◆幕間◆持つ者と持たぬ者。
今回は前半をイドニア視点、
後半をガーランド視点でお送りさせて頂きます(*´ω`*)
勝手にわたしが討伐依頼を請けていた獲物を横から奪った腹立たしい兄と、おかしな弟の冒険者。ポートベルについてから二人を捜し出して、お礼と文句を言おうと思って食事の席に急襲をかけた。
けれど姉や妹のように可愛げを持ち合わせていない性格のわたしが口にしたのは、矢継ぎ早な文句だけで。ただただ驚く弟と、眉間に皺を刻んで不愉快そうに睨みつけてくる兄。その嘲りを隠そうともしない眼差しを不敬だと思った。
頭に血がのぼった状態で、貶められた制裁を加えようという身勝手で傲慢な考え方は、わたしがああなりたくないと思う家族に似ていたわ。そうしてガーランドが止めるのも聞かずに汚い言葉で罵った。
『己の詠唱も持たない魔導師擬きが偉そうに』と。それはこの国で魔力が多少なりともある人間には、絶対に口にすべきではない言葉だと分かっていた。それに【擬き】と呼ぶには、彼の放ったあの一矢は、金属を溶かすミスジを相手に驚異的な威力を見せすぎたわ。
――だからこそ、焦った。
金属武器の攻撃が効かないミスジが出没するかもしれないから、ガーランドにくっついて魔導師であるわたしが加われたのに。そのお株をどこの誰とも知れない冒険者に奪われるなんて。
けれどわたしのそんな言葉に、それまで余裕のある笑みを浮かべていた兄の顔から一切の表情が消え、一部始終をハラハラと見守るだけだった弟の表情が固くなった。二人の表情の変化にしまったと思ったけれど。口から放たれる言霊は、魔法の詠唱と同じくその力を発揮してしまう。
背後からガーランドの溜息が聞こえて、声をかけられるまでもなく自分がやってしまったことの非常識さに震えた。どうしようもなく愚かな真似をしていると、理解していた。
でもこのままでは、彼との婚約が解消されてしまう。指を咥えてそれを黙認するなんて真っ平だった。
アクティアが戦争に負けても未だ国足り得ているのは、早くに信仰の対象を変えた周辺国とは違い、大魔法を行使できる魔導師の血を貴族間で重要視しているからで。家格が釣り合っていたとしても、魔力の少ない人間と魔力の膨大な人間では結婚を見送る風潮があった。
だけど、どちらか一方の家の魔導師がより優れている場合には許される。わたしはそれに賭けてアクティアの貴族に任じられる名誉職、魔獣討伐に志願した。本来なら貴族家の魔力が少ない者や妾の子が家から出されるその職に、女の身で自ら加わったわたしを家族は快く思わなかったけれど。
結婚するなら彼が良い。婚約者として初めて顔合わせをした六歳の時から、五歳上の穏やかで身分を笠に着ない彼をずっと慕ってきた。たとえその魔力保有量がわたしの半分にも満たないものでも、彼しか考えられなかった。
冒険者の兄が口にした言葉はどれも尤もな発言ばかりで、それがより自分の失態を浮き彫りにしたから逆上してしまったのだ。それまで正論でこちらを煽っていた冒険者の兄の口を封じても、心は少しも晴れなかった。
それどころか今度はそれまで一切口を挟んでこなかった弟の方が、表面上は穏やかに静かに怒りを湛えて口にした言葉に気圧されて。翌日大人しそうな弟の方に、思いも寄らない仕返しをされてしまった。
でもおかげで翌々日には冷静に自分の非をすべて謝罪しなければと、居てもたってもいられない気持ちになり、前日に酷い目にあったのだからと兄弟に会わせることを渋るガーランドを説得して、出立前の彼等を見つけることができた。
ただ兄弟はまたこちらの想像が及ばない食事をし、前日吐きそうになった食材で怪しげな料理を振る舞ってくれたのだけれど――。
てっきり毒味をさせて非礼の詫びにさせるのかと思っていたら、顔だけは大人しそうな弟の方が『貴女のおかげで、海の幸が苦手な兄でも食べられるレシピを考えつけました。ありがとう』と。
