第91話 女なんて利用するもの。一瞬の快楽のために、ただ一緒にいるだけだ…(4)
次の日。
ワーレンの国境の北の草原にて。
ジュリアは朝早くからアイザックを待っていた。
最低限の荷物。
ジュリアの持ち物はいつでも多くはなかった。
いつでも、どこへでもすぐに行けるように。
諜報員という生活のせいだ。
でも、それももう終わる。
アイザックと2人、どこか誰も知らないところで、静かに暮らす日が始まるのだ。
ジュリアの心は高鳴った。
でも、アイザックはなかなか現れなかった。
太陽が真上へと上り、やがてゆっくりと下り始める。
その時間になっても、アイザックは影すら見えない。
ジュリアの不安は募った。
でも、信じること。
だって、アイザックは必ず迎えに行くと言った。
約束さえしたのだから。
たったひとりで待ち続けた。
それでも、アイザックは来なかった。
もう太陽が沈む時間になっていた。
真っ赤な夕陽が、草原を美しく真っ赤に染め上げていた。
それでもアイザックを信じて、待ち続けるジュリア。
待ちくたびれて、その場に座り込んだ。
すっかり日が暮れた。
その時間になって、ようやくひとりの男が向こうからやってくるのが見えた。
アイザック?
ジュリアはあわてて立ち上がった。
精一杯の笑顔を作った。
でも、それはアイザックではなかった。
もっと背が高く、無愛想な顔。
それはシーラだった。
シーラはいつもどおりの、表情に乏しい顔で、ジュリアの隣に突っ立った。
どうして?
なぜここにシーラが現れるのか?
パニックになるジュリア。
そんなジュリアの気持ちを見透かすしたかのように、シーラは言った。
「アイザックは、やっぱり来なかったのか?」
いつもの抑揚のない口調。
シーラはジュリアに聞いていた。
なぜ?
なぜ疑問型?
シーラがなぜ私に尋ねる?
ますます混乱するジュリア。
そんな彼女にシーラはゆっくりと言う。
「やっぱりな・・・。女なんて利用するもの。一瞬の快楽のためにだけに、ただ一緒にいる存在。やはり男はみんな、そう考えているんだな」
「どういうこと?アイザックは?」
ジュリアの声は、自分でもびっくりするくらいに大きく響いた。
「アイザックは俺に取引を持ちかけた。港を国へと譲り渡す代わりに、自分に大金をよこすように、要求したんだ。金貨300枚。その要求を、俺はすぐに飲んだよ。港が手にはいるのなら、たった今、金貨300枚くらいはお安いご用だ。将来的には、あの港はもっともっと大金を生み出してくれる」
「ウソ・・・ウソよ」
「俺はその場で金を用意した。アイザックは確かにそれを受け取った」
「ウソよ・・・ウソよ!ウソよ!そんなはずがない。アイザックがそんなお金を受け取るはずがない」
「いいや、本当だ。金を受け取って、去るアイザックに俺は伝えた。あの町に戻りさえしなければ、お前はどこへ行ってもかまわない。ジュリアもお前の好きにすればいい。まあ、彼があの町に戻ることが出来るとは思えなかったが・・・」
「ウソよ!ウソよ!ウソよ!」
ジュリアには、それ以外に言う言葉が思い浮かばずに、狂ったように同じ言葉を繰り返していた。
「お前がそう思いたい気持ちはよく分かる。でも、アイザックはやっぱりこの場所に、お前のいる場所には現れなかった。俺にはアイザックの気持ちなら、分かる気がする。男にとって、女なんてたかが利用するためだけのものだ。一瞬の快楽のために、ただ一緒にいる。それだけの存在だ。男はみんなそう考える生き物なのだから」
「そんなことはない。アイザックがそんなことを考えるはずがない」
シーラは表情を変えないまま、静かに首を振った。
「いや、男はみんなそう考えている。例外なんてない。お前がそれを信じないというのなら、自分で証明してみるがいい」
それからシーラはまるで明日の天気でも話すように、事務的に次の任務について、話を始めた。
「次の目標はこの男。ある町の酒場を取り仕切っている男だ。お前の任務は、この男に近付いて、思い通りに操れるようにすること」
ジュリアには信じられなかった。
シーラはジュリアが心をズタズタにされたこんな状況で、次の任務の話をしているのだ。
シーラは続けた。
「もしもお前の思うとおり、男が本当に命をかけて、たかが女を守ろうとする。そんなことがあると信じているのなら、それでもいいぞ。それを証明してみせるんだな。例えば次の目標であるこの男が、お前のことを命をかけてでも、守ろうとする。そんなことが可能だと思っているのなら、やってみることだな」
シーラをにらみつけたまま、黙っているジュリア。
そんなジュリアにシーラはもう一度言った。
「でも、そんなことはあり得ない。女なんて、ただ利用するもの。一瞬の快楽のためだけに、ただ一緒にいるだけだ。男はみんなそう考えるんだから」
その言葉は、ジュリアの頭の中を何度も駆けめぐった。
必ず、その言葉を打ち破ってやる。
自分のことを、命がけで守ってくれる男。
それがいることを、絶対に証明してみせる。
ジュリアは固くそう誓っていた。