FILE4.[ライ・イン・ザ・デイドリーム]③
第四十五区行楽海浜。一方的な蹂躙から、せいぜい一時間半程度しか経っていない現場。
ルナはメンテナンスが完了したストライクハートを停め、スキャナを起動してまず路面を確かめる。
僅かに遅れてヘイディも到着。二人は軽く視線を交わし、バイクを降りた。
路上の破壊痕から弾丸の射出方向や射出速度、弾頭の硬度、
Eヘッドの機体重量やサイズなどが判る。
それら兵器に関わるデータはスタンツマンに送信し、分析を依頼した。
ルナが現場検証を申し出たのは、戦闘時に撃墜したABEMBポッド回収のためだった。
ドルフとスタンツマンもすぐに理解してくれたのは幸運であった。
バリア対策につながるであろうことを期待して、こうやって回収にきたのである。
そして目当てのポッドを探し―――愕然とした。別の分隊が回収作業を行っている。
それがよりによって第八分隊であることに、ルナは困惑した。
「ちょっと、邪魔しないでもらえますか!?」
先にかみついたのはヘイディだった。第八分隊の隊員たちが振り向く。
彼らのミニキャリアの荷台には、ルナが撃墜したポッドが積まれていた。
「邪魔だと?」
「そうです。検証は各分隊の合同で行うと通達があったはずです!」
「フン。署長命令を無視するのか」
だが、隊長は鼻で笑った。そして自分のタブレットを操作し、画面を空間に投影した。
この現場を検証するようにという、署長からの命令書であった。
「嘘! 私達、知らされてないです!」
「当たり前だ。この検証は極秘命令だからな。寄せ集めの連中になど任せられるか」
にべもなく突き放す隊長、そして周りに控える隊員達が笑う。
カッとなって掴みかかろうとするヘイディの肩を押さえ、ルナが替わって問う。
「現地に集まりもしなかった第八が、署長に何を任されたんですか?」
ミニキャリアに乗ろうとした隊長が足を止め、振り向いた。
どこまでも人を見下すその目に果てしない嫌悪を覚えつつ、ルナは答えを待った。
「バリア対策のためだ、と言っておこう」
「それはポリスの―――このシティの、シティに住む人たちのためになる対策ですか?」
予想外に食い下がるルナに、隊長は僅かに顔をしかめた。
ルナの隣にいるヘイディも、その質問を考えはしなかったようだ。
ルナの質問の意図。それはシティ以外のための対策である可能性を探り出すことだった。
そして第八の反応がわずかに遅れたことが、その可能性を炙り出した。
「当然だろう、そのくらい判らんのか。だから貴様は使えんのだ」
「バリアがどういう性能か、せめて映像や報告書だけでも見ました?
外装の硬度については? ドローンの名称は確認取れました?
