その8・惑星ジェリコの決闘
何度疾っても、宇宙空間ってのは距離感が狂う。
目の前にあるやや扁平な赤茶けた楕円球――惑星ジェリコの姿は、すでに機内スクリーンのなかに大きく映し出されていたが、まだ手離しでそこに落ちていけるような距離じゃ無かった。
イズトラカンとジェリコの距離は、平均的な惑星と月の間の距離に比べれば近いが、宇宙機で飛んで渡るとなりゃ、それなりに時間がかかる。
ましてや、エンジンがご機嫌斜めとなりゃ、なおのことだ。
「一番と四番はまだ噴かねぇか?」
〈ダメね。出力が五十から上にいかない。燃料系は異常ないみたいだけど、電装系の不具合かしら〉
「奴のカマロは?」
〈あっちの射程に捕まるまで、五分から七分てとこね。ぴったりついて来てる〉
だろうな。もともとカマロの直線加速性能はマスタングより上だ。エンジンがまともだとしても、単純なパワー勝負じゃ勝ち目はない。
奴はスイングバイの前に追いついて仕留めようとしてくるに違いない。
話は単純だ。こっちの勝利条件は、追いつかれる前にジェリコの重力圏内に入ること。
しかし、忌々しいことに、フジコの計算じゃあ、この追いかけっこはギリギリで奴の方に分があるようだった。
物理法則をひっくり返して逃げ切るとしたら、極短距離ELドライブくらいしかないだろう。その成功率は、コンマの後にゼロがいくつ並ぶのかってほど低い。リコリスの救出が最優先の今、そんな大博打は打てない。
バックミラーに映る黒いカマロの機影は徐々に大きくなってきていた。
ネイビー・キャノンの残弾は二発。
左腕を吹っ飛ばされたんで、予備シリンダーへのチェンジは実際不可能。腹をくくってドンパチを始めようったって、とても勝ち目がねえ。
「おやおやぁ? あっれあれぇ? ここでエンジントラブルっすか。アンラッキー続くっすねー。お祓いでもして貰ってきたらどっすか?」
神経を逆撫でするような悪党の声が聞こえてくる。
「バッタのクソでも食ってろ」
俺が悪態をつくのと同時に、背後から奴のS&Wが続けざまに二つ三つ光を吐いた。死をもたらす荷電粒子の束がマスタングの機体を掠めていく。
まだ射程外だから当たりゃしないが、このまま追い付かれちゃ打つ手なし。どうする?
あと少し。あとほんの少しだけ加速できれば――。
「フジコ、後ろに向けて一発撃て」
〈この距離じゃ当たんないわよ?〉
「当てる必要はねえさ」
〈……そういうことね。わかった〉
いつもの事だが、フジコは俺の思うところを正確に把握したようだった。
ネイビー・キャノンは荷電粒子砲だ。電磁場のコントロールで荷電粒子を束にして一方向に飛ばす、その原理は、宇宙機のエンジンと似たようなもんだと考えていい。違うのは、飛ばすのが当たると痛い金属のプラズマで、コントロールがきくのは一瞬だけ、ってことだ。
だが一瞬でもいい。
エンジンの噴射と同じ方向に撃てば反動で加速を得られる。
キャノンの銃把を掴んだまま、船外のマニピュレータは機体下面のレールをすべって、百八十度銃口の向きを変えた。
「軌道修正、計算終わり次第トリガーを待たずに撃て!」
〈りょーかいっ!〉
銃口が後ろを向くと、モニタの中のノリオが、さも楽し気に笑いながら言った。
「なんすかそれ、ウケるっスねー! そんな距離から撃っ……」
その声を最後まで聞かずに、フジコはネイビーを撃った。
銃口から熱を帯びた光条が後方に放出され、その反動はわずかの間、マスタングに光の翼を与えた。
「悪いな、急いでるんだ」
小さくなっていくカマロの機影をミラー越しに見ながら、必要な速度に達するのが少しだけ速くなった俺のじゃじゃ馬は、荒れ果てた惑星ジェリコへと一路、矢のように飛んだ。
いまにも墜ちてきそうな月の重力の影響で、惑星ジェリコの大気はほとんど引っぺがされている。海もない。剥き出しの地表のほとんどは灰色の砂に覆われ、火山活動と容赦なく降り注ぐ隕石の影響でデコボコだ。とてもじゃないが、住む気にはなれない。
ノリオ・ヴェントゥーノを引き離した後、マスタングは順調に、この惑星のスイングバイ軌道に遷移していた。危惧していた伏兵の出迎えも無ければ、機体にさらなる問題が発生することもなかった。
「なんとか予定通りいきそうだな」
〈予定? 立ててたっけ、そんなの〉
フジコがまぜっかえし、俺が言葉に詰まったところで、モニタの隅で赤い警告表示が光った。
〈前方から敵の機影、急速接近。――カマロ!〉
「前からだと――?」
一瞬、訳が分からなくなったが、すぐに理解した。
ノリオの野郎、追いつけないと悟って、惑星の反対側からアプローチをかけてきやがった。
