FILE6.[ラストファイト・フォー・ジャスティス]③
パンディナスのコックピット内で、ライはコックピットそのものとケーブルで接続されている。
厳密にはかぶせられたヘルメットがケーブルにつながっているのみだが、脳波スキャナによってマシンを動かすCPU代わりにされていた。
目的のためなら感情を持つ人間でさえも道具にする、『キング・スコルピオ』首領の冷酷さが際立つ光景だ。
だがライは、そのような状態にされてなお闘っていた。
頭の中身を吸い出されるような苦痛の中、彼女は完成したOS…実際はダミーであるそれを少しずつ組み直していた。
予備のCPUの中で行っているので、パンディナスの行動には影響がない。
また、出撃前にはこのCPUを経由してスコルピオ本部の全端末と密かに接続し、全てのログを保存している。
(もう少し…もう…すこしっ……!)
時間にして数分あれば、本当のOSは完成する。これに加え、ポケットの中のHi-SDカードで、再プログラミングを行う。
二つのOSを同時に動作させることでハングアップを起こし、再プログラミングで動きを停止する。
Eヘッド戦前の状況をヒントにした作戦だった。
様々な問題はあるが、一番の問題はライ自身が自分で体を動かせないことだった。
どう考えても成立しない作戦を、ライは立案したのである。
(でもっ…あの時、わたしは自分で動けたんだ…!!)
わずかでも自分自身で動けた瞬間が、確かに存在する。ルナも同じことを考えているだろう。
(うごけ、うごけ…わたしの体……!)
必死に意識を保ってライが体を動かそうとしている中、数回の震動でコックピットが軽く揺れる。
そしてパイロット…『上司の人』ことスコルピオのボスが笑い声をあげた。
「あッハハハハハ! このダイオウサソリの前では、スズメバチなど形無しだね!!」
直後、レバーを動かす音をライは聞き取った。出撃前の操縦練習で聞き取った音だ。
搭載兵器の中から検索すると、対人型ロボット用武装の一つ―――コックピットを破壊するためだけの武器、『パルヴァライズニードル』。
これを起動したということは、クィンビーの戦闘能力を奪い、動きを止め、とどめを刺す気なのだ。
「パイロットがいるようだが、巻き込まれても悪く思わないでくれたまえよ!」
その宣言にライは戦慄した。この男はクィンビーの破壊のみならず、明確にルナを殺害する気だ。
ライはOSの組み直しを急いだ。脳の中に湧き出る文字や記号を全てつぎ込み、未完成でもまず動くものを作る。
急速に組み上がっていくもう一つのOSを、しかしパンディナスのコックピットで察知することはできない。
モニターにも出ないように、予備CPUの接続をオフにしてあるからだ。
(いそげ…いそげ、わたしの頭の中の数字…今だけは、おねがい…! みんなを、ルナさんを、助けたい…
ルナさん―――!!)
そして最後の一文字を入力し、すぐさま動作をチェック。組んだ通りに正しく動くことを確認した。
最後に接続をオンにし、強制的に割り込みを行い、現在起動しているダミーOSの代わりに動かした。
同時に、今まで予備CPUに保存していた『キング・スコルピオ』のあらゆるログを、ダイアンのQスマートに送信した。
頭の中の数字をすべて使い切り、一世一代の反撃を行った、その直後。
暗い空間から抜け出たような感覚。
(あれ?)