それらの問題を解決する対策のアイデア、あなたの頭に浮かんでますか?」
矢継ぎ早に質問するルナに、隊長はしどろもどろになった。
現地に出動するか資料を確認していれば、大雑把にでも答えられる質問ばかりだ。
現場に出なかった彼らが、ルナには映像や報告書を確認しているとは思えなかったのである。
「答えられないんですね。対策、立てられるんですか?」
「それは…」
「おーぉ、ルナちゃんよぉ。一丁前に言うじゃんよ」
そこに割り込んだのが、第八の隊員…頬のたるんだ中年の男だった。
「何だぁ、ヒガミか? 大事なお仕事任されなかったからって?」
「いえ。第八に任せられる仕事ではないので」
厭味ったらしい言い方に、しかしルナは冷静に切り返した。
だが中年の男はヘラヘラ笑うだけであった。
ちょうどその時、ドルフとスタンツマンがのるミニキャリアが到着した。
降りてきたドルフはすぐさま状況を把握すると、二人の手を引いて車両の後部座席に押し込んだ。
「ドルフ隊長…! あんなのに任せるんですか!?」
「落ち着け。ここでキレたら署長命令無視になる。良くて謹慎、ヘタこくと懲戒だぞ」
「でも…!」
怒りの収まらないヘイディに対し、ドルフは冷静に諭す。
「懲戒免職されちゃあポリスの資格も剥奪される。その意味、判るだろ」
資格の剥奪、それはすなわちシティの住人を守れなくなることだ。
これ以上無いほどの正論であった。ヘイディは意味を理解し、悔し気にうなだれる。
だがそれがただ正論で諭すだけの意図ではないことは、助手席のスタンツマンの言葉で判った。
「富士見隊員が撃墜した一基が、もう一つのポッドに激突していたんです。
激突された方のは、ここから離れた場所に落ちたんですよ」
「じゃ回収するのはそっち?」
「ええ。場所の見当は付いてます」
ヘイディが安堵にため息をついた。ドルフが運転席に座り、ミニキャリアを運転して現場から離れた。
第八はもう一つの方に気付いていないらしく、その場から動かない。
ルナは現場検証が第八の担当にされたというメッセージをダイアンへと送り、
ダイアンからもそれが急な通達として各分隊のリーダーにのみ伝えられたと返事があった。
ミニキャリアはその場を離れ、交差点を曲がり倒壊したビルの裏に入る。
Eヘッド襲撃の現場とは、ビルを挟んで丁度反対側である。
そして狭い道路の上に、ほぼ無傷のポッドが転がり落ちていた。
「ありました!」
「本当だ…何でここに?」
「見てください」
ルナの疑問に、スタンツマンがビル二階の窓を指す。ケイ素形成の耐圧・耐震ガラスの窓が破壊された痕跡だ。
どうやらビルを貫通し、現場からこの通りまで転がり込んだらしい。
「ドルフ隊長とヤンセン隊員、急いで回収してきてください」
「あいよっ」
「了解!」
「富士見隊員は荷台で無重力解体スタンドを起動してください」
聞いたこともない機材の操作を頼まれ、軽金属の骨組みに取り付けられたスイッチレバーを、
ルナは困惑しながらオフからオンに切り替えた。恐らくスタンツマンの手製の、分析のための機材だろう。
荷台にはコンテナが積まれており、スキャナを起動しなければ内部は見えない。
ドルフとヘイディは車両から降り、ビルの向こうの第八に注意しつつ、忍び足でポッドに歩み寄る。
SMSの補助筋力により、成人男性十人分近い重量があるポッドを軽々と持ち上げ、
ルナが待機する荷台に乗せた。スタンツマンは荷台に映って解体スタンドを操作。
スタンドの骨組みの中にポッドを入れると、人工的な無重力状態によってポッドが浮き上がった。
スタンツマンはマグネット付き電動ドライバーを操作し、ポッドを解体し始める。
外された部品は空中に浮いた状態で固定された。
「それにしても、何で第八なんだかなァ…?」
ルナが後部座席に戻ると、運転席に乗り込んでエンジンをスタートしながら、ドルフは誰にともなく疑問を呈した。
助手席に座ったヘイディ、荷台で解体作業を行うスタンツマンも同じことを考えていたようだ。
ドルフはアクセルを踏み、車両を走らせて襲撃の現場から離れていく。
「本当ですよ。検証のことは事前に通達があったのに、突然署長命令、しかも私達には知らされないなんて!
