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*5* 麗しい故郷の色。


 明日の仕込みをしようと店のカウンターに座ってレシピ本をめくっていたら、ふとあることに思い至り、壁にかけたカレンダーに視線を移す。理由は日付の下に小さくその日に一番良く出たメニューを書き出してあるからだ。


 そこで疑問が当たっていたことに思わず「あ、やっぱり」と独り言が零れた。


 そんな私の声にいち早く気がついて飛んできたのはシュテン。レシピ本と膝の間に出来た僅かな隙間に鼻面を突っ込んで尻尾をブンブンと振りながら、まるで相談に乗るよと言わんばかりに見つめてくる。


 そこへ踊り場の客席で明日の準備をしていたウルリックさんとイワナガが合流。両端と膝を占拠されやや狭いけど幸せな距離感に笑えば、ウルリックさんは「で、何が気になんだよ?」と私の眉間をつついてきた。


 イワナガも「ウォフ」と急かすように鳴くので、二匹と一人に見えやすいようレシピ本をカウンターの上に広げる。


「えーっとですね。最近面白さを求めた食材を使用しすぎて、ちょっと普通に食事がしたいお客様用の新メニューが手薄になってきたなーと思いまして」


「おう。だけどそれは今更だろ」


「あ、ですよね。それはそうなんですけど……最近ちょっと“デートかな?”っていう若手の冒険者さんなんかもたまにいらっしゃるんですよね。シュテンとイワナガという二大癒しモフモフがいるので誘いやすいんだと思うんです」


「ん。それで?」


「特にどっちか片方がもう一人に脈ありなのかなーって時が多くて。そんな時に見た目がヤバめの食材使ったご飯ってありですか?」


「普通に考えてない。少なくとも耐性ない奴なら一回誘われただけで、誘った奴とは金輪際飯を食う気にはならねぇだろうな」


「ですよねー」


 歯に衣着せぬウルリックさんの言葉に頼もしさを感じつつ、無視出来ない現実に溜息をついてしまった。このままだとうちのお店にデートに来て駄目になってしまうご縁が出てしまう。それはなんとしても阻止しないといけない。


 シュテンとイワナガは私とウルリックさんの指示を待つように、ジッとお座りの姿勢を崩さずこちらを見上げている。今夜の夕飯はもう済ませてしまったから、今から新しいレシピを考えても試すことは現実的じゃないし……と、ウルリックさんがポンと私の頭を撫でた。


「一般的なメニューに煮詰まってるなら、次の定休日は良いとこに連れてってやるよ。運が良けりゃ何か思い付くだろ」


「良いところですか? 森に食材を探しに行くんじゃなくて?」


「いや、行き先は森であってる。まぁ……アカネは気に入ると思うぞ。シュテンとイワナガは知ってる場所だ。あとは現地に行ってみてのお楽しみってところだな」


 そんなわけで、今度の定休日はウルリックさんと、シュテンとイワナガでミステリーツアーをすることになったけど、勿論そんなネーミングをつけたことは黙っておいた。ミステリーなのは食材だけで充分だって言われそうだったからね。


***


 ウルリックさんとの約束から三日後。


 天気は前日から快晴で、風も穏やか。楽しみすぎてちょっとだけ寝不足気味なのは内緒だ。暖かい日差しにまだ固くなりきっていない若葉の緑が眩しい森の中を、二人と二匹でのんびり進んでいたのだけれど――。


 ふと風に乗って来た香りにお腹の虫が“ドゥビ・ドゥビ・ドゥ”と陽気な合いの手を入れてしまった。隣ではウルリックさんが肩を震わせ、先を歩くシュテンとイワナガは空を見上げてふんふんと鼻を鳴らす。腹を鳴らしたのはいつものように私だけ。いい加減にこのご機嫌な音機能をなくして欲しいです、お爺ちゃん神様。


「あの、どこからか風に乗って良い香りがしてきますね?」


「ブッ、フ、クッ……そうかよ。一応聞いとくが、オマエの言う良い香りってのはどんなもんなんだ?」


「ええ……何だろう……故郷のお菓子の桜餅みたいな」


 口にしてからそんなはずがないと思い直したら、何だかほんの少しだけ胸の奥がキュウッとした。ああ、そうか。今の季節は前世なら桜の時期に近いんだ。入院前は家族でお花見に行ったし、入院中は車椅子を押してもらって病院の敷地にあった桜を見に行った。


 季節の変わり目、特に春先はセンチメンタルになりやすい。健康でない身体と来年も大切な人達とあの儚い花を見ることが出来るか、そればっかり考えてたっけ。


 ――と、不意に身体の両側が温かくなったことに気付いて視線を落とせば、そこには私に寄り添うみたいに歩くシュテンとイワナガの姿があって。斜め後ろから「先を越されちまったな」というウルリックさんの声が聞こえた。


