読み飽きた。
そんなわけでミネラルウォーターを飲みつつ、一人静にEムービーを見ていたのであった。
そこにもう一人やってきた。長身からすぐにダイアンだと判る。
ダイアンはキッチンの冷蔵庫を開け、アイスコーヒーをボトルからグラスに注ぎ、一口飲んだ。
そのままルナの背後まで歩み寄り、Qスマートの画面から空間に映し出されたEムービーを覗き込む。
「随分古いムービーだね?」
「はい、昔のムービーってどんなのかなって、気になって。ボスも見ます?」
「うん」
ダイアンはルナの斜め前のソファに座り、テーブルにグラスを置いた。
ルナのQスマートと同期し、自身の端末にムービーを映し出し、ダイアンも見始めた。
手に汗握るアクションシーンにルナは見入り、ダイアンは男たちが織り成すハードボイルドなドラマをじっくり楽しむ。
クライマックスでは、かつての友であった組織のボスを、刑事が射殺。
二人の会話がボスの死で途切れ、刑事の背中が映る。
表情を読めぬまま、しかし物悲しいテーマ曲が流れ、映画はスタッフロールに入り、完結した。
「面白かった。ルナがハマるのも判る」
「でしょ。他にもあるんですよ、昔のムービー。見ます?」
「うん、いずれね…」
そう言いながら、ダイアンは複雑な表情を浮かべた。
普段の剛毅果断、鋼のメンタルを誇るダイアンからはなかなか想像できない顔だった。
「…ボス、どうかしたんですか?」
「うん……ルナ、こういう映画が消えかけたことがあるって、知ってる?
肌の色が違う人種が共演するムービー」
突然問われ、ルナは目を見開く。こんなに面白いムービーが何故…と、首をかしげて訊き返した。
「いえ。消えかけたっていうのは、どういう…?」
「ある人権擁護団体によって存在を抹消されかけた、っていうこと」
「抹消…」
「ルナ、君には知っておいてもらった方が良いかもしれない。
曽祖父から祖父が聞いた古い話の、さらに又聞きだけど。社会正義をはき違え、ただの害悪と化した団体があったっていう話」
いつになく真剣なダイアンの表情に、ルナは興味を引かれ、居住まいを正した。
「……聞かせてください」
爆装特警クィンビー
EX-FILE1.[二十二世紀とポリティカル・コレクトネスに関するささやかな希望]
―――差別という物の歴史は、後年になって紐解くとかなり長い。まず人種。
起源については…まあ私も歴史に詳しくはないが、反ユダヤ主義の起源は、古代イスラエルの時代にまでさかのぼるとも言われる。
少なくとも十五世紀なかばから十七世紀半ばまでの大航海時代、西欧人が新大陸やサハラ砂漠以南で先住民を差別した事は歴史に残っている。
アメリカ大陸の先住民、ネイティヴ・アメリカン…当時は『インディアン』…の排除もそうだな。
特定の人種が人間より類人猿に近い、白人より劣るなどとも言われていた時代もある。特にアフリカ系の黒人がその差別の標的にされた。
この言説は植民地支配の正当化に用いられた。まあ、要するに『俺達が飼い慣らしてやる』というわけだ。
反ユダヤ主義を掲げたナチス・ドイツも有名だ。
一八六一年に起こった南北戦争で、当時のアメリカ合衆国大統領が一八六三年に奴隷解放宣言を行った。
これによって「公的には」奴隷が解放され、この宣言を皮切りに合衆国、更に世界各国で奴隷解放運動が起き始めた。
実際の所、二十世紀に入ってからも人種差別は続いた。
黒人の選挙権や就労待遇など人権を制限した、人種隔離政策。白人至上主義団体による有色人種の排斥。
それから黒人による公共施設利用を制限した法律。
二十世紀半ばから後半まで続いたそれらの政策、法律などは、少なくとも公的には撤廃されたが、それでもなお差別の思想は残った。
有色人種の地位を向上させる協会が発足し、、そんな差別思想に二十一世紀に入って尚立ち向かっていた。
人々が個人や団体で行った運動も、少しずつ実を結び、複数の人種の共存最早常識になった。
結果、十九世紀以前からはかなり状況が改善された。オリンピックで様々な肌の色の人種が競い合うなど、ある意味その象徴だと思う。
続けて性的少数者。これもあくまで当時の呼び方だけどね。
十九世紀後半を過ぎてから、セクシュアルマイノリティへの差別を解消しようという動きが表面化し始めた。