あくまでもそれは物の例えであったが、ライの中で何かが変わった。
試しに、ライは僅かに指を動かした。自らの意志で、動かした。
それに気づいた直後、ヘルメット内のモニターに不規則に数字やメーターが出現した。どうやらそれは操縦席も同じだったらしい。
「な、なんだ…何が起こった! おい、何が起こった!!」
『ボス、すみませ そっち OS #$$%**@~_¥』
もはや通信の音声も言葉をなさず、首領の男は完全にパニックになっていた。
肝心のパンディナス本体は、二つのOSを同時に読み込んでしまい、全身が奇怪に痙攣し、上半身が前後左右にぐらぐらと揺れている。
コックピットもその影響で傾き、首領の男はライが固定された簡易の座席に倒れ込んだ。
「おどわぁっ!?」
その拍子に激突し、ライのヘルメットとシートベルトのみの拘束が解けた。
ライは両目を広げ、コックピット内を観察した。操縦席の横に小さなスロットがある。Hi-SDカード規格だ。
やせ細り力の入らぬ手足ではまともに歩けず、しかしライは必死に座席に縋りついて、カードを交換した。
ルナ達が行ったリハビリにより、本来なら凝り固まったであろう手足も、僅かながら動かせるようになっていた。
途端、コックピット内の照明が全て消灯した。パンディナスも動作を止める。
「なっな、なんだ! なんだ!? 何が起こったんだぁぁ!?!?」
首領の男は全く状況を理解できず、ただ慌てふためくだけであった。
ライは全てを理解していた。再プログラミング用のプログラムが起動し、電源が一度落ちた。
そして二つのOSがすべて消去され、コックピットのモニター上ではすさまじい勢いでOSの再構築が行われている。
パンディナスのOSも、あの不気味で奇怪な記号の羅列によって組まれていたのである。
それ解析し、再プログラミングを行えたのは、まさにライの能力あってこそだった。
首領の男は未だ気づかない。彼は道具と見誤り、天敵とも言うべき人物を抱え込んでしまったのだ。
全ての動作が停止した直後、コックピットハッチが開いた。
そしてライは這いずってハッチから顔を出し、そして、生まれて初めて自らの声で叫んだ。
「―――ルナさんっ!!」
クィンビーの視界の中では、突如パンディナスが不気味な踊りのように動き出したと思った直後、突然動きを止めた。
何が起こったのかと九.五係のメンバーが疑問に思っていると、コックピットハッチが開き、ライが顔を出したのだ。
ライは叫んだ。その口の動きから、ルナの名を呼んでいることがわかる。
ライが自らの意志で動けるようになった…その事実にメンバー全員が驚愕していた。
『ライちゃん…ライちゃんが、自分で動いた…! 自分で叫んでる…!!』
最初に状況を理解したのは、彼女の世話をしているメルだった。
『ルナちゃん、助けに行って!』
「了解!」
自分を呼んでいる。答えぬわけにはいかぬと、ルナはためらいなく体を固定するハーネスを外した。
クィンビーのコックピットを開放し、外に跳びだす。
突き出されたドリルのアームの上を走り、両肩の重力アンカーをパンディナスのコックピットハッチに固定。
「ライ!!」
「ルナさん! ルナさん!!」
美しい声だった。そんな彼女の背後から一人の男、恐らくパイロットが迫る。
彼女の髪を掴もうと男は手を伸ばしていた。だが、それを許すルナではなかった。
「その子から離れろォッ!!」
ワイヤーを収納する勢いで牽引され、その勢いで跳躍しながら男の顔面に跳び膝蹴りを叩き込んだ。
蹴りは上手い具合に彼の鼻を直撃する。男は吹き飛び、上半身が操縦席にめり込んだ。
ルナはライを抱え上げ、ドリルのアームを走って戻り、再びクィンビーのコックピット内のバイクに座った。
ハーネスで自身バイクに固定し、ライを横抱きにする。いわゆるお姫様抱っこのポジションだ。
ルナはライを抱きしめ、その頭を撫でてやった。
ライがプログラミング技能を用いてパンディナスを止めたと、ルナは直感的に理解していた。
「ライ、よく頑張ったね! もう大丈夫!!」
「はい! …ルナさん、会いたかった!」
ライもルナの体を全力で抱きしめた。か細い腕が、必死にルナの体にしがみつく。
対面ならいくらでもしていた。だがライは、ついにルナと会話したのである。
更にそこに飛び込んできたのは、同じくライを心配していたレッシィとトラゾーの通信だった。
モニターいっぱいに二人の顔が迫る。
『ライ、だいじょうぶ!? ケガしてない!? おはなしできるの!?』
『フニ~』
「レッシィ、トラゾーさん……」
ライはルナのみならず、レッシィとトラゾーのことも知っている。やはり彼女の目には全てが映り、耳には聞こえていたのだ。
