その5・ノリオ・ヴェントゥーノの逆襲
ダグラスの言葉に、俺は首をかしげた。
「地球……?」
もちろん、地球を知らないわけじゃない。銀河連邦を作った人類発祥の地で、火星に遷都された今でも、連邦政府の官庁は地球に集中してる。
だが、そこにリコリスを運べって?
「どういう事だ?」
リコリスの弟の誘拐事件に、何か関係があることなのだろうか。まあ、頼まれたら請け負うが、俺の配送業は別に人間専門てわけじゃないんだがな。
しかし当のリコリス自身も、驚いた顔を義父の方へ向けた。
「お父様! 先ほどと話が違うではありませんか」
「考え直したんだよ、リッキー。奴らの要求を呑むことなど、やはりできない。クリスのために君を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「そんな……!」
どうやら、直前でリコリスと打ち合わせていた段取りを変更したらしい。
「その、要求ってのは?」
「それは……」
言い淀んだダグラスに代わって、リコリスが毅然とした態度で俺に向き直り、説明した。
「反対派が犯行声明を出して、私の身柄と引き換えに、クリスを返すと言ってきたのです。父に届いたメールには、シンジケートの幹部の名前も連署されていました」
「シンジケート……」
「ノリオ・ヴェントゥーノです」
「!――あいつ、まだ生きていやがったのか」
リコリスはうなずいて、ダグラスが持っていたタブレットをテーブルに置き、そのメールを見せた。そこには、俺に宛てたビデオメールが添付されていた。
聞き覚えのあるふざけた声が再生される。
〈驚いてるっすか? ヒューガさん。死んだはずの悪党は帰ってくるもんなんすよ。これ、悪の美学っす〉
確かに、そこには頭部に包帯を巻いた格好で、あのノリオが映っていた。
クソみてえなチンピラが、どの口で美学なんて語りやがる。
〈なーんて、軽いジョークっすよ。怒らない怒らない。……まあ、実際はシャレにはならないくらい、上からせっつかれてるんすけどね、コッチも。いい加減、最終的な解決をしたいと思ってるっす。――娘さんと息子さんは交換っすよ。明日にでも迎えに行っちゃおうとか思ってるっすから、お出迎えの準備、ヨロシクっす〉
俺とやりあった後で急いで撮影したものらしく、凝った演出は何もなかったが、それが余計にシンジケートが本気であることを如実に証明していた。
「明日――って、これが届いたのはいつだ?」
「この星の標準時で今日の昼過ぎ――私達が宇宙港に着いた一時間後の事です。サンミゲルで戦ったヴェントゥーノは、祖父の暗殺に始まるこの一件の首謀者だったようです」
「あくまで狙いはリコリスってことだな」
「そうです。だから僕は、リッキーの安全を最優先に考えたい」
苦渋の表情で、ダグラスは言った。
「それで、今のうちに地球に逃がそうと? 甘いな。シンジケートは銀河の隅まで根を張ってますよ。連邦政府のおひざ元だから安全てことは無い」
「地球に運んでいただきたい理由は、それだけではありません」
ダグラスの表情を窺うと、彼は真剣な面様のまま説明した。
「御承知の通り、先代のハリソン・ホームステッド二世は、トゥームストーンの所有権を更新しないままこの世を去りました。所有権の更新には、彼のDNAと二分の一以上が一致するDNAパスコードが必要です。そしてそれを持つものは、現在娘のリコリスだけです」
「その話は聞いてますよ」
とどのつまり、彼女が狙われているのはそのせいだった。
「本来であれば、現当主が生前に更新権を行使して所有権を変更し、パスコードを後継者に書き換えることを想定した仕組みなのですが、今回はそれが出来なかったため、リコリスは所有権を法的には継承していない状態で更新権を行使する必要があります。そこで問題が発生しました」
「問題というと?」
「現在、暫定的にリコリスが惑星所有権者であるとみなされるものと、僕も思い込んでいたのです。しかし、星域圏総督府に問い合わせたところ、どうもそうではないようなのですよ」
「というと?」