オスカー・ワイルドも所属していたという団体による、同性愛の合法化キャンペーン。
あるいは一八六〇年から始まり、第一次フェミニズム運動の起爆剤になった運動というのもある。
一九〇四年には男性・女性と同性愛者を並立するスピーチが行われた。
その後、第二次世界大戦後はより確固たるものになった。西欧諸国で同性愛者の権利を求めるグループが運動を始めた。
メディアに取り上げられる事は無かったが、国際的な組織に発展したほどだ。
フィラデルフィアの独立記念館前でのデモがあって、これが二十一世紀のゲイ解放運動の基礎と言われている。
とはいえ、秘密警察や個人への嫌がらせはむしろ続いた。
その後二十世紀も後半に入り、より解放運動は急速に進み始める。
ゲイという言葉がポジティヴな意味で使われるようになったのと、ゲイ解放運動団体によるパレードはこの時期が最初だそうな。
更には女性やトランスセクシュアルの人々による活動も活発化し始め、二十一世紀最初期にはオランダが同性婚を合法化した。
そして北欧のある国家では、同性愛者の女性が国家の首相に就任した。これは世界初の事例だったそうだ。
「―――とまあ、あくまで人種とセクシュアリティについてのみ絞ったけど。
差別に対する運動というのは世界各国で起こり、それでいて二十一世紀後半くらいまでは残っていたわけだ」
「何ででしょうね?」
「簡単に言えば、それ以外の人たちが受けた教育、本人の思想。
そんな風に受け入れる準備が整わないうちに、運動が急速化していったことが原因だろう」
「うん…まあ、この間までフツーだったことが、いきなり違法とか言われるような物でしょうし」
ルナはアイスティーを一口飲んだ。
「話を分かってもらえたようで助かる。ここまでがこの話の前置き」
「肝心なのはそこからなんですね。で、その後は?」
「その後ね。この二つを含め、更には心身の障害者の差別解消運動も行われた。
ただ、その方向性は少しずつおかしくなり始めた…おかしくする者達が表れた」
―――少数者…あくまで当時の呼び名だが、とりあえず今はそう呼ぶとしよう。
マイノリティの存在の理解を促し、マジョリティと同等の権利を持っていると主張し、どちらの権利も同様に尊重すべきという、理性的な差別撤廃運動は勿論行われた。
ただ一方で、そんな熱心な運動家達とはまた違う形で表面化し始めた運動もある。
ある映画会社はコミック原作であったり、長い歴史があったりする映画に対し、アクターやスタッフにマイノリティをねじ込んだ。
あるいはマイノリティを採用しない企業に対し、市民団体が突然抗議を始めた。
はたまた彼らは女性の権利を声高に主張し、公共の場で男性に対する悪口雑言を吐き散らした。
不幸なことに、熱心かつ理路整然とした運動より、そういう派手な動きの方が注目を集めた。そして同時に反発も集めた。
当時一部の国家でポリコレ棒と呼ばれた…つまりマイノリティ以外を叩く、攻撃を始めたわけだな。
たちが悪いことに、彼らはマイノリティの擁護という社会正義を盾にしていた。
自分たちの行いが正当である、という主張だ。これが一層反発を集めた。
そしてその反発がどこに向かったかと言えば、先にも言った理性的で熱心な運動家たちだ。
両者は全くルーツを異にするのだが、マジョリティにしてみれば、彼らはどれも同じだったのさ。自分の理解できない存在だもの、無理もない。
しかし、理不尽に叩かれた運動家達は怯まなかった。彼らがどれだけ苦められたか、想像すら私にはできない。強い人たちだよ。
そして、その陰でポリコレ棒の連中はのうのうと暴れまわった。
各地で反発を招き、社会に迷惑をかけながら、自分達の主張を押し通していった。
そしてその運動がピークに達した頃、二十一世紀半ばごろか。
そいつらを母体として一つの市民団体が発足した。『コード』という団体だ。
「コード? どういう意味ですか?」
「ドレスコード、放送コード、などの規約、決まり事を意味する言葉だ」
「…なるほど。『正しいありかた』を示す団体だ、と」
「そういうこと。本題に入るのがここからだ」
―――彼らの活動は、一言で言って精力的かつ狡猾だった。
彼らが目を付けたのはメディアとエンタテインメント、そして企業の体制だ。