「うん! わたし、お話しできるよ! レッシィともトラゾーさんとも、ママさんともボスとも、お話しできるよ!」
『ライ、ライ! ライぃ!!』
『ライちゃん…』
涙ぐむレッシィとメル。ダイアンは微笑みながら目元を拭い、ライもうれし涙を流していた。
と、ダイアンがパンディナスの方を向いた瞬間、眉間にしわを寄せた。パイロットの男の顔が見えたようだ。
その視線は初対面の人間に向ける物ではなかった。
『あいつ…ママ、あいつの顔、見覚え無いか?』
『あの人の…………あっ!』
ハイスクールの同級生だったという二人は、どうやらパイロット…つまり首領の男の顔を知っているようだった。
『あの人、リヒテル・砂生よ! 同じクラスで、私達が懲らしめた…』
『そうだ。あいつ、あの時ボコボコにしてやったのだが…全然反省していないようだな…』
「ボス、知ってるんですか? あの人、正式にスコルピオの首領になるって言ってましたけど」
事情を尋ねたのはライだった。ダイアンは苦い顔で答える。
『うん。私とメルのハイスクールの同級生でな…
スコルピオの首領の息子だと威張り散らして、スクールの女子に手あたり次第手を出していたんだ』
『それで被害者の子達に頼まれて、当時生徒会の私達が懲らしめたの。彼、反省したって言ってたけど』
『全く懲りてなかったどころか、悪化してる。今度は監獄に送ってやるか』
二人と首領…リヒテル・砂生が知り合いと知り、世の中は狭い物だとルナ達は呆れた。
更にそこに、待機しているドルフとスタンツマンからの通信が入った。
『おい、何かパンディナスが止まってるぞ! 何かあったのか!?』
『再プログラミング中ですね。OSがクラッシュしたんでしょうか?』
見れば、コックピット内でリヒテルが操縦席につき、何か操作をしつつクィンビーを睨みつけていた。
無論その顔は撮影済みだ。ダイアンはリヒテルの映像もQスマートに保存し、ライから送られたログと合わせてスタンツマンのタブレットに送信した。
『ああ、ウチの切り札がやってくれた。しかもあちらの記録も入手という、最高の大手柄さ!』
モニター越しに、ダイアンはライにサムズアップとウィンクを送った。
ライはルナと顔を見合わせ、それにうなずく。
動けぬはずの自分が動くことを前提とした、成立し得ないはずの作戦が、稀に見るほど功を奏したのだ。
送ったログは音声、文字、映像、画像、などなど…スコルピオ本部のビル内の、ありとあらゆる記録だった。
『すげえじゃねえか! ―――ん? これは…』
『どうした、ドルフ隊長?』
ドルフはその中のあるログに目を付けたようだ。通信からは彼の気になったログが判らず、ダイアンが尋ねた。
『お前さん達が帰ってきたら説明するよ。俺たちはこれから奴らの本部を叩きに行く。
スタンツマン、ログからビルの場所は分かるか?』
『もう判明してます。ヤンセン隊員、招集は?』
『かけました。ドルフ隊長、すぐにでもに行けますよ!』
『よし、行くぞ!』
スタンツマンが通信を切る。すぐに出動したようだ。三人の行動は早かった。
そして、クィンビーの前ではパンディナスが膝を突いた姿勢で稼働を停止していた。
クィンビーを押さえつけていた手は既に離れ、ドリルもいつの間にか胴体内部に収納されている。
今は電源が落ちているが、いずれ再起動するはずだ。
その間にレッシィとメルがクィンビーの残された手足を動かす。動作に問題は無かった。
立ち上がることができないため、ルナがスロットルを回し、背部の本体スラスターを吹かせて直立姿勢を維持する。
『ライ、これ!』
その間にレッシィからの通信で、ルナとライの目の前のモニタに3Dモデルのデータが送られてきた。
クィンビーの背部に装備されている補助用ドローン『フラップウィング』の画像だった。
『これのOS組んで!』
「レッシィ…わたしに…?」
『うん、ライに組んでほしくて作ったんだよ。ライでなくちゃダメなの』
『フニ~』
「アタシからもお願い。奴を叩きのめすのに必要よ。お願い、ライ」
レッシィとルナの要請を聞きながら、ライはモデルを指先で操作し、展開時の形状を確認した。
クィンビーの機動力を大幅に上昇させるそれは、まさに羽根の形をしている。
強固な装甲や大出力のパワーに対し、圧倒的な機動力というアドバンテージを得られるのだと、説明書きがある。
二人に頼まれたこと、そして迎えてくれた仲間のために自身の能力を使いたいと思ったこと…
ライは決意し、ルナとレッシィの顔を見ながら伝える。
「わかった。やらせて」
「頼んだわ。みんな、奴が動いたら時間を稼いで!」
『『『了解!』』』
全員の返答を聞くと、ライは深呼吸し、目を閉じた。
すぐに頭の中に数字が溢れ―――る、はずだった。
(……あれ?)