前日のあれが実験だったと明かされた時は、流石に頭がクラッとしたけれど。恐る恐る口にした料理は、前日のものとは比べ物にならないくらい食べやすくて。思わず『まるで魔力が体内に満ちるみたい』と言ったら、弟はとても嬉しそうに笑って、お手製だという素朴な形をした黄金色の飴をくれたわ。
彼等と別れたあとに一粒だけ口に入れた飴は、驚くほど濃厚な魔力の気配が感じられ、今まで食べたどんな高価なお菓子達よりも、甘くて美味しかった。
そのことを思い出し、結局あの日から勿体なくて食べられないでいる飴の入った小瓶を見てぼうっとしていたら、不意に頭上から「どうしたイドニア。さっきから随分静かだが考えごとか?」と、ガーランドが穏やかな声をかけてくれる。
この声をこの先もずっと聴いていたいと思いながら、彼の問いかけに「あの兄弟と、また会えることがあるかしらと考えていたのよ」と答えれば、ガーランドは「君がそんなことを言うのは珍しいな。彼等が気に入ったのか?」と、どこかからかいを含んだ声で尋ねてきた。
彼のそんな声は久し振りで、ほんのりと温かい気分のまま「ええ、そうみたいだわ」と答えてしまう。
真っ直ぐな弟と、ひねくれ者の兄。まるで比翼の鳥のように寄り添っているのに、姿も性格も全然違った面白い兄弟だったから。次にもしもまみえることができたなら、今度はもう少しだけまともな会話をしてみたいわ。
***
五歳下の婚約者であるイドニアは、伯爵家の娘でありながら昔から変わり者だった。一族の中でも魔力が特別高いが、激情家で魔法を暴発させやすい彼女にあてがわれたオレは、当時十一歳。
同じ伯爵家の家格に生まれながら、二人いる兄達とは似ても似つかない凡庸な魔力の保有量で、それ故に家族の言葉に従順なだけが取り柄の子供だった。
イドニアと初めて顔合わせをした時も、何かに癇癪を起こしていた直後だったらしい彼女は、その小さな身体に閉じ込め切れない魔力を暴発させ、オレは軽い傷を負った。しかし彼女に比べれば各段に少ない魔力量ではあっても、魔法を操る術にかけては生まれの早さが功を奏し、概ね相殺できたのだが――。
イドニアはひどく取り乱して謝ってきて、それを特に大したことがないという事実を伝えただけだったのに、彼女はあれ以来何故か盲目的にオレを信じるようになってしまった。
そのせいで彼女が十七歳になった今も、この婚約が確約されたものではなく、もっといい条件の人物がイドニアに現れるまでの繋ぎであるとは言い出せなくなったのだ。確かにオレにとっても彼女は好ましい。十一年も婚約関係にあるのだから当然ではあるが、それを差し引いても誰より幸せになって欲しい女性だ。
だからこそ家から魔獣討伐に志願してみないかと言われた時も、ついにその時がきたのだと悟って頷いた。元より従順さだけが取り柄で、彼女にはもっと相応しい相手と幸せになって欲しいと願ったからだ。
しかし驚いたことに、イドニアは両家のその取引をよしとしなかった。先に志願して家を出たオレのあとを追い、自らも志願してついてきてしまったのだ。巷では勇敢な貴族の名誉職だと思われている魔獣討伐志願者は、実質家から棄てられた貴族の子供の辿り着く場所だ。
そんなところに自ら志願すれば、当然貴族間での評判は悪くなる。下手をすれば新しく婚姻関係を結ばせようとしている家から断られるだろう。追いかけてきた彼女を、最初のうちは邪険に扱って追い返そうとした。
けれどこちらが邪険に扱えば扱うほど、彼女は功績を焦って魔力が枯渇するのではないかと危ぶむような無茶な魔法を行使する。荒れた魔法を発動させる彼女は、みるみるうちに冒険者の中からも、魔獣討伐志願者の中からも浮いていった。