あのランデブー未遂地点からは、スイングバイ軌道は二通り取れた。惑星の公転方向の前方を横切って軌道を半周してからイズトラカン側に向かう軌道と、惑星の後方を横切る軌道だ。
後方からのアプローチでスイングバイした場合は月の反対方向――惑星重力圏の外に出ることになるが、奴の目的はスイングバイではなく、ジェリコの周回軌道上で俺とすれ違うことにあった。
「逃げられたと思ったっすか? マクノウィッチさん、ざ~んねん」
例によって、ジャックされた通信画面から、むかつく口調でノリオが言った。
「今度こそ仕留めるっすよ」
「お前やっぱり、頭イカれてんじゃねえのか? 脱出速度ですれ違う宇宙機同士で交戦できるもんかよ」
「そっすね。だから――早撃ちの一発勝負っす」
画質の悪い通信画面内のノリオは、例のチョコバーをひと齧りして、不敵な笑みを浮かべたように見えた。
「決闘――荒野の決闘っすよ、ヒューガさん」
アーミーの銃口が前を向いた。
ノリオの考えてることは明白だ。すれ違う一瞬の間、お互いが射程内に入るのと同時に撃ち合って決着をつけようってことだ。ガンマン同士の決闘ってより、中世の騎士の馬上槍試合の要領だな。
まあ、どうせこっちの残弾は一発。奴のお膳立てってのは気に食わないが、迷ってるヒマは無え。こっちもドリフト・マニピュレータを前に向け直して、ネイビーを構える。
〈接触まであと――十秒、九、八、七〉
正面に映る黒い機影はみるみる大きくなっていく。お互いの針路も速度も割れてるから、狙う位置は明らか。勝負はトリガーを引くタイミングだ。
(速い方が勝つ)
〈四、三、二――〉
撃ったのはほぼ同時だった。
向かい合う二つの蒼い光が、虚空を貫いた。
マイケル・マクノウィッチとノリオ・ヴェントゥーノ。
マスタングとカマロ。
ネイビーとアーミー。
何もかもが正反対な二つの魂が、お互いを貫きあうように弾けた。
フジコのカウントがゼロを宣告すると同時に、宇宙機同士の舷側がすれ違う。
黒いはずのカマロの機体が炎の塊のように赤熱していた。
直後、ミラーを確認すると、はるか後方で、カマロのエンジンが大きく火を噴くのが見えた。
〈……敵機の識別ロスト。やったわね〉
「こっちの機体に異常は?」
〈右舷側太陽電池パネルに軽微なダメージ。他は異常なしね〉
どうやら決着はついたようだ。
「あばよ、悪党」
ノリオは荒野の惑星に墜ち、灰色の塵になった。
俺はスイングバイを成功させ、リコリスの待つ廃棄スフィアに針路をとった。
後で知ったことだが、その廃棄スフィアはその昔「カテドラル」って呼ばれてたらしい。最初にこの星系に入植を決めたカトリック系移民のための司教座……だったかなんだかが置かれていたことが、その名の由来だそうだが、今はただの廃墟だ。
小さなバナール球型居住区と、その回転軸の延長上にある宇宙港モジュール群、それらを取り囲むように連なる太陽電池ユニット。大人数の移民を想定した造りじゃないが、恒久的な地球系人類の人工生活圏としては申し分ない造りだ。
廃棄されてから相当の年月が経っているようで、銀色の外壁に大きく描かれていた緑色のラテン十字架のペイントは、だいぶ剥げてきている。
もちろん、スフィアそのものは神の御わざではなく、明らかな人工物。ジェリコとイズトラカンの中間重力均衡点L1にたむろする、いくつものありふれたスフィアのうちの一つだ。
宇宙港は回転軸の両端に二か所あるが、俺がついた時にはもう、連邦軍のアリッサ大尉が両方とも制圧し終えていた。
スフィアの球状の居住区は、サラダボウルを二つ向かい合わせにしたような構造になっていて、その継ぎ目に当たる「赤道」部分で最も遠心力、つまり居住区の疑似重力が強く働く。市街地はその赤道付近にあった。
ヨーロッパ近世風の建築が立ち並ぶ小さな町並みが、狭い範囲に集中して建っている。倒壊している建物も多く、生活している定住者がいないので、すっかり寂れていた。
俺はマスタングを降り、スピナーを馳せて、そのゴーストタウンに向かった。
そこではシンジケートの残党と連邦軍が激しい銃撃戦を繰り広げていた。
もっとも、ノリオを失って統制に欠け、頭数も減っているシンジケート側は、装備も質が良く、訓練も行き届き、数が減っても増援が期待できる連邦軍に対してまったく勝ち目がなく、順当に制圧されつつあるところだった。
リコリスという人質は、俺に対してはともかく連邦軍にはまったく切り札にはならない。酷い話だが、彼女が死んだ方が、連邦政府にとっては厄介なトラブルの種が一つ減ってくれることになるのだ。
〈つまり、あのかわいこちゃんを助けに行く理由があるのは、いまこの惑星域にあんた一人ってわけね〉
