FILE5.[デッドリー・トラップ!]②
レッシィとトラゾーの通信にルナは答えた。わざわざ自白に合わせての爆破…
この事実から、口封じと推測するのは容易であった。つまりジェイソンは、不利になるようなことをしたら殺して構わない程度の人物…
スコルピオにとっての消耗品であったということだ。時間稼ぎというルナの推測は、恐らく的中している。
そして皮肉にも、彼はルナが言った通り、『頭を吹っ飛ばされた』。
ジェイソンが殺害されたことは、ルナ達にとってなかなかの痛手であった。
確実に首領と対面したであろう彼が殺害され、手がかりを一つ完全に失ったのである。
結果的に、時間稼ぎ自体は成功したことになる。
そこで、九.五係のメンバーは別の角度から捜査を始めることにした。第八分隊隊長サナダの目的だ。
手がかりはライを狙っているということ。そして、彼による偽の首領逮捕がそこに加わる。
スコルピオの活動を止めたという功績から得られる地位、そして市民のみならずポリスの安心感。
邪魔者を合法的に排除し、シティポリスにおける発言権を強化する…
そしてそこから先は推測となるが、ライを手に入れるため、本来なら不可能な「一般市民の連行」を合法的に行う手段の確立。
ルナがジェイソンとの戦闘前に立てた推測を全員が共有した。
「…ただ、そこで気になるんだ」
オフィスで話し合いながら、ダイアンが首をかしげる。
「仮に彼がポリス内での発言権を高め、地位を手に入れたとして―――どうも目的というには中途半端な気がする」
「中途半端、ですか…」
サナダがいかに地位を得たとて、ここは連合警察本部ではない。
署長に並んだところで、実質的には国際連合警察との間をとりもつ中間管理職程度の立場だ。
いくら巨大犯罪組織とはいえ、第八分隊という働かない分隊を率いた彼では、逮捕一つでは連合の幹部になどなれない。
ライの能力をいかせるメカを彼は持っていない…なので、スコルピオに引き渡す気だろう。
即ち、直接彼が得られるものは無いのだ。ダイアンが疑問に思うのは、なるほど尤もである。
「そうまでして得られるものというか、得ようとしているものは…っていう話よね」
「うん、バイクの選定もだ。おかげでポリスの機動力は落ちた。スコルピオは活動しやすくはなるだろう。
しかし地位、ライの能力、ポリスの弱体化、スコルピオとの結託。全て成し遂げたとして、彼は何をしようとしている?」
メルも揃って首をかしげる。ルナもつられて考え直したが、思い出すのは第八にいた頃のストレスフルな日々だけであった。
否、一つだけ噂で聞いたのを思い出した。
「…関係あるか判らないんですけど…あの人、離婚歴があるそうです」
「離婚?」
「くらいしか聞いたことがなくて。あくまで噂で、それも人が言ってるのを聞いただけですけど…」
この程度の事しか思い出せないのは、彼女が第八分隊の人間に関心を持たなかったためだ。
「ということは、少なくとも結婚したことはあるわけだ」
「あのおっさんにママがいたの…?」
感心しながらダイアン意外そうに言うと、それまで発言しなかったレッシィがげんなりした顔で言った。
ママとは、要するにダイアンにとってのメル…つまり妻のことであろう。そして、レッシィはサナダと面識があるようだ。
「レッシィ、あの隊長の事知ってるの?」
「うん。前にあたいが新型バイク作った時、あのおっさんと第八のやつらにバカにされたの。
ルナのストライクハートの試作品。ガラクタとか使えないとかって…」
「………あのクソカスども!」
超合金のバットでも持ち出さんばかりにルナが怒る。
今はルナが乗ってくれてるから…とレッシィがどうにかなだめ、ダイアンが話を再度進める。
