その6・荒野の第三惑星
ノリオは最初、何が起きたのか把握できていないようだった。
そりゃそうだ。奴にとってリコリスは、始末すべきターゲットでしかなかった。自分の意思で動いて、あまつさえ、銃を構えて反撃してくるなんて少しも、ほんの少しも思っていなかったのに違いない。
だが、奴の手元を撃って俺の命を救ってくれたのは、間違いなくリコリスだった。
当惑しながら、ノリオが先ずやったことは、銃を手放して、相変わらず地べたに押さえ込まれている俺の鼻先へ、右肩越しに投げてよこすことだった。
弾が切れた銃を捨てるのはわかる。だが、その後に奴が口にした台詞は理解不能だった。
「……いい。いいっすね、こういうの! ゾクゾクするっす!」
リコリスの方を見ているので、俺からは奴の表情を伺う事が出来ないが、強気に銃を構えていたリコリスが、気圧されたように一歩後ずさるのが見えた。
「いやあ、ちょっとビックリっすよ、リッキーちゃん」
「ち…近寄ったら、撃ちま……」
ノリオはリコリスの脅し文句を最後まで言わせずに、歩を速めて大股に、彼女の目の前まで迫った。ノリオが一歩進むごとに、リコリスの手の震えが大きくなっていく。
やがて、彼女の人差し指が引き金を引けば必ず当たるところまで近寄ったノリオは、顔の高さをリコリスに合わせて、低い声で訊ねた。
「人、殺せるっすか?」
「!」
それはデリンジャーを渡した時に、俺が彼女に尋ねたことと同じようで、違う質問だった。
ノリオ・ヴェントゥーノは答えを知っていた。
〈撃って、お嬢さま!〉
トトが悲壮な声で促したが、銃口をノリオに向けたまま、トリガーに指をかけたまま、リコリスは動けないようだった。
一瞬の沈黙がその場を支配したあと、いつにも増してふざけた調子でノリオが口を開いた。
「あー、歴史の話は好きっすか?――人類が地球の上でドンパチやって、世界大戦、とか言ってた時代があったらしいんすけどね」
「な、何を言……」
「その時に、鉄砲持った兵隊さんが戦場で、実際に敵の人に向けてそれを撃った割合って、どのくらいだと思うっすか?」
奴は話をしながら、リコリスが震える手で構えるデリンジャーに、上からそっとつまむように右手を添えた。
「統計をとったマーシャルさんて人がいたんすけどね。なんと、百人中十五人から二十人らしいっすよ。意外っしょ? 訓練も受けてた筈なのにねぇ。八割の兵隊さんは、出来なかったってことっすよ。心理的に拒否したんす――人殺しを」
その話は、士官学校の教本にも載ってるので俺も知っていた。
人は自分の手で人を殺すことに強いストレスや罪悪感を覚える。たとえ殺す相手に恨みがあろうと、会敵必殺の軍事教練を受けていようと同じだ。銃を持ったからって、人が人を躊躇なく殺せるようになるわけじゃない。相手の姿が見えない距離からの砲撃や戦略爆撃が有効なのは、そういう理由もあってのことだ、と。
そして、その仮説を証明するかのように、ノリオの右手で上から押されたリコリスの銃は、次第に下を向いていき、ついには彼女の手を離れて足下に落ちた。
「ん。リッキーちゃんが多数派でよかったっす。でもね。撃てないにしたって、自分が殺されかけてる時に、赤の他人のために、悪党に銃を向ける健気な乙女。サイコーじゃないっすか。美学っすよ」
ノリオの声は、再び余裕を取り戻していた。
そして、陽気な声でとんでもないことを口にしたのだった。
「今決めたっす。リッキーちゃんには、俺っちの嫁になってもらうっす」
――なんだって?
「よ……え?」
〈ふざけんなよ、チンピラ野郎!〉
トトが俺の言いたいことを代わりに言ってくれた。――嫁だと?