「現在は惑星所有権が宙に浮いています。誰のものでもない状態で、ホームステッド家が事実上所有しているにすぎません。この状態でリコリスが更新権を行使するには、連邦中央政府の監督省庁、この場合は辺境星域圏管理局に更新権者が出頭して、あらためて生体DNAパスコード登録を行ったうえで更新手続きをする必要があるようなのです」
「なんだ、そりゃ。面倒な話だな」
「全くです。トゥームストーンの所有権継承に関する特別法は、連邦法ではないにも関わらず、一般の土地所有権相続手続きの慣例上そうなってしまうのだそうです。何度も特別法の規定に例外措置が無いか、当家の法務にも確認してもらったのですが、抜け道はないようでして」
「それで地球ってわけか。なるほど」
ダグラスは首肯して説明をさらに続けた。
「パスコード更新の手続きさえ済めば、あとは僕がここから何とかできる。クリスがだめでも、サクラさんや他の信用できる人に所有権を変更してもいい。とにかく、シンジケートの手にこの惑星の所有権を渡さないための手は打てます」
「だが、息子さんの身柄はまだヴェントゥーノの所にあるんだろう? リコリスが居なくなれば早晩、奴にはバレるぜ。地球までは恒星間ゲートを使ったって長旅になる。モタモタしてる間に――」
「そうです。モタモタしていたら、クリスは殺されます、お父様」
「…………」
強い目でリコリスに睨まれて、ダグラスは押し黙った。
たぶん――俺の人を見る目が正しいとしたら、ダグラスはクリスティアンを見捨てるつもりなんだろう。リコリスも薄々それをわかってるから、きつく咎めているんだ。
義理で引き取った、不遇な庶子でありながら、一家の命運を握る立場にあるリコリスと、自身の血を分けた息子で、亡くなった愛妻の忘れ形見でもあるクリス。究極の選択だが、どちらか一方を犠牲にしなくちゃならないとしたら、普通は息子を生かす道をとるだろう。
だが、ダグラスが一番大事にしなくちゃいけないのは血縁じゃなくて、この家の結束だった。
そのためには、我が子可愛さにリコリスを犠牲にした、と思われちゃいけない。外聞が悪すぎるし、家の中の雰囲気だって悪くなるだろう。同じ悪評なら、私利私欲のために我が子を犠牲にしたという評判が立つ方がまだいい。断腸の思いには違いないが、ダグラスは真面目な男で、真面目であるがゆえにそう決断せざるを得なかった。
〈義理と人情を秤にかけりゃ、義理のが重いこの渡世、って感じねー〉
フジコ、おまえ、そんな古い言い回しをどこから引っ張ってくるんだ?
しかし今回に限っては、的を外しちゃいないな。
俺はため息をついて、ソファから身を起こして立ち上がった。そして暖炉の傍まで行くと、先ほどの写真をもう一度手に取った。
「ここに写ってるご家族の中で、今も生きているのは?」
「……僕とリッキー、クリス、それにサクラさんだけです」
「さっき、そのサクラさんが言ってました。もう家族を亡くすのはたくさんだってね」
「…………」
「どうでしょう。俺に任せちゃ貰えませんか。娘さんを地球に届けるのはお安い御用だが、その場合息子さんが犠牲になる。それじゃあ、リコリスを助けたことにはならないと、俺は思います」
誰かの犠牲の上に自分が生きてる、なんて考えを、一生背負って生きていくのは辛いもんだ。それは俺自身が、嫌ってほどに実感していた。
「何か、考えが?」
「それほど難しいことじゃありません」
俺はダグラスを安心させるため、あえて軽い調子で答えた。
「息子さんを、助けに行きましょう」
その夜はホームステッドの屋敷に泊めてもらう事になった。
高級ホテルみたいな客間に通されて、少しばかり落ち着かない。夜の静寂《しじま》の中、ベッドの縁に腰をかけ、さっき自分がダグラスに吐いた大言壮語について、具体的なプランを思案する。
リコリスの弟、クリスティアンの身柄はノリオに確保されている。奴にとってクリス坊やは、リコリスっていう相手のエースにかぶせるための切り札だ。こっちがエースを切らない限り、手札に残しておく筈だ。まだ生きてるとみていい。
となれば、ミスター・ヴェントゥーノが今どこにいるのかがわかれば、こちらから乗り込んでいってクリスを救出できるかもしれない。
〈あのメールは、この星のネットワーク内から送信されてるわね〉
「奴は例の動画で、明日にでも迎えにいく、ってほざいてたな」