「ということは、サナダ氏のプライベートを知っている人物がいるかもしれない。というわけだ」
「噂が本当ならですけどね…でも第八の連中の噂ですよ。そもそも信用ならないです」
言い出したルナ自身も確信はないらしい。だが、実在するならかなり有益な情報につながる可能性はある。
調べる価値はある、とダイアンは確信した。
「まず離婚が事実かどうかを調べよう。そうしたらメル、事情聴取に行ってくれるかい?」
「まかせて!」
「ただ気を付けてくれ。彼女が情報源になるとすれば、サナダ氏かスコルピオも目を付けている可能性がある」
犯罪組織のボスが安全を保つには、僅かでも自身につながる可能性のある情報は全て消す必要がある。
即ちもしサナダの離婚が事実、かつ元妻が生存していれば、サナダからスコルピオのボスにつながるものと見て、第八かスコルピオに監視されている可能性は十分にある。
最悪の場合、元妻の殺害に出るだろう。その場合は護衛も行わなければならない。
「ええ。充分に注意していくわ」
「ルナはメルの護衛。ある程度距離を取って、近づきすぎないように」
「了解しました」
「レッシィはライを連れて逃走する準備だ。逃亡先の場所とルートを決めておいてくれ。
もしサナダ氏やスコルピオに攻め込まれたら、ここにはいられないからね」
ダイアンの意外な言葉に全員が目を見開く。
特に自分の部屋に色々なものを置いているだろうレッシィとトラゾーは顕著だった。
「え、そしたらここはどうするの…?」
「荷物を適度に抱えて、あとは置いていくしかないなあ」
そう聞いて、レッシィとトラゾーは露骨にうなだれた。
特にレッシィにとって、このオフィスは数少ない安らぎの場であり、開発や研究にも使っていた場所だ。
厳選した逃亡先が全くの安全だとも言い切れない。相当不安であろう。
ダイアンは二人を撫でて慰めた。
「本当に最悪の場合だよ。準備だけはしておいて、そうならないことを祈っててくれ」
「うん…」
「フニ~」
実際の所、スコルピオに関する一連の事件を収束させたいのであれば、まさしく対スコルピオ特務部隊への攻撃が最適だ。
平和的に終わらせる気があるのなら、署長の権限でこの九.五係を廃止することも考えられる。
一方で実力行使、例えば何がしかの特殊部隊が乗り込んで来ることも同様に考えられた。
いずれにしろ、署長という味方がいる以上、有利なのはサナダの方である。
ただ、その最悪の場合が翌日に起こるということは、この中の誰もさすがに考えてはいなかった。
翌日の夕方。ダイアンの調査により、サナダの元妻の所在が判明した。
現在、中央大学法学部で教鞭をとる若葉 育子教授。
第五十二区、高級所得者住宅街エリアに住んでいるという。
メルはQスマートに映し出したマップで住所と目の前の大きな住宅を見比べ、目当ての家であることを確認した。
次いで、ルナと通信して付近にいることを確認する。
門扉のセンサーにQスマートをかざして家人を呼び出す。同時に電子表札がセンサーの上に居住者の姓を表示した。
端末による身分証明が容易になった二十二世紀では、いわゆる呼び鈴は無くなっており、このように個人の身分証がその機能を果たしている。
身分証をかざすことで、居住者に来訪者の職業が伝わるようになっているのである。
インターフォンから聞こえたのは、年齢を重ねた穏やかさな声だった。
『はい、どなた?』
「恐れ入ります。わたくし、イーストシティポリス機動部隊第九.五係の、メルセデス・水江・フォンテーヌと申します」
『ポリスの方が何か御用かしら』
「第八分隊隊長、ダニー・シラノ・サナダ氏の事を伺いたいのですが…」
その名を出した瞬間、インターフォンの向こうの相手…サナダ隊長の元妻、若葉教授は黙り込んだ。