〈お嬢様はまだ高校生だぞ、この変質者! そもそも、お前みたいなヤクザに――〉
「マジっすよ。惚れたっす。それに、俺と結婚して子供を産んで貰えば、合法的にこの星をゲット出来るってオマケ付きじゃないっすか。殺した後で反対派さんたちに譲ってもらうより、よっぽどスマートっすねえ」
「そんなことを、私が承知するとでも――」
「よく考えて返事をした方がいいっすよ、リッキーお嬢さん。それとも、そこで無様に転がってる用心棒さんをまだ頼りにしてるんすか?」
嘯きながらノリオは、這いつくばってる俺を振り返って一瞥した。
「――もちろん、そっちの方に並んでるメイドさん達と撃ち合いをやって、白黒つけるのもアリっすけどね。でも、シンジケートに本気で逆らえば、ここにいる皆さんなんてプチっと小虫みたいに潰されるのがオチっすよ? 万に一つ勝てたとしても、誰も死なずに終わるって事はないっすよね、絶対」
「…………」
リコリスはしばらくの間、なおも気丈にノリオの横顔に鋭い目を向けていたが、やがて顔を伏せ、がっくりと膝をついた。
「私があなたと行けば、ここにいる人たちの命は誰一人奪われないと、約束してくれますか?」
「約束? お安い御用っすよ。なんなら、署名入りの誓約書を作ってもいいっすよ」
「……分かりました」
〈お嬢様!〉
「トト、もう何も言わないで。今この状況で、私にできることをしましょう」
〈そんな! みんなはお嬢様を守るためにここまで――〉
トトはそこで言葉を飲み込んだ。それ以上はリコリスを責めることになってしまう。そして、この最悪の決断は彼女のせいじゃないし、彼女が望んだことでもないってのは明らかだ。
「話は決まりっすね。それじゃ、結婚式でも挙げにいくっすか」
リコリスはなおもその場に身をかがめたまま、地に手をついてうなだれていた。
「リッキー! 駄目だ! そんな――」
「姉さん! 僕が――」
ダグラス氏と、その傍らのクリス坊やが悲痛な声を上げかけたが、自分のブラスターの中折れ式の銃身を開いて弾倉を交換し終えたノリオは、リコリスの頭に銃口を向けた。
「本人の同意があれば、ご家族の意見とか関係ねーっすけどね。邪魔するんなら、残念ながら最初の予定通りにこの娘を殺すだけっすよ」
忸怩たる表情のホームステッド家の面々に対して、勝ち誇ったように、ノリオは昂然と高笑いをした。
(クソッタレが!)
俺は朦朧とする意識の中で毒づいた。彼女に苦渋の決断を強いたのは、他ならぬ俺だ。銃を他人に預けるべきじゃなかった、とまでは言わない。あの時ブライアンに預けなかったら、そこでまた余計なひと悶着が起きていただろう。だが銃を持っていないことを忘れていたのは間違いなく俺の失敗だった。
(また、助けられないのか――俺のせいで)
苦い思い出が脳裏をよぎり、俺はほぞを噛む。
(また助けられるのか。助けたかった女に)
屋敷の門の方から爆発音が聞こえた。連中が仕掛けたものだろうか。駆けだそうとしたダグラスを、サクラさんが両手ですがって止めている。
ノリオがにやりと口の端を上げて、うろたえる使用人たちをブラスターで威嚇しながら、リコリスの手を引いてホームステッド家の敷地から悠々と去っていく。
俺はぼやけた視界の中にそんな光景を見ながら、ついに気を失った。
まどろみの中で、俺は何度も同じ光景を見る。
その星の宇宙港に続く軌道エレベータの途中、対流圏内にある最後の展望ラウンジは、この星の風景を高みから見下ろす人気のデートスポットだった。今は事故のため閉鎖されていて、俺と彼女だけしかいない。――事故? 違う。奴らのせいだ。今はそれを知っている。
だが、その当時十七、八の頃の俺は知らなかった。
割れたラウンジの窓には、上層気流が容赦なく吹き込んで、その中にあったテーブルや椅子、自動販売機、観葉植物……ありとあらゆるものを外に引っぱり出そうとかき回し、荒ぶっている。
窓の外に張り出した格子状のフェンスは、万が一こうなった場合の安全を考えて備え付けられた設備のはずだったが、何かがぶつかって変形しており、穴が開いている。
そもそも、強化樹脂でできたラウンジの窓は内側からの与圧と外部からの飛来物に耐えるように作られている筈で、この「事故」が人為的に引き起こされた可能性について、その時点で気が付いてもよさそうなもんだったが、それどころじゃなかった。
「――――!」
