*22* 淑女は辞退します。
いきなり降って湧いた四日間の休日は、何のことはない。ただの準備期間としてあっさり消費されていった。
『大丈夫ですよアカネさん。講師陣には優秀な者を選出しましたし、四日間で全部の儀礼を憶えることなんて無理なことくらい分かっていますよ。ただやっぱり壁の華になるにも所作が美しい方が好ましいもので』
だけどそんな無茶苦茶なと抗議を続けようとした私に用意されていた講師陣は、確かにとんでもなく優秀で、尚且つ思ってもみない人材だった。
紹介された二人は選ばれた経緯の説明もそこそこに、
『講師として招かれたからには四日間で立派な……とは言えませんけれど、淑女の入口くらいには立ってもらうわよ?』
『式典の内容は一度憶えてしまえばすぐだ。そう固くなる必要はない』
――と、できる人特有の優しい言い回しでとんでもない量の情報と、所作と、進行内容を仕込まれた私の四日間は、貴族の嗜みというよりどちらかというと、ブートなキャンプに近かったけど。
ダンスレッスンを四日間に組み込むのは無理なので、淑女のダンスの断り文句を教えてもらった。正直これが免除されなかったら逃げ出していたと思う。
そもそも私が誘われること自体が杞憂だし、夜会にダンスの心配はないんじゃないだろうか?
そんな目まぐるしい四日間の中で困ったのが……愛用の鞄。それまでほぼどこに行くにも肌身はなさずといった存在だった鞄と、一部その他の小物達は、レッスン中には当然だけれど肩からかけることができないので放置だ。
しかし半日か長くて一日もすると、いつの間にかレッスンを受けていた部屋の片隅や、テーブルマナーを教わっている最中のテーブルの上に現れる。最初は何がなんだか分からず驚いたものの、そういえば転生したばかりのときに特典に含まれていた、ネームペンで初期装備の紛失キャンセルがあったなと思い出した。
でも冒険をしていない今は、思い出したところであまり使いどころがない。だから興味を持ったウィルバートさんが預かりたいというのを受け入れ、淑女の付け焼き刃レッスン中は彼に預けておいた。
検証で分かったのは名前入りのアイテムの種類を変えてみたり、大きさや距離を変えたりしてみたものの、アイテムが私の元へ引き戻されるだけでその逆は無理だということ。
彼いわく転移の魔法の亜種らしいけれど、ここまで小規模に的を絞った術式は初めてらしい。嬉しそうに語ってくれたウィルバートさんの姿から、珍しくてすごいことは分かったものの、その用途が置き忘れとひったくり防止でしかないという残念な結果に終わってしまった。
――そうこう慌ただしくする間に迎えた、式典当日――。
前世では絵本の舞踏会の描写や、妹が病室に持ち込んでベッドに座ってやって見せてくれたゲームのイベントシーンを楽しんでいたけど、実際当事者になってみて分かった。鏡の前に着飾るために半日も留め置かれるのは、思ったよりもだいぶ忍耐がいる。
すでに手術前日に翌日の日程を聞いた後くらい疲れているのに、舞踏会だとさらに踊ることになるのだから、その疲労感は今の私の比ではないだろう。
鏡の中で肩を落として借りてきた猫のようになっていると、ここに来てから一番世話をしてもらっているメイドさん達が、最終チェックをしてくれながらふと困り顔になり「こちらは本当に外して行かれないのですか?」と、私の鎖骨の辺りで揺れる赤い髪飾りをさして言った。
鏡の中に映るのは、エンジェルトランペットという花に似た白いドレス姿の私。袖はゆったりとあまる形で肩の先が少し出る形のデザインに、細いベルトやドレスの縁に差し色として使われる黒が、童顔が悩みな私を大人びて見せた。
金色の半円形をした首飾りが貧相な首元を目立たないように隠して、赤い髪飾りに合わせた雫型の耳飾りが耳許で揺れて。
いつも通り横に垂らした三つ編みはそのまま、首筋を隠す程度に伸びた後ろの髪は、どうやって纏めてあるのか分からないけれど、前からだと孔雀の羽根みたいに遊ぶ毛先が顔を引き締めている。
顔には薄くお化粧をされ、赤い口紅と垂れ目を少しでもつり目に見せようと目尻に施された赤い目弾きが、緩い顔にちょっときつい印象を与えてくれたけど、髪色が黒いからかややオリエンタルな仕上がりは、色味と肉付きの薄さから、まるで鶴か鷺のようだった。