ライは一度目を見開き、もう一度目を閉じる。視界が再び闇に閉ざされる。だが…
暗い闇の中、いつもならあふれ出て来る文字や数字が、一文字も現れる気配が無かった。
ライは強く瞼を閉ざし、文字でも記号でも出て来いと念じる。
「…………うそ」
「ライ、どうかした?」
「ルナさん…わたし……」
ライは細い手でルナの肩にしがみつき、震える声で言う。その表情には恐怖さえ浮かんでいた。
「思い出せない……!」
―――これまで無意識に溢れ出していた数字や記号が、ライの脳裏から消え去ってしまった。
ライは頭を抱え、半ば恐慌状態になって呟いていた。
「どういうこと?」
「わからない…なにも判らない…わたし、自分でもどうしてなのか…」
『ライ、落ち着いて』
そこにダイアンが割り込んできた。ルナに肩を軽く叩かれ、ライは一度呼吸を整えた。
ライが落ち着いたことを確認し、ダイアンが尋ねた。
『パンディナスの動きを止めたのはライだな。どうやって止めた?』
「ええと…わたし、OSを二つと、情報を吸いだすアプリを組んでたんです。けど、あのリヒテルという人がドリルを出したので…
それで、OSの方はゆっくり組んでいては間に合わないと思って、急いで頭の中の数字を全部引き出して、未完成でも動くものを組んで…」
『それだ。恐らく一瞬だけその数字を出し切って、頭の中から消えたんじゃないかな』
ダイアンの推測に、思い当たる節があるのか、ライは目を見開いた。
第二のOSを組み上げ、起動し、スコルピオ本部から吸いだしたログを送信した、まさにその瞬間。
「あの時だ……!!」
『その時にライ自身の自我が、数字の噴出を押さえ込んだんだろう』
「……じゃあ…じゃあわたし、もうあの数字が出てこないっていうことは……!」
プログラミングはできない。自我で押さえ込んでしまった以上、二度とライの脳裏に数字は出てこない。
その事実を全員が理解し、沈黙する。
特にレッシィなど、ライの帰還に合わせてフラップウィングを開発しただけに、その落胆は計り知れなかった。
目の前ではパンディナスが再起動しようとしているその時、何もできない…
ライは泣き出し、両手で顔を覆った。
「……ごめんなさい…」
震える肩をルナが優しく抱きしめ、レッシィが慰める。
『……ライは、わるくないよ。あたいがムリ言ったのが悪い』
「ごめんなさい…わたし、なにもできなくて……」
だが、ライはその言葉も受け入れずに涙を流し続けた。
流石にメルとダイアンも対策が思いつかないのか、二人ともじっと様子を見るだけであった。
パンディナスのカメラアイが明滅を始める。OSの再構築と起動が完了する寸前のようだ。
ライの奪還こそできたが、その後の打つ手は無しか。全員がそう思いかけていた時だった。
明滅するカメラアイを見て、ルナの脳裏に起死回生のアイデアが生まれた。
「アタシが何とかします」
『ルナ?』
「すみませんボス、一旦通信切りますね」
ダイアンにそれだけ言うと、ルナは通信を全て切り、ヘルメットも脱いでハンドルに掛けた。
何事かと首をかしげるライをルナは抱き寄せ、自らの胸に抱きしめた。
「あ……っ」
ライの頬が一瞬で赤く染まる。その目元をルナの手が覆った。
「目を閉じて。深呼吸して、アタシの心音と声にだけ集中して。眠るくらいのつもりで」
「えっ…はっ、はい」
「前の状態を再現してみましょう。頭の中の数字が自我を封じていたのなら、同じような状態になれば、また出てくるかもしれない」
すなわち、忘我の境地…トランス状態に入らせるということだ。
無論この方法が正しいかどうか、ルナには判らない。だが意図的に感覚を遮断し、意識を集中することで、再現できるかもしれない。
能力を押さえている自我を、今度は一時的に忘却させる…というのがルナの意図だ。
だが意図してトランス状態になったことなど、ライには無かった。
「…わたし、また前の状態に戻りませんか?」
「戻りそうならアタシが呼んであげる。だからライ、ちゃんとアタシの声を聴いていて」
優しくささやかれ、ライは決意し、自ら瞳を閉ざすと、ルナの胸に寄り添って耳を当てた。
鼓動が聞こえる。瞳は閉ざされ、反対側の耳元ではルナの呼吸音が聞こえる。触れる頬には、SMS越しに体温が伝わる。
「何も考えないで。今はアタシがそばにいてあげるから。怖くなったら捕まってね」
「は…ぃ………」
ライはルナの体温に、心音に、声に、手のぬくもりにだけ集中する。
安らぎに満ちた闇の中、僅かな感覚だけでつなぎ留められた状態。
その状態の中、ふっ…と眠りに落ちるかのような感覚があった。
(…見えた―――!!)