どうやら彼女も何かしらの情報を持っているようだ。答えるべきかためらっている…直に対面しなくとも、メルにはそれが判った。
数十秒経過したところで、表札の横に開錠を示すグリーンのランプが点灯した。
『どうぞ。手短にお願いしますね』
「ありがとうございます。お邪魔いたします」
門扉を通り抜け、玄関のドアを開けると、使用人らしき少女が出迎えた。
通信を一旦切るように言われ、武器や危険物のチェックを受けると、応接室に通される。
ソファに座って待っていたのは、メルが想像した通り、やや疲れた印象のある五十代の女性であった。
「急な訪問で申し訳ありません」
「いいえ。あの人の事は、いつか誰かに話さなくてはいけなかったから」
「ご協力ありがとうございます…あの、録音しても構いませんか?」
メルはQスマートを指しながら尋ねた。
あくまでこれは捜査の一環であり、要するに内部告発のために必要な音声資料の入手でもある。
それゆえ、メルには了承を取る必要があった。
「ええ。どうか捜査に役立ててください」
「ありがとうございます」
メルが向かいのソファに座り、使用人たちが紅茶を出したところで室外に出た。
Qスマートの録音モードを起動し、聴取が始まる。
「手短にとのことでしたので、単刀直入に。サナダ氏が何をしようとしているか、ご存じではありませんか?」
「何をしようとしているか、ですか…そうね」
若葉教授は黙り込み、しばし考えているようだった。
「目的までははっきり存じないけど、あの人はずっと苛立っていたの。このままでは奴に負けてしまう、と…」
「奴と言うのは、富士見という方ではありませんか?」
「名前は…そうね、フジミとか言っていたと思うわ。三年か四年ほど前かしら。
離婚したのはその頃のことよ。焦りが高じて、いつも恐ろしい顔をしていたわ」
どうやらルナの父に対し、サナダはライバル心か敵愾心をもっていたらしい。
同期入隊の隊員間にはよくある競争意識であろうか。
だがサナダは曲がりなりにも分隊長になれる程なので、決して無能ではなかったはずだ。
にもかかわらず、負けてしまうと焦っていた…ということは、単にルナの両親がずば抜けていたということだろう。
「どうにか高い地位に就こうとしていたのよ。それだけがポリスではないと、ずっと言い聞かせていたんだけど」
「けれど、聞いてはもらえなかったんですね」
「ええ。それで暴力が日に日にひどくなって、離婚したの。いつも怒って、私や物に当たり散らして。
自己顕示欲の強い人ではあるわ。そして野心的でもある。けど、それを満たす方法を思いつく機転は持っていなかった。
―――目的があるとしたら、恐らくそれに関わることね」
振り返る間、若葉教授は悲し気な顔を浮かべていた。元夫であるサナダに対し、彼女は怒りや嫌悪より、哀れみを抱いている。
そして自らが推測した彼の目的を、教授が口にしようとしたその時。
メルは周囲に異様な数の気配を感じた。メルは軽く手を上げ、彼女の発言を制する。
鍛えられた鋭敏な感覚は、この家の外での動きを鋭く感知していた。
困惑する教授を前に、メルは精神を集中して気配の数を数える。
(十…十五…二十人ほど。全員電磁加速アサルトライフルと煙幕弾で武装してる。
SMSの上に高弾性ラバーの防弾プロテクターね。メーカーは不明、材質にあの合金が使われてる。スコルピオ製か…
動きはある程度統率が取れている…シティポリスね)
気配の数を数え、消音ブーツが地面を踏む震動に混ざって聞こえる金属音から武装、震動の強さから重量・メーカー・材質を把握。
ついで室内を見回し、投擲武器になりそうなものを探した。
ティーカップ、筆記用具…教授は手書きでも書類を書いているらしい…、家具や調度品、書類の束、書籍。