〈もうこの星に来てるのかしら。変ね。宇宙港には、今んとこ私たち以外の出入りは無いっぽいんだけど〉
「運搬機もか?」
〈ええ。ちなみに管制官のお兄さんとは仲良くなっといたから、宇宙港の外の様子も見えてるけど、カーゴだけ受け渡して飛んでいく宇宙機も、直接大気圏突入してくレトロ宇宙機もいないわね〉
形跡を残さずに、奴はこの星に入ったってのか。
「他に考えられる進入路は?」
〈大気圏内に直接ELドライブで転移するくらいかしら。座標が狂ったら惑星にぶつかるだけじゃ済まないけど、前例が無いわけじゃないわね〉
前例? どこのバカだよ。狂ってるのは座標じゃなくて、やった奴の頭だ。
〈ちな、前例作ったのはカレン戦役んときに現地先遣隊を指揮してた、トシロー・ヒューガとかいう頭おかしい騎兵隊少佐の模様〉
「知らねえな、そんな奴は」
だが、バカがバカの真似をする事はあり得る。
〈この星、北極も南極も中緯度まで極氷が張ってるからさ。無人の地域が多いわ。人の生活圏を外れて、目撃されずに転移するのは割とアリね〉
「奴がもうトゥームストーンに来てるんなら、出来たら今夜のうちに動き出したいところだが……」
〈あー、向こうもそう思ってたりして〉
「?」
フジコに問い返そうとした時、静寂を破り、ブラスターの銃声が二発響いた。
屋敷の周りが急に騒がしくなる。
窓から外を見ると、十数台の黒塗りのスピナーが煌々とヘッドライトを灯し、屋敷の入口付近で整然と轡を並べていた。詳しい様子はよく分からないが、さらに続けざま、銃声が二発響いた。
間違いない。この屋敷が、襲撃を受けているんだ。
「チッ、先手を打たれたか」
〈そう言えば、さっき日付変わってたわね〉
フジコに言われて、あの動画の奴のセリフを思い出す。
――明日にでも迎えに行っちゃおうとか思ってるっすから、お出迎えの準備、ヨロシクっす。
明日にでも、だと? ふざけやがって。
ノリオはやはり、とっくにこの惑星に入り込んでいて、日が変わるのと同時に襲撃してくるつもりだったんだ。
俺は何度も舌打ちしながら、玄関前にすっ飛んだ。
そこにはすでにリコリスとダグラスがいた。
〈遅えぞ、マイケル・マクノウィッチ〉
苛立った口調で咎めるトトを、リコリスは両手で抑えた。
「マイクさん、あれを――」
彼女の視線の先を追うと、そこには見覚えのある顔が見えた。
どう見ても三下にしか見えない、背の高い細面。
「どーもおはよっす、ヒューガさん。約束通り、子猫ちゃんを迎えに来たっすよ」
ノリオ・ヴェントゥーノは、左腕をギプスで包んで首から三角巾で吊るしていた。中身の無いジャケットの左腕が、夜風に吹かれて揺れている。右手には袋を開けたばかりのチョコバーを握りしめていた。
奴はニヤついた顔で、そのチョコバーを一口齧って、もぐもぐ咀嚼しながら挨拶した。
ノリオの後ろには、奴自身よりよっぽどらしい格好の下っ端たちが、判で押したような鉄面皮を貼り付けて並び、その手には銃が握られている。
対するホームステッド家の方も、レバーアクションのブラスター・ライフルを構えるダグラスを筆頭に、警備員、使用人、メイドさんまでが武装して、一様に強張った表情をうかべ、玄関前の庭に集結していた。負傷者が双方にいるところをみると、ひとしきり撃ち合いをやった後のようだ。
「盛大なお出迎えに感謝っす。覚悟は決まったっすか?」
「人質はどうした?」
俺が尋ねると、ノリオはアゴで部下達に合図を送った。下っ端の一人が、手足を縄で縛った少年を担いで前に出てくる。口にテープが貼られて喋れないらしいが、目元に涙が溜まっていた。相当怖かったのに違いない。
「クリス!」
駆け寄ろうとしたダグラスの足元に、ブラスターが一発撃ち込まれる。いつの間にか奴は右手のチョコをポケットに突っ込んで、代わりにS&WのNo.2を片手持ちに構えていた。部屋で聞いたのと同じ銃声だ。
クリスが人質になってる間は、こっちからは撃ち返せない。
「メール、読んでくれてるっすよね。このガキは娘と交換っす。おとなしく、こっちに来るっすよ」
「クリスを返してもらうのが先です」
言いながら、リコリスが前に出た。この土壇場で度胸が据わってる。ノリオは銃口を上に向けて引き金から指を外し、クリスを担いでいた部下に目で合図を送った。