映像、音楽、コミック、ノベル、広告。企業の人員。学校教育。
とにかく噛みついた。それも目に付いたどころじゃない、わざわざ探しに行って噛みついた。
王道の男女恋愛の映画をわざわざ見ては、女性は男に従う奴隷じゃない、価値観をアップデートしろと。
スポーツ用品会社のポスターをわざわざ見ては、プラスサイズの女性や障害者をモデルにしろと。
アフリカ系人種が出るコミックをわざわざ買いあさり、唇を厚く描くな、黒人蔑視、人種差別だと。
セクシュアルマイノリティが在籍していない会社をわざわざ探し出し、トランスジェンダーの社員がいない、雇用しろ、差別だと。
小学校にわざわざ殴り込み、多様な人種を入学させろ、マイノリティへの理解と受容を必須のカリキュラムにしろと。
ジャパニーズ・コトワザで言う『重箱の隅を楊枝でほじくる』とでもいうか…
わざわざほじくりに言った挙句、スコップでボックスを叩き割るような連中だったのさ。
そして『コード』が狡猾だったのは、そういった反社会的活動を良しとしない企業、教育機関だった。
特に学校教育とエンタテインメントに関しては一際熱心だった。
教育に関しては、将来の自分たちの後継者を育てたかったというのもあるんだろう。
その後『コード』は世界各地に支部を作っていった。当然世界中の学校を、彼らは監視した。
雇用する教員も、入学する生徒も、カリキュラムも、クラス分けも、とにかく『コード』の意見が取り入れられた。
特に、歴史に関するカリキュラムは影響が大きかったそうだ。
正確性の高い史料ではなく、マイノリティを過剰に擁護するような記述と内容に教科書も書き換えられた。
顕著な例として、奴隷解放宣言を行った大統領が、偉人ではなく偽りの解放宣言で黒人を騙した悪人にさせられた。
あらゆるエンタテインメントも同様だ。
反社会的行為を行ったとして運営が出来なくなることは、彼らの業界では致命的なダメージになる。
反対の声明を出すことで、メディアに取りざたされる可能性もあったしね。
その結果、スタッフやアクターに、マイノリティを採用しなければならないと、映画協会が規則を制定した。
勿論そうやってねじ込まれた人たちだって、当然良い物を作ろうと、そして周囲のスタッフとも良い関係を作ろうとした。
だが、内容がマイノリティにあまりに都合のいい物になり出した。時代考証を無視して、北欧が舞台の話にアフリカ系の騎士が登場し大活躍。
面白そうなムービーを見に行ったらいきなりただのウソっぱちになったわけだな。そんなものが流行るわけが無い。
ただ、繰り返し言うが、『コード』が掲げたのはあくまで社会正義だ。
当然、子供達への教育ということもあり、学校や企業は彼らの意見を受け入れた。受け入れてしまった。
子供達は事実上、『コード』による教育を浴びるように受けた。
そしてある時期から、他の教育を受ける機会も剥奪された。
その結果、それまでマイノリティとされていた人たちは、自由に活動し始めた。
アジア系と黒人の男性同士のカップルが路上でキスして、車椅子の利用者が歩道の段差で困らなくなった。
トランスジェンダーの女性が光学絵画の大作を発表し、発達障害者が主役のSFカンフームービーが大流行した。
あらゆるエンタテインメントでは、マイノリティの人物がごく普通に登場した。
二十世紀には到底考えられなかったことだ。彼らは既にマイノリティではなくなっていた。
もう自分を押さえつける物はいないんだからね。多様な価値観が一般的なものとなり、差別も恐れる必要は無くなった。
「…ギリギリ良い話、じゃないですか? 差別がなくなったっていうなら」
「本当にそう思う?」
苦笑するダイアン。ルナは気づいた。この話には、何か恐ろしい続きがあるのだと。
ダイアンは話を続ける。
「そんな時代になって五十年。二一〇〇年代に入ったある春の日のことだ。
―――五歳の少年が殺された」
ぞわ、とルナの背筋を悪寒が走った。
「それ、『コード』とつながってる話なんですか…?」
「ダイレクトにね。
被害者…仮にジョン少年としよう。外見は金髪に碧眼に白い肌。典型的コーカソイドだ。
加害者は十二才の少年少女の六人。脳性マヒ、トランスジェンダー、黒人、ゲイ、肥満体、女性の権利に敏感な子。
元マイノリティと、意識の高い感じの女子だ」