 そして慌てて振り返った私に向かい、バツ悪そうに「悪い。喜ぶかと思って連れて来たんだが……想像が足りなかった。何か悲しいことを思い出す匂いなら帰るか」と。そんな風に言ってくれた。


「いいえ、違いますよ。凄く良い香りです。懐かしくて大好きな人達のことを思い出せる素敵な香りですよ」


「無理、してねぇか?」


「ちっともしてないです。ウルリックさん達と一緒に早く見たいくらい」


「そうか。だったらチンタラ歩いてる場合じゃねぇな――っと!」


「ひょわあっ!?」


「シュテン、イワナガ、オマエ等のご主人様が早くみたいと仰せだ。行くぞ!」


 いきなり横抱きにされて変な声を上げた私を気にも止めず、イワナガがウルリックさんと並走して、シュテンが先導するように駆け出した。顔の横でお揃いに編んだ三つ編みが走る上下運動に合わせて揺れる。


 車椅子の時のように労りのない速度。振動。風。ビュンビュンと過ぎていく景色。ウルリックさんの首に抱きつきながら味わう初めての春に、何故だか涙が溢れた。そのうちの幾つかがウルリックさんの首筋に当たって、一瞬視線をこちらに向けてくれた彼がぎこちなく微笑んだ。


 先頭のシュテンが立ち止まり喉を反らせて遠吠えをすると、一気に横を駆け抜けたイワナガがシュテンの隣に止まって遠吠えを重ねる。徐々に走る速度を落としたウルリックさんの胸からは力強い心音が響いて、グッと一度喉仏が上下したかと思うと「ああやって他の魔物を散らしてんだよ」と教えてくれた。


 そして抱きついている私に「驚かせたいから目を閉じてろ」と言うから、私も素直に従って目蓋を閉じる。サクサクと草を踏む音にシュテン達の息遣いが重なる間にも、どんどん淡くも懐かしい香りが濃くなっていく。


「アカネ、もう目を開けても良いぞ」


 低くて優しいその声に目蓋を持ち上げると、視界いっぱいにあの薄桃色の靄が広がった。瞬間喉の奥が塞がって息が止まる。小さな花の形はよくよく見れば私の知っている桜とは違うのに、これは紛れもなく前世と同じ幸せな記憶になるだろう。


「アカネ……どうだ。この景色はオマエの新しい“大切”になれそうか?」


「な、り、ます……っ。もう、なってます」


「おう。だったら良かった。降りて見てみるか?」


「は、い、見たい、です」


「なら早く泣き止め。せっかくの花が見えなくなるぞ」


 そう言って額に口付けを一つくれたウルリックさんが、そっと地面に降ろしてくれた――ら、にじりよって来ていたシュテンとイワナガに顔中舐められて泣くどころの話ではなくなってしまった。


 一番大きな木の下までいくと、ちょうど良いタイミングで柔らかく吹いた風が枝を揺らして花吹雪が舞う。前世だと物悲しい気分になったのに今世でそうならないのは、口を開けて花弁を食べようと格闘するシュテンを見て呆れるイワナガがいるからかもしれない。


「ウルリックさん、この花って何て言う名前なんですか?」


「えーっと……確かチェイニーだ。オマエの故郷にもこの花があったのか?」


「いえ、この花じゃないんですけど、良く似た雰囲気の花です。私の故郷だと桜って言いました」


「腹を鳴らしてたってことは、食い気に繋がる何かがあるんだろうが……この木がつける実も食えるぞ。可食部は少ないけど甘酸っぱくて割と旨い」


「そうなんですね。だったらますます似てます。桜にも実がなるので。ジャムにすると美味しいんですよ。あと、葉っぱで包んだお菓子。色もこの花に似せてあって可愛いんです」


 そこからしばらく持ってきたお弁当を皆で食べながら、お花見の時に食べたことのあるベビーカステラや串焼きや綿菓子の話をしたりして楽しみ、食後は腹ごなしにその周辺で食材の採取を始めた。


「凄いイワナガ! 持ってきてくれたってことは、これも食べられるんだよね?」


 グネグネと蠢く目も口も分からない大きな陸棲のナマコ。それがイワナガが咥えてきた食材(?)のイメージだった。流石はイワナガ。私の見込んだ珍食材ハンターだけあって引きが強い。


「待て待て待て。当初の目的だった普通のメニューはどうなったんだ」


「大丈夫ですよ。食べてみて味の似ているものがあれば、代用食材に差し替えて調理したら良いじゃないですか! どんな味がするんでしょうね?」


 ドヤ顔で胸を張る真っ白なイワナガを撫で回していたら、ウルリックさん側に立つことにしたらしいシュテンが「ヒャウウウーン」と情けない声で鳴いて。渋い表情のウルリックさんが「どうしても食わない選択肢はないんだな」と、項垂れた。

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