*1* ある日、森の中。
息を潜めて緑が視界を塗り潰す森の中でシュテンと腹這いになり、耳を澄ませる。そうすると私の顔が真横にくることが嬉しいのか、尻尾を振って音を出しそうになるシュテン。
その可愛いけれど困った尻尾に苦笑しつつ、ウルリックさんからの合図がくるのを待つ。しばらくするとお腹をくっつけていた地面が、ドッドッドと車かバイクのアイドリング音のように揺れた。
その瞬間、可愛いだけだったシュテンの鼻の頭に皺が寄り、めくれ上がった口の隙間からズラリと並んだ太くて鋭い牙が覗く。捕食者の表情になったシュテンに対して心強さを感じていたら、待っていた合図――……空気を裂くようなウルリックさんの口笛が響いた。
次いで彼に追いたてられたやけに筋肉質なウサギ(?)の魔獣が、目の前の茂みから飛び出してくる。
大きさにしてシュテンと同じくらいのウサギ。可愛いの上位から数えた方が早いはずなのにどういうわけかまったく可愛くないウサギは、一瞬こちらに怯んだ様子を見せた後、前後逆だけれど後門の虎と前門の狼に、最早逃げ場なしと悟ったのか飛びかかってきた。
勢い良く踏み切ったウサギの後ろ脚が地面をえぐり取る。さっきから響いていたアイドリング音はこの音だったのか――と、隣で腹這いになっていたはずのシュテンがその巨体をしならせて迎え撃った。
シュテンのお得意技の捻りをきかせた抉り込むような体当たりに、ウサギの巨体が文字通りくの字に折れる。だけどウサギの曲がった背中から背骨が飛び出して血の雨が降った瞬間を、いったいどう言い表せばいいのか……。
だけど黒い毛色のせいでどの程度の返り血を浴びたか定かではないシュテンが、誇らしげにピクリとも動かなくなったウサギの首筋を咥えて、尻尾を振りながらこちらに戻ってくる様は凄惨ながらも可愛い。
念願のお店を開店してからはずっと街で寝起きし、街中で散歩はさせていても何かを全力で追いかけたり、外で眠ったり食事をしたりすることがなくなったから、欲求不満だったのもあるだろう。
元は野生動物なんだから当然だ。それを毎日不満で暴れたりすることもなく、瓶の回収をしてくれる看板息子。可愛い奴め。
そんな日々の息抜きもかねて二週間に一度、四日間まとめて冒険者に戻る休業日を作った。
それにお店の二階だと個室があるから、私達がそろって一緒に眠ることはない。だから本当は私が星空の下で、ウルリックさんとシュテンと一緒に川の字になって眠りたかったというのもある。
あとは王城勤めのウィルバートさんが、ウルリックさんに仕事を持ち込んで来るようになったことも大きい。市場に出回っている魔石は結構加工してしまっているものが多いから、原石の状態のものが欲しいとか。
ウルリックさんは『何に使う気なんだかなぁ?』と苦笑していたけれど、頼られることはまんざらでもないみたいだ。――ともかく、そんな諸々の要素を闇鍋の如く煮込んだ私の感想は、これしかない。
「おお~シュテン凄いねぇ! こんな大きなウサギを一撃で仕留められるなんて流石は私の剣! 偉いぞ!」
大袈裟にも聞こえる声音で全力で褒める。直後にウサギをぶん投げて抱きついてきた毛皮が、ジトリと湿り気を帯びていたり、鉄臭いのはこの際目をつむろう。抱きしめて褒めていたらさっきウサギが飛び出してきた茂みが揺れて、今度はウルリックさんが現れた。
「ったく、あのウサギ散々誘導に手こずらせやがって。大丈夫だったかアカネ……と、えらく物騒な色合いになってるぞ」
「あ、たぶんシュテンの浴びた返り血ですよ。私は無傷ですから」
一瞬だけギョッとした表情になったウルリックさんにそう言って、血溜まりで沈黙しているウサギを指さすと、彼は「お、一撃か。やるなシュテン」と笑って。自分が褒められていることに反応したシュテンが、現金にも今度はウルリックさんに褒めてもらおうと飛びついた。
けれど流石はウルリックさん。私なら押し倒されて頭を打ちそうな強襲も何のその。真正面からシュテンを抱き留めてモフッている。
「この後はどうします? まだ討伐する魔獣がいるならもう少し森の奥まで行ってみますか?」
「いや、これで今回俺が受け持った分の討伐依頼は完了だ。この後はオマエの店で使えそうな材料の採取に付き合う」
「ふふ、やった! 実はさっきから気になるものがチラホラあったんですよ。やっぱり春先の森は美味しそうなものが色々ありますね」
「オマエの言う“美味しそう”が一般的だった試しはねぇけどな。ま、でもまずは先に魔石の回収して、この血をどこかで洗い流そうぜ」
何だか軽く引っかかることを言われた気がしないでもないけれど、その提案には全面賛成だったので、大人しく彼が魔石をウサギの心臓部から取り出すのを待つ。
ウルリックさんが振るうナイフが、両の掌をあわせたくらいの大きさの魔石を取り出したところで、それまで私の膝に頭を預けて猫のように甘えていたシュテンが低く唸って顔を上げた。
私がその変化に“どうしたの?”と声をかけるより早く、ウルリックさんが“喋るな”と視線で促し、血液で真っ赤に染まった手をズボンで拭い、ウサギの死骸から離れて矢をつがえる。ウルリックさんの弓とシュテンの牙が向けられるのは、さっきウサギとウルリックさんが出てきた茂みだ。
血の臭いに釣られて何か他の獣を呼んでしまったのかもしれない。和やかだった空気が一変して、俄に臨戦態勢になった。シュテンが音もなく身を起こし、私を庇うように前に出る。
息を詰めて見守る先で、茂みがガサリと揺れて――……次の瞬間シャッ! と勢いよく飛び出してきたのは白い獣だった。
「か、可愛い……!!」
「見たところシュテンと同族みたいだが……真っ白な個体は珍しいな」
思わず飛び出した私の発言の足りない部分を、さり気なく補ってくれるウルリックさん。そういうところが好きです。当の白い狼の魔獣はこちらに見向きもせず、必死にウサギの魔獣のお肉をがっついている。
だけど時々えづくような姿を見せることからも、あのウサギのお肉は美味しくないに違いない。でもこの白い狼の身体が普通犬科の個体より大きいのは、こうして大きな魔獣のお肉を直接食べているからだろう。
流石にシュテンほどの大きさはないけれど、パッと見た感じだと小さい子供くらいだから……百四十センチはありそうかな?