フジコはうんざりしたようにそう言ったが、元々俺一人で乗り込む予定だったんだ。今更尻込みする理由にはならねえさ。たとえ連邦軍と撃ち合いになったって構やしねえ。
「なあに、シンジケートは虫の息だ。居場所も割れてる。助けに行くってより、迎えに行くだけさ」
〈その居場所って、あそこの事かしら?〉
スピナーのナビに映し出されたのは、眼下に見える廃墟の中にある、遠くからでも目を引く塔のような大きな建物の拡大映像だった。
「屋根の上に十字架が見えるな」
ラテン十字――教会か。
〈冒涜もいいところね。神さまの家が悪党の巣だなんて〉
「そうでもねえさ。懺悔できるのは悪い事をした奴だけだ」
教会の周囲には、ノリオの手下らしい奴らが武装して待ち構えていた。トトの最後の通信から割り出したリコリスの監禁場所はあそこらしい。
俺は連中に見つからないように、慎重にスピナーを移動させ、建物の影に隠れながら教会に近寄った。
ノリオの手下はまだ騎兵隊が相手をしてくれてる。見たとこ、留守番部隊は少数。
手負いの身とはいえ、ブラスターを持った俺がそういつらを片付けるのに、そうそう時間はかからなかった。
廃墟になった聖堂は、連邦軍の砲撃で壁にいくつも穴が開き、瓦礫の山になっていた。
〈かわいそうに。せっかく助けに来たのに、このありさまじゃねえ。ご愁傷様〉
「縁起でもねえことを言うな」
だがフジコの軽口は現場の様子を見る限り、シャレになってねえ。
嫌な予感を振り払って顔を上げ、足元に注意しながらゆっくりと教会の中に歩を進めていくと、小さなうめき声が聞こえた。
「リコリス?」
反射的に俺は駆け足になって、声がした方に近づいていった。
リコリスはぐったりした様子で、礼拝堂の講壇の裏手に倒れていた。
付近に置かれていた大きな衝立が倒れて講壇に引っかかり、斜めになった状態で、落下物から彼女を守ったようだった。
呼吸はある。頭部の損傷はないが、念のためその場で肩を何度か叩いて呼びかけてやると、彼女は目を覚ました。
「リコリス、無事か?」
「マイク……さん――マイクさん!」
起き上がったリコリスは、急に驚いたように目を見開いて、ドレスを翻して立ち上がり、俺が貸し与えたレミントン・ダブルデリンジャーを構えて、銃口を俺に向けた。
「!」
何処に隠していたのか。なぜ俺を撃つのか。
そんな疑問を口にする間もなく、リコリス・ホームステッドは細い指でデリンジャーの銃爪を引いた。
〈至近にELドライブアウト反応!〉
フジコがそれとほぼ同時に警告を発する。
ちいさな銃声。
耳元を掠める細い熱線。銃口にまとわりつく仄かな紫電。
その直後、俺の背後から短いうめき声が聞こえた。
「リコリス――?」
「まさか……っす……ね……」
振り返ると、ジェリコで撃墜したはずのノリオ・ヴェントゥーノがそこに立っていた。
〈パーソナルELドライブ……連邦宇宙軍では使用リスクが高すぎるって理由で開発中止になったやつね。ホームステッドに侵入するときにもこれを使ったのかしら〉
フジコの解説でだいたい何が起きたのかは理解できた。
奴の眉間には穴が開いていて、血が噴き出していた。手には奴の愛銃が握られていた。俺の背中を狙っていたその銃口は、奴の腕の力が失われていくのに伴い下がっていき、ついには地面を向いた。
リコリスはデリンジャーを構えている手が震えるのを必死に抑えながら、崩れ落ちていくノリオの最期を見届けようとしていた。
「か、開拓星の女を、甘く見ないでほしい、です……!」
厳しい表情で啖呵を切ったリコリスを、なぜか満足そうな顔で見やりながら、スローモーションのようにゆっくりと、悪漢ノリオはその場に倒れた。
もう起き上がってくる気配も無い――今度こそ。
健気な囚われの少女は、彼女自身の手で銃を取り、悪党の息の根を止めたのだった。
「美学だなんだと言ってた割にゃ、往生際の悪い奴だったな」
俺は深く息を吐いてから、リコリスに歩み寄って、頭の上にぽんと手を乗せた。
「ありがとう、助かった」
「マイク……さん……私……」
「いいんだ。これで、すべて終わったんだ」
「マイクさん!」
震える手から、デリンジャーが滑り落ちるのと同時に、駆け寄ってきた彼女の両腕が俺の背中にまわる。俺も彼女の肩に手を添えて、そしてお互いを支えあうように、固く抱きしめ合った。
そこで堰を切ったように、少女は両まぶたからとめどなく涙をあふれさせた。俺の名前を呼びながら嗚咽を繰り返す。
「ああ、終わったんだよ」
惑星ジェリコの灰色の地平線に、フロンティア15の太陽が顔を出す。
廃棄スフィアの採光ミラーから、輝くような強い日差しがおりて、二人を頭上から照らした。