「……子供が子供を殺したんですか」
「そう」
―――『コード』の教育は先鋭化を極めた。最早それは、かつてマジョリティとされた全てへの攻撃の教唆に変じた。
歴史観は捻じ曲げられ、黒人を含むあらゆる元マイノリティは、悪の元マジョリティと闘う善の存在と教え込まれた。
子供達は元マジョリティを憎んだ。憎悪したまま成長し、大人に、老人になった。
教育は受け継がれ、『コード』教育で純粋培養された子供達、そして大人を生み出し、社会を形成していったんだ。
当然、元マジョリティたちは追い立てられた。その末に社会の片隅で小さなスラムを成型し、どうにか生きていた。
一方でジョン少年は、スラムで生まれ育ちながらも極めて聡明だった。
『コード』の教育を受けていないこともあったが、何より彼は人の本質を見抜く目に長けていたそうだ。
スラムには障害者の子供も流れついたわけだが、ジョン少年はその聡明さゆえにそんな子供達とごく普通に接し、友達になった。
自閉スペクトラム、精神遅滞、重度の吃音、四肢欠損、鬱、パニック障害、果ては外への恐怖から引きこもっていた人物。
『コード』の教育がはびこった世界でなお生きるのに苦しむ人たちが、ジョン少年の明るさ、賢さ、優しさに救われた。
ジョン少年は彼らを蔑まず、特別扱いもせず、それでいて彼らがどうしても出来ないことがあれば、解決に協力した。
実に皮肉なことに、差別の全くない社会がごく小さいながらもそこに実現していた。
不幸なのは、ある日ジョン少年ともう一人の子がスラムの外に出てしまったことだった。
彼が、自分より小さな吃音持ちの少女を連れ戻そうとした時だ。偶然通りかかった加害者の少年少女に見つかった。
加害少年たちは進学式の後、鉄パイプを持ち、進学記念に元マジョリティを駆除してやろうとスラムをうろつきまわっていた。
そこにジョン少年が、吃音の子の手を取った。吃音の子は僅かに浅黒い肌をしていた。
―――白カビがマイノリティに乱暴しようとしている
加害者の少年たちには、そう見えたそうだ。
そして吃音の子をひったくると、怒りのままに鉄パイプを振るい、ジョン少年の頭部を叩いた。
お互いに子供とはいえ体格差はだいぶ大きい。その膂力で呵責なく、彼らはジョン少年をなぶり殺しにした。
顔面を潰し、手足や肋骨を折り、髪を引きちぎった。ジョン少年の肌はどす黒く変色し、髪も服も血に染まった。
もはや人間であったかもわからないほど、全身が変形した。
そして動かなくなった少年を足蹴にして、六人は―――少年の遺体を前に、携帯端末で記念写真を撮った。
「当時調書を取った曽祖父によれば、彼らは自分達が正しいと微塵も疑わなかったそうだ。
先ほどの吃音の子に人殺しと言われても、自分達はその子を護ったのだと主張した」
「…………」
「『コード』の教育は実を結んだわけだ。理想の子供達が生まれた。
古い世代の曽祖父、そして当時新人警察官だった私の祖父は、恐怖すらしたというくらいだ」
ダイアンはアイスコーヒーを一気に飲み干す。
「…だがそう思っていたある日、ちょっとしたことで破綻が訪れた」
「破綻?」
―――先ほども言った通り、加害者少年らは断じて自分達は正しいと主張し続けた。
更に彼らへの聴取を知った『コード』の連中が殴り込み、少年たちを擁護し、警察をなじり始めた。
未来ある少年少女の人権を蹂躙する行いだと。裁判も辞さないなどと言われた。
少年たちに命を奪ったという自覚は全く無かった。
加害者の少年たちは、自我が芽生えた頃から、既に両親から『コード』の教育のみを受けていた。
マジョリティは排除すべきだと、消せと言う教育だけを受けて育った。
いわば、彼らは『コード』の教育が完璧に浸透した最初の世代だ。
マジョリティに対しては、敵性存在という意識しか持ち合わせていなかった。
聴取とか調査とか以前に、このまま育てては絶対にいけないと、曽祖父は危機感を抱いた。
理由さえあればどんな命でも奪う、怪物になってしまうと。恐怖すらしたそうだ。
その時、曽祖父はあることを思いついたという。
それが失敗したらもうダメかも知れない、と半ば諦めつつの提案だった。
そして次の日の聴取で、祖父が子供達に提案した。
―――記念の写真をモノクロにしてみたらどうだろう?