シュテンは警戒をしてはいるものの、同族の登場に少なからず興味があるようで、ジッと白い狼を見つめている。白い狼が一瞬だけこちらを振り向いた瞳を見て、その輝きに私は目を奪われた。
「見て下さいウルリックさん。あの子の目、紅くて綺麗ですよ」
「毛が白いだけならまだしも目が紅いってことはアルビノか。目立つ色だから群れの仲間に置いて行かれたんだろうな」
はしゃぐ私の言葉に、またも入るウルリックさんからの補正。しかも今度の補正は何だか穏やかではない。犬科といえば群れの仲間を大切にするイメージが強いから、より一層やるせなく感じる。
「え、犬科なのにそんなことってあるんですか?」
「それはあるだろ。忘れたのか? シュテンが一匹でウロウロしてたのは、恐らく魔獣狩りの連中に群れが見つかったからだ。普通の毛色でも見つかるのに、そんな中にこんな毛色の奴が混ざってたらどうなると思う?」
「……皆、見つかって狩られちゃいますね」
「だろ? 警戒心の強い親連中は皆殺し、子供は冒険者に買われて従魔に仕立てられる。オマエのシュテンみたいに扱われる奴は稀だ。大抵は死んでも替えのきく道具でしかないからな」
絶望的だけど誤魔化しを一切排したウルリックさんの説明は、むしろ暢気な私にとってはありがたい。容赦のない事実を教えてくれる彼のおかげで、知らなくていいことと、知らなければならないことを自分の心で決められるから。
しんみりした気分になっている間に、食べられる部分のお肉を食べきってしまったのか、白い狼はのそりと身体ごとこちらを振り向いた。せっかく綺麗な顔立ちと毛皮を持っているのに、今は顔と胸の辺りまで真っ赤に染まっている。
ただ野性的な見た目になってしまってはいるものの、こちらを見つめる瞳には敵意はない。シュテンと私とウルリックさんを交互に眺めて、一度だけピクリと尻尾を揺らした。そのままこちらに向かって一歩踏み出しかけた白い狼は、けれどまるで見えない壁に臆するように後ずさりして、出てきた茂みに戻って行く。
シュテンだけなら寄ってきたかったのかもしれないと気付いたのは、もう茂みをかき分ける音が遠のいてしまった後だった。
「私達がいたからこっちに来られなかったんですよね、あの子」
「ま、だろうな。でもどのみち近付いてきたところでうちにはシュテンがいる。店を始めたばかりで、人に慣れてない狼をもう一匹連れて帰るのも心配だ。今回は諦めろ」
そう言いつつも、白い狼の去って行った茂みの方を見て眉間に苦々しい皺を刻んだウルリックさんと、足許で小さく「フューン……」とどこか寂しそうに鳴くものだから、何とも言えない気分になってしまう。
「取りあえず当初の予定通り血を洗い流そうぜ。魔獣の血液は微量な毒を含んでるからかぶれるんだよ。それが済んだら野営場所を決めてから採取な」
言葉をかけてくれる間にも、私の頬についた血を汚れていない方の袖で拭ってくれる彼に頷き返し、ズボンで拭った手を差し出して「行くぞ」と手を握って引っ張ってくれるウルリックさんについて歩き出す。
最近少し伸びた後ろ髪を引かれる気分を感じながら、まだ茂みを見つめるシュテンを呼べば、弾む足取りで隣に並ぶ大きな甘えん坊。仕方ないのにやるせない。楽しみにしていた採取休暇は、何だか波乱の幕開けだなぁ。
不定期でオマケを少し足しますσ(´ω`*)<気分で書くので明確な話数は未定。
それでも良いよ~って読者様はお付き合い下さると嬉しいです♪




