第9話 何の根拠もないくせに、どうしてそこまで俺を信じれるんだよっ!(1)
ほとんど町を一周する勢いで走り回った後、ようやくレニーはセシルをなだめて、宿屋へと戻った。もうくたくただった。
もちろん、セシルとラーサが仲直りしたわけではない。
二人の視線は常にぶつかり合って、バチバチと火花が散っている。
へたな雷系の魔法より、よっぽど破壊力がありそうだ。
宿屋の食堂。ちょうど朝食の時間だった。
「えーっと。ホットケーキとコーヒー。やっぱり朝はハチミツたっぷりのホットケーキで決まりよね、レニー」
メニューを見ながら、セシルが注文する。
「まぁ。ホットケーキだって。いかにもお子様な朝ごはんよねぇ。大人の朝ごはんと言えば、もちろんご飯とお味噌汁と焼シャケに決まってるわよねぇ。レニー」
よせばいいのに、ラーサも真っ向から正面衝突を挑んでいる。
再び二人の間に火花が散った。
二人の視線に感電しながら、レニーはなるべくおだやかにことをおさめようと、慎重に言葉を選ぶ。
「えー…。ホットケーキも、ご飯とお味噌汁もどっちもおいしそうで捨てがたいかな。俺はどっちも注文しようかな…。ははは…」
レニーの愛想笑いがむなしく響く。
レニーの優柔不断が我慢できなくなったかのように、セシルが口を開いた。
「なによ。私とレニーは一緒のベッドで眠って、夜中にはレニーが私に襲い掛かってくるような仲なんだから。あとからやってきたおばさんが、割り込む余地なんてないわよ」
いや、夜中に襲い掛かるつもりなんて、ぜんぜんなかったんだけどな。
レニーは心でつぶやく。
ラーサもすぐに反撃した。
「こっちだって。レニーは『一生俺が守ってやる』って私に言ってくれたんだから。もう私たちは離れられないの」
俺、そんなこと言ったっけ?レニーはやはり心の中だけでつぶやく。
「だって、もうレニーと私は結婚の約束までしているんだから。ねぇ、レニー。一生責任取ってくれるって言ったよね」
いや…。そんな約束、いつしたんだ?
「そんなこと言ったら、私は八年前には、もうレニーと結婚するって決めていたんだから。そうよね、レニー」
おいおい。八年前って言ったら、俺はまだ十三歳だぞ。結婚の約束もなにも、会ったことすらないだろ。
セシルとラーサの視線がぶつかり、お互い一瞬たりとも、目をそらさない。
居心地悪いことこの上ない朝ごはんだった。
やがて二人の視線は、同時にレニーのほうへと移動する。
二人の「レニーは私の味方よね」の視線に挙動不審に陥りながら、レニーは必死で助けを探す。
ふと、レニーは食堂の壁に張ってある張り紙に気づいて、声をあげた。
「あーっ!こんなところに闘技場トーナメントの張り紙がある。『第五回闘技場トーナメント。自分の得意な武器を使って、あなたも自慢の武力を披露しませんか?もちろん、魔法使いも大歓迎!上位入賞者には商品もあるよ』だって」
「…。それで?」
話をはぐらかされて、疑いのまなざしを向けるセシル。
「いや、ちょうど俺は、この町に強いやつを求めてやってきたんじゃないか。このトーナメントに参加すれば、必然的に強いやつも探せるぞ。ははは…」
セシルとラーサは、黙ってレニーをじっと見ている。
そんな二人の視線にレニーがいたたまれなくなったちょうどその時、朝ごはんが運ばれてきた。
ハチミツがたっぷりかかった特大サイズのホットケーキと、どんぶりに盛ったご飯、味噌汁、焼きシャケ。朝から胃がもたれてしまいそうな量だ。
それでもレニーは「わあ、おいしそうだな。いただきます」と言うと、一気に食べ始めた。ほとんどやけ食いだった。
セシルとラーサもあきらめたように一時休戦して、自分の朝ごはんを食べ始めた。
特大サイズのホットケーキを食べつくして、どんぶり飯をかきこみ、もうお腹いっぱいにもかかわらず、焼きシャケを無理やり押し込んで、レニーは一息つく。
今日一日、もう何も食べなくても大丈夫そうだ。
セシルとラーサもほとんど食べ終わっていた。二人は相変わらず、視線を合わせようともしない。
「そういえば、ラーサはバロンのところから逃げてきた、と言っていたよな」
ふと、レニーが今朝のことを思い出して、ラーサに言う。
「ええ、そうよ」
ラーサが口元をぬぐいながら答える。
「バロンってどんなやつなんだ?」
ちょうど食べ終わった皿をさげに来たウェイトレスが、レニーの言葉を聞いたとたん、派手な音をたててお皿を落とした。
「きゃああああ…」
落ちたお皿を拾おうともせずに、ウェイトレスは逃げるように去った。
「なんだ?『バロン』って言葉におびえて、逃げていったみたいだけど…。バロンって、ここではそんなにおそれられているのか?」
レニーは落ちたお皿を拾いながら、ラーサに聞く。