ついでに持ってきたキャンディ。そして撃たれるだろう銃弾。
超人体質であるメルにかかれば、紙の一枚すら金属を切り裂く手裏剣になる。
「何? 外に何かいるの…?」
教授の不安を察し、メルは状況を説明した。
「静かに行動してください。この家は囲まれています。恐らくポリスの第八分隊に」
「ポリスに? 何故…」
「スコルピオの情報を外に出さないように、でしょうね。…これで確定したわ。彼はスコルピオと結びついてる」
スコルピオの名が出た途端、教授が驚きに目を見開く。
犯罪組織の名が出たこと、組織に関しされていたことの二つを突然知らされ、理解が追い付かないようだ。
恐らく盗聴器が仕込まれたのだ、とメルは推測した。であれば、迂闊に動くと屋内の状況が知られてしまう。
向こうの準備が整うまで、少し待つことにした。
「スコルピオ? 『キング・スコルピオ』なの? 何故あの人が?」
「恐らく目的達成のために。合法的な手段は放棄したのだと思います」
「そんな……」
教授の顔が青ざめ、ぐらりと傾きひじ掛けにもたれかかった。
サナダをよく知る彼女すら、そこまでは手を出さぬ一線と思っていたのだろう。
メルはそんな彼女の肩を支え、ソファから下ろして床の上に座らせた。
「合図をしたら伏せてください。外で隊を組んで一斉射撃の準備をしてます」
「……わかったわ」
まだ決して冷静ではないが、教授は状況を理解したようだ。
外から聞こえるわずかな金属音が止んだ。その間に教授は自分のタブレットを捜査し、使用人たちには自室に控えるようにと指示を出す。
殺気が周囲から押し寄せる。恐らく銃口を向けられた―――来る、とメルは察知した。
「伏せて!」
メルと教授が床に伏せた直後、猛烈な銃声と共に窓や壁が砕け散った。
Qスマートを操作し、近辺で待機しているルナに状況を知らせる。
「ルナちゃん、状況は判るわね!?」
『了解。すぐに行きます!』
通信を切り、メルは手元に転がってきた弾頭やガラスの破片を拾い集めた。投擲用の武器にするためだ。
斉射が一旦止むと、今度は窓から円筒状の金属の塊が飛び込み、灰色の煙を噴出した。煙幕榴弾だ。
視界を奪う上、ガスは有毒であった…それも一度吸えば後々まで後遺症が残る、毒性の高いガスである。
メルはエプロンを取り、煙を吸い込まないようにと教授の口元に当てた。
エプロンの生地はガスマスクと同様のフィルタ状になっており、煙やガスが充満する状況でもある程度は呼吸が維持できる。
そして当のメルは、鍛え上げた武術により長時間無呼吸・視覚なしの状態でも闘える。
煙の中から無数の音が聞こえた。乗り込んできた部隊は消音ブーツこそ履いているが、床に散乱した破片の音は流石に防げない。
全員が乗り込んできたのを音で確認し、メルは体を起こして弾頭を二つ投げつけた。
その速度は弾頭一つにつき時速六百キロを越える。SMSと防弾プロテクターで武装した構成員の腿と肩を直撃、たやすく貫通した。
「ぎゃあっ!!」
「ぐぇっ!」
「い、いてぇっ! なんだ!!」
構成員達のくぐもった悲鳴が響く。三人を無力化した。二十人ほどだとすれば、のこり十七人。
手元に集めた弾頭は残り二十六個、飛び道具だけで無力化できるのは十三人。残りは別の武器か体術での対処となる。
メルは若葉教授を抱え、部屋の隅に音もなく跳躍した。
構成員たちはセンサーによって体温か何かで彼女を感知してるようだが、突然消えて慌てているようだ。
跳んだ先で書類の束から何枚かを掴み取り、メルは指先で折り曲げて紙飛行機にする。尖端の鋭利さは金属にも勝るほどだ。
折り曲げてからすぐさま隊列の間に投げると、弧を描いた紙飛行機は数人のガスマスクを切り裂いた。
「げふ、げほっ! で、でろ! 屋外に退避しろ!」