署長に信頼されてるっていうことですか!? 第八が挙げた功績なんて、本当は全部富士見隊員のものなのに!」
「ヤンセン隊員、ここで怒っても意味はありませんよ。ただ…」
解体作業を進めながらスタンツマンがつぶやく。
解体作業は録画されながら進められており、その映像は第八以外の他部署に送信されている。
「僕らポリスに支給されるヴィークルは、彼らが選定している。富士見隊員が乗りつぶしましたけどね」
「……すみません、他の部署のまで」
「いえ、むしろ助かりました」
罪悪感から目を逸らしたルナは、スタンツマンの意外な言葉に向き直る。
「ポリスに何かが起こっているのが判りましたから。
あれに変わる前は、別メーカーの高性能なマシンだったんです。
あんなのを使ってたら、いずれウチの署はマシンが全部スクラップになるところでした」
「嬢ちゃんが暴いてくれたようなもんなのさ。
第八が俺たちポリスに全体に何かを起こそうとしてやがるってな。
幸い、前のメーカーの奴もそこそこストックがある。しばらくはそいつを使う」
ドルフに言われ、ヘイディのバイクをルナは思い出した。
自分が第八在籍時に乗っていた物とは別の車種であった。
「ドルフ隊長が、他の分隊に融通してくれたんです。おかげで安心して出動できます!」
支給されるマシンの変更時期を考えると、ヘイディは最初から自称『十年もの』を使っていたわけである。
それが安定した高性能バイクに乗れるようになったのだから、それは安心だろう。
「まぁ少数だけどな。いずれは元のメーカーに戻せるように、上層部に掛け合ってやるつもりだ」
―――少なくともこの三人は、イーストシティポリスに何か異常が起こっていることに気付いている。
いずれは彼らも味方として、九.五係の仲間にすべきだろう。
帰ったらボスに相談してみよう。ルナは内心でそう決めると、運転席のドルフに尋ねた。
「次はどこに行くんですか?」
「現場検証はパアになったし…市役所でも行くか。職員の安全を確認する」
「…奴に動きは無いんですか?」
苦い顔で答えたドルフに、ルナは続けて尋ねた。
「今の所はな。まああれから一時間と少しだ、向こうもすぐに動く気はないらしい」
ドルフは市役所から少し離れた有料駐車場にキャリアを停めた。
市役所ぎりぎりまで近づけないかとルナは尋ねたが、
Eヘッドに発見され、抵抗の意志ありと見られる可能性があると却下された。
なるほど、地上のポリス達を見下ろせる位置にいる。迂闊に目立つわけにはいかない。
周辺に並ぶのは、彼らが乗っているのと似たようなミニキャリアばかりだ。
ルナとヘイディはバイク用ヘルメット、ドルフはオールドスタイルの双眼鏡で、
シティオフィスビルの屋上に鎮座したEヘッドを観察した。
「パイロットの野郎、きっちりと警戒してやがるな」
ドルフが言う通り、パイロットは周囲を見回している。
ヘルメットのバイザーには望遠機能やスキャナがあるのだろう、
時折ヘルメット側面に手を置いて何かを操作している。
それに加え、ルナにはもう一つの可能性が思い浮かぶ。
「シティオフィス内の会話を盗聴しているかも知れませんね」
「なるほど。逃走や抵抗の意志があるとわかれば、即座に撃てるでしょうしね…
逆に今何もないということは、市役所の方も何も行動を起こしてない?」
ルナの考えから、ヘイディが新たな可能性を考える。
ただ、ルナの頭の中には一つの懸念があった。
「―――それか、役所の人たちに宣言したのかも。
抵抗するか逃げるかしたら撃つ、と」
「でなくとも、あんなのが乗っかってんだ。迂闊に動いて何されるか、判ったもんじゃねえよな…」
ドルフがため息を吐き、双眼鏡を下ろした。
「…奴を動かすには、奴と同等以上の単独戦力が必要だ」
「単独? 部隊では駄目なんですか?」
ヘイディに訊き返され、ドルフが答える。
「俺たちが寄り集まったところで、せいぜい豆柴の群れが巨獣に立ち向かうようなもんだ。
小粒の戦力程度じゃ、どれだけ寄せ集めても三歩で蹴散らされる」
「つまり、同等の質量やパワーを持つ大型のマシンをぶつけて止めると?