「たしかにこの地方では、バロンがすべてを支配しているわ。食料もお金も力も…。さっきの闘技場トーナメントも、バロンの手中で開催される。それで、自分が優勝するんだけどね」
「そんなバロンが怖くなって、ラーサは逃げたと…?」
「違う。バロンは私には優しかった。欲しいものは何でもくれたし、おいしいものも食べ放題…」
「だったら、なぜ逃げ出したんだ?」
一瞬考えてから、ラーサはうるんだ瞳でレニーを見つめる。
「それは…レニーに出会ってしまったから」
聞いていたセシルがフォークを投げつけるが、ラーサはそれを軽くかわした。
「うそつけ。俺とは会ったこともなかっただろう。どうして逃げ出したんだ?」
ラーサはあきらめたように、ため息をついて答えた。
「バロンはしっと深かったの。私と口を聞いた男は、みんなボコボコにされた。ひどい時には、私と目が合ったという理由だけで、殴られる男もいた」
ラーサは悲しげに瞳を細める。
「そのうち、男の人は私に近づかなくなった。だから、私は逃げ出したの。今日みたいに男の人をたよって、抱きついた。でも…。バロンは許さなかった。追いかけてきて、確実に相手の男の人を殺した。ううん、私にはまったく手を出さなかったわ。ただ、私がたよった男は、すべて焼け死んだり、ずたずたに切り殺されたり、行方不明になったり…。残酷な死に方をしたわ。それでも私は逃げ出した。何度も何度も逃げ出した。でも、結果は同じだった…」
「ちょっと待て!それじゃあ、今度は俺が狙われるんじゃないか」
「ええ。そうね」
「そうねって…。さわやかな笑顔でそう言われても…。だいたいバロンって何者なんだ?」
「ちょっとした悪い魔法使いよ。でも、レニーなら大丈夫。魔法でやっつけて、この町に平和を取り戻してちょうだい」
ラーサはレニーの手を両手で取って、力強く握る。
「いや。そもそも俺、魔法は使わないんだけれど。朝もめちゃめちゃ槍を練習していただろうが」
「え?」
ラーサが目を丸くしてその場に固まる。
「それでも、きっとレニーなら大丈夫よ。いざとなったらすごい魔法でも使えるわ」
ぎこちないラーサの言葉に、今度はレニーが固まった。
大丈夫?なにが大丈夫なのか教えて欲しい…。
ふいにセシルが口をはさんだ。
「闇の魔法使い、バロン・ドレーク。通称、暗黒のバロン。すべての属性を包括した闇の魔法の使い手。十年前の第三次魔導大戦では、敵方兵隊の大半を葬り去って、屍の道を築いた。ネルシアの軍隊を一瞬にして消滅させて、戦争そのものを消してしまったことさえあると言われる。戦あるところにバロンあり、と言われる恐怖の魔法使い。金などで雇われて、どこにでも現れる最悪の人物」
セシルの言葉で、レニーは思い出した。ずっと気になっていた「バロン」という名。
大陸の中央には恐ろしい魔法使いがいる。
無慈悲で、残忍で、しかも属性を無視した強力な闇の魔法を使う。
通称、暗黒のバロン。
敵対して無事だったやつはいない。決してかかわらないこと。
まだ幼いころに、レニーが聞いたことのある言葉だった。
まさか、そのバロンではあるまい…。
「ラーサ。まさかバロンって、あの『暗黒のバロン』とは別人だよな」
引きつった笑顔で、レニーが聞く。
「え?そういえば、みんな、彼のことを『闇の魔法使い』とか『暗黒のバロン』って呼んでいたかな」
さわやかな笑顔で、ラーサが答える。
「ちょっと待て!暗黒のバロンって…。確実に殺されてしまうじゃないか」
「大丈夫よ。私はレニーを信じてるもの」
「信じてるって、何を信じてるんだよ?やめた。やめた。自首しろ。今すぐバロンのもとに帰るんだ」
レニーはラーサの手をとって、強引に連れ出そうとする。
「いやよ。私はもうレニーとは離れられない…」
「いやだ!俺はまだ死にたくない!なんで『暗黒のバロン』なんかと戦わなきゃいけないんだよ?」
「大丈夫。自信を持って。レニーなら出来る」
「なにが出来るんだよ?まったく根拠がないぞ!」
「ううん。私には分かるの。レニーは負けない。レニーはあきらめない。バロンを倒して、私を救い出してくれるの」
「だから、どうしてそんな無謀なことが、信じていられるのか教えて欲しいな」
あきれた様子のレニーに、ラーサは夢見がちな瞳で答える。
「だって、昔から決まってるのよ。必ず最後に『正義は勝つ』の」
レニーは思わず、口をポカンとあけ、あきれてラーサを見つめた。
あまりに非論理的な答え。
でも、そんなばかばかしい答えも、レニーには笑い飛ばすことも、否定することも出来なかった。
なぜなら、それはいつもあいつが言っていた言葉だったから。
親友だった竜騎士ケイン。あいつが最も好きな言葉だったから…。
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