第32話 満月の夜、白いドラゴンに乗ったオオカミさんが私のことを迎えに来てくれる…(2)
でも、その幸せは長くは続かなかった。
「南の国が攻め込んできて、戦争が始まった」
そんなうわさは、ラーサも何度か聞いた。
その直前から、兄のケインが家を空けるようになっていた。
そして…。
あの夜のことは、ラーサは今でも忘れられない。
その日、ケインはいつも通り、いや、いつも以上に明るかった。
無理にはしゃいでいるのだと、ラーサは感じていた。
食卓に並べられた、豪華な食事。
その日に限ってケインが用意した。
いつもの生活では考えられなかった。
そして、その理由は、食事が終ってから分かった。
「明日からしばらく、戦争に出かけなきゃいけない…」
世間話でもするように、ごく普通に言った兄の言葉。
「それで、いつ帰ってこれるの?」
「わからない。いや、もう帰ってこれないかもしれない…・」
ラーサはあと片づけをしようと、運んでいた皿を、その場に落とした。
「ウソ。ウソだ…。いや。いやよ。絶対いや…」
目を伏せたケインを、ラーサは抱きしめていた。
「ダメ。行っちゃダメ。ううん、行かせない。ラーサが絶対に、行かせないんだから」
静かな夜だった。
雨の音だけが、家の中に響いていた。
「でも、俺はこの日のために、軍学校で練習していたんだから。この国を守らなきゃ」
「そんなこと言って、死んだらどうするのよ。戦争って、たくさん人が死ぬんだよ」
「そうだな。でも、それでも、行かなければいけないんだ。親友が待ってるんだ。仲間が待っているんだ」
「そんなこと、どうだっていい。死んだら、何も意味がなくなっちゃうんだよ。そうだ。逃げよう。私と一緒に、逃げよう。今から遠い国まで逃げましょう」
兄は悲しそうに微笑んだだけだった。
「いやだ。絶対いやだからね。行かせない。決めたんだから。ラーサはお兄ちゃんを守ってみせる」
「分かってくれよ、ラーサ。俺は行かなければならないんだ。あいつが待っているんだ。約束したんだ」
それでも、ラーサは離れなかった。
ずっとずっとケインを離さなかった。
分かるはずなんてない。
死ぬかもしれないところに、自分から飛びこむことなんてない。
夜中になっても、ラーサはケインを離さなかった。
同じベッドで横になり、ケインの大きな背中に両手を回したままだった。
この手は絶対に離さない。
兄は絶対に行かせない。そう決めていた。
このままずっとずっと起きていて、兄を捕まえ続けているつもりだった。
いつまででも、兄を離さない。
かたく誓っていた。
でも…。
気がついたら、ラーサは眠っていた。
朝の陽ざしに目を覚ました時、兄の姿はすでになかった。
はだしのまま、ラーサは家を飛び出した。
兄を探して、走り回った。
でも、兄はどこにもいなかった。
家の中も、家の外も…。
何度も何度もラーサは兄の姿を探した。
でも、やっぱり兄は見つからなかった。
見つかったのは、テーブルの上の一枚の手紙。
「ごめんな、ラーサ。やっぱり俺は、行かなければならないんだ。ラーサなら一人でも大丈夫だから。ちゃんと女の子らしく、きれいにして暮らすんだぞ。あ、それから引出しにあった幸運のお守りはもらっていくからな。幸運を祈っていてくれ ケイン」
ラーサが自分の部屋に戻って調べると、幸運のお守りがなかった。
かわいい花をあしらった手作りのお守り。
兄にあげようと、コツコツと自分で作っていたものだった。
「お兄ちゃんは知っていたんだ…」
兄は行ってしまった。
ラーサが作ったお守りひとつ持って…。
帰ってくるよね。
帰ってこなかったら、許さないんだから。
だって、言ったじゃない。
「でも、結婚なんかしなくても、兄弟はずっと兄弟なんだから。ずっとお前は、俺が守ってやるから…」
お兄ちゃんが、そう言ったんだからね。
「ずっと守ってやるから…」。そう言ったんだからね。
だから、帰ってこなかったら、許さない。
ううん、そんなこと、あるはずない…。
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