富士見隊員には、その戦力の当てがあるっていうことですか?」
ヘイディの質問に対し、ルナは答えあぐねた。
無いわけではない。成功すれば、先の会議で言った通りにEヘッドを撃破できる。
だが、今も開発担当のレッシィは悩んでいるはずだ。
市役所を人質に取られてから、すでに二時間近くが経過していた。
レッシィが手間取っているのは、先日見せてもらった『ある計画』らしい。
すぐに完成する物ではないことは、見せてもらったその時に既に判っていた。
既に必要なマシンは四台揃っている。しかし、揃っているだけで完成する物ではないのだ。
だが、九.五係ならきっとできる…ボスのダイアンも、ルナと同じく自身のチームを信じている。
根性論そのもので自分でも気に入らなかったが、ルナは根拠など無しに仲間を信じていた。
逡巡の末にルナがそう答えようとしたとき。
「できたぁっ!」
荷台でスタンツマンが叫んだ。Eヘッドを観察していた三人は、思わず飛び上がりかける。
箱型のコンテナでなければ外部に声が漏れ、発見されていたかもしれない。
「バカヤロお前、ビビらすんじゃねえよ!」
「見てください皆さん! これで奴のバリアを破壊できます!」
「聞けやお前」
ドルフの突っ込みも無視して、スタンツマンは何がしかの機械を突き出した。
一辺が三十センチほどの正方形の機械…だが、見た目だけでは何に使うのかもわからない。
用途不明の機械に首をかしげる三人に、スタンツマンは意気揚々と説明する。
「ABEMBポッドが張るバリアの周波数を逆算して、干渉する電磁波を発生させる『アンチバリアチップ』です!
チップではあるんですが、大型のヴィークルに搭載するのが前提なので、少々大きくなってしまいましたが。
バッテリーはこのチップにプレート型を搭載しているので、ヴィークル本体のパワーソースとは無関係に稼働できます」
「え、この短時間で!? じゃあ、あとは搭載する大型マシンがあれば、ですか!?」
ヘイディが驚きながら身を乗り出し、チップを覗き込んだ。その隣でドルフは考え込んでいる。
彼が考えているのは、その『大型マシン』…すなわちEヘッドに対抗しうる戦力のことだった。
シティポリスで用意できるマシンは限られている。このチップを預けるのであれば、最も大きなマシンを持つ分隊…
つまり九.五係しか考えられないが、それでも不足であったのは、ドルフも現場で見ていた。
そしてドルフだけではなく、考えることは全員が同じだった。
圧倒的に戦力が不足している。ならば、最も有効な戦力を持ちうる者達に渡すべきだ、と。
三人はうなずき合い、揃ってルナの顔を見た。
「嬢ちゃん。あんたたちがこいつを使え」
「いいんですか?」
ドルフが言うと、スタンツマンがアンチバリアチップを差し出した。
「はい。僕達のマシンでは、搭載してもアレに対抗できるほどではないでしょうし」
「真っ先にできると言ってくれたのは富士見隊員ですから。私からもお願いします」
「何かあったら、分隊長の俺がどうにかしてやっからよ。ほら、受け取りな」
ヘイディとドルフがそれを更に後押しする。
ルナはスタンツマンの手からチップを受け取り、三人の顔を見比べた。
三人とも笑っている。ルナを、あるいは九.五係を信じている。
託した、とその目が言っていた。
「判りました。これ、使わせていただきます」
「おう。頼むぜ!」
うなずくルナの肩を、ドルフが軽く叩いた。
みんながうんうん唸って何かを紙に書いている。
特に切羽詰まっているのは、いつもは猫さんを抱いているあの子…レッシィだ。
ボスとママさんが何か書いた紙を渡すと、床に寝そべったレッシィがそれを見て、手元の光る板を叩く。
それから空中に浮かんだ画面を何秒か見て三人で落ち込む。この繰り返し。
大変なお仕事をしているんだろう。けど、進展が無いみたい。