まさにその瞬間、再びライの目の前に、虹色に輝く無数の文字が現れたのである。
ライの手が動いた。ルナはすかさずQスマートを操作し、VRボードとVRモニターをライの手元に出す。
細い指先がキーボードの上で踊る。たちまちのうちにモニターにプログラム言語が表示され、高速でスクロールしていく。
きっとダイアン達は驚いているだろう。
このアイデアはパンディナスのカメラアイの明滅…起動状態と停止状態の間の瞬間からの着想だった。
ルナが思った通り、トランス状態がライの能力を再び引き出したのだ。
頭の中に溢れる文字と記号を、ライの指は舞い踊りながらキーボードで叩き、フラップウィングに最適なOSを組んでいく。
常人では絶対にできない、極めて完成度の高い即興のプログラミング。
脳裏に湧き出る文字、記号、それらを直感的にプログラムに置き換えられる、ライの先天的能力あってこそだ。
ダイアン達が言っていた、ルナの両親が遺した言葉…まさに彼女こそが切り札であった。
パンディナスのカメラアイが点灯し、赤い光を放った。
強靭な両脚は再び大地を踏みしめ、ビルに倒れ掛かったクィンビーに向かって歩き出す。
だが丁度その時、ライはOSを組み終えたのである。
「ライ!」
ルナの呼び声に答え、ライは目を覚ました。
VRモニタに映った言語、そしてフラップウィングの稼働状態を見て、驚きの声を上げる。
「これ…わたしがやったんですか…!?」
「そうよ。ライが物の数分でやってくれた」
ルナは電源を再度オンにして、ヘルメットをかぶり、ダイアン達に通信を入れた。
「ボス、フラップウィングいつでも動けます!」
『ああ…こっちでも見えてる。レッシィがシミュレーションで動作確認をしてくれた。完璧だ』
『いけるよ。ライ、やっぱりすごい!!』
クィンビーの背部に装備されたフラップウィングが、澄んだエンジン音を上げて起動した。
各部のランプが点灯し、四本のアームに先端にある卵型AGMTが輝く。
重力の戒めから逃れ、クィンビーの巨体がわずかに宙に浮いた。
一方で再起動を完了したパンディナスはと言えば、立ち上がる動作からして先刻の精彩を欠いていた。
二種のOSでハングアップさせられた挙句どちらも消去され、急遽操縦方式を切り替えたのだろう。
ある程度プログラミングされた動きではなく、昔ながらの操縦桿とペダルで動かすアナログ方式のようだ。
当然、戦闘に慣れていないリヒテルでは、動かすのが精一杯だ。
走り方もどこか不慣れで、左右の足を一歩ずつ、恐る恐る出している。
『お前ら、よくもこの僕をコケにしてくれたな!
