第90話 女なんて利用するもの。一瞬の快楽のために、ただ一緒にいるだけだ…(3)
それからの1週間。
それはジュリアにとって、あっという間に過ぎ去った。
もちろん、アイザックに話せるはずがない。
この町の港を国へと譲り渡す話。
そんな話をアイザックに出来るはずがなかった。
それでも、このままではアイザックは命すら危なくなる。
どうすればいい?
ジュリアにはいい考えなどまったく浮かばなかった。
一度だけ、ジュリアはアイザックに聞いてみた。
「もしも・・・もしもよ。この町の港をどこかに売り飛ばしてしまうとすれば、どれくらいの値段を付ける?」
「どのくらいの値段?お金には換えられないよ。そもそもこの港は、すでに町の一部で、町のみんなの生活の一部で、希望だ。売り飛ばす・・・町の人間なら、そんなことを考えたことすらないはずだ」
ジュリアが思ったとおりの答えが、返ってきた。
そしてジュリアは、ますます自分がどうすればいいのか分からなくなった。
ひとりで考え込んで、苦しむジュリア。
一方のアイザックは、いつもどおり、町にてみんなに夢を、希望を語っていた。
そんなアイザックの姿を見て、ジュリアは決意を固めた。
1週間が過ぎようとしていた。
タイムリミット。
その前日に、ジュリアはアイザックを呼び出した。
すべてを伝える覚悟をしたからだった。
このままにしておくわけにはいかない。
アイザックを守りたい。
その一心だった。
「ワーレンの国が・・・国の諜報機関が、この町の港をすべて手に入れることを企てています。もちろん、そんなことはさせたくない。でも、相手は本気です。諜報機関のトップ、虚無のシーラ。彼はあなたを亡き者にしてでも、この計画を実行するつもりでいます」
驚いた表情で、アイザックはジュリアを見ていた。
でも・・・ここまではいい。
それ以上の言葉を続けることが、ジュリアには本当につらかった。
なぜなら、それは自分がその企てに加担していることを示すことだから。
自分こそが、虚無のシーラに送り込まれた諜報員であることを、告白することになるから・・・。
そんなこと、アイザックに知られたくない。
アイザックだけには秘密にしておきたかった。
私の正体など、アイザックには、知ってほしくなかった。
ジュリアは、しばらく言葉に詰まった。
何も言えなかった。
アイザックは、そんなジュリアに戸惑いながらも、辛抱強く待っていた。
やがて話し始めたジュリア。
「私は・・・私は、虚無のシーラに送り込まれた諜報員です。この町の港の利権、それをすべて国のものにするために、シーラから送り込まれたスパイなんです」
「どうして・・・?」
アイザックは本当に驚いた顔をしていた。
「私だって、最初から全部知っていたわけじゃない。ただ、アイザックに近付いて、彼を思い通りに操れるようにしろ。はじめ、シーラはそれだけ言った。でも、私がこの町で、そしてあなたの近くで、十分に浸透するのを待ってから、計画を打ち明けたんです。町の港を国のものとする。シーラは最初からそのつもりだったんです」
アイザックは悲しそうな表情をしていた。
なぜだか、目からは涙を流していた。
アイザックの涙の理由。
ジュリアには、それが分からなかった。
どうして泣いているのだろう?
港が奪われようとしていること。
それが悲しいのだろうか?
アイザックは涙を拭おうともせずに、小さく首を振った。
それからゆっくりとジュリアに覆い被さるようにして、抱きしめた。
「よく僕に話してくれた・・・。つらかったね。苦しかったね。ひとりでずっと悩んでいたんだね」
ジュリアはびっくりしていた。
アイザックは私の気持ちに共感して、悲しんでいたのだ。
「ずっとつらかっただろうに。君はいい娘だ。それに強い娘だ。でも、ひとりで悩むものじゃない。君には僕がいる。僕はいつでもずっと君の味方でいる。だから、もうひとりでそんなに心を痛めるんじゃない」
まだ驚きから抜け出せないジュリア。
アイザックはこんな時なのに、ジュリアの気持ちを考えてくれた。
結果的に諜報員として、アイザックから、この町から港を奪おうとしているジュリア。
それなのに、アイザックは私の味方でいてくれると言った。
こんな私なんかのために、泣いてくれた。
「そんなつらい役目を、こんな娘に負わせる大人を、俺は許さない。忘れていいよ。君は、全部忘れてもいい。あとは俺がなんとかする。君のことは俺が必ず守るから。だから・・・ありがとう。話してくれて、ありがとう」
最後までアイザックは優しかった。
違う!どうして?
私はスパイなの!
私は町から港を取り上げようとする組織の一味なの。
ジュリアの思いは言葉にはならない。
でも・・・。
でも、どうするのだろう?
相手は虚無のシーラ。
簡単にどうにかできる相手ではない。
アイザックも体は大きいし、たくましい。
だけど、シーラ相手にどうにかできるとは思えない。
「無理よ。シーラ相手にどうするの?相手はあなたを亡き者にしてでも、港を手に入れようとしている。期限は明日。明日までになんとか出来なければ、シーラは自らの手で、実力行使にでる。そんなの、勝てないわよ。勝てるわけないわよ。だから、逃げましょう。2人で誰も知らない場所まで逃げて、2人だけで暮らしましょう」
ジュリアが悩みに悩んで、出した結論だった。
シーラは絶対に指令を曲げない。
絶対に港を手に入れるまであきらめない。
たとえアイザックを殺してでも・・・。
それなら、逃げるしかない。
ジュリアも一緒に逃げる覚悟は出来ていた。
これ以外に、方法はない。そうジュリアは考えていたのだ。
ジュリアの言葉を聞いたアイザックは、はじめ困ったような顔をして、首を振った。
でも、すぐに表情をくずして、うなずいた。
「分かった。そうしよう。ジュリアはワーレンの北、国境を出た草原にて待っていてくれ。俺もすぐに追いかけるから」
アイザックの表情は穏やかだった。
「本当に?絶対に来てよね。約束!」
「ああ、分かった。必ず迎えにいく。約束しよう」
2人で指切りした。
そのあと、アイザックは再びジュリアの頭を、その大きな手で抱きしめてくれた。
いつの間にか、ジュリアも泣いていた。
アイザックの目にも、まだ涙が光っていることに、ジュリアは気づいた。