外では何か大変なことがおこってて、ルナさんはそれをなんとかできると言ったとか。
あの人はみんなの意見なんて聞いていない。けど、気持ちはみんな同じだとわかる。
外で起こっていることに、みんなで立ち向かおうとしている。
している、のだけど―――
「んにゃぁ~~~~~!!」
レッシィが床にうつぶせになり、金切声を上げながら髪をかきむしる。
そして叫びながら床でじたばたと手足を動かす。何時間か前から繰り返した光景だ。
ボスがレッシィを撫でて、ママさんが次の紙の束を取りに行く。
猫さんは今まで書いた紙を電磁ステープラでまとめ、ボツと書いたカーボンボックスに入れていた。
またうまく行かなかったようだ。
どうしてだろう。どれだけ頑張ってもうまく行かないのは。
ママさんは時計を見ている。余裕の無さそうな顔だ。何かのタイムリミットが近いんだろうか。
作業が始まってからどのくらい経ったか、わたしには判らないけど。
「ただいま戻り―――レッシィ!」
そこにあの人、ルナさんが帰ってきた。何か板みたいなものを持ってる。
三人の様子をみて、ルナさんも困惑する。
三人ともすっかりくたびれて、元気なのは猫さんくらいだ。
その猫さんも、友達のレッシィを慰めていて表情は晴れない。
そしてレッシィは、ぐすぐすと泣いていた。
「フニ~」
「もうやだぁぁぁ!! 何でうまくいかないのぉ!!」
レッシィはうつ伏せになったまま、泣きながら両手で床を叩く。
その音があまりに大きくて驚いたのか、ルナさんがレッシィを抱きしめた。
それを見ているルナさんはと言えば、むしろ自分の方が申し訳なさそうにしていた。
レッシィはなんとか落ち着いて、ルナさんを見上げた。
「…ごめん。アタシが無茶なこと言ったから」
「ぅ…ち、ちがう…ルナはわるくない。あたいがうまくOS変えられないから」
謝るルナさんに、レッシィは縋りついて、それこそ仔猫みたいに体を丸めた。
そこにママさんが声をかける。
「…レッシィちゃん、やりたいことを一回言葉にしてみない?」
ママさんの意見にレッシィが首をかしげた。
レッシィは思いつきを発明にする子だ。目的を言葉にするのには、多分慣れてない。
ボスが助け船を出して、よりかみ砕いた説明をする。
「うん。最終的にレッシィがやりたいことはみんな判ってる。
そこまでに必要なこと、邪魔なことを洗い出すんだ」
「あらいだす…」
レッシィが意味を理解するまで、皆で待った。
落ち着いたところでルナさんが尋ねる。
「それで、うまく行かないっていうのはどこ?」
「えっと…」
レッシィがVRボードを叩くと、画面に並んだ四台のマシンのCGが動いた。
動いたどころじゃない、形を変えた…文字通りに。そして重なり合い、全く別の形に変わった。
すごい発想だ。わたしどころか、普通の人では思いつかない。
けど、レッシィは浮かない顔だ。
「こっちのモードにすると、マシンがうごかなくなっちゃう」
「切り替えた途端に動作が止まるのね。原因は判る?」
ルナさんがもう一度訪ねると、今度はOSのプログラムを映して、レッシィは少しずつスクロールさせた。
「たぶん、ハングアップしちゃうんだとおもう」
「マシンのモードとこっちのモード、両方で動作してるのか…」
画面を覗きながら、ボスがつぶやく。
ママさんだけはちょっと判ってない感じ。けど、深刻なのは伝わってるみたい。
つまり何が起こっているかというと、二つのOSを同じソフトで同時に動かしてる状態。
「…となると、OSをもう一つ組むしかないな。こっち用のを」
「もうひとつ…」
レッシィの顔がさすがに青ざめた。OSを組むのは、レッシィでも大変だと思う。
心配そうなママさんがその顔を覗き込んだ。
「…レッシィちゃん、それだとどのくらいかかる?」
「がんばっても一日…でも、それじゃ…」
外で何かが起きていて、どうやら一日さえもかけてはいられないらしい。