詠唱を始めた時に周囲を守る人間がいなくては、魔導師など盗賊にも負ける。結局彼女が命を落とすことが恐ろしくなり、一緒に討伐の旅を続けることになった。
両家から出された条件は、二年間で紫玉級の中でも大の男の拳一つ分相当の魔石を二百。紫玉級の魔獣はただでさえ討伐が難しく、指定されたサイズの魔石は出現率も低い。
到底簡単に手に入れられる数ではないことからも、両家がこの婚約関係を解消させるつもりであることは火を見るよりも明らかだ。旅を始めてからすでに半年が経過している。それなのに、彼女は諦めない。
ただの幼少期の擦り込みを未だ引きずる彼女は哀れで――……それ故に、家から見放された自分にそこまで固執してくれるイドニアの存在は、手離し難いほど愛おしかった。いつしか二年で駄目ならその時は、いっそ攫って逃げようかなどと、馬鹿なことも考えていた。
そんな時に転がり込んできた依頼は、確実に紫玉級の大ミスジ討伐。
一も二もなく飛びついたイドニアに応じて護衛任務についたのだが、結果は酷いもので。人を襲って食べたことのあるミスジの中には、味を憶えている個体がある。運悪く相対したミスジはまさにそれで、女子供の味を知っていたのだ。
悪天候で虚を突かれた一団は瞬く間に恐慌状態に陥り、前夜まで覚えていた連携も頭から消え失せていた。
執拗にイドニアを狙うミスジから彼女を庇うために、つい護衛対象であった馬車から離れすぎ、慌てて気絶した彼女を茂みに隠して飛び出したところで、思わぬ方角から援護射撃を受けた。しかも相手はミスジと相性の悪い射手。
味方の姿も見えないことから単独で地獄に飛び込んできたのかと、呆れと同時に畏怖を抱いた。彼は馬車を守る対象だと見抜き、即座に退路を作って馬車を逃がした。その手腕と判断力に舌を巻いた直後、彼は泥とミスジの体液に足を取られて動きを止める。
こちらも盤面を変えてくれた彼を助けようとしたものの間に合わず、結果として彼の窮地を救ったのは、まだ華奢な線を残した人影。傷の手当てをする際に触れた人影の正体は少女で、どういう関係性なのかは分からないが、彼等は“兄弟”を演じていた。
彼はイドニアが魔導師だと知るや、彼女を言葉で完膚なきまでに叩きのめし、すでに自らの失態に心が折れかけていたイドニアの焦燥感を刺激した。結果暴走したイドニアが後日彼等に大変無礼な態度を取ってしまったが――……。
その後色々と紆余曲折を経たものの、最終的には何とか和解に至れた。けれど結局あの二人の関係性は謎のままだ。根は素直なイドニアは、未だに彼等が似ていない兄弟だと信じている。
そんな純粋な【婚約者】を見ていると、当たり前だが自分達の他にも同じような境遇の人間がいるのではという、救いにも慰めにもならないが、代わりに諦めなくても良いのだという気持ちが湧いて、彼等と出会ってから以前よりほんの僅かにだが視野が広がった気がする。
ふとそんなことを考えながら、先程から珍しく静かなイドニアを見下ろせば、彼女はここではないどこか遠くを眺めているようだった。
もしかしたらという気持ちで「どうしたイドニア。さっきから随分静かだが考えごとか?」と声をかければ、夢見心地のままこちらを見上げる青紫色の瞳が、笑みの形に細められる。
そうして思った通り、こちらの問いかけに「あの兄弟と、また会えることがあるかしらと考えていたのよ」と答えた。旅を続けるうちに和らぐことの少なくなった表情が綻ぶ様に、胸の内が温かいもので満たされる。
そこで「君がそんなことを言うのは珍しいな。彼等が気に入ったのか?」と訊ねれば、彼女は小首を傾げて瞬くと「ええ、そうみたいだわ」と歌うようにそう口にした。
未だ“兄弟”だと信じて疑わない彼女が、もしも次に彼等とまみえることがあればその時は、実は違うと教えてみようか。そんな子供っぽいことを考えて見上げる空は、以前よりどこか広く見える気がした。