割った窓ガラスから三人ほどが出ようとしている。メルはすぐに追いすがり、下段蹴りで彼らを転倒させ、ガスマスクも剥がした。
腿を折らんばかりの一撃で、倒れた構成員達は激痛とガスの毒性にもがいている。十四人。
直後、銃を構える音が聞こえた。銃口を向けられたのは若葉教授の方だ。
教授はこのガスの中で呼吸するのに精いっぱいだ。銃口を向けたのは四人。
「抵抗をやめろよ、九.五係の! 状況はわかってるんだろ!」
彼らが脅し文句を言っている間に、メルは四人の立ち位置をすぐさま把握してしゃがみこみ、爆発的な速度で走り出す。
下段蹴り、脇腹や顎への掌打、みぞおちへの肘撃ち、首に手刀、腹に膝蹴りや足刀蹴り…たちまちのうちに四人が倒れる。残り十人ほど。
「い、いでぇっ…いでぇ!」
「ウソだろ、このガスの中で…何で動けるんだ…」
メルがこのガスの真っただ中で状況を把握しているだろうことは、彼らにも理解できたようだ。
だがメルの事は超人体質だと知らされてはいたが、せいぜい過酷な環境下でも常人並みの行動ができる…くらいの認識だったようだ。
状況の把握についても、レーダーやサーモグラフィなどを使っている程度としか思っていなかったのだろう。
だが超人にして武術の達人である彼女は、鍛え抜いたあらゆる技法を超人のレベルで発揮できる。
気配を察知する能力、呼吸を止める能力、そのどちらにおいても人間の限界を完全に逸脱していた。当然、若葉教授の位置も忘れていない。
そして今のメルは、無辜の市民まで手に掛けるスコルピオと第八への怒りで、極めて冷酷になっていた。
無論命を奪う気はない。だが、彼らを無事で返す気も無かった。
若葉教授とメル自身を殺害するまで、彼らには帰る気が無い。ある意味で好都合でもあった。
すでに半分ほどの構成員達が倒れていた。
にもかかわらず、よほどの厳命なのか、メルの脅威を知ってもなお隊員達は銃を下ろさない。
一方、室内ではガスが若干薄れ始めてた。いずれ彼らも視界を取り戻すだろう。
その前に全員を片付けねば―――そう思った途端、メルのQスマートから声が聞こえた。
『ぐぅっ―――』
苦し気にうめく、ルナの声だった。立て続けに何かが激突したらしい、けたたましい音が聞こえた。
(ルナちゃん…?)
直後、通信が途絶える。
ガスの中の構成員達にはそれを聞き取る暇が無かったらしく、周囲からは慌ただしい声ばかり聞こえる。隊列を組みなおしているらしい。
彼らにこちらの状況を知られるわけにはいかない。視界の効かぬ中で命を狙われ、若葉教授の方も精神は限界に近いだろう。
早々に片付け、まずは一旦基地に戻る必要がある。あるいは、途中でルナを救助する必要が。
一方ルナは、メルからの要請を受けてすぐにバイクで若葉教授の家に向かおうとした。
高級住宅街の近辺、しかし住宅街にいては相手に待機がバレてしまうため、高架道路を挟んで反対側にあるビジネス街だ。
直線距離なら、せいぜい道路下のトンネル経由ですぐに住宅街に入れる程度しか離れていない。
だがトンネルに入った時、突如上空から何かが飛び降りてきたのである。
「ぅわっ!」
ハンドルを操作して降りてきた影を回避。影が着地すると同時に、トンネル両端の出入り口のシャッターが下りた。
閉じ込められたと知り、ルナはバイクをターンさせてブレーキをかけた。
照明が切れかかり、二.五メートルの高さ制限によって日差しもほとんど入らないトンネルの中、襲撃者と向き合う。
右手にコンクリートの壁。左手にフェンス、その奥のスペースに工事用の資材が積まれていた。
わざわざこのトンネルで待ち構えていたということは、若葉教授宅への訪問とルナの待機を察知していたのだろう。