ただでさえ大変なのに、タイムリミットまである…
「…アタシ達で時間を稼ぐしか無いか。その間にできるだけ急いで」
「でも! …でも、あのでっかいやつ、強いんでしょ!?」
「うん。だからポリスの兵器全部持ち出して、どうにか止める」
ルナさんは悲壮な決意を語って聞かせた。けど、他の誰も納得なんてしていない。
何が起こっているのかはわからないけど、OSを組み直さない限りはどうにもならないみたい。
みんなが頑張っている。けど、とても苦しんでいる。
(わたしだけ、どうして何もできないんだろう)
ちゃんと見えてる。聞こえてる。周りがどうなってるのか判るのに。
頭の中は渦巻く無数の数字と記号を受け入れるので精いっぱい。
どうして。どうしてわたしの頭はこんなことに使われているんだろう。
子供のころからずっとこうだった。原因は判らない。お医者さんにもどうしようもなかった。
けど、みんなは私の事を迎えてくれた。何も言わずに、ここにいさせてくれる。
特にルナさんは、わたしの目を最初から、ちゃんと見てくれた。
その人たちのために、わたしは何かしなくちゃいけない。
わたしは、何かしてあげたい。この頭の中に渦巻く、たくさんの文字と記号で。
動いて、わたしの体、うごいて。
どこか一か所だけでもいい―――うごいて!
ドサリと背後で音が聞こえ、全員が振り向いた。
ソファに座っていたはずのライが、床の上に倒れている。
ルナが抱え上げ、再びソファに座らせる。その時、ルナの眼がライの手を見つめていた。
膝の上でいつものように震えるように動く手をしばし見つめ、やがてその目が見開かれる。
「―――ボス」
呼ばれたダイアン、そしてメルとレッシィとトラゾーがライの周りに集まった。
ルナがライの手を指し示す。いつも通り膝の上で不規則に動く指に、全員の視線が集まった。
「ライの手がどうかしたのか?」
「これ…この動き……」
「キーボードをたたいてるんじゃないですか?」
言われて、ルナ自身を含めた全員が信じられないと言わんばかりに顔をしかめる。
だが、メルがかつての隊長と副隊長…ルナの両親、英雄と愛依に言われたことを思い出した。
「切り札…ボス、富士見隊長が言ってたわよね」
「パパが…じゃあパパは、ライのことを知っていたんですね」
「そうだ。切り札になってくれるかもしれないと…
彼女は、ここに来るまでプログラミングをさせられて…」
かつてライをこのオフィスで迎えたダイアンとメルが、当時の英雄の説明を思い出す。
もしその能力を活かせるのなら、間違いなくレッシィの計画は成功する。
問題はライの意志だ。彼女の能力をただ利用するだけにならないだろうか。
だが、レッシィがここで発言した。
「ライ、ちゃんとすわってたよね。でもいきなりゴロンってなって…」
「レッシィ、どういうことだ?」
「ライが自分で動いたんじゃない? みんなが気づくように」
ダイアンとメルが顔を見合わせる。ライが自分で動けないことを、二人はよく知っているからだ。
だがレッシィとトラゾー、そしてルナは、それを覆すことを考えている。
「だって、ほかに考えようがないじゃない。自分で動かなきゃ、床におっこちたりしないよ!」
「フニ~」
トラゾーも後押しするように主張する。
そしてルナとレッシィの発言から導き出されうる結論は、大人の二人には想像の範疇外にあった。
「だとしたら、だとしたら…ライは…」
「ずっと目を覚ましてて、私達を見ててくれたっていうこと…?」
その可能性はあると、ルナとレッシィはためらいがちにうなずく。
全員が顔を見合わせ、もう一度考慮した。
九.五係の面々の事をずっと見ていた。そしてメンバーが気づくよう、自ら動いてくれた。
それが本当なら、力になってくれるのかもしれない…
「ボス、ライに任せてみませんか。もしアタシ達の考えが当たってるなら」
「あたいも、あたいもライにおねがいしたい!」