当時、モノクロの写真はアートの一つとして認められたいた。
自らの行いを正義と断じた少年達にとって、その提案は願っても無いものだった。
良い事を教えてくれたと、彼らは握手まで交わしたそうだ。
そして少年たちのリーダー格、意識の高い感じの少女が写真をモノクロにした。
その途端、彼らは悲鳴を上げて端末を投げ捨てた。
恐怖から全員が震え、中には嘔吐する者までいたそうだ。
「何か、写真に変なものが映ってたとか?」
「いいや。モノクロになったこと以外は変わらなかった」
「じゃあ何で? そんな…記念の写真を投げ出したんでしょうか」
「モノクロにしたからさ。正確には、色を失ったモノクロの世界で……
ジョン少年の遺体が、自分達と全く同一の存在に見えてしまったから、だそうだ」
―――どす黒く膨れ上がった肌。折れ曲がった手足。
どちらも見覚えのあるものだった。
加害者少年たちの仲間に黒人の子、脳性麻痺の子がいたと言ったね。
ジョン少年の遺体は、その子らと全く同じ肌の色、手足の形になった。
モノクロ加工だから、あくまでも写真の中だけだけど。
だが少年たちは、この時初めてモノクロの写真という物を見た。
世界が白と黒の二色か間のグレーだけに変わり、人種由来の肌や髪の色が全く無意味になったように見えたとか。
つまり彼らは、ジョン少年の遺体が自分達と同じ人間だと、完全に認識したらしい。
恐慌状態に陥った少年たちは、家に帰された。
少年たちを恐怖させたとして、『コード』は警察への訴訟も考えていたそうだ。
しかし少年たちは、その晩から悪夢を毎晩見続けたそうだ。モノクロの世界で自分が仲間達に殴り殺される夢。
毎晩、毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩。憎悪に満ちた顔の仲間達が、自分を鉄パイプで殴り殺す夢を何日も。
ホワイトめ、死ね、死ね、という叫びの中で。
あまりの恐怖に自分の肌をはぎ取ろうとする者、壁に頭を叩きつけたりナイフを自らの顔に刺したりする者もいた。
全員が発狂しかけた。そして曽祖父に言われ、彼らはやっと自分達の行いを理解した。
―――君たちは人間を殺したんだよ。
君たちと同じ人間を、殴り殺したんだよ。
少年たちは誰にともなく、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと、幾度も許しを乞うたそうだ。
子供が正義感に任せて子供を殺す…というこの恐ろしい事件の資料は、今ではアーカイヴとして保管され、上位職のみ閲覧する権限が与えられている。
「取り返しのつかないことをしたという恐怖と罪悪感の前に、『コード』の教育はまったく意味をなさなかった。
彼らの教育は、人間という存在に対する認識を歪ませたが、それだけだったんだ」
「…そりゃあそうですよね。理由はどうあれ、目の前で生きて動いて喋る、命を奪ったんですから」
「うん。一度自分達と同じ存在と認識してしまえば、おかしなバイアスなんて塵芥も同然に消えるのさ。
この事件は当時、センセーショナルに報道されたそうだ。それに対し、『コード』はムービーとコミックに責任を押し付けようとした。
マジョリティを攻撃するような作品ばかり作った影響だ、と」
「常套句ですね。立場の弱そうな人たちに責任を擦り付けて、問題の本質を意図的に無視するのは。自分達が変えさせたのを棚に上げて」
「危うくメディアもそれに踊らされるところだった。が、一人の人物がここで名乗り出た。
『コード』結成初期の一般構成員の男性だ。結成時に三十代、当時八十か九十代の老人だった」
―――彼は公共の場で宣言した。
私達は子供達を怪物にした。全て私達『コード』のせいだ。
子供達の豊かな心の芽を踏みつぶし、あらゆる創造的活動を阻み、社会を荒らし、命を命とも思わぬ怪物を作り出してしまった。
すまなかった、すまなかった…
と…その時は本気かパフォーマンスかは量り兼ねたが、彼が警察に『コード』の情報をもたらしたことで、彼が本当に善意の人と知れた。