絶対に許さないぞ、ゴールディ!!』
リヒテルの声は、屈辱と怒りで半分ほど裏返っていた。
しかもドタドタした歩き方のため、先ほどまでの威厳はすっかり消え失せている。
最早ただ頑丈なだけの鉄くずに等しい…だが、その頑丈さこそがパンディナスの強みの一つである。
『弱点は内部が露出する場所だ。コックピットを除けば、その下のドリルしかない』
ダイアンが冷静に観察する。
装甲も内部骨格も極めて頑強だが、それ以外の機械類は精密なパーツが多い分、他のマシンと同様に脆い。
作業用の精密機械であるはずのマニピュレータハンドも、パンディナスのそれは極めて強固である。
関節部もそれは同様であった。すなわち、内部への攻撃以外に選択肢はない。
『あのドリルを引きずり出すには、ドリル以外の選択肢を奪うこと。
手足も使えないゼロ距離への接近が必要になる』
『ドリルを引きずり出して、そこに機関砲とパイルを撃ち込むのね』
メルの解説で、やるべきことを全員が理解する。
ドリルのハッチは決して大きくなく、ドリルもいつ出てくるかわからない。
パンディナスには両腕の鋏が残っている一方、クィンビーの腕は左腕しか残っていない。
だがやるのだ。本部を叩き、決戦兵器も叩き潰し、首魁を逮捕できるのはこの瞬間しか無い。
『全員行くぞ!』
『『『『了解!!』』』』
フラップウィングのアーム先端を下方に向け、クィンビーは高く飛んだ。
重力を完全に無視し、飛行している。キング・スコルピオの兵器ですら実現したことの無い、巨大ヒト型マシンの飛行だった。
クィンビーは空中で上下逆さの姿勢になると、背部のハッチを開き、質量弾ミサイル『ワスプスティンガー』十数発をまとめて発射した。
超高速で飛来する大量のミサイルを、パンディナスは強固な両腕で防御する。
だが防御しきれず、何発かは胴体や頭部を直撃した。
損傷こそ無かったものの、強烈な振動でコックピットの中でリヒテルはパニックになった。
『くそっ、こんなものぉ!』
ミサイルの雨が止んだところで、パンディナスが乱暴に両腕を振り回す。
だがその腕が捕らえられる範囲内に、クィンビーの姿はない。パンディナスの真上でマシンと思えぬ宙返りを決め、背後に回り込んだのである。
着地したクィンビーにに向け、パンディナスは右腕の鋏を振るった。
『はぁィっ!!』
が、クィンビーの左ひじと右ひざがその一撃を挟む。いわゆる『蹴り足挟み殺し』の動きだ。
脚部を操作するメルと、腕部を操作するレッシィの息が完全に合い、鋏の動きを封じることに成功。
上下からの強烈な圧力で、鋭利に磨き上げられた鋏が真っ二つに折れた。
『ほぁたァァッ!!』
直後、フラップウィングのAGMTが、四基とも上方を向いた。
反重力パネル周辺のスラスタ部を急激に噴射して、クィンビーは瞬時にしゃがみこみ、パンディナスの足元に突っ込む。
不安定な姿勢になっていたパンディナスは、路面を抉るほどの高速スライディングキックで転倒しかかった。
支えようと突き出した左腕の鋏が路面に突き刺さる。半ばまでめり込み、鋏はアスファルトに捉えられた。
『ぬ、抜けないっ…』
『はぁッ!!』
その隙を見逃すメルではなかった。クィンビーの右脚が動きを封じられたパンディナスの左腕を蹴ると、こちらも鋏が折れる。
警戒すべき武器は全て奪った。慣れないマニュアル操縦のせいで、パンディナスは前傾姿勢のまま倒れそうになる。
その首をクィンビーの左腕が捕らえた。
『ぃにゃあああああっ!!』
『フニ~』
レッシィとトラゾーの操作で、クィンビーはパンディナスの首を抱え込んだまま、大きく前方にジャンプする。
フラップウィングのAGMTを全て後方に向けスラスタ部を噴射させたことで、一気に市街地から離れるほどの距離を跳んだ。
桁外れの距離を跳んだネックブリーカードロップで路面に叩きつけられ、パンディナスは仰向けで路面を引きずられた。
『うひぃあああああ!!』
コックピット内で最早正気を失ったのだろう、リヒテルは泣き出しそうな声で叫んでいた。
フラップウィングが左右に広がり、下方に向けたAGMTでクィンビーは上空に跳び上がった。
起き上がろうとするも、強固な装甲と堅牢な構造によって重量が増したのか、パンディナスは仰向けのままじたばたしている。
クィンビーは上空から急降下し、パンディナスのコックピット近くを踏みつけた。
再びリヒテルの悲鳴が響く。最早いつ殺されるものかという恐怖だけが、彼を支配していた。
