◆幕間◆ある男の話。
今回はずっと謎の人物だった男の視点でお送りしますσ(´ω`*)
今年の春先に数年前から心臓を患っていた父が死んだ。
長かった地獄の日々からようやく解放された私が一番に取った行動は、父の訃報を王城に届けることと“家族の死を悼む期間が欲しい”との嘆願。勿論悼むわけもないのだが、長年感情を殺して張り付け続けた笑みと、鍍金にくるんだ忠誠心のおかげでそれはあっさりと聞き入れられた。
まだ若い陛下からは、長く王家への忠誠を誓った父が亡くなったことへの労いの言葉がかけられたが、内心ではあの男の眠りが安らかでなどあってたまるものかという、ドロドロとした私怨が渦巻いたものだ。
放っておいても転がり込んでくる家督は復讐の仕上げとしてもらうとしても、十年以上の歳月を奪われていたせいで外の世界を見たかったのだ。どんな風に様変わりしたのか、あるいは何も変わらないのか。
家名を名乗らず身形も平民か旅人のような格好で国の中を歩き、与えられる情報ではなく己が欲する見聞を広める日々。休暇としては概ね申し分のないものだったが、食事だけは別だった。
今までも命を繋げる程度の価値しかない味気ない食事をしてきたが、外の世界のそれは食べ物と認めることが難しい代物ばかりで、最初のうちの何度かは屋敷の料理人達に日持ちのするものを作らせて持ち出したほどだ。
国を創るのは民だとの教えは何だったのか。少なくとも彼等が日々口にする食事は家畜の餌のようだった。
どこもそうだと知ってからは諦めてそれらを口にしたものの、ある日小さな町の食堂で同席した行商人の男が興味深い話を教えてくれ、とくに行く先を定めた旅ではなかったために、気紛れに話に出てきた町の食堂に立ち寄ってみたのだが――。
正直最初は期待はずれだと感じた。店構えはパッとしない、出てきた食事もあの行商人の男が言うように旨そうにも見えない。けれどせっかく立ち寄った手前食べずにいるのも勿体ないと感じ、あまり期待せずに口にした。
その瞬間見た目で判断していたことが誤りであったと知る。気づけば一皿目を完食しており、それと同時に体内の魔力の流れが変化するのを感じた私は、そんなレシピを売りにきたという“料理人兄弟”の存在が気になるようになった。
それまで口にしていた食べ物が霞む。城でも屋敷でも食べたことのない味と効能に、手許に置きたいと感じるようになるのは至極当然の流れだ。
けれど有力かと思って問い合わせたリンベルンの家政ギルドには、意外なことに該当する兄弟の情報はなく、一時はそこで手詰まりになるかと思われた。だがそうならなかったのは、偶然立ち寄った他の町でも“料理人兄弟”の噂を聞いたからだ。
どういうわけかは知らないが、彼等は旅路の最中に立ち寄った町でレシピを必ず一つずつ売り歩く変わった習慣があるらしく、それならばと身体の自由が利く限り噂話を頼りにそれらしい町を虱潰しに当たった。
通り過ぎてしまったことに気づいて戻ったり、間の村にまで探しに出向いて関係のない用事を頼まれたりと、捜索は一筋縄ではいかなかったが、それもまた面白いと感じたものだ。
しかしいよいよそうも言っていられなくなり、気は進まなかったものの人を雇って捜索を任せざるを得なくなった。それだけでは不安が残ったので、自邸の使用人達数名にも捜索に当たらせることにして様子見をしているが、その報告はどれもあまり芳しくない。
それどころか最近ではその噂がぱったりと途絶えているという。
アーデも深まり晴れた日中であろうが容赦なく体温を奪っていくのに、深夜ともなれば室内の暖炉にいくら火の気があろうと底冷えを感じる。
報告の進展のなさに痺れを切らして、無理矢理時間の都合をつけて外に出ることが多く、執務机の上には日中片付けることのできなかった書類が山を作っていた。
半分以上は城からのもので、私がいない間に中を検めることができなかった家老が今日こそ開封してくれと懇願してきたそれを、数枚まとめて封蝋を開けて中を読み、その後暖炉の火にくべる。
