第95話 諜報員(スパイ)と軍と氷の魔法使い
ロミーとジュリアが、タナシスの町を出たその日より1日前。
レニーはワーレンの北の国境付近にいた。
そこには凍土が広がっていた。
ザナックスの草原。
かつては、そう呼ばれた場所だった。
今は草木は死に絶え、凍土となっていた。
ザナックスの戦い。
西の国ワーレンが、そのすぐ北にある国ネールセンに攻め込んだ戦い。
圧倒的に優勢だったワーレンの軍。
それをたったひとりの傭兵が、一瞬で壊滅させてしまったのだ。
暴力的なまでの氷の魔法にて、相手の軍をひとり残らず凍らせてしまった傭兵。
彼はその日から、「極冷のエリオス」と呼ばれるようになった。
相手の軍のみならず、見渡す限りの草原さえ凍土へと変えてしまった彼の魔法。
その残骸を見ながら、レニーはため息をついた。
もう戦いから数年は経っているはずだった。
それでも、これほどの地面を凍らせて、草木すら生えない状態にしてしまった魔法。
どれほどすごい魔法なのだろうか?
レニーの炎の魔法ですら、はるかに及ばないレベルだった。
レニーは昨日、自分の国アスカルトに立ち寄った。
ラーサとセシルへの誕生日のお返しの品を調達するためだった。
そのついでに、今日、ここザナックスへとやって来ていた。
今では観光名所になっていて、人がまばらに見える。
その中で、ひとりの少女が凍土を掘り起こして、手にした草をスコップで丁寧に植えているのが目に入った。
少女はどうやら目が見えないようだ。
付き添いの男性がいて、すぐ横からスコップや草を渡している。
少女はザナックスの凍土のすみで、一生懸命、草を植え続けていた。
どうやら昨日、今日、始めたわけではないらしい。
少女の周り、ほんの数メートルだが、凍土のなかで、草が生い茂っている地が広がっていたから。
少女はこの地を、もとの草原へと戻そうとしているのだろう。
でも、これだけ広い凍土を、もとの草原へとすべて元に戻すには、いったいどれほどの時間がかかることだろう?
レニーには想像もつかなかった。
そんなことを思っていたとき、不意に聞き覚えのある声が後ろから響いた。
「レニーさん!レニーさん、やっと会えましたね。探しましたよ」
緊張感のないこの声。
これは・・・。
「レニーさん!こっちです。ファンサーガです。ファンサーガが、ここにいますよ」
人なつっこい笑顔のまま、レニーのすぐ隣まで走り寄ってくるファンサーガ。
「ファンサーガ!どうしてこんなところに?俺がここにいることが、よく分かったな?」
「ええ、僕の諜報員としての、情報力と嗅覚をなめないでくださいよ。いや、そんなのんきなことを、言っている場合じゃないんです。大変なんです!」
「何が大変なんだよ?」
「いろいろ大変なんですが、えーっと、何から話せばいいんだろう。うん、まずジュリアさんの話からですかね」
「ジュリアさん?宿屋『カプレア』で一緒にいた、あのジュリアさんのことか?」
「そうです。あのジュリアさんの正体ですよ。彼女はこちらの世界では、有名な諜報員だったんです。主に、虚無のシーラの下で、暗躍しています。通称『死神のジュリア』。彼女に関わった男は、みんな行方をくらましたり、不慮の事故でなくなったりするという評判です」
ファンサーガの思いがけない話に、レニーは驚きを隠せない。
「そんな・・・。だったら、彼女がタナシスの町に現れたのも、諜報活動?」
「おそらくそうでしょう。彼女はワーレンでは有名なスパイです。そう言えば、僕がセシル様とロミーさんに頼まれて、ジュリアさんを襲ったあのとき。彼女は鮮やかに返り討ちにして、僕をボコボコにしました。彼女は普通じゃない。彼女は諜報員だったんです」
「そうだとしたら、彼女の狙いは?やっぱりタナシスにある、魔法石の鉱山?」
「そのとおりです。彼女がロミーさんを連れ出して、特殊能力、魔法無効を使えないようにする。その間に、魔法を使える軍隊が攻め込んで、タナシスの町を、魔法石を奪う。ゼノさんひとりなら、魔法が使えれば、倒すことは難しくない。そう考えたんでしょうね」
そうだとすると、タナシスの町は危険だ。
ワーレンがタナシスの魔法石を狙っているということなのだから。
レニーも急いで戻る必要がある。
でも、それだけではなかった。
さらにファンサーガが追い打ちをかけた。
「それだけじゃないんです。すでにワーレンの軍は、編成を終えて、タナシスの町へと総攻撃をかける準備を整えました。すでに軍が、タナシスへと向かいました。総攻撃の日は明日です」
レニーは絶句した。
すでにワーレンの軍が向かっている。
明日には総攻撃に入る。
そしてレニーはここにいるのだ。
間に合うだろうか?
タナシスにはロミーさんも、ゼノさんも、セシルも、ラーサもいる。
レニーが戻るまでの間なら、持ちこたえてくれるだろうか?
いや、ジュリアがいた。
死神のジュリアと呼ばれた諜報員。
彼女がそうなのだとしたら、ロミーさんはあてに出来ないのかもしれない。
どちらにせよタナシスが危険だ。
レニーはすぐにタナシスへと戻ることを決めた。
「まだあるんですよ、レニーさん」
「なんだよ?これ以上、まだあるのかよ?」
「そうなんです。実は、これが一番重要かもしれません。ワーレンの軍は、さらに傭兵として『極冷のエリオス』を呼び寄せました。彼も総攻撃に加わります」
レニーには衝撃だった。
レオネシアナンバー1の氷の魔法使い、「極冷のエリオス」。
彼もウルトラレアカードの実力を持つ魔法使いだ。
しかもたった今、彼の魔法の威力を、この場所で目の当たりにしたレニー。
極冷のエリオスまでが、総攻撃に加わる?
タナシスは守りきれるのか?
一刻も猶予がないことだけは、すぐに分かった。
レニーはその場で、タナシスへと戻る準備を始めた。
「でもファンサーガ。なんでお前は、そんなにワーレンの軍の情勢を、よく知っているんだよ?」
「だって、僕は今、ワーレンに諜報員として、潜入していますからね。でもジュリアさんの正体には、もっと早くに気づいておくべきでした。僕としたことが・・・。申し訳ない」
レニーは最後の方は、もうファンサーガの言葉を聞いていなかった。
すでにタナシスの方へと向かって走り出していたから。
「レニーさん!セシル様にもよろしくお伝えくださいねー」
レニーの後ろから、ファンサーガのマヌケな声が追いかけてきた。