そしてそれは、九.五係にとっての唯一の勝機でもあった。
クィンビーがパンディナスにのしかかり、コックピットに機関砲を向ける。
その瞬間、腹部のハッチが開いてドリルの先端が飛び出した。
機関砲程度で破られる筈の無い装甲の内側にいるのも忘れ、恐怖に負けたリヒテルは残された最後の武器での逆転に出たのだ。
ルナの暴力警官としての勘が、その隙を逃がさない。
「ここだ、レッシィ!!」
『にゃっ!!』
クィンビーの左腕が下がり、ドリルのアームが伸びる前に機関砲を連射した。
弾丸が内部の機械を粉々に破壊する。小さな爆発がいくつも起こり、パーツが粉々に吹き飛んでいく。
ダイアンの観察通り、ここだけは外装でカバーできず、かつ精密機械ゆえに脆かったのだ。
更に強固な外装のせいで弾丸が表に出て行かず、幾度かの跳弾で更に内部を破壊していった。
その甲高い金属音と小爆発の衝撃は、パンディナスのコックピットにも伝わっている。
『ひぃいやああっ、いぃひぃぃ、あひぇえあああっ、はひゃあええあああ!!』
リヒテルは言葉にならない悲鳴を上げていた。彼はコックピットハッチを開き、這いずりながらどうにか脱出した。
そして、それを見逃すルナではなかった。
「捕まえてきます! みんな、あとお願い!!」
ルナはハーネスを外し、ライをコックピットの隅に座らせた。
スロットルを回し、速度を限界まで上げる。時速二千八百キロ、激突すれば人体など粉微塵になってしまう速度だ。
「ライ、行ってくる」
「いってらっしゃい!!」
クィンビーの胸のハッチが開くと、ルナを乗せたストライクハートが飛びだした。
ルナはリヒテルの襟首を掴み、捕まえたまま数百メートルを走ると、正面の三十階建てビルの垂直の壁をバイクで上った。
勢いのままにバイクは上空に飛び出し、リヒテルの体が宙に浮きかける。
高度は三十階建てビルの数倍。人間が落下したら間違いなく肉体がミンチになる高さだ。
クィンビーが必殺のパイルバンカーを突き出したのは、それと全く同時であった。
『ぶっこわれろおおおおっ!!』
レッシィの叫びと共に、鉄杭がドリルのハッチの内側に突き刺さる。
巨大な杭は内部の機械、爆破と跳弾によって破損した骨格および外装を突き破り、道路にまでめり込んだ。
直後、すさまじい爆発が起こった。オレンジ色の炎が真夜中の街を照らし、爆音がビルを揺るがす。
そしてこれだけの爆発をおこしながら、人的な被害は全く発生しなかった。この一帯の避難がとうに完了していたからだ。
上空に浮いたリヒテルは、無敵の兵器が粉々に破壊された瞬間を目撃し、呆然となった。
炎の中、クィンビーが立ち上がる。
同時にストライクハートが無事に屋上に着地した。
だがルナはバイクをすぐには停めず、ターンして屋上の縁で停止した。
何事かと訝るリヒテル。そしてルナは、左手でリヒテルの首を掴んだまま、屋上の縁から突き出したのである。
「あぃっ…いやああああああああ!!」
リヒテルの足は地面に着かず、百メートル上空で彼はわめきながらもがいた。
「ひ、ひ、ひいひ、ひ、あひぃぃぃ!!」
スーツのズボンの股間が濡れていく。わずかな時間で何度も死の恐怖を味わい、彼の精神は限界に来ているようだ。
だが、だからと言ってルナは容赦しなかった。彼女の口調はどこまでも冷たかった。
「リヒテル・砂生。観念した?」
ルナはリヒテルに銃を向けた。
「素直に降伏しなさい。あなたを掴んでるこっちの手、利き手じゃないのよ」
「ひっぃ、いやああ、いやだあああ! もういやだ、いやだぁあぁあ!!」
「観念したかと訊いているの。答えなさい」
ルナは銃口をリヒテルの額にごりごり押し付ける。
―――殺される。この女は法律を守る側の人間だからこそ犯罪者を殺さないだけで、その気になれば容易く殺すだろう。
その証拠に、彼女の目は人間に向けられるものではない…犯罪組織のトップすら塵芥同然に見ている、冷酷で残酷な目だった。
恐怖に、最早リヒテルは耐えられなかった。
「か、か、かんねんする! するするからするから! ころさないで! しにたくないしにたくないしにたくない!!」
「………」
降伏宣言を聞き、ルナはゆっくりと銃口を下ろした。
「素直にそう言えばいいのよ」
そう言うと右腕の重力アンカーを射出し、ワイヤーで縛り上げ、屋上に投げ捨てた。