情報が漏れたというより、当初からの計画の範疇であったと考えるべきか。
ルナはバイクから降り、ヘルメットのスキャナで襲撃者の装備を解析した。
人数は二人。体格から男性、特にトレーニングをあまりしていない若干たるんだ体型の中年男性と判る。
見たことも無い黒いSMSを装備し、背中には何かしらの機械を背負い、それ以外に武器などは持っていない。
ヘルメットのフェイスシールドは黒く、表情は全く見えない。
襲撃者の顔をグラフィック化しようとしたが、不可能と表示された。ヘルメットによって解析を疎外されているのだろう。
にもかかわらず、ルナに向けられる悪意に満ちた視線だけははっきり感じた。
スコルピオか第八分隊の隊員か、彼らに雇われた犯罪者か。ジェイソンの出所の件を考えれば、三つ目もあり得る。
ルナは銃を抜き、襲撃者に向けた。襲撃者二人は警戒せずにルナに歩み寄る。想定通りといえば想定通りの反応だ。
が、二人のうち一人の姿が突然消えた。直後、天井から消えた方が突然落下してきた。天井での三角跳びだ。
路面に撃ち付けられた拳が、アスファルトを粉々に砕いた。少なくともルナのSMSと同程度の性能はあるようだ。
立ち上がった襲撃者…仮に襲撃者A、もう一人を同じくBとルナは呼ぶことにした…Aがルナの顔面に右の拳を突き出す。
左腕で払うと、次は左フックを右手で払った。Aの動きは、全くの素人ではないが鍛錬はほとんどしていない。
ただ、SMSによってパワーは恐ろしいものがあった。生身でクリーンヒットされれば昏倒は免れない。
早めに片付け、メルの応援に行かねば…ルナは繰り出される拳の連打を全て捌き、膝の一撃をみぞおちに叩き込んだ。
が、その威力はSMSによって完全に吸収されたようだ。Aは何の反応も見せず、ルナの顔面に腕を伸ばそうとした。
危険だと判断し、ルナは距離を取ろうとする。が、そこでAの背中の機械が動いた。
金属製のアームが伸び、先端の三本指がルナの腕を捕らえたのである。
(やばっ…!)
鉄の腕に振り回され、背中からコンクリートの壁に激突する。
その腹に、さらにA自身の拳が叩き込まれた。SMSの防御によって致命傷は免れたが、それでも重い一撃に呼吸が止まる。
「ぐぅっ―――!」
続けて投げられ、今度は壁の反対側のフェンスに激突させられた。すさまじいパワーにより、フェンスの方が湾曲する。
今度はAの頭を跳び越え、Bの膝蹴りがルナの頭部を直撃した。ヘルメットが外れて資材の横に転がる。
体を起こしたルナの顔面に、着地したBの右の拳が襲い掛かる。直撃する寸前で首を曲げて回避。
腕を取って肘を逆関節に曲げようとするが、今度はBの背中のアームが、ルナの腹へと伸びた。
鉄の指が腹にめり込む前に、横に転がってそれをよける。だが、途端に脇腹に痛みが走った。
改めてルナは襲撃者たちの姿を見た。恐るべきパワーと防御力のSMS、さらに左右二対合計四本のパワーアーム。
ルナは脇腹を見下ろした。SMSとその下の皮膚が切り裂かれ、傷口から血が滴っている。
Bの方のパワーアームの先端には、長さ十センチほどの針があった。針の根元に小さな発電機がある。
突き刺して感電させる、スタンニードルという暗殺用の武器だ。尖端で切り裂かれたようだ。
ヘルメットが外れた以上、頭部への一撃はそれ自体が致命傷となる。さらにスタンニードルはSMSをも貫く。
ルナの装備への対策を立てられている…すなわち、これは計画的な襲撃だ。
Aが距離を詰め、ルナに殴りかかる。顔面を狙った右ストレートを避けると、立て続けにパワーアームのパンチが繰り出される。
鉄の腕を掴み、パンチの勢いを利用して引き寄せ、基部から引きちぎろうとする。が、その間にBが横から襲い掛かる。
