終わらないかくれんぼ
お父さんが死んでしまってから、3年が経った。あれ以来、ぼくにかくれる場所はなくなってしまった。
事故だった。
高速道路で、追い越し車線にはみ出して、トラックに巻き込まれてしまった。死んだのはお父さんだけじゃなく、玉突き事故で、合計3人が死亡、10数名が負傷する大事故になった。当時、ニュースでも大々的に取り上げられていたから、覚えている人も多いかも知れない。
初め、友達も親戚も、みんなぼくらに同情的だった。通夜でも、ぼう然とするぼくらを一生懸命お世話してくれて、とっても心配してくれた。だけど、数日後。ドライブレコーダーから、お父さんが居眠りをしていたのが見つかって、それから空気は一変した。
警察は事故がお父さんの過失によるものだと判断した。
ケイサツハジコガオトウサンノカシツニヨルモノダトハンダンシタ。
お父さんは会社員で、だけどそれだけではとても養えないからと、実はこっそり夜も働いていたのだった。お母さんのお腹の中には弟になる小さな命があって、それで無理をしていたみたいだった。だけどもちろん、だからって他人を巻き添いにして事故を起こしていい訳がない。お父さんは悪者ワルモノになった。
もう死んでしまったからだろうか。報道はそれから長くは続かなかったけれど、連日、お父さんは知らない人から強い口調で責められた。SNSにも、批判のコメントが溢れかえって、それも長くは続かなかったけれど、言葉は一生残るものだった。
事故から数週間経って、ぼくは再び学校に行ったけれど、正直その時の記憶はあまり無い。
みんな腫れ物に触るみたいにぼくと関わろうとしなかったし、ぼくにもその気持ちはよく分かった。なんて声をかければいいか分からなかったのだと思う。そんなのぼくにも分かる訳がない。自然と気まずくなって、やがてみんなぼくを無視するようになったし、ぼくもぼくで、誰かに話しかけることもなくなってしまった。
それに、やっぱりと言うべきか、ぼくを責めたり、こっそり写真や動画を撮る人は後を絶えなかった。今では子供からお年寄りまで、ほぼ全員が個人用のスマホやカメラを持っている。ぼくに逃げ場はなく、砂漠に取り残された虫ケラみたいに、一日中好奇の目線に晒されることになった。周りの視線や、雑談が針のように刺さるものだと初めて知った。どこからともなく聞こえるシャッター音、街角でぼくを指差す人々、柵の向こうの動物でも見るような目つき、矢のように飛んでくる嗤い声……。
ぼくは自然と俯き気味になった。街で車に轢かれそうになったことも何度かあった。帰宅していると、見知らぬ人が急にぼくの横に軽トラを停車して、「お前のせいだ」と怒鳴られたことがある。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
謝る前に、その人はトラックを発進して何処かへ走り去ってしまった。街中の人に見張られている気分だった。いや、半分はぼくの被害妄想だったかも知れない。でも、一度その味を知ってしまうと、もう周りの人は、みんなそう言う風に見えてしまうのだった。逃げたかった。何処かに隠れる場所が欲しかった。
それからぼくの、かくれられない”かくれんぼ”が始まった。
どこかに身をかくす場所はないかと、ぼくは狭い場所や、暗い場所を探しては閉じこもった。だけどみんな、見つけるのがとても上手なのだ。ロッカーにいたって、トイレにいたって、気がつくと隙間からにゅっ! と手が伸びてきて、無機的なシャッター音が響き渡る。そして数分後には、その写真や動画がインターネットに出回っているのだった。そう言う『遊び』らしかった。かくれんぼと同じように、ぼくやお母さんを探し回って、撮影して晒す『遊び』。その『遊び』も、数ヶ月後には大抵の人は飽きてしまったけれど、でもやっぱり一生残るものだった。
事故から3年経った今も、前ほど酷くはないけれど、まだ同じようなことは続いている。
もういいだろう。もう、十分だろう。ぼくはいつもそう問いかけるんだけど、みんなの答えは決まっている。まぁだだよ。もういいかい? まぁだだよ。モウイイカイ? マァダダヨ……。
今、鬼は誰なんだろう? ぼくのかくれんぼは、いつまでも続く。