第93話 君の才能と僕の努力(1)
タナシスの町から出て行く道のりを、ジュリアはゆっくりと歩いていた。
別に町を出たところで、ジュリアには行くあてなんてなかった。
2日前に、シーラに飲まされた毒。
明日中には、毒が回って死ぬことだろう。
解毒剤をもらうためにワーレンへ行くとしても、ロミーが一緒でなければ意味がない。
ジュリアがひとりでシーラのもとへ行ったところで、簡単にあしらわれてしまうだけだ。
すでにジュリアは死を覚悟していた。
昨日、山頂の屋敷にて、ロミーに自分が諜報員であるという正体を明かしたジュリア。
あのとき、あの瞬間から、もう自分が死ぬことは決まっていたのだ。
後悔はなかった。
自業自得。
これまでの自分のしてきたことの報いだ。
でも、これ以上、ロミーを巻き込むわけにはいかない。
この町を巻き込むわけにはいかない。
朝の日差しはまぶしかった。
ゆっくりと日差しの中を歩くジュリア。
ジュリアは、ラーサが言っていたことを思い出していた。
「アイザックはたったひとりで、ワーレンの城まで乗り込む。そう言っていた。虚無のシーラ。彼と話をつけるために、そしてあなたを助けるために、たったひとりでシーラのいる城へと乗り込む。私にそう話してから、出て行ったのよ」
ラーサの言っていたことは本当だろう。
わざわざアイザックが、ラーサにそんなウソをつく理由がない。
アイザックはやはり私を守ろうとしてくれたのだ。
そうだとすれば・・・。
ウソをついたのはシーラだ。
「アイザックは俺に取引を持ちかけた。港を国へと譲り渡す代わりに、自分に大金をよこすように要求したんだ」
これが全部ウソだったのだ。
どうしてそんなウソを?
簡単なことだ。
ジュリアをうまくなだめて、これからも諜報員として利用するため。
アイザックに自ら手を下したシーラ。
それをジュリアに知られることなく、これからもジュリアを諜報員として、利用し続けるためだ。
「女なんて利用するもの」
そう言い切っていた、シーラらしいやり方だ。
不思議と怒りはわいてこなかった。
だまされた方が悪い。
信じた自分がバカだったのだ。
でも・・・。
そのおかげでジュリアの人生は、取り返しのつかない方向へと転がってしまった。
諜報員として、何人もの男を地獄へと引きずり込んだ責任。
自分の手は、もうこれ以上ないくらいに、汚れてしまった。
引き返せないところまで、来てしまったのだ。
もういい・・・もうたくさんだ。
もしもひとつだけ、たったひとつだけ、自分に誇れることがあるとしたら、それはロミーを守ったこと。
最後の最後、ロミーを巻き込むことなく、タナシスの町を守ったこと。
それだけを胸に残して、死んでいこうと思った。
町の集落が途切れた。
いよいよジュリアが、この町を出て行く瞬間だった。
あまりにも思い出が多すぎたこの町。
皮肉だった。
好きでもない男を、町や国境のはずれで、ずっと待ち続けたこれまでの日々。
結局、ジュリアを迎えに来てくれる男は現れなかった。
そして、ようやくこの町で、本当に好きな男に会えた。
でも、ジュリアは結局、自分からロミーを遠ざけたのだ。
「仕方ないわよね。自業自得。さて、どうしようかしら?」
ポツリとつぶやいたジュリア。
タナシスを出て行く道は、この1本の道しかない。
その道を歩いて、ジュリアは町を出た。
そのときだった。
ジュリアは前方に、ひとりの男がいるのに気づいた。
全身黒ずくめの、おかしな格好をした男。
やせていて、自信なさそうにキョロキョロとあたりを見回しているその男。
ジュリアが歩くにつれて、その姿が大きくなる。
ロミー?
あれは・・・ロミー?
そんなはずがない。
ロミーがこんなところにいるわけがないのだ。
男がゆっくりとジュリアの方に近付いてきた。
やっぱりロミーだのように見えた。
でも、そんなはずがなかった。
だって、ロミーのことは、昨日、わざわざ自分の方から冷たくあしらって、遠ざけておいたのだから。
あれは幻だ。
とうとうロミーのことを考えすぎていたせいで、頭がおかしくなったらしい。
ジュリアが強く首を振った。
でも、その幻は消えなかった。
本当に、本物なの?
男はタキシードを着ていた。
全身黒ずくめの、場違いな格好。
男は目の前までやってくると、ジュリアの手を取った。
「ジュリアさん、迎えにきました。いえ、僕だけのお姫様。僕があなたを守ります。どこまででもついて行って、生涯守り続けます。だから、一緒に行きましょう」
男はジュリアの手を取った。
その手はびっくりするほど冷たかった。
でも幻ではなかった。
全身タキシード姿。
ジュリアの手を取ったその男、ロミーはいつものように笑った。