第85話 ああロミー。どうしてあなたはロミーなの…(1)
すっかり夜もふけていた。
タナシスの山頂、ゼノとロミーの屋敷。
そのすぐそばまで、ジュリアは来ていた。
当たり前だが、玄関は閉ざされ、窓にもバルコニーにも、ロミーの姿は見あたらない。
大きな屋敷を目の前にして、ジュリアはそっとつぶやいた。
「ああ、ロミー。どうしてあなたはロミーなの?」
もちろん、ジュリアの声に反応はない。
「ああロミー、どうしてあなたはロミーなの?私にとって敵なのは、あなたのその名前だけ。その名前さえなければ、私にとってあなたはすべてだったのに・・・。もしも許されるのなら・・・あなたがその名前を捨て去ることが許されるのなら、私もすべてを捨てて、あなたにこの身のすべてを捧げたでしょうに」
そのとき、不意にロミーがバルコニーへと現れた。
「ジュリア!待って、ジュリア!」
ロミーの声が夜空に響く。
ジュリアにとっては、まったくの不意打ちだった。
ジュリアは反射的に逃げ出そうとした。
そんなジュリアに、うしろからロミーが再び声をかける。
「ジュリア!待ってくれ、ジュリア!君の言うとおりにするから。なんでも、君の言うとおりにするから。だから・・・だから、たった一言、僕を好きだと言ってくれ!そうすれば、僕はロミーの名も、生まれた町も、何もかも捨て去って、新しく生まれ変わった人間になれるから」
それはジュリアにとってうれしい言葉だった。
ロミーのことが好きだ!何十回でも、何百回でも、この場で叫びたかった。
でもジュリアには出来なかった。
これ以上、ロミーを巻き込むことは出来ない。
これ以上、ロミーとこの町を巻き込むことは出来ない。
ジュリアは覚悟を決めた。
あふれた涙を袖で拭って、それから険しい顔を作った。
私は諜報員。私はプロ。私は女優。
ジュリアは気味の悪い笑みを作って、ロミーの方を振り返る。
「好き?バカじゃないの?私は諜報員。あなたをだまして、この町を手に入れようとした、ただの諜報員なんだから。まったく、すぐ本気になっちゃって!私があなたのことを、本気で相手にするわけなんてないじゃない」
精一杯のジュリアの演技。
少し唖然とした顔で、ロミーは聞いていた。
「あーあ、あなたをたぶらかして、今頃この町の魔法石は、すべて私たちのものになっているはずだったのに。あなたが全然役に立たないから、私まで怒られちゃったわよ。本当に使えないわね。もういいわ。あなたにはこれからもずっと、この小さな町に閉じこもって、ひとりで戦っているのがお似合いよ」
そう言って、ジュリアは手にしていた剣を、その場に放り投げた。
「もう会うこともないだろうから、餞別代わりに、これは置いていってあげるわよ。言っておくけれど、私を追いかけても無駄だからね。私の決心は固いの。それに、私のバックには虚無のシーラという、レオネシアで一番有名な諜報員がついているんだから」
もう限界だった。
ジュリアはその場でロミーに背を向けると、早足で去っていった。
これ以上、話を続けることは出来なかった。
ロミーと顔を合わせていることすら、難しかった。
涙が滝のようにこぼれた。
自分はこんなにロミーのことが好きだったんだ・・・今になって、初めてジュリアはそのことを知ったのだった。