そして警察は、先ほどの子供による殺人の件で、既に『コード』を危険な集団と見做していた。
一般の構成員達は全て逮捕された。そして彼らへの聴取で一つ分かったことがあった。
彼らには正義感しか無かった。
倫理、道徳、愛情、モラル、罪悪感、そう言った善性とでも言うべき感情…あとは名誉欲とかも一切無かったそうだ。
だから他人の迷惑なんて考えない。合理性も無いから、自分達の行いの影響も考えないし、目的意識も無い。
それでいて、自分の行いは正しいと疑わない。ある種の狂信だな。
だからこそ、本部および全支部の構成員を逮捕し、『コード』が解散した後、彼らは何もしなかった。
自分達で何かをするという、自主性が無かったから。
そして『コード』解散後、教育機関や企業の経営方針は瞬く間に刷新された。
教育と企業経営という差はあるが、根底に根差したのは「命と心」だ。
私達の目の前には命があり、心がある。自分が出来る限りで守れ。けれど、自分の心身も大事にしろと。
実践するにはあまりにも大雑把で、具体的にどうしたらいいか判らなかった。
けれど、自分と相手を大事に思う心は、人間と言う社会的動物としてごく当然のことだった。
相手を侮辱すれば心が傷つき、人間関係はこじれ、崩壊する。度が過ぎれば社会が機能しなくなる。
相手が辛いと自分も辛くなる。だから、傷つけてしまったら謝る。
相手の意見はきちんと聞く、その上で自分の意見も伝える。意見がぶつかるのであれば、時が許す限り話し合う。
いわば『人として理想的』な行いのことだったんだ。気づいてしまえば意外と難しくなかった。
長い時間…数十年をかけて、やがて『コード』が及ぼした被害は解消していった。
「さっき、ルナは差別が無くなったからいい話じゃないか、と言ったね。
『コード』が行ったのは差別の解消じゃない。差別と非差別の行動を反転し、過激化しただけだ。
子供が肌の色や障害の有無を理由に子供を殺すなどという、恐ろしい事件が平然と起こったのがその証拠さ」
「………」
気づいたらルナのグラスも空になっていた。
「差別が本当の意味で解消できたのは、差別をなくそうと社会に訴えたりそれを受け入れて自ら行動した人たち。
そして差別のない社会に生まれ、自分と他人の違いを何のわだかまりもなく受け入れた人たち。
そんな人たちのおかげなんだ。『コード』は同じお題目を掲げながら、それを邪魔をしたに過ぎない」
「…『コード』は結局どうなったんですか? 解散はしたけど、幹部は逮捕されなかったんですよね」
「うん。逃げた」
「え。じゃあ、今もその人たちの子孫がどこかに?」
いや、とダイアンは首を振る。
「逃げて、当時未開の島に潜伏し、体勢を立て直そうとした。その島には先住民がいた。
その部族を味方にしようと思ったんだろうね、自分達は人種差別をなくす団体だと訴えて。
だが相手があまりにも悪かった。そこにいたのは―――ある意味で全ての人類を平等に扱う民族だ」
ダイアンは二杯目のアイスコーヒーをグラスに注ぎ、一口飲んだ。
その表情は皮肉な笑いを浮かべている。首をかしげたルナに、ダイアンは苦笑しながら答えた。
「人食い族さ」
鬱蒼とした森の中で、それぞれに草木で簡素な家を作り、共同生活を営んでいた。
植物の葉や花をすりつぶし、体に塗りつけて様々な色彩に染めあげる部族だった。
性別や年齢や血縁さえ越えて、部族の中の誰とでも愛し合い、幼子の面倒は部族全体で見た。
そして定期的な神への祈りの儀式で、部族の誰かを生贄にして食べた。
(うぷっ…)(ごめんごめん、グロテスクな話だと先に言うべきだった)
そして彼らは極めて保守的、というか外界の事を一切知らないし、自分達の生活様式を絶対視していた。
更に、その部族は自分達を神の眷属だと本気で信じていた。生贄も神への感謝の証として食べたそうで。
そこに『コード』は訪れた。だが結局、誰一人として戻ることも、活動を再開することも無かった。
人食い族の最後の一人が死んでから何年か後、調査に入った研究者たちが、『コード』幹部の遺骨と遺品を見つけた。