「今からコイツが、俺っち達とあんた達の真ん中にガキを運ぶっす。そしたら、そっちからもリコリス・パトリシアが真ん中まで歩いてくるっすよ。ガキを縛ってある縄はお姉さんが解いてあげるといいっす」
「……わかりました」
ノリオの指示に従って、大柄な部下はクリスを縛った状態のまま、玄関前の石畳の上に丁寧に寝かせた。部下が後ろに下がるのを確認してから、今度はリコリスが胸を張って前に出る。
弟の縄を解くのには、少し時間がかかった。固く結ばれていたし、切るにしても彼女はナイフを持っていない。
「あまり待たせないでほしいっすね」
「手伝ってやらないのか? ヴェントゥーノ」
けしかけてやると、ノリオは鼻をふんと鳴らして、ブラスターの銃口を姉弟に向けた。
「!」
俺が何か言う前に、奴のブラスターは青白い荷電粒子を吐き出した。それはクリスの足首をかすめ、そこを拘束していた縄を切った。
「駆け足で逃げるっすよ。――お姉ちゃんの方は逃げちゃダメっす」
立ち上がったクリスを、リコリスは一度だけぎゅうっと抱きしめて何かを耳打ちした。クリスはうなずいて、父親の所に全力で駆け戻った。
ノリオは目を細めて、父子の再会をニヤニヤしながら眺めている。
今なら――
奇襲を食らったのは不覚だったが、奴は俺たちを侮って油断している。部屋で聞いた銃声は合計四発。さっきダグラスに向けて一発。そして縄を切るのに一発。
部屋で聞いた銃声が全部こいつの銃のものとは言い切れないんで不確定要素はあるが、シリンダーを交換していない以上、「アーミー」の残弾は空っぽの可能性がある。
今なら、奴を狙える。
俺は腰に手をやって、ネイビーをホルスターから抜こうとした。
が、俺の愛銃はそこにはなかった。
「惜しかったっすね」
こっちの行動を見透かしたかのように、ノリオは小刻みに肩を震わせて笑いながら、俺の胸を撃った。
一条の熱線がまっすぐ体を貫き、俺の頭ん中は衝撃で一瞬真っ白になった。そして、気づかないうちにその場に倒れていた。
荷電粒子ビームが貫通した穴から、焦げた血が溢れて地面に散る。
〈バイタルに異常!――マイク、何があったの?〉
フジコが繰り返し俺の名を呼ぶ。
「マイクさん!」
リコリスの悲鳴が聞こえた。
その間に、背中から覆い被さるように、ノリオの部下が二、三人で俺を取り押さえてきた。
意識が遠のいていきそうになる頭に、奴の笑い声がずきずき響いてくる。
「お探しのものはコレっすか?」
手の中で俺のネイビーを指にかけて、ノリオはそれをくるりと回してみせた。
そして、またあごをしゃくると、部下の一人が、俺のガンベルトを手に現れた。警備員のブライアンがそいつの足蹴になって倒れている。死んじゃいないようだが、顔中が腫れ上がってぐったりしていた。息も絶え絶えって感じだ。
その時になってはじめて、俺は自分のやらかしたヘマに気づいた。この屋敷に入る時に、自分の銃をブライアンに預けたままだったのだ。
舌打ちができるものならしているところだったが、今は僅かに眼球を動かして、勝ち誇るシンジケートの幹部を恨めしげに睨むくらいしかできなかった。
〈マイク! マイケル・マクノウィッチ!〉
ノリオ・ヴェントゥーノは、ネイビーを空に向けて四発打ち上げてから、銃口を俺に向けた。
「早撃ち名人も、丸腰じゃ撃てないっすよねー……では、サヨナラっす」
どうやらここまでのようだ。リコリスの安全が確保されていない以上、ホームステッド家の側からは発砲できないだろう。流れ者の俺のために、「家族」を危険には晒せない。
覚悟を決めないわけにはいかない。自分の銃を奪われて、その銃で殺されるのか。俺は自分の甘さを恨んだ。
ノリオが引き金を引く。
その時、もう一発の銃声が響いた。
ノリオの右手を白い光がかすめ、ネイビーから発射された俺へのとどめの一発は、狙いをそれて石畳の上で拡散した。
「リッキー!」
ダグラスが叫ぶ声が聞こえた。
ノリオの顔から余裕の色が消え、焦りと怒りが入り混じったような表情で、自分の手を撃った相手を振り返った。
「マイクさんを、離しなさい!」
彼女は震えながら、小さな銃――ダブルデリンジャーを両手で構えていた。
リコリスだった。