パワーアームを放置し、ルナは転がってスタンニードルを避けた。だが避けた先にAに先回りされ、背中に蹴りを受ける。
ルナは吹き飛ばされ、顔面からアスファルトに突っ込んだ。転がって体を起こそうとするが、今度はその腹を蹴られた。
「げぅっ!!」
背中からアスファルトに叩きつけられ、更にAに左の肩を踏みつけられた。さらに両脚をアームで押さえられ、動きを封じられた。
両脚を動かそうとするが、アームのパワーはルナのSMSのそれを大きく上回っており、全く動かせない。
動かせるのは銃を持つ右腕だけだが、Aに向けた途端にBが駆け寄り、銃を蹴り飛ばしてしまった。
更にBは、アームの先端のスタンニードルをルナの脇腹に突き刺した。
「がっ…ぁああああッ!!」
ルナの全身がバチバチと火花を上げる。体内から焼かれ引き裂かれるような激痛に悲鳴が上がった。
SMSも一部が焼け、ところどころがスパークを起こす。
「おぁあああっぐぅぅぅぅ!!」
悲鳴を上げるルナを見下ろしつつ、襲撃者たちはいかなる反応も見せなかった。
だが、最初に感じた悪意の正体にルナは少しずつ勘付きつつあった―――彼らは二人とも、自分を見下している。
憶えのある視線だった。九.五係に異動する前から、そして現在も、時折向けられる視線。
逮捕術やバイクの運転などの技能が優れていようが、スコルピオの手先を逮捕しようが、それらを認めることの一切無い、徹底的に見下す視線。
―――こいつは俺達の下にいる。バカにしてやればすぐおとなしくする。いい装備があろうが、より優れた武装で黙らせてやればいい―――
憶えのある、下衆どもの視線だった。暴力警官としてではない、富士見ルナという一人の人間としての怒りが湧く。
数秒間の激痛から、やがてルナは解放された。熱、痛み、痺れにより全身を動かせず、襲撃者Aが足をどけても、仰向けで倒れたままだ。
武器は全て奪われた。体は動かない。動いても腕力では敵わない。絶望的な状況だ。
が、それで終わりではないようだ。襲撃者Aはルナの右腕を踏みつけてSMSの襟首を掴むと、一気に引きちぎったのである。
厚い人工繊維のスーツがバリバリと引き裂かれ、ボディスーツに包まれた上半身が露わになった。
そして襲撃者二人の視線の中に、もう一つ別の感情が混じった―――劣情だ。汚らしい視線に、ルナは吐き気さえ催した。
(くそっ…動けない……!)
スーツの断片を捨てた襲撃者がルナにのしかかる。だぷだぷした脂肪の柔らかさが気持ち悪い。
醜く肥満した体の下で、ルナは逃れようと必死にもがいた。だが手足がわずかに動く程度だ。
まだ足りぬと見たか、Bの方がしゃがみこんでアームの先端のスタンニードルを再び構えた。
Qスマートは動作しているが、今の状況では操作できず、救助要請も叶わない。
絶体絶命。襲撃者二人は、徹底的にルナの心身を踏みにじり、あらゆる気力を粉々に破壊するつもりのようだ。
先端が再び突き刺さるかと思われた、その時。ビジネス街側の入り口シャッターが突如粉砕された。
襲撃者たちは突然の物音に気付き、立ち上がろうとする。だが、それより先に二人まとめてロケット弾で吹き飛ばされた。
爆発の中、駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「富士見隊員!」
「嬢ちゃん、大丈夫か!!」
一つは若い女性の声、もう一つは落ち着いた男性の声。ヘイディとドルフだった。
ヘイディの手で抱き起され、ルナは襲撃者達から解放されたことでやっと安堵の息を吐いた。
ドルフは両手に対戦車ライフルと電磁加速ロケットランチャーを構えている。
そこにもう一人分の足音が駆けつけてきた。
「ドルフ隊長、ヤンセン隊員、奴らのSMSはメーカーや製造番号不明です! 恐らくスコルピオ製!