「フニ~」
年若い二人とトラゾーの後押しを受け、ダイアンとメルは顔を見合わせた。
残り時間はまだ余裕がある。だが、OSが組めないことには、時間がどれだけあっても意味が無い。
ならば、最もその経験があるだろう人材に任せるのがベストだろう。
ダイアンは決断した。
「ルナ、VRボードとモニターをライに貸してやってくれ。
OSのデータは九.五係のサーバにある。
それと、ライのそばにいるように。この子が無茶に走らないように見ていろ」
「はい!」
いわばライの御守りだ。ある意味最も重要である。
「レッシィはトラゾーと一緒にセイルステッパーの底面にAGMT搭載。
ママはメンテを引き続き行って、完了次第食事を作ってくれ。
私は署で、他の分隊と現地での作戦を練る。何かあったらすぐ連絡しろ」
「うん!」
「フニ~」
「判ったわ」
全員が自分の仕事を把握したところで、ルナは先ほど受け取ったチップをレッシィに手渡した。
「これで奴のバリアが破壊できる。どれかのマシンに乗せて。第三分隊の人が作ってくれた」
「わかった!」
そして、全員がそれぞれに行動を開始する。
ダイアンがオフィスを出て、レッシィは格納庫、メルはモニタールームへ。
ルナはライをもう一度ソファに座らせ、Qスマートを操作してVRボードとモニターを空間に投影。
ライの手を取り、VRボードに乗せた。
途端、細い指が凄まじい速さで動き出した。モニター上の文字の羅列が情報へスクロールしていく。
ライの両目は大きく見開かれている。その目には、確かに強い意思が宿っている。
「すごい…」
ためらいも無くキーボードを叩く彼女には、熟練のハッカーの風格すら漂っていた。
ライが見る光景がルナにも見えたのなら、頭の中に浮かぶ無数の文字と記号が無数の色に煌めいて見えたことだろう。
レッシィの計画を見ながら、この時彼女は初めて心を躍らせていた。
普通の人間ならまず考えないであろう計画だ。
だがレッシィは、残り時間が僅かという焦りで思考を硬直させてしまった。
マシンをマシンのまま使う発想に固執してしまったのだ。
自動車に自動車と船の機能を両方搭載するようなものだ。
イマジネーションとインスピレーションでマシンを開発し、
試行錯誤を重ねるレッシィの開発方法も、今回ばかりは枷になった。
ライは、先にレッシィが組んだOSを応用し、普段のヴィークルと独立させて組むことにした。
必要に応じて二種類のOSを切り替える。
切り換えた後はそれぞれの機能に完全に特化する。
先ほどの例に沿って言えば、自動車から潜水艦に乗り換える発想だ。
同一のマシンに乗っていながら乗り換えるとは妙だが、それ以外に説明の使用は無い。
ルナは時折ライの口にストロー付きボトルで水を含ませつつ、他のメンバーの状況もQスマートで確認した。
レッシィはトラゾーと共に、セイルステッパーにAGMTと着陸脚を搭載する改造を施している。
地上での行動を可能にするためで、AGMTの方は海上でも機能するため、事実上の改良である。
メルの方はほかの三台をメンテナンス中。先刻の市街地での戦闘で破損した箇所を中心に修理している。
繊細な指先の動きを再現するロボットアームを使用し、またたくまに修理をしていく。
ダイアンが出席している会議では、他の分隊長が真剣に彼女の話を聞いていた。
第八の隊長だけが出席していない。対策を立てると言っていたのは、恐らく何か別の事をするための方便だろう。
時計を見ると、指定された時間まで残り十八時間前後。
マシンの改造とメンテナンス、OS搭載後の試験、各分隊ごとの行動の通達、その後の作戦実行…
そして何より、リミットよりもっと前に作戦を実行しなければならない。
行動が遅れれば遅れるほど、シティは恐怖に晒される。思ったほどの余裕は無い。
可能な限り迅速に動かねばならなかった。
―――〔続く〕―――