それに飽きた頃になって、ようやく本業である陛下の明日の授業に使う資料をまとめ始めた。当家のこの仕事に就くべきは、本来義兄であるべきなのだが本人がもうほぼ死んだような扱いを受けていることもあり、今は私の仕事である。
そんな不甲斐ない二歳上の義理の兄に会ったのは七歳の時だった。貧しくはないものの、裕福というほどでもない母子二人の家庭。時折現れる紳士が何となく自分の父親なのではないかと、子供ながらに薄々感じていた。
許されない関係であることも分かる程度には、可愛げのない子供だったように思う。そんな特別不幸でもなければ、ほどほどに愛情の得られていた生活はしかし。
母の不審な事故死で一変した。
悲しむ間もなく新しい家――あの紳士の本当の家庭に引き取られたことが、生まれて初めて味わう不幸の始まり。愛人の子供である私をことあるごとに些細な失敗で折檻する義母と、魔力を有していることだけが重要であり、他には何の興味もない父。
――そして――。
『お止め下さい母上! 大丈夫か、ウィルバート』
いつも義母が理不尽に振り上げる扇から庇ってくれた義兄は、アクティアでも古くから続く魔導師の系譜に名を連ね、将来は直に産まれる王の子の魔術教師となるべき身でありながら、精霊の何たるかも理解しない無能力者だった。
貴様に魔力があれば母は殺されることはなく、自分もこんな目には遭わなかったはずなのにと、そう憎み恨む一方で。
『ウィルバートは好き好んでこの家にきたのではありません。それを人目につかない場所で折檻するなど……そんな恥ずべき行いはお止め下さい。母上が本当に憎いのは、自分の腹を痛めて産んだ無能力者のわたしのはずです』
こんな歴史に胡座をかくばかりの腐った家には、勿体ないほど真っ直ぐな男だと思った。そんな義兄がある夜部屋に訪ねてきて『わたしは家を出る。お前と戸籍を入れ替えた。父上へはもう話をつけてある。母上はお前に当たれないよう、別宅を用意させるとも約束した』と。
そんな義兄に私は『義兄上……貴男はいつも被害者面をして逃げるだけなのですね』と、殴られても構うものかという憎しみと悪意を込めて、感情などとうに磨耗した声でそう言った。妾腹の義弟の無礼な発言に、義兄は何も応えずに部屋を去ってしまった。
あの夜の義兄の顔を私は憶えていない。当時義兄は十七歳。私は十五歳になったところだった。
翌日、きっと昨夜のことは夢か冗談の類だと思って邸内で赤い髪の義兄の姿を探したものの、すでにどこにもあの真っ直ぐ伸びた背中はなく。残されていたのは、義兄の部屋に山とあった夥しい書き込みを加えられた魔術書だけで。それ以外に義兄の存在した痕跡はどこにもなかった。
そして使用人達もまるで義兄が最初から屋敷にいないように振る舞い、昨日まで哀れな愛人の子供である私に向けていた視線をすっかり隠し、跡取りとして恭しく扱うようになる。
義母はその日を境に屋敷から姿を消し、別邸で愛人を囲ってこちらに全く干渉してこなくなったものの、当時アクティアは近隣国と揉め、国として窮めて不安定な状態だった。
当初は近隣の小国同士の戦争であったが、二年後には宗教観を巻き込んだ戦争に発展。二大勢力の宗教戦争になり、アクティアは負けた側の宗教を信奉していたために敗戦国となったというのは建前だ。
実際は細々とした内戦や代理戦争が横行していた。元より自分達の利権だけで行動してきた貴族達の一部が、売国奴に成り下がり国内が荒れただけで。
戦争自体は七年前に終結しているものの、敗戦国となったというのにさらに追い討ちをかけるように肝心の土壌は荒れ、食料自給率はガクンと下がっていた。
私が市井で口にしたものは、精霊達の怒りを買ったその代償として残されたもので、とうの戦争を始めた貴族や王族達は、金にものを言わせて隣国の商人達から食材を買い付けていたのだろう。
世の中、自分が可愛い奴ばかり。それは私にしてもそうだ。
父が死に、義母ももうすぐいなくなる。そうなって初めて義兄はどうしているのだろうかと気にかかった。頼んでもない生き場所を私に与えたあのお人好しがもしも幸せになっていたら?
――義兄は、今頃何を食べているのだろうか。




