第88話 女なんて利用するもの。一瞬の快楽のために、ただ一緒にいるだけだ…(1)
ジュリアはこの町、タナシスの出口への道をゆっくりと歩いていた。
さっきラーサがささやいた話が、ジュリアの頭からずっと離れなかった。
ラーサは、たしかにこう言ったのだ。
「あのときの町長さん、アイザックはたったひとりで、ワーレンの城まで乗り込む。そう言っていた。虚無のシーラ。彼と話をつけるために、そしてあなたを助けるために、たったひとりでシーラのいる城へと乗り込む。私にそう話してから、出て行ったのよ」
バカだ・・・。
なんて無謀なことを・・・。
ひとりで虚無のシーラを相手にする。
そんなこと自殺行為だ。
そんなに甘い相手ではない。
なによりも・・・。
私なんかのために、命をかけようとした。
どうして?
女はみんな利用するもの。
今、この瞬間の楽しさのためだけに、一緒にいるもの。
男はみんなそう考えているんじゃないの?
でも・・・。
あのとき、本当はジュリアも、心のどこかでそう願っていた。
この人なら私と一緒に来てくれる・・・そう信じていた。
だって、あの人はどこまでもまっすぐな人だったから。
澄んだ瞳で、まっすぐに、正しい言葉を語る人だったから。
ジュリアがアイザックと出会ったのは、もう5年も前のこと。
アイザックは小さな町の若き町長さんだった。
町の未来や、夢や、正義を語る、自信にあふれた人物だった。
さいわい、町は貿易や商業で、にぎわいうるおっていた。
そんなある日、ジュリアはその町にやってきた。
目的は・・・アイザックに近付くこと。
アイザックに近付いて、思い通りにアイザックを操れるようにすること。
シーラの言葉、そのままだ。
でも、その任務は、想像以上に難しかった。
なぜなら、アイザックのすぐ隣には、いつもきれいな女の人がいたから。
ラーサ、それが彼女との初めての出会いだった。
なによりも、ジュリアにはそういう任務の経験が乏しすぎたから。
だから、アイザックははじめ、ジュリアのことをまったく相手にしなかった。
ジュリアも一生懸命、アイザックが出かける場所へと先回りして、なんとかしようとした。
でも何も出来なかった。
何も進展しない。
この任務は失敗だ。
ジュリアはそう思い始めていた。
その風向きが変わったのは、あの日。
新しい港を開くセレモニーが行われた。
アイザックは町長として、いつものように町の、新しい港の将来を語っていた。
アイザックの話には、いつも夢がある。
ジュリアもその話に聞き入っていた。
そのときだった。
まだ港が工事中だったせいで、大量に積み上げられた材木。
それをとめてあったロープが切れたのだ。
大量の材木が、雪崩のように崩れ落ちてくる。
それはまっすぐに倒れてきて、真っ先にアイザックを押しつぶそうとしていた。
自分でも知らない間に、ジュリアは飛び出していた。
夢中で、アイザックに覆い被さるようにして、彼をかばっていた。
ジュリアのすぐ後ろから、材木が次から次へと転がってきた。
材木はジュリアの足に、背中にと落ちてきた。
「大丈夫か?」
材木の山に囲まれたジュリアとアイザック。
ひとつずつ材木がはがされ、ジュリアたちはすぐに救出された。
「大丈夫か?ケガはないか?」
ジュリアに聞くアイザック。
「ええ、大丈夫・・・これぐらい、平気ですから」
そう言って、立ち上がった瞬間、ジュリアは顔をしかめた。
足に激痛が走ったのだ。
ジュリアは立ち上がれなかった。
そんなジュリアをアイザックは抱え上げて、運んでくれた。
そのままアイザックはジュリアを自分の家へと運び、ケガの手当をしてくれたのだった。
ジュリアは、そのままアイザックの家に居座るようになった。
家にいたのはアイザックとラーサ。
それに食事などを作る家政婦さんがひとり。
もちろんラーサはいい顔はしなかったが、露骨にジュリアをいじめるようなことはなかった。
一方、アイザックとはいろいろな話をするようになった。
アイザックのする話は、この町のことが圧倒的に多かった。
それでも、未来のこの町のことを明るく、力強く語れるアイザックが、ジュリアは好きだった。
「この町はもっともっと大きくなる。近いうちに、このレオネシア大陸のすべての貿易が、この町の港を通過するようになるんだ」
「すごーい。それもこれも、アイザックさんの力のおかげですね」
「そんなことないよ。これは町のみんなの力だ」
「それでも、町をまとめているのは、アイザックさんなんですから。みんな、アイザックさんを信じていますよ」
実際、アイザックの信頼は厚かった。
「私は・・・自分の町すら守れなかった。自分の町から逃げ出した。私には何もない・・・」
ふと、過去を思い出して、ポツリとつぶやいてしまったジュリア。
「それはジュリアのせいじゃない。町を守るのは、大人の役割なんだから。だから、ジュリアがそんなことを気に病む必要はない。なによりもジュリアには、どこまでも続く将来が、未来がある。過去に縛られるのはやめて、未来を生きるべきだ」
それは自分の「未来」を、初めてジュリアが意識した日だった。
アイザックは初めて、自分に将来への希望を与えてくれた人だった。
アイザックのおかげで、自分はこれからも生きていていいんだと初めて思えた。
町が襲われ、そこから逃げ出して、シーラについていったあの日。
あの瞬間で、ジュリアの時間は止まっていた。
ずっとそこにとらわれて、卑屈になっていた。
アイザックはそんなジュリアにも、「未来」なんてものがあると、初めて認めて、意識させてくれた人だった。
やがてケガも直ったジュリアは、アイザックの紹介で、港で働き始めた。
書類や帳簿や手続きなど。
ジュリアの仕事は、主に港に運ばれるいろいろなものを管理することだった。
しだいにジュリアは、この町の港の貿易について分かるようになった。
アイザックは、相変わらず優しかった。
町の未来について演説するアイザック。
そんなアイザックの姿を、ジュリアはよく見に行った。
気がついたときには、ジュリアはアイザックが好きになっていた。
いや、最初から好きだったのかもしれない。
アイザックもジュリアのことが好きなはず・・・ジュリアはそう思っていたが、確信は持てなかった。
でも、そんなジュリアの幸せな日々は、長くは続かなかった。