弾頭の破壊力はスーツで全て防御されていると思います!」
適切に分析したもう一人は、スタンツマンだった。
そしてスタンツマンの分析通り、襲撃者二人はヘルメットとSMSの部分的な破損以外全くの無傷で立ち上がった。
ドルフは重火器二門を構え、ヘイディは背中の銃に手を回す。
「じゃあどんだけ撃ってもいいってことだな!! あんなもん着てなくても、最初っから撃ちまくるつもりだったけどな!!」
「私の富士見隊員に下劣な所業を…許さない……!!」
「…いや、あなたのじゃないんですけど……今はいいです」
警告のつもりだったが、二人の怒りの火にガソリンをぶちまけるだけの結果となった。半ば諦めたスタンツマン。
ドルフとヘイディに視線を送ると、ルナは痛み痺れる体を押し、立ち上がった。
「援護頼みます!」
「任せろ!」
それだけ言って走り出す。視線の先にあるのは地面に転がった銃だ。
襲撃者たちがそれを阻もうとするが、ドルフはためらうことなく対戦車ライフルをぶっ放した。
銃弾が襲撃者Aの背中を直撃した。アームは耐えられずに破損し、衝撃にAは倒れ込んだ。
代わってBがルナに襲い掛かる。今度はヘイディが背中に抱えていた狙撃銃を構え、すぐに撃った。
弾丸は正確にBの膝の裏を直撃する。
ダメージにはならなかったが、着弾の衝撃でBは足をもつれさせ、転倒した。
その間にルナは銃を拾う。Aが立ち直り襲い掛かろうとするが、ルナは向かってくる顔面にためらいなく発砲した。
粉砕こそしなかったものの、フェイスシールドは銃弾によってひび割れ、Aの視界を奪った。
隙を見て、ルナは右手首の重力アンカーを発射し、バイクを引き寄せて両手で抱え上げた。
破損こそしたが、SMSの機能はまだ生きている。三百キロのバイクを持ち上げることなど、造作も無かった。
「どりゃあっ!!」
そしてルナはストライクハートを持ち上げ、Aの頭部に思い切り振り下ろした。
二十トンを持ち上げる腕力が、三百キログラムのバイクを軽々と振り回す。
前輪がAの頭頂部を直撃した。人体を殴ったとは思えぬすさまじい音が響いた。
ついでのように聞こえた硬い音から、Aが首を脱臼したものとわかった。
衝撃で三半規管にも異常をきたしたらしく、Aは足元をふらつかせていた。
「―――つぶれろォッ!!!」
続けて、ルナはバイクを振り上げた―――後輪がAの股間を直撃した。ぐちゃりと何かがつぶれる手ごたえがあった。
新型SMSでも防ぎきれない桁外れの一撃で、Aの股間は完全にミンチになったらしい。
「ぐぶぅぅぅぅぅっ!!」
Aは股間を押さえ、汚らしい悲鳴を上げた。その横っ面をルナはもう一度バイクでぶん殴り、吹き飛ばした。
Aは気絶し、コンクリートの壁にめり込んだ。
襲撃者Bはといえば、ルナの凶暴な姿に恐れおののいて及び腰になったものの、すぐさま立ち直って飛び掛かってきた。
だが先刻狙撃された膝に力が入らないらしく、またも途中で足をもつれさせた。
ルナは一度バイクを置き、銃口をBのヘルメットの顎部分に下から当て、すぐに発砲した。
密着状態の射撃による衝撃は流石に殺せず、Bの脳が揺さぶられる。
Bがふらついている間にルナはバイクに乗り、エンジンをスタートさせた。
「ぉらっしゃぁああ!!」
急発進し、膝を突いてBの前でターン。直後に後輪を持ち上げ、Bの胴体にぶつける。
メーターを映すヘルメットが無いので速度は判らなかったが、激突の衝撃はSMSでも防げなかったらしく、Bは吹き飛んでフェンスにめり込んだ。
その眼前にストライクハートの前輪があった。ターンの直後にルナが突っ込んできたのだ。
ルナは持ち上げた前輪を、ほぼ真上からBに叩きつけた。
襲撃者Bは地面にフェンスごとめり込み、さらに前輪の下敷きにされた骨盤と大腿骨、その他もろもろがつぶれ、粉々に砕ける。
「いぎぇああああ!!!」
醜い悲鳴の直後、痙攣していたBの体は動きを止め、ガクリとうなだれた。気を失ったらしい。
襲撃者二人を叩き潰したことでやっと落ち着き、暴走した蒸気機関のように息を荒げていたルナは、深呼吸で少しずつ平静を取り戻した。
―――〔続く〕―――