フェンスの端になんとか右手をかけた俺は、左手で彼女の細い手首をつかんで、悲痛な声でその名を叫んでいた。
忘れえぬ、俺の最良にして最悪の思い出に残る、一人の少女の名を。
その時、彼女の支えは、俺の左腕だけだった。この手を離したら最後、彼女は二万五千EPLフィートの高さを落ちていくことになる。
だから絶対に離してはいけない。離しては――
それでも、結局最後には、彼女は俺の手をつかむことを止めてしまうのだ。疲労で握力が無くなった俺の手の中を、あの娘の手が滑りぬけていく。
その場面はスローモーションにようにゆっくりと、あるいは映画のカットバック演出のように、何度も、何度も、何度も繰り返された。
「――――ス!」
ふたたび名を呼んだ時、彼女はすこし微笑んで言うのだ。
「トシ、あなたは、生きて!」
愛した女の、最後の言葉。
ひょっとすると、それは俺の願望が、自己満足が、身勝手さが捏造した偽りの記憶かもしれなかった。だが彼女がそう言ってくれたのでなければ、その場で俺は彼女の後を追っていたかもしれなかった。
墜ちていく彼女の顔に、最近見知った少女の表情が重なる。本当に、不思議なくらい似ていた。
「――……リス!」
みたび女の名前を呼ぶのと同時に、俺はベッドからがばりと身を起こした。
同時に腹部に激痛がはしり、悶絶する。
どてっ腹にあけられた銃創は丁寧に手当てしてあったが、見ると、胴体が包帯でぐるぐる巻きになっていて、上身をよじるにも痛みがあるような状態だった。
(夢か……)
この夢を見るのは何度目だろう。あれから何年も経っているってのに、事あるごとに思い出して悪夢を見る。
怪我の痛みのおかげもあって、次第に意識がはっきりしてきた。
俺はあの晩に借りていたホームステッド家の客間のベッドに寝かされていて、キャスター付きの点滴装置から伸びる管の先が俺の左腕に貼り付いていた。サイドテーブルには上着やガンベルトを含む俺の持ち物が整理して置かれている。
〈あら、お目覚め? ヒーロー面したカッコつけで間抜けな運送屋さん。助けた女の子を一日もしないでまた悪党にかっさらわれた感想はどう?〉
いつもの調子でフジコの奴が言った。落ち込んでる俺に追い打ちをかけるような最悪のセリフ選択だが、不思議と落ち着く。
「……そっちは夢じゃなかったってことだな」
〈夢って――またいつもの?〉
「ああ」
〈そう。――ひどくうなされてたから、そうじゃないかとは思ってたけど。でも夢の中でぐらい、ハッピーエンドになってもよさそうなのにね〉
フジコには、俺がよく見る例の悪夢の内容を、以前すでに話したことがあった。
その時も彼女は似たようなことを言っていたように記憶している。〈夢の中でもバッドエンドとか、ないわー〉とかなんとか。
ともかく、俺は自分がまたしぶとく生き残ったことを確認し終えると、気を失った後の状況についてフジコに確かめた。
携帯端末のカレンダーを見ると、あれから二日経っている。
あの後、ノリオ・ヴェントゥーノはリコリスを連れて港に現れ、迎えに来た宇宙機に乗って悠々と宇宙空間に去っていたという。
ホームステッド家の面々は意気消沈していて、サクラさんだけがなんとか気を張ってクリス坊やの面倒を見ているらしい。特に警備員のブライアンは責任を感じて、自分のせいで俺の銃が奪われたと思い詰めた挙句に辞職願を出して保留中とのことだ。
〈……まー、一言でいえば状況最悪ね〉
「リコリスは生きてるのか?」
〈知らないわよ、そんなの――と言いたいところだけど、昨日の夜に忠犬トトから直メールが来たわ〉
「じゃあ……」
〈生きてるわ。丁重に扱われてるみたい。ノリオ・ヴェントゥーノは本気でリコリスと結婚する気なのかしら〉
「場所は? どこにいるかわかるか?」
〈知ってどうする気よ、重症患者さん?〉
重症? 知ったことか。このまま終わってたまるか。
「いいから答えろ」
〈ったく……〉
呆れたようにフジコはため息をついた。
〈惑星ジェリコ。フロンティア15の第三惑星、ジェリコの軌道上にある廃棄された人工宇宙島に、彼女はいるわ。おそらく、ヴェントゥーノ一家の本拠地よ〉
フロンティア15星系の生命居住可能領域には三つの地球型惑星が回っていて、一番内側にあるのが第二惑星のサンミゲル、一番外側が第四惑星のトゥームストーンだ。そのほかに人工惑星のアラモがトゥームストーンの軌道のすぐ内側にある小惑星帯に建設されているが、こいつは天然ものじゃないから数には入らない。