やっと死の恐怖から解放され、リヒテルは虚ろな目で、爆破炎上したパンディナスを見下ろしていた。
ハイスクール時代に自身を叩きのめしたダイアンとメルは、彼にとって恐怖の対象ではあったが、潰してやろうという意気は保つことができた。
だがルナの目の冷酷さ、何より犯罪者に対する異常な暴力性は、二人を遥かに上回っている。
彼女のことはポリスのサナダから既に聞いていた。どれだけ恐ろしいかも教わっていた。
だからこそ、パンディナスは数値上の性能でクィンビーを上回るハイスペック機として作らせたのだ。
しかし、結局九.五係から…特にルナからは逃げられなかった。
「…………マッドポリス・ルナ…」
そう呼ばれる所以を実感し、ついにリヒテルは心の底から観念したのであった。
リヒテルを引きずりながら、ルナは地上まで降りてきた。階段をバイクで降りる途中にリヒテルあちこちぶつけたが、無視した。
放り捨てられたリヒテルは、目の前に立った二人の女…ダイアンとメルを、うつ伏せになったまま見上げた。
二人の隣には、やはりクィンビーから降りたレッシィとトラゾーとライがいた。ライはレッシィの肩につかまっている。
「…ゴールディ…フォンテーヌ……!」
恨みの籠った、しかしその恨みをどこか諦めた目の彼に対し、ダイアンとメルは呆れるのみであった。
「懲りない奴だな、君は。だが今度は若気の至りじゃすまないぞ」
「本当にそう。最初からやめておけば良かったのに…ね、ボス」
「全くだ。…女性恐怖症は治ってないようだね。安心した」
「……治ってたら、とうにその子に手をだしてるよ」
ライを睨んでリヒテルが吐き捨てた丁度その時、ドルフのミニキャリアが到着した。
遠くから聞こえる無数のサイレンは、どうやら『キング・スコルピオ』本部の逮捕者を乗せた護送車の物のようだ。
ドルフはミニキャリアから降り、ダイアンからリヒテルを受け取ると、乱暴にミニキャリアのコンテナに投げ込んだ。
拘束具でコンテナの床に固定され、リヒテルは惨めったらしい顔で天井を見上げていた。
「大手柄も大手柄だな、あんた達。さすがだぜ」
「いや、本部を叩き潰したのはシティポリスの皆さ。誰が一番の手柄なんてのは無いよ」
感心して見せるドルフに、ダイアンは笑いながら答えた。
「なるほど。そう言われりゃそうだ」
「それに、あと一つ…一番大事な仕事が残っています」
ルナが全員を見渡して言う。彼女が言う大事な仕事―――それは、ポリスを蝕まんとする腐敗の温床。
第八分隊の完全な解体だ。
例えスコルピオを壊滅させたところで、シティポリスに悪意の根が張っている限り、同じことが起こらないとは限らない。
証拠を掴み、確実にサナダと第八分隊の隊員を逮捕、そして分隊自体を無くさなければならないのだ。
「そうだな。ルナ、サナダの逮捕は君に任せていいね?」
「はい。アタシがこの手で、必ず逮捕します」
ダイアンに任命され、ルナは意を決する。
不倶戴天の敵にして、今回の事件における黒幕の一人と目される、ダニー・シラノ・サナダ。
問題は、彼を逮捕できるだけの証拠だ。今の所それらしいものは何もない。
そもそも彼がスコルピオとつながりを持っているなど、ルナの勘と推測でしかない。
第八分隊がスコルピオとつながっているというのも、ルナを襲った二人の装備からの推測だ。
決定打となる証拠があれば。ルナがそう思った時、ライが声を上げた。
「あ、あの!」
「ライ、何か知ってるの?」
「はい。スコルピオの本部にいた時、隊長っていう人が来たんです。外部の人らしいです」
ライの言葉を聞き、全員が顔を見合わせた。ダイアンがライの肩に手を乗せて問う。
「声は憶えてるか?」
「はい。―――もしかして、わたしが送ったログの中に録音があるかも! 聞けばすぐわかります!」
「そうか…よし……!」
ダイアンは全員を見回して言った。
「一度寮に戻ろう。ライが送ってくれたログで、証拠を固めるぞ」
ルナがライを抱え、全員がドルフのミニキャリアに乗り込んだ。
クィンビーは第二・第三・第六分隊に連絡して運んでもらうことになり、入れ替わりで到着したキャリアに乗せた。
一同は男山モータースの寮に集まり、ライが送ったログの中から、サナダとスコルピオの関係を示す証拠を夜を通して探し始めた。
その中にはドルフが目を付けたログがあった。それはある事件の証拠の一つでもあった。
そして―――ある決定的な証拠を、彼らは見つけたのである。
―――〔続く〕―――