研究者の推測では、人食い族は彼らを神から授かった食料として扱ったんじゃないか、と言われてる。
つまり、生きたまま全身を切り刻まれた末、肉も臓器も一片も残さず食べたんじゃないか、と。
(おえぇぇ)(この話もうやめようか?)(いえ、最後まで聞きむぁす…)
人肉解体場に、何か儀式の痕跡もあったらしい。
事実だとしたら、マイノリティを食い物としてきた『コード』が、未開の部族という最高のマイノリティに食われた。
笑い話にもならない結末を迎えたわけだ。皮肉だね。
「そして今、障害があってもセクシュアリティが独特でも、肌の色や生まれた地が異なっても、人々は手を取り合い、平和に暮らしてるわけだ」
「そんなことがあったんですね…」
「うん。正しい意味で垣根を超えるまで、余りにも多くのことがあった。それも教訓になったんだよ」
ダイアンはグラスをテーブルに置くと、自らの左右の手を重ねた。
「本当はね、こんな風に普通に手を取り合えれば、それがベストなんだ。
けど『多様』という意識が、時にそれを却って邪魔する。
許容できない、理解できない。差別とはそんな不寛容と無理解の現れだと、私は思う。
受け入れられないという気持ち自体は、あっても仕方がない。そうしないと自分が苦しむ。自分を守るための防衛反応だ」
「でも勇気を以って受け入れて、相手の本質さえわかってしまえば、それも正しく解消できると。
沢山の人がその勇気を持ったから、本当の意味で差別の解消ができたんですね」
「全てではないけどね。けど、『コード』のように愚かしい連中はもう現れないだろう」
ダイアンが二杯目のコーヒーを飲み干すと、ルナが立ち上がってダイアンのグラスを受け取り、キッチンのクレンジングバリアで二つのグラスを洗浄した。
「最後に一つ、素敵なエピソードがあってね。『コード』が結成される少し前の話だ。
二〇四二年の夏季オリンピックで、百メートル走の金メダリストと、両脚とも義足のパラアスリートが一対一で競争した。
結果は両者同着、どちらも大会金メダルかつ世界新記録となった。二人はお互いの見当を称え、観客も二人を大絶賛した。
その時の二人の言葉だ」
―――俺達の世界では、速さと結果が全てだ。彼は速かった、だから俺も全力で走った。それだけのことさ。
あんな速い奴は初めてだ…俺は彼のライバルになれたことを誇りに思う。また一緒に走りたいね。けど、次は俺が勝つぜ!(メダリスト)
―――彼の美しい走行フォームは、僕が追い求めてやまない夢なんだ。いつか身に着け、そして彼を追い越したい。
そして彼をビックリさせたいんだよ。どんなトレーニング積んできやがった、ってさ! 待ってろよ!(パラアスリート)
「相手を称えることを絶対に忘れない。それでいて勝利への欲求は欠かさない。スポーツマンシップって奴ですねえ。
…なおさら『コード』の所業の愚かしさが浮き彫りになりますね」
「そういうこと。『コード』は彼らの堂々たる勝負までも穢したわけさ」
ダイアンはそう言うと、一つ欠伸をした。ルナもつられて欠伸をする。
流石に二人とも、そろそろ眠くなってきた。
軽く目をこすると、ダイアンは真剣な眼差しでルナを見つめた。
「…善意も愛情も無い正義感は、こんな風にただの害悪にしかならない。
ルナ、君にはどうかこれを忘れないで欲しい」
「肝に銘じます。正義感は普通の人々の命と心を護るためにある。
二の舞にならないためにも、それは絶対に忘れない。そうですよね」
「そうだ。まあ、君なら大丈夫だろう」
ダイアンは立ち上がり、メルと共同で使っているプライベートルームへと戻った。
「おやすみ、ルナ。明日も早いから、よく寝なよ」
「お休みなさい、ボス」
ダイアンがドアを閉めたところで、ルナも自分の部屋に戻った。
ベッドの上にはあどけない二人、レッシィとライが心地よさそうに眠っている。
レッシィの枕元にはトラゾーが丸まっていた。
(よく寝な、か。よく寝れるといいんだけど)
苦笑と共に、ルナは再びベッドに横たわった。
―――EX-FILE1.完―――