そんな格好なものだから、髪飾りは少し格が釣り合わないと分かるし、メイドさんが気を使ってくれているのも分かったけれど。
「えぇと……あの、これはこのままで良いんです。せっかく綺麗にしてくれたのにごめんなさい」
これがないと、誰もこんな分不相応な自分を見つけてくれないような気がして怖かった。
そんな私の思いを汲んでくれたのか、メイドさんは優しく微笑んで「いいえ、こちらこそ差し出がましいことを申しました。どなたからかは存じませんが、アカネ様に一番お似合いです」と耳打ちしてくれる。
そう言われると肩からほんの少しだけ力が抜けて、鏡の中にいる自分の姿を怖がらないで済む気がした。
鏡越しにぎこちなく笑う私に、お世話をしてくれていたメイドさん達が微笑み返してくれたところで、部屋のドアがノックされ「お迎えがいらしたようですわ」と、一番年長のメイドさんが教えてくれる。
きっとイドニアさん達だと思い安心しきってドアを振り返ると、現れたのは普段のお仕着せとは全然違う格好をしたアルだった。室内で一斉に恭しく膝を折るメイドさん達の間を歩いてくるアルの後ろには、笑いを堪えるウィルバートさんの姿があって。
このとき初めて自分が二人に遊ばれていたのだと理解した私は、アルの「見違えたな、アカネ。似合っているぞ」という言葉の直後に、大人気ないとは思いつつ「アルとウィルバートさんとはしばらく口をききません」と。大事な式典の前にそう宣言したのだった。
***
あの後、しょんぼりと肩を落として式典へと向かったアルフォンス陛下は、それでも煌びやかな式典会場にて一年の配下と国民への労いをご立派に演説しきり、今は傍らにウィルバートさんをつけて会場内で大勢の人達に挨拶をされている。
チラチラとこちらへ視線を向けているのは感じたし、十四歳であんな地位について大変だとは思う。だけどせめてあと半月は許したりしない。明日からはお弁当も取り止めだ。
会場内ではイドニアさん達の姿を探そうにも人は多いし、煌びやかすぎて目は眩むし、こちらを見ている人達の視線がどこか値踏みするようで居心地が悪い。
到底四日間の淑女教育なんかでは太刀打ちできそうもないことから、私は早々に会場の隅に寄って壁の華に徹することに……しようかと思ったのだけど。社交に必須なお酒と、それに合わせるお洒落なオツマミの用意された一角に吸い寄せられてしまった。だってね、怒るとお腹が空くんだよ。
なのでその一角でひっそりとお酒と、テーブルに並べられた食事を一つずつお皿に盛り付けてやけ食いしていたら、その内の一つに味がなかった。
思わず「んんっ?」と声を漏らし、銀色の華奢なフォークを止めて今し方食べたものをじっくり観察する。
見た目はベリー系のジャムを使った一口サイズのケーキだ。可愛らしかったので、つい無意識に二つとってしまっている。
他の料理の味が濃かったせいで味が分からなくなっていたのかと思って、一度シャンパンで口の中をすっきりさせてからもう一度そのケーキを口にしてみるも、やっぱり一切味がない。
冒険者をしているときには散々お世話になった【鉄の胃袋】が、平和ぼけした私に警鐘を鳴らす。人目を気にしている場合ではないと、慌ててお皿に残りのケーキを盛り付ける私の姿を会場の女性達が嗤ったけれど、そんなことはどうでもいい。
山盛りになったお皿を手に給仕係の人を呼び止めて「傷んでるような味がしたので、下げてもらえますか?」とお願いした。
さっきまで絶対許すまじと思っていたものの、他に頼れる人も思いつかないので会場の人の中にウィルバートさんの姿を探す。
けれど彼の姿はアルフォンスと一緒に、挨拶の人だかりに紛れて見えない。ならばイドニアさん達をと視線を彷徨わせていた視界に、ふと焦がれて止まなかった色がちらついたと感じた直後、私はお皿とカトラリーをテーブルに置いて招待客をかき分けていた。
人の中を川面に揺れる浮き玉のようにスルスルと流れていったその色が、会場の外へと続く廊下に消える。
焦りすぎて履き慣れないヒールが片方脱げたものの、それならもう片方も脱いだ方がいいと結論づけ、両手で脱いだヒールを抱えたまま煌びやかな会場の灯りを背に廊下へと駆けた。