とにかく、この恒星系のなかで一番住みやすいはずの星が、生命居住可能領域のど真ん中の軌道を回る惑星・ジェリコだ。
だがジェリコに入植した者は少ない。その理由は、惑星を一目見れば明らかだろう。
環境改造されていないのだ。
周回している軌道だけを見れば好立地のジェリコを、普通に考えれば改造しないって手はないはずだが、しかし条件が悪すぎた。
まず、ジェリコの自転速度は、公転速度と同期していた。
つまり、太陽に対して同じ地表面をずっと向けているわけだ。改造に成功して大気圏が形成されたところで、永遠の昼と永遠の夜しかない星では住みづらいし、開発できる産業も限られてる。
さらに悪い条件が重なる。この星には、惑星自体の四分の一もの質量を持つ、巨大な衛星イズトラカンが付随していた。
ほかの軌道に持っていけば惑星で通りそうな天体だ。今のままでさえ二重惑星って呼んでる奴らもいる。しかも、惑星と衛星の間の距離が近く、惑星の自転軸自体がわずかに衛星側にズレて摂動を起こすほどだった。
この不安定な惑星と衛星の間の緊張関係は、「月が落ちてくる」恐怖を惑星上に住む者に抱かせた。実際にそれが起こるのが何百万年後、ひょっとすると何千万年後ってことを、学者先生たちが予想してたとしてもだ。
そんなわけで、今んとこジェリコに住んでいるのは惑星調査の名目で基地を建設した学者さんたちか、ジェリコとイズトラカンの間に建設された人工宇宙島群に移り住んだ物好きな移住者たちだけだろう。
宇宙植民時代の荒野。
悪党が人目を避けてうろつくには、おあつらえ向きの惑星ってわけだ。
「さて、ぼちぼち結婚式場に向かうとするか」
ELドライブによる転移直後、イズトラカンの裏側のラグランジュ点でバランスを取るべくスラスターをあちこちに吹かしてから、やっと安定したマスタングのキャビンで俺は独りごちた。
〈招待状ももらってないのに、押し掛けるわけね〉
「招待状なら。こいつがあるさ」
俺はそう言って、ホルスターからネイビー・ブラスターを抜いてみせた後、シリンダーを抜いて制御用アームにセットした。そして再びマスタングのスラスターをひとつ吹かし、衛星の表面ギリギリを周回する軌道に乗せた。
俺がリコリスを追いかけると言った時、ダグラス・ホームステッドは一瞬厳しい表情になった。
そりゃそうだ。俺は一度大言壮語を吐いた挙句、間抜けにも失敗して、事態を悪化させた男だ。ご当主としちゃ、俺を悪しざまに罵ってから、砂漠の真ん中に放り出すくらいのことはしてもいい権利があるだろう。
だが彼は、すぐに穏やかな表情に戻り、快く送り出してくれた。
「私たちが無力だということは、あの夜の一件で、否応なしに自覚させられました。いまや――もし許されるならですが――あなたしか、頼れる方はいません」
彼の口からもれたのは、むしろ自責の念だった。
「あの時、シンジケートに――ノリオ・ヴェントゥーノに立ち向かい、銃を向けることができたのは、あなたとリコリスだけでした。僕たちはただ怯えていた。仮にも開拓者の末裔として、先祖に向ける顔がありません」
「いや、あれは俺が――」
ダグラスは言いかけた俺を制してかぶりを振った。
「息子を犠牲にして娘を逃がす計画をお話しした時、あなたは息子と娘の両方を助けるべきだとおっしゃった。……僕には思っていても口に出すことができなかった、しかし心のどこかで真に願っていたことを、あなたが言ってくれたのです。目が覚める思いでした」
そして、彼は自分のタブレット端末で金額が記入されていない振り込みフォームを提示してみせた。
「厚かましいのは承知で、頼みます、マクノウィッチさん。どうか娘を――リッキーを、助けてやってください。あの子は絶対に、幸せにならなければならないんです」
「……わかりました。本当に俺でいいんなら」
俺は金額の所にゼロを書き込んで、踵を返し、宇宙港に急いだのだった。
〈それにしても〉
と、フジコが愚痴る。
〈カッコつけて報酬貰わないとか、ぶっちゃけありえない。燃料代ぐらい貰っときなさいよ〉
「報酬については、あてがないでもない」
〈え、マジで? 本当に?〉
食いつき気味に訊いてくるフジコに対して、俺は肩をすくめて答えた。
「ノリオの奴に払ったチップの五ドルを、返してもらうのさ」